第百八話 ユニオール暦八百七十三年八月十六日 ユニオール城 天気晴れ
「お帰りなさいませ、陛下」
セラフィーナがにっこりと微笑みかける。でも目は笑っていない。これは実は怒っている顔だとクラウディアは知っている。
「そう怒るな、セラフィーナ」
「怒ってなどおりません」セラフィーナの頬か少し赤くなった。「怒っている場合ではないのです。ご覧ください、この書類の山を」
セラフィーナが机に積み上げられた書類の束を指差す。
「すべて陛下の決済が必要な書類ですよ」
「うむ、分かっておる。ずいぶん留守にしたからの」
「お戻りになったばかりですが、今日はこの書類を──、陛下、それはなんですか?」
セラフィーナがクラウディアの後ろのローテーブルに置かれた箱に目を留める。
「おう、これか」クラウディアが箱のフタを開け、中を見るようセラフィーナに促す。「見てみい」
「はっ、失礼します」
セラフィーナが箱の中を覗き見る。「これは?」
「これはの」クラウディアが箱の中からうっすらと光る小さな玉を取り出す。「我の切り札じゃ」
「切り札……ですか?」
「そうじゃ。そなたもこの異常な状況には気付いておるであろ?」
「ドラゴンが現れたり、ラ・ヴァッレが炎に包まれたり……、おかしなことが続いています」
「うむ。周辺の状況はどうじゃ?」
「アンハレルトナークでもドラゴンが出ました。ヴァーラの東方の町ですが、すでに撃退したそうです」
「クックッ、撃退したか。さすがじゃな」
「我が国では、旧ヴェードルンドも含めドラゴンは確認されていません」
「であろうな」
「はい?」
「いや、なんでもない」
クラウディアは首を振ると執務机に向かった。
「では我は書類を確認するとする。そなたも執務に戻ると良い」
「はっ、何かございましたらお呼びください」
そう言ってセラフィーナはクラウディアの私室を出ていった。
セラフィーナはその足で魔道士団が詰めている城内の一角に向かう。城の西側城壁に面した塔が魔道士団の詰所になっている。
もともと魔道士団に属していたセラフィーナにとってはよく知った場所だ。
「あら、セラフィーナ、珍しいわね」
塔に入ると顔馴染みの魔法使いが声を掛けてきた。
「お久しぶりです、アレット。マルガレータに会いたいのですけど」
「マルガレータならさっき戻ったばかりよ。呼んでくるから応接で待っていて」
塔一階のロビーの脇には応接の部屋がいくつもある。その一つに入ってセラフィーナは腰掛けた。それほど待つこともなくマルガレータがやってきた。
「お待たせ、セラフィーナ。いえ、セラフィーナ様と呼んだ方がいいかしら?」
「いいえ、セラフィーナでいいですよ。様なんて付けられたら話しづらいです」
「分かったわ、セラフィーナ」
そう言ってマルガレータが微笑む。もともと魔道士団での席次はセラフィーナよりマルガレータの方が上だった。年も二つ三つマルガレータの方が上だ。
「マルガレータ、団長への報告とは別に今回の行動のことを聞きたいのです。よろしいですか?」
「いいわよ。まだ帰ったばかりなので団長には会ってないわ」
「ありがとうございます。陛下はお忙しいので詳しいことはあなたにお聞きしたいんです」
マルガレータが頷く。
「どこから話せばいいかな。エルフの里に行ってからいったん城に戻って、今度はクラウディア様と二人で出たんだけど」
「エルフの里でのことは聞いています。その先をお願いします」
「最初に行ったのは、オースルンドの首都ナサリオね。でも特に何をするわけでもなかったわ。クラウディア様はちょっと買い物がしたいとおっしゃって、服などを買われていたわ」
「なるほど」
「次に行ったのは聖都カンペリエよ。大聖堂の聖剣と聖槍にご興味があったみたいなんだけど」
「ケーレマンスの剣とクノフロークの槍ですか?」
「そう。で、ちょうどカンペリエに着いたところでドラゴンの群れに出くわしたの」
