第百一話 五十九日目 ハーフルト 天気雨
「レティ、起きて。そろそろ移動するわよ」
「……うん、はい……」
イリスの声に目を覚ました私は一瞬ここがどこなのか分からなかった。イリスが淹れてくれたコーヒーを飲むとだんだん意識がはっきりしてきた。
ここはラ・ヴァッレから少し離れた森の中だ。昨夜はここで野宿したんだった。
「雨ですか……」
「ええ、朝方から降り出したわ」イリスが頷く。「でも、この天気のおかげで今日こそラ・ヴァッレに入れると思うわ」
今日こそとイリスが言うように、私たちはまだラ・ヴァッレに着いていない。ラ・ヴァッレのそばまで来たのは三日前だ。でも、周囲をシュタール軍が厳重に包囲していて近付けないのだ。
いったん南のオールフェルド国まで行ってみたけど、クリストフェルはいないという返事しか得られなかった。
「雨に紛れて潜入するんですね」
「ええ。なんとしても潜入したいわ。あまり長引くとラ・ヴァッレ城は落ちるわ」
遠目でしか確認できていないのだが、ラ・ヴァッレは完全に燃え尽きたわけではなかった。町はほとんど焼け野原でシュタール軍に占拠されているもののラ・ヴァッレ城はまだ健在で、城壁も黒くはなっていたが大部分が残っており、時折攻め寄せるシュタール軍をなんとか撃退していた。
「城にどのくらい蓄えがあるかって話ですよね」
シュタール軍の攻撃は散発的だ。包囲軍には騎士や魔法使いもいるが、積極的には攻撃していない。つまり、ラ・ヴァッレ城が音を上げるのを待っている。兵糧攻めだ。
「おそらく食料庫などはすでにシュタールの手に落ちているんだと思う。包囲されて今日で三日目だし、そろそろ危ないわ」
「そうですね」
それにしても、もし城にトールヴァルドやクリストフェルがいるのであれば、包囲を突破できそうなものだが……。
「トールヴァルドは元気でしょうか……」
「きっと元気よ」
それ以上は私も聞かないしイリスも言わない。
しばらくの沈黙のあとイリスが言う。
「さあ行きましょう」
雨が吹きつける中、私は飛行魔法を低空で飛ばす。念のため隠蔽魔法も気配を消す魔法もかけているけど、ほとんど意味がないことは三日前に散々思い知らされた。
「今日も早々に見付かるとは思うけど、できれば強行突破したいわ」
飛行魔法に同乗するイリスが言う。私も同感だ。
「防御魔法を掛けてありますからある程度は耐えられると思いますけど、心配なのは魔法陣を突き抜ける銃弾ですね」
「できる限り弾き返すわ」イリスが言う。「この雨だし、銃もそうそうは使ってこないでしょうし」
「そう願いたいですね」
しばらく進むと前方にいくつもシュタール軍の包囲陣が見えてくる。迂回しつつなるべく陣から離れて飛ぶが、城はぐるりと包囲されているので限界がある。思い切って陣と陣の間を抜けようとすると、案の定シュタール兵に見つかった。
「見つかりました!」
「このまままっすぐ城へ!」
左右の陣から魔法使いたちが飛行魔法で飛び出してくる。騎兵も出てきたように見えたがそちらは追いつけまい。
「魔法来るわ!」
シュタール軍の魔法使いがこちらに攻撃魔法を撃ち込んでくる。私の防御魔法陣で弾くがなにしろすごい数だ。魔法陣を維持するための魔力がみるみる減っていく。それでも私は速度を緩めない。
「レティ、大丈夫!?」
「まだ大丈夫です」
雨なので火系の攻撃魔法が無くて、光の矢と雷撃ばかりなのが幸いだ。
「城です!」
雨で霞んだ先に城壁が見えてきた。その時、後方から攻撃魔法に混じって銃砲の音が響く。
「銃!?」
イリスが伸縮棍で銃弾を弾く音が聞こえる。ホントに弾くんだ。そんなことを思ったところで、
