第百六話 ユニオール暦八百七十三年八月十五日 ラ・ヴァッレ城外 天気曇りのち晴れ
「これはこれは、クライバー卿」
大柄な騎士の出迎えを受けたユリウス・クライバーは彼が誰なのか思い出せなかった。戦場にもかかわらず貴族の正装で、その上に羽織ったマントの留め金具は帝国騎士団の紋章だ。騎士で貴族なのだろう。
「戦場の様子はどうです?」
シュタール騎士団においてナンバー2であるユリウスの上席は騎士団長だけだ。したがって彼はユリウスよりも上席ではありえない。ぞんざいな言葉でも問題はないだろうが、気分良く話してもらうために丁寧に聞いてみたのだ。
「包囲は完璧、もはや戦場とは呼べぬ状況です」貴族騎士がニヤッと、そして少し人をいらつかせるような笑顔で言う。「落城も時間の問題でしょう」
ユリウスは黒く焦げた城壁を見やった。ラ・ヴァッレ城はかろうじて城壁が残っているもののあちこち崩れてしまっている。町は完全に燃えてしまったようで、周囲にラ・ヴァッレ市民らしき影は見えない。
「食料庫をすぐに押さえることができたのが圧倒的な勝因です」
貴族騎士が誇らしげに胸を張る。
「素晴らしい戦果です。皇帝陛下もお喜びになることでしょう」
「おぉ、有り難き幸せ」
ユリウスは皇帝陛下の側近中の側近だ。
「では私は戦場を見て回るので、これで」
「あっ、誰か付けますゆえ――」
「いや、結構」
そういうとユリウスはパッと馬上の人となり駆け出した。
陣と陣を結ぶ道はかろうじてシュタール軍によって片付けられているが、その脇にはかつて建物だったと思われる、焦げた木材の山が無造作に打ち捨てられている。
どれほどの犠牲が出たんだろうな……。
ユリウスは思う。町全体を燃やし尽くすほどの広域魔法を使えるとすれば、レティシア殿かクラウディアしかいない。しかし、ラ・ヴァッレが炎に包まれるまでレティシア殿は自分と一緒にトセリの町にいた。だとすればクラウディアかと思うものの釈然としない。
クラウディアが今ハーフルトを攻撃する理由がない。
これがアンハレルトナークの首都ヴァーラなら分かる。アンハレルトナークを倒してプロヴァル地方を制すれば、一躍アポロニア随一の大国に成り上がれる。
しかし、ラ・ヴァッレが落ちてハーフルトがシュタールに滅ぼされれば、シュタールがずば抜けた大国になってしまう。クラウディアにはなんのメリットもない。
やはりフランシスなのだろうな。
トセリの町をドラゴンの群れで襲わせたのは間違いなくフランシスだ。その後、国元に戻ってから分かったが、ドラゴンの群れは世界各地に出現している。世界を混乱に落としいれるために違いない。
とてもそんなことを考えているようには思えなかったがな……。
ヴァーラで出会い、それからしばらくの間フランシスと行動をともにし、色々と話もしたが、人間を滅ぼそうなんて様子はまったく見えなかった。レティシア殿の話でなければおそらく信じなかっただろう。
「ご苦労」
いくつかの陣を回って状況を聞く。たしかに包囲は完璧なようで、どの陣も士気は高い。しかし、城から南西側の陣ではユリウスが思っていた通りの報告があった。
「昨日、雨に紛れて飛行魔法に乗った二人組の襲撃を受けました。こちらには被害なく、二人組は城へ飛び込んでいきました」
「どのような二人だったのだ?」
「雨が激しく、よく確認はできませんでした。こちらの魔法はすべて防御されましたが、新型の銃で応戦したところ、傷を負わせたのではないかと思われます」
「そうか」
防御魔法陣を突き抜ける例の銃弾か。たしかにあれなら効果はあるだろうが、レティシア殿がいれば多少の怪我は問題ないだろう。
やはりレティシア殿とイリスレーア姫はラ・ヴァッレ城に入ったのだな……。
