第百十一話 ユニオール暦八百七十三年八月十六日 ヴェードルンド 天気晴れ
ヴェードルンド中央の荒野に立つ一人の少女。サイドでまとめた深碧の髪が夜風にたなびく。大地のドラゴン、フランシス・ドラゴン・デ・テーロだ。
「あなたが一番乗りよ、エサイアス」
フランシスが振り返って微笑む。視線の先には人間の姿の青嵐のドラゴン、エサイアスが立っている。
「大地よ、いったい何をそんなに急ぐのだ」
エサイアスの問いにフランシスは答えず、微笑みを深める。
「フフ、どうやってあの封印から逃れたの?」
フェーディーン北部の人目に付かないところでたしかにエサイアスを封印したはずだ。一時的とは思っていたが、こんなに早く解けるとはフランシスは思っていなかった。
今度はエサイアスがその問いには答えずに言う。
「フン、我らはとことん噛み合わぬな」
「そうね、それが“対”ってことでしょう?」
「合わぬのが当然、ということか」
「ええ」
青嵐のドラゴンと大地のドラゴンは対の関係だ。もともと相性が良いわけがない。
エサイアスがドカッと地面に座る。
「封印のことをどうこう言うつもりはない。それよりも聞かせよ、大地。たしかに人間は増えすぎた。しかし、急いで数を減らさねばならないほどなのか?」
フランシスは笑みをたたえたまま言う。
「そうよ。エサイアス、あなたも私も、アンシェリークもウィルフレドも、それにリリアーナも、長くこの世界を見てきているわよね」
「うむ」
「過去に人間がこれほどに増え、収拾が付かなくなったことがあったかしら?」
「……」
「欲望のままに戦いを続け、資源を浪費し続ける。そう遠くない未来、人間はこの世界を食い尽くしてしまうわ」
「……ふむ」
暗くなって星が出てきた空を見上げながらフランシスが続ける。
「これでも五百年ほど待ったのよ、リリアーナが結論を出すにはまだ早いと言うから――。でも待ったのは間違いだったわ。悪化する一方よ」
「……それでクラウディアか」
「そう、彼女なら適度に人間を減らして、この世界を安定させられると思ったのよ。だからこの世界に呼んで、力を与えたの」
「思惑通りには動いてくれなかったか」
「そうね」フランシスが自嘲気味に笑う。「彼女は業が深すぎたわ」
「そして輝も動いたわけだな」
輝のドラゴン、リリアーナは、クラウディアに対抗させるためにレティシアをこの世界に呼んだ。
「それも意外なのよね」首をかしげるフランシス。
「なにがだ?」
「レティシアの中の人格は極めて普通の人間だわ。私が力を与えたクラウディアに勝てるとは思えない」
「たしかに普通の人間だな」頷くエサイアス。「だが、彼女は強いぞ。実際に会った我には分かる」
「そうなの?」
意外そうにエサイアスの顔をマジマジと見つめるフランシス。
「まぁ、明日には会えるだろうけどね」
フランシスがクルッと後ろを向いた。
「明日か」
「そう、明日にはクラウディアもレティシアもここにやってくるわ」空に向かって両手を広げるフランシス。「私を封印するためにね」
「なにをするつもりだ?」
フランシスが小さな声で何か呪文のような言葉を唱え始めた。周囲の空気がビリビリと音を立てて集まってくる。
「!? まさか?」
エサイアスがフランシスの方へ近付こうとすると、空気の塊に遮られて足を踏み出せない。
「そのまさかよ」呪文を唱え終わったか、フランシスが言う。「大地の精霊たちの力を借りるのよ」
両手を広げるフランシスの前に小さな木の苗が現れたかと思うと、木の苗は光を放ちながら急速に大きくなっていく。上へ上へと幹を太くしながら、横へ横へと枝葉を広げながら木はどんどん生長していく。
「くっ! ここまでする必要があるのか! 大地よ!?」
エサイアスは顔のあたりを腕でガードしてフランシスの方に進もうとするが近付けない。
「まあ見てなさいな。これが終わればまた私たちにとって暮らしやすい世界になるから」
「!」
みるみる生長した木は見上げても視界に収まりきらない。最後にひときわ強い光を四方に発すると木の生長は治まった。
「できたわ」
「こんなものまで出すとは……」
「必要なのよ、この“淵源の樹”がね」
フランシスは巨大な淵源の樹を見上げながら言う。
「エサイアス、あなたはここでクラウディアとレティシアに伝えてほしいの。私を封印したければ登ってこい、とね」
「……」
「私のもとにたどり着けなければ三日で人間は滅ぶって話も間違いなく伝えてね」
ニコッと微笑んでフランシスは淵源の樹の根元にぽっかりと開いた洞に入っていく。
「くっ」
エサイアスはそれを黙って見送るしかなかった。洞にフランシスが消えると、山のように大きく生長した淵源の樹を見上げてぽつりと呟いた。
「淵源の樹か……。またあの悲劇を見なくてはならんのか」
樹の詳しい話は次話で。
明日明後日と更新できませんので、次話は火曜日です。