第百五話 ユニオール暦八百七十三年八月十五日 リューディア南部の山脈 天気晴れ
リューディアの南には沿岸を覆うような形で山脈が連なっている。中央アポロニア山脈ほどではないものの険しい山が密集していて、バルヴィーン島北部の山脈とともにその間にリーゼクーム海峡を形作っている。
「この山の中ですの?」
「そのようだ」
ウィルフレドの背中に掴まっているクリスティーナが眼下の山を見下ろす。緑に覆われた険しい山々だ。
「高い山が密集しているからね。ある意味、中央アポロニア山脈よりも険しいと思うよ」
一緒に背に乗っているフィクスが言う。ウィルフレドから危険と言われたにもかかわらず付いてきたのだ。
「場所は大丈夫ですの、ウィルフレド?」
「うむ。問題ない」
二人を乗せたウィルフレドが山の間に降りていく。深い木々に覆われた山の中ほどに近付いていくと、大きな岩が斜面に沿って立っている。その前に少し開けたところがあって、ウィルフレドはそこに降下した。
「ここだな」と言いながら人間に変化するウィルフレド。「焔が言ってたのは」
「岩に塞がれてますわ」
「そうだ。我らの仲間でなくばこれは開かぬ」
そう言ってウィルフレドが岩に近付いていき、表面に手を当てるとそこから光が広がり、岩は一瞬で消えてしまった。
「どんな仕掛けなんだ?」目を見開いてフィクスが聞く。
「人間で言うところの魔法のようなものだな」
岩が消えて口を開いた洞窟に三人は入っていった。
「こけが光っているのか。これなら灯りは必要ないな」
歩きながらフィクスが周りを見回す。奥へ伸びている洞窟は二階建ての家がすっぽり入るくらいに間口が広い。ドラゴンの姿のままでも入れる大きさなのかもしれないとフィクスは思った。
「この奥でアーシェは死んだのですね」
「うむ。我らは肉体の寿命が尽きるときに、その死体を隠すためにこうした洞窟の奥に行くんだ。場所はそれぞれ別だがな」
「ということは、ウィルフレドも死ぬとなにか石ができるんですの?」
「フフ、良い質問だ」
それだけ言ってウィルフレドは答えなかった。
そのまま進んでいく三人。左右だけでなく上へ下へと洞窟は入り組んでいる。途中で分かれ道のようなところもあったが、ウィルフレドは迷わず進んでいく。
「罠を仕掛けていたり、モンスターがいたりはしないんだな」
「うむ。何かの間違いで人間が入り込んだとしても最奥にはたどり着けぬ」
「迷路のようなものなんだな」
「そろそろ疲れてきましたわ」クリスティーナが汗を拭う。
「もうそこだ」
ウィルフレドが言う通り、角を曲がると少し開けた空間に出た。周囲の壁は光るこけで覆われているものの、広いためかちょっと薄暗く感じる。岩が転がった広間の中央あたりに白いものが見えた。
「……ドラゴンの骨ですわね」
アーシェが今現在も生きていることは知っているものの、目の前に骨が横たわっているのはあまり良い気分ではない。
クリスティーナがちょっと感傷的な気分になっていると突然、
「そうです。焔のドラゴンは人間で言う二百年ほど前にここで死にました」
と岩陰から声が聞こえてきた。クリスティーナとフィクスが驚いてそちらに目をやると、そこには一人の少女が立っていた。
「輝、なぜここにいる?」
ウィルフレドが少女に言葉を掛けたことで、クリスティーナとフィクスは少女が輝のドラゴンであることを知った。
「あなたが輝のドラゴンですの?」
「ええ、リリアーナ・ドラゴン・デ・グローロです。リリアーナと呼んでください」
リリアーナがニコッと笑う。
「ウィルフレド、久しぶりですね」
「……」
「なぜここにいるかと聞きましたね。フランシスから逃げてきたのです」リリアーナが肩をすくめて言葉を続ける。「いきなり攻撃してくるとは思わなかったです」
「リリアーナ、そこにはトールヴァルドがいたのではありませんか?」
「ええ、いましたよ。あなたは?」
「わたくしはクリスティーナ・ベステルノールランドです。彼女の友人ですわ。無事なのですか?」
「はい。エストさんが防御魔法を展開したのを見ましたから無事だと思います。私はすぐに転移したので見届けてはいませんが」
「そうですか。……良かったですわ」
クリスティーナが胸を撫で下ろした横からウィルフレドがリリアーナに尋ねる。
「なぜここを知っているのだ? 焔から聞いたのか?」
「そうですよ。どのみち、レティシアさんと合流してここに来るつもりでもありましたし……」
「……天焔石はあるのか?」
「はい」
そういってリリアーナが両手を前に差し出すように三人に見せる。両手のひらの上には赤く輝く小さな石が浮いている。三角形が八つ組み合わさった正八面体だ。