危険だと警告はしたが、レティシア殿が聞き入れるとは思っていなかった。
それにしてもどうするつもりなのか。ここに至ってはラ・ヴァッレ城を守り切ることは不可能だ。レティシア殿、イリスレーア姫、トールヴァルドと名高い三人が揃っていても、城を包囲するシュタール軍を打ち負かすことは不可能だ。
少数で強行突破して脱出するしかないだろうな。
ユリウスは南側の陣まで見回り、改めて考える。強行突破と言っても容易ではない陣構えだ。そうすると、おそらくどこかで騒ぎを起こして注意を引きつけておいて、隙を見付けて脱出するしかない。
レティシア殿のためにその隙を大きくするのが私の役割だな。
気付けば日差しが出始めている。昨日までの雨とは打って変わって今日は暑くなりそうだ。
「北門から敵の突撃だ!」
「相当数の騎士と魔法使いが出ているぞ!」
城の西に陣取った部隊で客将として様子を見ていたユリウスの周りでも報告を受けた兵たちが浮き足立ってきた。
きたか。
陣の指揮を執っている部隊長がユリウスのもとに駆けてきた。この男も騎士団員のようだが名は知らない。
「ユリウス様、いかがいたしましょう?」
「このような際にどうするか命は出ていないのか?」
「はっ、パスクワル様からは、敵の突撃はないだろうと」
「そうか」
あの騎士はパスクワル・メルカドだったかとユリウスはようやく分かった。シュタールの貴族メルカド家の者で、騎士としての実力は大したことないが家柄で包囲軍の司令を拝していたようだ。
このような大事な役にあのような者を充てるとは、皇帝陛下も老いたな。
ユリウスは心の内で少し苦笑して、部隊長に言う。
「ならば、騎士や魔法使いを北門に回すべきだろう。敵は最後の決戦を挑んできているのだ。ここで敗れればすべてが台無しではないか?」
「はっ! その通りです!」
部隊長は駆け出していった。他の部隊にも伝令を飛ばして騎士と魔法使いを北門に回すようだ。
ユリウスは立ち上がって周りを見回す。騎士や魔法使いたちが北門へ急いでいく姿が見える。おそらく他の部隊も同じ動きだろう。
さぁレティシア殿、脱出するならここしかありませんよ。
心の内でユリウスが呟いた瞬間、西門の物見台から飛行魔法が二つ飛び出した。ユリウスのいる部隊の方にまっすぐ飛んでくる。全力だ。
二つということは一つはレティシア殿で、もう一つは誰だ?
兵たちが飛行魔法を止めようと押し出すが、騎士も魔法使いも出払っている以上、どうしようもないだろう。
「ユリウス様! 敵です! いかがいたしましょう!?」
一般兵の指揮官らしき男が駆け寄ってくる。いかがと言われても一般兵だけでどうにもならぬだろうと内心苦笑して答える。
「ふむ、騎士も魔法使いも北門へ向かっている以上は仕方あるまい。勝ち戦での損害も馬鹿らしいゆえ、あまり相手をするなと伝えよ」
「かしこまりました!」
見上げる兵たちを尻目に二つの飛行魔法が西を目指して飛んでいく。ユリウスは目を細め飛行魔法に乗っている者を見た。
一つはレティシア殿とクリストフェル、もう一つは知らぬ魔法使いとイリスレーア姫にトールヴァルドか。クリストフェルはここを捨て、オールフェルドに向かうのか?
通り過ぎていく飛行魔法を見送りならユリウスは思った。あの堅物殿がラ・ヴァッレを捨てるとは考えられなかったが、もしかするとオールフェルド王がこの城にいるのかもしれない。
まぁこれで知人はすべて逃げ延びたな。とりあえずは良しとするか。
「私も北門に行く」
「はっ!」
そばにいた兵に告げて、ユリウスも北門の混戦へ向けて馬上の人になった。
ユリウスが間接的にレティシアたちを助けた格好です。
続きは明後日です。