第百十四話 六十二日目 淵源の樹 第一層 天気不明
淵源の樹の洞から中に入ると、まったく想像していなかった風景が広がっていた。
見渡す限り一面の草原だ。膝丈くらいの草が風に揺られて波のように見える。
「どうなってんだ、これは?」トールヴァルドが目を丸くして周囲を見回す。
樹の中のはずなのに地平線まで見える。たしかに大きな木だったけど、これほど広い空間が内部にあるほどではなかったはずだ。
気付けば入ってきた洞も見えず、大草原の中に四人だけポツンと立ち尽くしている状態である。
「いきなり攻撃があるんじゃないかくらいは想像してたけど、これは意外ね。でも油断しないほうがいいわ」
さすがにイリスは冷静だ。
「どうすれば上に登れるんでしょうね」
上を見ても青空が広がっているだけだ。
「飛行魔法」
私は飛行魔法を唱えてみたが出てこない。まさか魔法が無効に?
「火の攻撃魔法、風の攻撃魔法」
焦って攻撃魔法を誰もいない方向に唱えてみると、ちゃんと魔方陣が展開されて魔法も撃ち出された。飛行魔法だけ無効のようだ。
「とにかく歩いてみましょうか。ここにいても仕方ないわ」
イリスを先頭に歩き出す私たち。周囲を警戒しながらしばらく進んだが変化はない。ひたすら草原だ。
「クラウディアはあまりこの木に驚いていませんでしたね。知っていたのですか?」
「知らぬが、ユニオールの城からも見えたでな。調べてから来た」
「調べた? 何か分かりましたか?」
「何も分からなかったわ」クラウディアが笑う。「じゃが、大きな木が登場するおとぎ話はいくつもある」
「へー、そうなんですね」
「その手の話では、木は新たな生命の象徴じゃな」
「新たな生命……」
淵源というからには、何かの源なのかもしれない。
「でも新たな生命どころか、この木が花を咲かせれば人間は滅亡らしいぞ」
トールヴァルドの言葉にクラウディアは頭を振る。
「滅ぼしてから何かを生み出すのやもしれぬ。まあどの道フランシスは倒すのじゃ。気にすることはない」
「まあそうだな」
さらに歩いていく。広い草原をなんのアテもなく歩いていると、時間の感覚がなくなってくる。まだ十分くらいしか歩いていないのか、一時間は歩き通しなのか。
「はあ……。なにも出てきませんね」
「そうじゃな。範囲攻撃魔法でもぶちかましてみるか?」
クラウディアがニッと笑う。
「危険よ。そもそもこの空間が本物なのかも分からないし」
「空間が?」
「ええ、幻を見せられてる可能性もあるでしょ?」
「たしかに……」
イリスの言う通りだ。この景色も本物ではないのかも。
「お? 向こうに何か見えるぞ」トールヴァルドが手をかざして前方に目を凝らす。「岩? かな?」
トールヴァルドが言う方に目をやるとたしかに岩のようなものが見える。私たちはそちらに向かう。
「油断しちゃダメよ」
「分かりました」
私はすぐに魔法を唱えられるように身構えつつ前進する。イリスは伸縮混を手に、トールヴァルドも剣に手を掛けているが、クラウディアはなんということもなさそうに歩いて行く。
「ただの岩じゃな」
高さ一メートルくらいの岩だ。クラウディアがペタペタ触っているが何も無さそうだ。
「ゴーレムにでも化けるのかと思うたが違うようだの」
何かあるのかと身構えていただけに肩すかしだ。こういうのが一番疲れる。
「ちょっと休みつつ、どうするか考えませんか?」
ただ闇雲に歩いても意味は無さそうだ。
「なんじゃ、もう疲れたのか? 何層あるか分からんのじゃぞ?」
「疲れは大丈夫です。でもただ歩くのは嫌いです」
そんな話をしていると、岩の上の空間が歪み始めた。だんだんと人の形に収束していく。煙こそ出ていないが、クラウディアの転移魔法に似ている。
「なんだ?」トールヴァルドが身構える。イリスも伸縮混を伸ばすと私の前に出た。
「これは……」
歪みが治まると岩の上には人の形をしたものが浮かんでいる。人の形、というのはどう見ても人間では無さそうだからだ。
「なんじゃ、精霊か?」クラウディアが人の形をしたものに問いかける。
「そうだ。我はこの層を預かる精霊だ」
私の世界で言うと昔のギリシア人のような一枚布を巻き付けた服装。髪も髭も真っ白だ。両手を前に組んで、私たちを見下ろしている。
「私たちは上に行きたいんです。どうすればいいですか?」
「では、我の問いに答えよ」
精霊が厳かに言う。
「朝には四本足で歩き、昼には二本足、夜には三本足の生き物は何か?」
……はい? これって有名なスフィンクスの話じゃない? 正解は人間だ。だがそんな回答でいいんだろうか?
イリスとトールヴァルドを見ると二人とも首をひねっている。知らない人には難しい問題なのだろうか?
「人間、じゃな。考えるまでもなかろうて」クラウディアが笑みを浮かべながら言う。「幼子の時は両手も使って四本足で這い、成長して二本の足で歩き、年をとれば杖をつき三本足となる」
イリスとトールヴァルドが驚いた顔でクラウディアを見る。
ああ、クラウディアも知っていたのね。私のいた世界とは別かと思ってたけど、クラウディアも同じ世界から連れてこられたのだろうと確信が持てた。私は平和な日本人だが、世界にはまだまだ危険なところがたくさんある。きっとクラウディアがいたのはそういったところなのだろう。
「正解だ」
精霊が頷く。
「では先に進むが良い」
精霊と岩の後ろに、上へと続く階段が現れた。
「なんじゃ、一問だけで良いのか。簡単じゃの」クラウディアが階段の方へ歩き出す。
「ちょっと待ってください」私はクラウディアを止め、精霊に問いかける。「精霊さん、この淵源の樹は何層あるのですか?」
私の問いに精霊が顔を向ける。
「それは我も知らぬ。上がっていけば自ずと分かるであろう」
「そうですか……。では、なんのためになぞなぞを?」
「そなたらが上へいくのに相応しい人間かを図るためだ」
なるほど。ということはこの手の試練がこの先もあるってことなのかな?
「ほれ、レティシア。先に行くぞ」
クラウディアの声に促され、私たちは階段を上がっていく。
知っている人には簡単すぎるなぞなぞでした。
ちょっと体調を崩してしまいまして、次話は週末になります。