第百二話 ユニオール暦八百七十三年八月十四日 ヴィスロウジロヴァー山 天気晴れ
「何か来ます」
ふと顔を上げてシルックが言った。
「なんだって?」
その言葉を聞いてフィクスが立ち上がった。
「おそらく敵ではありません」
「いったい誰が?」
フィクスは洞窟を駆け、火口までやって来た。上空から飛行魔法で降下してくる人影が見える。近づいてくるにつれて姿がはっきりしてきた。女性と少年だ。女性には見覚えがあった。
「クリスティーナ?」
飛行魔法で降りてきたのはクリスティーナ・ベステルノールランドだ。同乗していた少年に何やら魔法を掛けると、連れ立ってこちらへ歩いてきた。
「あなたはレティシアと一緒にいた……、フィクスでしたわね」
「ああ、いつぞやはどうも、クリスティーナ」
「こちらはウィルフレド。白銀のドラゴンですわ」
クリスティーナが隣に立つ少年をフィクスに紹介した。たしかに少年の姿のアーシェと同じ雰囲気を持っている。
「焔はここだな?」
「ああ、この奥だ」
フィクスの案内で洞窟を進んでいく。
「暑さは大丈夫ですの?」
「うむ。なんとかな」
そう言えばクリスティーナは先ほどウィルフレドに魔法を掛けていた。
「ドラゴンには魔法は効かないはずじゃないのか?」フィクスが尋ねる。
「ええ、ドラゴンには効きませんわ。だから服に冷却の魔法を掛けているんですわ」
「そんな使い方があったのか」
「そのためにわざわざ村で普通の服を買ったのですから」
服に魔法と言っても、ドラゴンが人間の姿になるときの服は体の一部のようなもので魔法は掛からない。だからわざわざ服も買ったのだそうだ。
「白銀のドラゴンはそんなに暑さがダメなのか」
「うむ。焔とは逆なのだ」
しばらく進むと広い場所に出る。光る苔で覆われておりうっすらと明るい。広場の中ほどにドラゴンが横たわっている。
「焔よ。調子はどうだ?」ウィルフレドがアーシェのところまで行って話しかける。
「白銀か。こんなところに来てそなたこそ大丈夫なのか?」
「ああ、彼女のおかけでな」
「クリスティーナか。久しいな」
「久しぶりですわね、アーシェ。無事で良かったですわ」
クリスティーナがアーシェを見たのはアンハレルトナーク城でのクラウディアとの戦いのとき以来だ。
「フッ、無事とも言えんがな」
「ずいぶん回復したように見えるぞ。やはりこの場が良いのだな」ウィルフレドがアーシェの羽の方に目をやる。「羽の怪我もずいぶんと治ってきているな」
「ああ、ずいぶんと助けられた」
アーシェの目が二人の後ろのフィクスやシルック、それに動き回っているフェアリーたちを見た。優しい目だとクリスティーナは思った。
「その様子なら一年もすれば動けるようになりそうだな」
「うむ」アーシェが白銀の方に目をやる。「ところで、まさかわざわざ見舞いに来たわけでもあるまい。何が起きている?」
「なかなか面倒な状況でな」
ウィルフレドとクリスティーナが状況を説明する。アーシェは目を閉じて黙って聞いていたが、後ろで聞いていたフィクスの方が驚きを隠せない。
「そんなことに!?」
「矛先が我らにまで向いてくるとは意外だった」ウィルフレドが肩をすくめる。
「青嵐は大丈夫なのか?」アーシェが問う。
「うむ。隠してきたので問題あるまい。それに二、三日で目覚めるはずだ。勝手にやるだろう」
「あまり勝手にはして欲しくはないですわね」
クリスティーナが苦笑した。フィクスもうんうんと頷く。フェヴローニヤでの惨状を思い出しているのだろう。
「それはともかく、トールヴァルドが心配だな。レティたちはラ・ヴァッレに向かったんだろうか?」フィクスが気遣わしげに言う。
「おそらくレティシアなら向かうと思いますわ。放っておかないでしょう」
「そうだな。だが、シュタールが侵攻しているとなるとかなり危険だな……」
