第百三話 ユニオール暦八百七十三年八月十五日 ラ・ヴァッレ城 天気雨
「もはやこれ以上の籠城は不可能だ。今日の昼をもって門を開く」
オールフェルド王から発せられたその言葉にイリスレーアもトールヴァルドも反対することはできなかった。
「クリストフェル、お前はイリスレーア姫たちを守って城から脱出せよ。必ず無事ハーフルト国外にお連れするのだ」
「……はい」
クリストフェルが頷く。決意に満ちた目だ。
「オールフェルド王はどうされるのです? 国元で再起を期さないのですか?」
イリスレーアの言葉にオールフェルド王は首を振る。
「ラ・ヴァッレ王亡き今、ハーフルトを構成する一国の王である私が連合の首都を見捨てて逃げるわけにはいきません。バーラク王、ベックストレーム王も同じ気持ちです」
「そうですか……」
「イリスレーア姫、アンハレルトナークに戻られましたらなにとぞ戦争の拡大を防がれるようお願いします。それだけが私の願いです」
「……分かりました」
ハーフルト連合王国首都ラ・ヴァッレが炎に包まれた四日前。たまたま城内の庭に出ていたラ・ヴァッレ王は命を落とした。城内にいたバーラク王とベックストレーム王、そしてエストにより救われたオールフェルド王の三人がこれまでシュタール軍の包囲に対してきた。しかし、食糧庫も押さえられてしまっては抵抗は無理だった。
連合を構成する他の国、クラウスヴェイクやメーレンベルフもそれぞれシュタールの遠征軍と戦っていてラ・ヴァッレに援軍を送る余裕はなさそうだ。
「後ほど北門でひと騒動起こしますのでその隙に西門から脱出できるでしょう。では私は準備がありますので」と言ってオールフェルド王は部屋を出ていった。
部屋に残っているのはイリスレーアにトールヴァルド、クリストフェル、エスト、それにまだ目を覚まさないレティシアだ。
「五人で飛んでもらうことになるけど大丈夫?」イリスレーアがエストを見ながら聞く。
「包囲軍を抜けるのに全速が必要と思いますので、一気に国境を越えるのは正直難しいですね」
ハーフルトの北はシュタールだ。逃げるなら西ということになるが、ラ・ヴァッレはハーフルトの東端である。
「いったんオールフェルドに立ち寄る手もあるんじゃないか?」トールヴァルドがクリストフェルを見る。
「うん、ただオールフェルドもシュタールに攻め込まれているだろう。安全とは言い切れん」
「ここに来る前にオールフェルドにも行ったわ。城は包囲こそされていなかったけどシュタールとの戦闘は始まっていたわ」
「……そうか」
イリスレーアの言葉に頷くクリストフェル。こんな時に国元にいないことを悔やんでいるに違いない。
「城を脱出できたらあなたはオールフェルドに向かった方がいいわ、クリストフェル王子」
「いや、そのようなわけにはいかない。父の言う通り国外までは見届ける」クリストフェルが力強く言う。「こんなことになった上に、あなたまで危険に晒すわけにはいかない、イリスレーア姫」
そのとき、レティシアが寝ているベッドの横で黒い霧が湧き上がった。
「まさか、こんなところにまで!?」
イリスレーアが呟くうちにも霧は徐々に人の形になり、そこから現れたのはクラウディアだ。これまでと違うのは彼女だけでなくもう一人女性を連れていることだ。
「クラウディア様! ここは!?」
「騒ぐな、マルガレータ。ここはハーフルトのラ・ヴァッレ城じゃ。のう、イリスレーア?」
「……どんな仕掛けでこんなところにまで現れるの? クラウディア」
イリスレーアのあきれ顔をクラウディアが笑う。
「クックックッ、便利なものであろ? もっともどこにでも行けるわけでもないがの」
「クラウディア様、危険です」
マルガレータがクラウディアの前に出ようとする。
「大丈夫じゃ。別に戦いに来たわけではない。レティシア・ローゼンブラードと話をしようと思ったのじゃが」クラウディアがベッドで寝ているレティシアを見る。「寝ておるのか。魔力の使いすぎか何かか?」
「そうよ。残念だけど、クラウディア。あなたと話をしている場合じゃないのよ」