「これがアンシェリークの秘宝です。もっと自然な流れでレティシアさんの手に入るように整えていたんですけど、思った以上にフランシスの妨害が激しくて困りました」
「大地は本気のようだな」
「はい。当初はクラウディアさんを倒してもらえばそれで終わりと思ってたんですけど、この状況だとフランシスをいったん倒さないと治まらないかもしれないと考えています」
「……レティシア・ローゼンブラードに倒させるのか?」
「もちろんです。彼女以上に適任はいませんよ」リリアーナが微笑む。「そのためにわざわざ呼んだんですから」
ウィルフレドがちょっと考えてからリリアーナに向き直る。
「輝よ、大地は倒すのではなく封印すべきだと我らは考えている」
「封印?」リリアーナが首をかしげる。「それは厳しすぎませんか?」
「倒しても結局二、三百年で転生するのだ。また同じことを繰り返すぞ」
「フランシスはそこまで愚かではありませんよ。一度倒せば考えを改めるでしょう」
ウィルフレドが首を振る。
「二、三百年後にはもっと人間は増えているだろう。大地の考えは変わるまい」
「まぁ、その時はまた考えれば良いと思います。あれ? 我らってことはアンシェリークも同じ考えなんですか? エサイアスも?」
「焔は同じ考えだ。青嵐とは話していないが、あれも同じ考えだと思う」
「うーん……」
考え込むリリアーナにウィルフレドが続ける。
「いったん封印して人間が落ち着くのを待とうと思っているのだ。それを渡してはもらえぬか」
「フフ、渡すと言っても、ウィルフレドには触れないでしょう?」
「うむ。クリスティーナがやってくれる」
「え」リリアーナが少し驚いて目を見開く。「彼女がフランシスを封印するんですか?」
「そうだ」
「無理ですよ」
リリアーナが即答して言葉を続ける。
「フランシスの強さは知っているでしょう? それもただ強いのではなく、長く人間の世界で暮らしてきたことで知識を持っているんです。普通の人間には不可能ですよ」
「わたくしには無理でレティシアにできるんですの?」
無理だと言われたクリスティーナが口を挟む。
「あなただから無理なのではなく、レティシアさん以外には不可能なんです」
「どういうことです?」
「偉大な五体のドラゴンだからです。この世界の人間はみな私たちに怖れを抱いています」
「怖れ……ですか? でもこうしてあなたともウィルフレドやアーシェとも普通に対していると思いますけど」
「それは私たちがあなたに敵意を持っていないからです。本気で戦おうとすればあなたたちはまともに動けませんよ。それはこの世界の人間の本能に刻み込まれた怖れなんです」
そう聞いてクリスティーナが少し考え込む。そしてあまり聞きたくなさそうにリリアーナに尋ねた。
「もしや……レティシアは、彼女はこの世界の人間ではないのですか?」
「ええ、彼女は別の世界から私が呼んだんです。彼女は私たちを恐れません」
「そんな……、わたくしは彼女が幼いときから知っています。間違いなく彼女ですわ」
「本当のレティシア・ローゼンブラードはアーベントロートの牢で亡くなったんですよ。今の彼女は別の世界から私が連れてきた魂で動いているのです」
「そんなことが……」
信じられないという表情でクリスティーナは思わずよろけた。フィクスがそれを支える。
「彼女はこの世界の人間とはまったく違う価値観を持っています。偉大な五体のドラゴンに対しても怖れることなく戦えるのは彼女だけですよ」
「輝よ」ウィルフレドが口を挟む。「そなたの言うことは分かった。我も焔もそれは分かっているのだ。その上で、この世界のことはこの世界の者で片を付けるべきだと考えているのだ。レティシア・ローゼンブラードやクラウディア・エルマ・ユニオールに頼るのではなく」
「なるほど。そういう考え方もありますね」
リリアーナが考え込む。
「クラウディアも別の世界の人間なのですか……?」クリスティーナが尋ねる。
「そうだ。あれは大地が別の世界から呼んだ魂が入っている」
「そうなんですの……」
それを聞いてクリスティーナがしっかりと目を開いて、ウィルフレドとリリアーナに向き合う。
「であればなおさらですわ。別の世界の二人には任せられません。わたくしがやりますわ。リリアーナ、その石を渡してくださいませ」
クリスティーナは知ってしまいました。
明日明後日は更新できませんので、次話は土曜日です。
※日付を修正しました「十四日」→「十五日」(2018/12/19 21:31)