それを聞いてセラフィーナの表情が一瞬にして曇る。
「ああ……、剣と槍を試したんですね」
「そう。どっちもドラゴンにはなんの効果もなくて壊れてしまったわ」
「他国の至宝を……」セラフィーナが頭を抱える。
「でもその代わりドラゴンの群れを追い払ったのよ。充分お釣りがくるくらいよ」
マルガレータがクラウディアの活躍を説明する。十三体ものドラゴンを落としたのよと誇らしげに語るマルガレータを見ながらセラフィーナは頭痛が増していくのを感じた。
「ご無事だったのは何よりですけど、レッジアスカールックの首都でそんなに目立つ真似を……。法王府から何も言ってこないと良いんですけど」
「あら? まだ知らないのね。そう言えばまだ三日前のことだものね。そのあとカンペリエでは市民が蜂起して暴動が起きたの」
「カンペリエで暴動? そんなことが……」と言ってちょっと考え込むセラフィーナ。「嫌な予感がしますけど、まさか陛下はその暴動にも関わりを?」
「え、うん、まあなんというか、クラウディア様が扇動したというかなんというか……」
「えええ……」
「でもクラウディア様の言葉だけではあんなに大きな暴動にはならないわ。カンペリエの市民はずいぶんと不満を溜め込んでいたんだと思う」
「その背中を陛下が押したわけですね」
「まあそういうことね」
カンペリエでの暴動の報はまだユニオールには届いていない。シュタールとハーフルトに続いて、アポロニア五大国の一つであるレッジアスカールックでも動きがあるとすれば、今後のことをいろいろと考えなくてはならない。
「カンペリエでのことは分かりました。その後帰国されたんですか?」
「ううん、この先をどこまで話して良いのか分からないんだけど……」マルガレータが前置きをしてからちょっと躊躇い気味に言う。「ラ・ヴァッレ城に行ったのよ」
「ラ・ヴァッレ城に?」
「そう。城に直接転移して、レティシア・ローゼンブラードに話があると」
「どんな話を?」
「それは分からないわ」マルガレータが頭を振る。「レティシアを連れてどこかへ転移しまったの。それほど長い時間ではなかったけど、何かの話をしてきたんだと思うわ」
「なるほど……」
レティシア・ローゼンブラードは敵のはずだ。でも二人で話をするような関係性があるのだろうか?
「それは後で陛下に聞いてみます。それで終わりですか?」
「まだよ。その後、バーンハルドの南にある深い森に行ったの」
「バーンハルドの南……。あそこは未開の地だったと思いますが」
「うん。森の中に隠されるように洞窟があってそこに入って行き、何か光る玉を手に入れられていたわ」
「光る玉ですか」先ほど見せてもらった玉のことなのだろうとセラフィーナは思った。「その洞窟や光る玉が何なのかは陛下は話されましたか?」
「いいえ、何もおっしゃらなかったわ。でも玉を手に入れたときに、やはりまだあったか、これならあれも……と呟いていらっしゃったわね」
「そうですか」
「そして先ほど戻ってきたわけ。色々ありすぎて少し疲れたわ」
「そうですよね。お疲れ様です」クラウディアに振り回される大変さはセラフィーナもよく分かっている。
「ところで、この話は団長には報告していいのよね?」
「ええ、もちろんです。ありがとうございました」
魔道士団の詰所を後にして自分の執務室に戻るとセラフィーナはソファーに身を沈めた。このところ事態が急激に変化している。でも自分がその変化に対応しきれていないことを身に沁みて感じている。
もう少し陛下が話をしてくれると良いのですが……。
セラフィーナの見るところ、クラウディアは非常に多くの情報を持ちながら敢えて伏せているようだ。もともと独自の諜報部隊を持っているらしいが、議奏の自分さえその存在を把握しきれていない。
陛下の本当の望みは何なのかしら。
そう考えると少し不安を覚えるセラフィーナだった。
次話で第三章は最後です。
続きは明後日です。