「ああ、シュタールに包囲されておるんだったな。脱出するのか?」
「ええ」
「そう言えば、大地のドラゴンも輝のドラゴンもおらぬのか? ラ・ヴァッレを攻撃したのは大地のドラゴンであろう?」
それには答えずトールヴァルドが口を挟む。
「……偉大な五体のドラゴンは自分では手を下さないのではなかったのか?」
「ああ、そうだの。ずいぶんと焦ってるようじゃな」
そう言うとクラウディアはまた笑った。
「まぁ、それは良い。ちょっとレティシア・ローゼンブラードを借りていくぞ」
「なっ――!」
イリスレーアとトールヴァルドが止めようとしたものの、あっという間にクラウディアとレティシアは黒い霧に変わって消えてしまった。
「え、えええ?」
取り残されたマルガレータが焦って周りを見回す。イリスレーアがため息を吐く。
「エルフの里でも会ったわね。ユニオール魔道士団のマルガレータね?」
「え、はい、そうですが……」
身構えるマルガレータ。
「そんなに構えなくても大丈夫よ。話が終われば戻ってくるって意味でクラウディアはあなたを置いていったのでしょ」
「え、そうですかね?」
少しホッとしたのかマルガレータが肩から力を抜いた。
「振り回されてるみたいね」イリスレーアが苦笑する。トールヴァルドも笑っている。
「そんなことは――なく…もないと言いますか……」
「まぁ掛けなさい。クラウディアが戻るまで話でもしましょう。クリストフェル王子は出発の準備をお願い」
「ああ、分かった」クリストフェルが部屋から出て行く。
マルガレータが肩を落として席に腰を下ろした。
「お茶だ。飲みな」トールヴァルドがマルガレータにお茶を渡した。「しかしタイミングが悪いよな。私たちはまもなくこの城を脱出しなくちゃならないんだぜ」
「脱出……、先ほどクラウディア様も仰ってましたが、ラ・ヴァッレ城がシュタールに攻められているんですか?」
「なんだ知らないのか。シュタール軍に完全に包囲されてるんだ。十一日に攻め込まれたんだけど、ユニオールにはその報は届かなかったのか?」
「私が知らないだけだと思います……。それにクラウディア様に付いてカンペリエに行ってましたので」
「カンペリエに? 何の用だったんだ?」
「それは……、あ、カンペリエで市民の暴動が起きたんですよ」
「! カンペリエで?」イリスレーアが驚く。「どうして?」
「ドラゴンの群れに襲われたにもかかわらず、騎士団も魔道士団も市民を助けなかったんですよ。それで市民が怒って」
「聖堂騎士団も動かなかったの?」
「はい。結局クラウディア様がお一人でドラゴンを追い払いました」
「ほえー、ドラゴンの群れを一人で?」トールヴァルドから驚きの声が出る。「それは凄すぎるな」
「はい。十三体も倒したんですよ。クラウディア様は本当に凄いんです」
胸を張るマルガレータ。
「もしかして」考え込んでいたトールヴァルドが口を開く。「カンペリエに行ったのは、大聖堂のお宝が目当てだったのか?」
「え、ええと……」焦って目を逸らすマルガレータ。
「あそこには聖剣と聖槍があったはずだ。あれでドラゴンを落としたのか?」
「いえ、あの聖剣と聖槍はとんだまがい物でした。ドラゴンに傷を付けることもなく折れちゃいました」
「折れちゃったか……」
「剣と槍?」イリスレーアが首をひねる。
「カンペリエの大聖堂にはケーレマンスの剣とクノフロークの槍があるんだよ。偽物とはなあ」
「まあ伝説なんてそんなものでしょ」
お茶を飲んでイリスレーアが続ける。
「それで、カンペリエの暴動は収まったのかしら?」
「いえ、まだ続いています。このまま長引けば、逃げた第一王子あたりも首を突っ込んで来るんじゃないかとクラウディア様は仰ってました」
「イクセル王子が? たしかにバーンハルドが動いてもおかしくないわね……」
「なんかあちこちでおかしなことになってきたな」
トールヴァルドのそんな呟きに不安を感じざるを得ないイリスレーアだった。
またクラウディアが現れました。
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