フィクスが考え込む。自分も向かいたいところだが、彼がこのヴィスロウジロヴァー山に来たのは一昨日のことで、海賊船ベアトリスはすでにバルテルスを出港してノーブルヌの港町スティーナに向かっている。簡単にはアポロニア大陸には戻れない。
「白銀よ」アーシェが言う。「わざわざ世の中の状況を話しに来たわけでもあるまい? 用があるのであろう?」
「うむ……」
ウィルフレドが言いづらそうにしていると、アーシェが再び口を開く。
「天焔石のことであろう?」
「……うむ」
二人は少し黙った。フィクスもクリスティーナも天焔石のことは知らないので、なぜ二人が神妙に黙っているか分からない。
「天焔石とはなんですの?」クリスティーナが聞く。
「余の肉体が寿命を迎えたときに生成される石だ。天焔石と呼ばれている」アーシェが答えた。「転生した余が成竜となると消えてしまうのだがな」
「え……、もしかしてそれがアンシェリークの秘宝なのですの?」
「人間の世界ではそう呼ばれているな」
アンシェリークの秘宝がそのようなものだとは初めて知ったクリスティーナだった。
「でもアーシェはもう成竜になってしまったのですから、天焔石は消えてしまったのですよね?」
「それがそうとも言えぬのだ」今度はウィルフレドが答える。「焔は急速な魔力吸収により無理やり成竜になった。もしかするとまだ天焔石はあるのではないかと思うのだ」
「そうなのですか?」
「我らは通常、十年ほどかけて幼生から成竜になる。今回、焔はその期間を飛ばしたようなものだ。石もまだ存在している可能性はあるだろう」
ウィルフレドがアーシェの方を見る。
「焔よ。天焔石がまだあるかは分からぬ。だが確認してみる価値はあるだろう。そなたはどこで死したのだ?」
「うむ……」アーシェが目を閉じて少し考える。「もし石があったとして、それをどうするつもりだ?」
「……大地を封じる」
「そんなことが可能なのか?」
「うむ。天焔石だけでは大地を封じることはできぬ。だが、クリスティーナの持つ短剣と組み合わせればできるやもしれん」
「短剣?」
クリスティーナはバックパックから短剣を取り出して見せつつ、この短剣で青嵐のドラゴンが封じられていたことを説明した。
「なるほど。ではその短剣は大地が持っていたものなのだな。だとすれば逆にそのように使われるかもしれないことも大地は計算済みかもしれぬぞ」
「そうかもしれぬな」
クリスティーナが首をひねる。
「でもこの短剣で青嵐のドラゴンは封印されていたではありませんか? これだけでは封印としては足りないのですか?」
「岩に封印してもそんなに長い時はもたぬ。天焔石と組み合わせればもっと長い時に渡り大地を封じられるのだ。それだけの力を持った石なのだ」
「それほどのものなのですわね」
「うむ。ゆえに使いようによってはこの世界に大きな影響を与えることができる。やましい心の持ち主には渡せぬ。そなたなら大丈夫であろう?」
ウィルフレドがジッとクリスティーナを見る。
「わたくしですか?」クリスティーナが目を丸くする。「も、もちろんおかしなことに使おうとは思いませんけど、あなたはどうしてわたくしをそんなに信用してくださるのです? 昨日お会いしたばかりですけど……」
クリスティーナの問いにウィルフレドはなかなか答えない。言うべきか考えているようだ。そんなウィルフレドを見てアーシェが口を開いた。
「クリスティーナよ、白銀も余も同じ考えだ。この件はそなたに動いて欲しいと思っている」
「アーシェ……。レティシアではなくわたくしなのですか?」
「輝はレティシアに託そうとしているようだがな。余はそれが良いとは思わぬ」
「ウィルフレドも同じ考えなのですか?」
「うむ」ウィルフレドが頷く。「レティシア・ローゼンブラードにクラウディア・エルマ・ユニオール。彼女たちにこの世界の命運を任せるわけにはいかぬ」
「……良く分かりませんけど、わたくしはこの混乱を収めるために動くことは厭いませんわ。何をすれば良いのか教えてくださいませ」
クリスティーナも動き出します。
続きは明後日です。