第百十五話 六十二日目 淵源の樹 第二層 天気不明
第一層からの階段を登っていくと、パッと目の前の風景が変わった。今度は荒野だ。足下の階段も消えている。
「今度は荒野で──」
と、前にいるクラウディアに話しかけようと思ったら目の前には誰もいない。
ハッとして振り返ると、私の後ろから階段を登ってきていたはずのイリスとトールヴァルドもいない。すなわち一人だ。
「一人かあ」
思わず独り言が出た。
さっき会った精霊は「相応しい人間か図る」と言っていた。そういうことなら一人ずつ試練を与えてくることもあるのは分かる。そう考えると一人で放り出されても意外に冷静でいられた。
「さてと……」
周囲を見回すとだだっ広い荒野だ。岩や石が転がり、草木も生えていない。見渡すかぎりは何も無さそうだ。
しばらく歩くしかないか。
念のため飛行魔法を試みてみたがここでもダメだった。自分の足で進むしかない。
「何か目印があると良いんだけど……」
石ころに足を取られないように慎重に歩いていく。
一層目同様に空には雲ひとつ無い。そう言えば今は夏だ。雲ひとつなければ相当に暑いはずだが、一層目でもここでも暑さは感じない。
「あ、太陽がないんだ」
空は青く晴れ渡っているけど、あるはずの太陽はどこにも見えない。空全体が青く光っているだけのようだ。
やっぱり木の中の空間なんだなぁ。
どこか別の場所に転移させられているわけではなくて、どんな仕掛けは分からないけど木の中でこうした景色を見せられているのだろう。
それにしてもずいぶんおかしなことになってきた。
歩きながら私は考える。
最初はただ追われるのが嫌でレティシアの記憶にあるアジトに向かうはずだったのだ。
それがフィクスと出会い、イリスやトールヴァルドたちと旅をして、偉大な五体のドラゴンとも関わるようになった。
まさか自分が戦うなんてね。
クリスティーナにいきなり襲われ、クラウディアとも魔法を交え、戦争真っ只中のハーフルトにも行った。
もともと極めて平凡なただの短大生である私は人と戦ったことなどもちろん無い。
そんな私が今、この世界の人間を守るために不死のドラゴンと戦おうというのだ。
自分のことながら信じられないよね。
思わず笑ってしまう。短大の友だちに話しても誰も信じてくれないだろう。
帰れるのかな、いや、帰るのかな、私は……。
クラウディアはこれが終わったらリリアーナに頼んでもとの世界に帰れと言っていた。私を呼んだリリアーナならもとの世界に帰せるはずだと。
でも……。
なんとなく釈然としない。
クラウディアの話が本当なら、リリアーナはクラウディアを止めさせるために私をこの世界に呼んだはずだ。フランシスに呼ばれたクラウディアを止め、人間を滅ぼそうとするフランシスの動きを封じるためだ。
でもすでにクラウディアはフランシスの思惑通りには動いていない。それにフランシスは今や、こうして淵源の樹を作り出して自らの手で人間を滅ぼそうとしている。
なんか私が呼ばれた意味も、ううん、クラウディアが呼ばれた意味すらないよね。
どうも話が繋がっているようで、繋がってないようなモヤモヤした気持ちだ。
「ふう」
ゴチャゴチャ考えながら結構歩いてきたようだけど、周囲の風景に変化はない。目に入るのは岩と石ころだけだ。
「何かないかな……」
一メートルくらいの高さの岩によじ登ってその上から周囲を見回す。大して見える範囲は変わらない。イリスやトールヴァルドと違い、私が登れる岩なんてこんなもんだ。
「ん?」
じっくり見回していると遠くに一本の木のようなものが見える。
「あれは……木かな?」
遠いことに加え、葉がついているわけではなさそうなので色合いで判断できないが、茶色い木のようだ。
とりあえずそこに向かって進んで見る。一層目と同じなら何かありそうである。
「枯れ木ですね」
近づくにつれてだんだんハッキリと見えてきた。比較的大きな枯れ木だ。
目標ができると自然と急ぎ足になる。枯れ木のもとまでやってきた私は少し息が切れていた。
「ふう、さあ今度はなんですか?」
枯れ木を見上げる。三、四メートルはありそうだ。葉っぱ一枚付いていない。
そして精霊もいない。まさかただの木かな?と首をひねっていると、
「来たな、人間よ」
突然声が上から聞こえた。一枚布を巻き付けた精霊が枯れ木の枝に座っている。というかどう見ても一層目の精霊と同じに見える。
「我はこの層を預かる精霊だ」
「一層目でも会いませんでしたか?」
「それは別の精霊だ」
「そうなんですか?」
声も同じにしか聞こえない。
「そなたは空を飛ぶ鳥の違いを見分けられるか?」
「はい?」
「同じ種類の鳥なら区別は付くまい。それと同じだ。我もそなたら人間の区別は付かぬ」
「はぁ、なるほど」
まぁそういうものなんだろう。
「だが人間の持つ魔力は見える。そなたは本当に人間か?」
「もちろん人間ですよ」
「魔力が多すぎる」精霊が首を振る。「人間に使える量ではない」
そんなこと言われてもね。
「本当に使えるのか見せてもらおうか」
「はい?」
そう言うと精霊は枝からふわっと離れた。空に浮いている。
「これと戦え」
精霊が指を鳴らすと枯れ木の枝がワサワサと動き始めた。これってこの枯れ木のことか。
少し下がって魔法を出せるように身構える。その瞬間、枯れ木から枝が撃ち出されて私の方に飛んで来る。
「防御魔法」
私はすぐに防御魔法を唱えて枝の攻撃を防いだ。返す刀で攻撃魔法を撃つ。「火の攻撃魔法!」魔方陣から火の玉をいくつも撃ち出した。
枯れ木だからさぞ燃えるだろうと思ったら、火の玉は木の幹に当たってそのまま地面に落ちた。
バシッバシッ!
また枯れ木から枝が撃ち出される。防御魔法で防げるものの、防いでるだけじゃ勝てない。
仕方ないな。
「爆発の攻撃魔法!」
さっきの火の魔法とは比較にならないほど巨大な爆炎が魔方陣から撃ち出され、枯れ木を包んだ。今度はあっという間に燃え尽きた。
「……古の魔法だな」
精霊が私を見下ろしながら言う。
「そうですよ」
クラウディアに寝込みを連れ去られた時のことだ。「古代魔法を使いこなせなければ大地のドラゴンには勝てぬ」と、彼女は多くの古代魔法を私に教えてくれた。その中の一つが爆発の攻撃魔法だ。レティシアが知っていた爆発魔法とはまったく異なる魔方陣で、威力も段違いだ。
ついでに魔力の効率的な使い方まで教えてくれたのだけど、そのおかげでヴェードルンドまで飛んできても魔力の問題がなかったのだ。
「まだ使える人間がいたとは驚きだ」
「私だけじゃありませんよ」
クラウディアはもちろん、エストも使えるのだ。
「……そうか」精霊は目を閉じて頷いた。「よし、では上へ行くが良い」
私の足下から上に伸びる階段が現れた。一層目と同じだ。
「ありがとうございます」礼を言う筋合いではないがなんとなく口をついてしまった。
精霊はそれに反応することもなく、目を閉じて空に浮いたままだ。私は精霊を横目で見ながら階段を登っていく。
第二層です。
続きは火曜日あたりの予定です。