「うっ!」とイリスが呻く声が聞こえた。
「イリス!?」
「大丈夫よ。そのまま城壁を越えられる?」
「越えます!」
私は城壁の手前で急上昇して、驚いて見上げるハーフルト兵たちを飛び越えて城内に入った。
「何者?」
「味方か?」
ハーフルト兵たちが集まってくるが、そんなことよりイリスが心配だ。私は飛行魔法を降下させて敷地に降りる。
「イリス!」
「大丈夫。ちょっと腕をかすっただけよ」左腕を押さえるイリスの手の下からは血が流れている。
「すぐ治療します。治癒魔法」
私は治癒魔法を唱える。その間にも続々とハーフルト兵たちが集まってくる。何者か測りかねているのか、遠巻きに私たちを取り囲んでいる。
「もう大丈夫よ。血は止まったわ」押さえていた手を離して腕を私の方に見せるイリス。服は切れてしまったままだが傷は治ったようだ。
「良かったあ」
私が安堵のあまり地に座り込んだところで、私たちを取り囲む兵をかき分けて一人の騎士が現れた。
「レティシアにイリスレーア姫!? よくこんなところまで!」
その騎士は鎧に身を包んだクリストフェルだった。
「まずは温かいお茶を飲むといい」
体を拭いて着替えた私たちにクリストフェルがお茶を出してくれた。
「戦時ゆえ大したお茶ではないがな」
「いえ、ありがたいわ」
イリスがお茶に口を付ける。私はそれどころではない気持ちでいっぱいなのでお茶には見向きもせずクリストフェルに尋ねる。
「クリストフェル、トールヴァルドはどこです? それにエストも来てますよね?」
「うむ、今案内するよ。その前に一つ、イリスレーア姫に詫びなければならない」
クリストフェルが話を始める。輝のドラゴンがいたこと、トールヴァルドとエストが来たこと、そして大地のドラゴンが現れたこと──。
「ラ・ヴァッレのこの状態は大地のドラゴンの仕業だったのね」
「うむ。そういうことだ」
「それで二人は──」
焦る私を制してクリストフェルが話を続ける。
「当然私たちのいた屋敷も一瞬で炎に包まれた。そこから私たちを救ってくれたのはエストなのだ。彼女はすぐさま防御魔法を展開して私たちを炎から守ってくれた」
「それで──」
「うん、それで私たちは無事だったのだが、エストは大きな火傷を負ってしまったのだ。魔法使いたちに治療させているが、まだ目を覚まさない」
「なんてこと! 早く案内してください、クリストフェル!」
私はクリストフェルを急き立てて部屋に案内してもらう。
ベッドに横になっているエストの脇にはトールヴァルドが付いていた。
「トールヴァルド!」
「おお、レティとイリスレーア。よく来れたな」トールヴァルドは一瞬嬉しそうな顔をしたがすぐに表情を引き締めた。「私は無事なんだが……」
「どんな状態なんですか?」
私はベッドの脇まで進んでエストを見る。背中をやられたのかうつ伏せで、顔を横に向けて眠っている。顔色はあまり良いようには見えない。
「城には魔法使いが少ないのだ……。火傷も完治とは言えない状態なんだ」クリストフェルが済まなそうに言う。
「治癒魔法」
私はエストの背中に手をかざして治癒魔法を唱えた。どんどん魔力を込めていく。
エストが青白い治癒魔法の光に包まれる。しばらくすると、
「……ううん」
エストの口から軽い吐息が流れた。
「エスト!」イリスがエストの手を握りながら呼びかける。
「う……、姫様……?」
エストが目を開き、イリスが喜びの声を上げたところで、私の意識は消失した。
ようやくトールヴァルドと合流しました。
続きは明後日です。
※誤字修正しました(2018/12/11 11:40)