第九十九話 ユニオール暦八百七十三年八月十三日 シアーノ村 天気曇り
クリスティーナは迷っていた。
起こすべきか、起きるのを待つべきか……。
エサイアスが宿のベッドに倒れ込んで丸二日。寝っぱなしなのだ。置いていくわけにもいかず、(お金も持っていないようですし……)、クリスティーナとしては無為な日を過ごすしかなかった。
眠っているエサイアスはどんどん顔色が良くなっているように見える。岩場で会ったときにはもっと青白い顔をしていた。おそらく急速に回復しているのだろう。
「もうそろそろ目覚めても良いのではありませんこと?」
クリスティーナが焦るのも理由がある。シュタールとハーフルトの戦争が始まったとのニュースがシアーノ村にも入ってきたのだ。そのうえ、ハーフルトの首都ラ・ヴァッレが壊滅したとの知らせ付きだ。そんなことがあるのだろうかとクリスティーナは訝しんではいるが、なにしろここはフェーディーンの片田舎。それ以上の情報がない。
それにシュタールとハーフルトはラスムスとも近い。間にルベルドーを挟んでいるとは言え、戦争の影響があってもおかしくない。
早くラスムスに帰らなければ……。
と気は焦るが、エサイアスを起こして良いのか分からないというジレンマに陥っていた。
「ああ、どうしましょう……」
クリスティーナが頭を抱えていると、扉がノックされた。扉を開くと一人の少年が立っていた。
「どなたかしら?」
「我はウィルフレドという。そこの少年、エサイアスと知り合いなのだ。入ってもよろしいか?」
汗を拭きながら少年が言う。綺麗な銀髪で、背丈はエサイアスと同じくらい。なんとなく雰囲気も似ている。
「知り合い? もしかして偉大な五体のドラゴンですの?」
「うむ。そうだ」少年が頷く。「ウィルフレド・ドラゴン・デ・アージェントだ。ヴァーニャ山から来たのだが、暑くて敵わんな」
「白銀のドラゴンですの?」
「そうだ」
クリスティーナはウィルフレドをベッドの脇まで案内した。えらく汗をかいているので冷たいお茶を出してあげたら、ウィルフレドは一気に飲み干した。
「ありがとう、少女よ。たしか、ラスムス王国の姫だったな?」
「ええ、よくご存じで。クリスティーナ・ベステルノールランドですわ。ウィルフレドとお呼びしてもよろしくて?」
「うむ。もちろんだ」
ウィルフレドがベッドに寝ているエサイアスの顔を覗き込む。「顔色は良いな。昨日から寝ておるのか?」
「一昨日からですわ。岩に封じられていたのです」
そう言ってクリスティーナはウィルフレドに短剣を見せる。
「ふむ。そのような古の宝剣が残っていたとはな。我らをも封印する力をもった短剣だ」
「ええ、エサイアスから聞きましたわ。いったい誰が、何の目的でこんな酷いことを……」
「エサイアスは何か言わなかったのか?」
「ここに辿り着くと、倒れるように眠ってしまったのですわ」
ウィルフレドは短剣をクリスティーナに返す。
「持っていてくれ」
「わたくしが持っていてもよろしいものなのですか?」
「うむ。何かの役には立つであろう」
クリスティーナは側に置いてあったバックパックに短剣を仕舞った。
「ところでウィルフレドは何のご用で? エサイアスを引き取りに来られたのですの?」
「うむ、そうだ。ここにいては危ないので連れて行くつもりなのだが、申し訳ないが手伝ってもらえぬか?」
「ええ、よろしいですわよ。乗りかかった船ですもの。ヴァーニャ山へ連れて行くのかしら?」
「いや、ヴァーニャ山には戻れぬ。ここから北西、人間の世界ではベルナディスの南東にある山に連れて行く」
「ああ、あの辺りは高い山脈がありますわね」
クリスティーナは頭に地図を思い浮かべる。
ベルナディス、ホルプ、クドルナ、ベドナージョヴの四国の境に山があるはずだ。オルランドーニ山とかいったはずだ。
「うむ。あの辺りの山は夏でも雪が残っているのだ。我は暑いところがだめでな」
「白銀ですものね」
ドラゴンの姿になったウィルフレドが背にエサイアスを乗せて飛ぶ。エサイアスが落ちないように支えるのがクリスティーナの役割だ。落ちては大変だ。
「あまりのんびりしていられぬのでな」
「オルランドーニ山に行ったら話してくださいますよね?」
「うむ」
なぜこんなことになっているのか、クリスティーナには分からないことだらけだ。
「あら? あれは?」
北の方の空に鳥の群れのようなものが見える。しかし鳥が飛ぶには高すぎる空だ。
「あれはドラゴンの群れだ」ウィルフレドが言う。
「ドラゴン? なぜこんなところを?」
「それも後ほど話そう」
しばらく飛ぶと西の方に高い山の連なりが見えてきた。中央アポロニア山脈と比べれば規模は小さいものの、高い山が四つほど連なっている。その中でひときわ高いのがオルランドーニ山だ。この真夏にも上の方には雪が残っている。
「どこか降りるところがあるんですの?」
「うむ」
ウィルフレドは険峻な山肌を縫うように飛び、深く切り立った崖の陰に隠れるように口を開けている洞窟に入った。
「秘密の洞窟のようですわね」
「うむ。近付かなくては見えぬ。ここなら安全だ」
洞窟の奥に進むと光る苔に覆われた広間になっているところに出た。そこでエサイアスを降ろすと、ウィルフレドも人間の姿になった。
「クリスティーナよ、助かったぞ。我一人でこれを落とさぬように飛んでいては日が暮れるところであった」
「そうですか。お役に立てて光栄ですわ。さっそく話を聞かせていただきますわよ」
ウィルフレドとクリスティーナは、転がっている小さな岩に腰掛けた。
「うむ、どこから話せばよいかな。先日、人間がノーブルヌと呼ぶ国の西にある村がドラゴンの群れに襲われた」
「まあ、本当ですの?」
「そこにはある人間たちがいて、なんとか撃退した」
ある人間と聞いてクリスティーナはすぐに思い当たった。
「……レティシアたちですわね?」
「知っているのか?」
「ええ、良く存じてますわ」
「そうか、なら話が早い。彼女たちはその強さゆえにドラゴンの群れを撃退した」
「普通の人間ではそうはいかないでしょうね」クリスティーナが苦笑する。
「その通りだ。そして他にも七つの町や村がドラゴンの群れに襲撃された」
「まあ!」
「大半の住民は逃げるしかできなかったろう。七つの町や村は壊滅させられた」
「そんな……、どうしてですの?」
それには答えずウィルフレドは話を続ける。
「それにこのようなこともあった。一昨日のことだ、アポロニア西岸のラ・ヴァッレという町が炎に包まれて消滅した」
「そのニュースは聞きましたわ。どういうことですの?」
「そしてそれを見た北の国が攻め込んだようだ」
「シュタールがやったのではなく、ラ・ヴァッレが消滅したから攻め込んだのですね。シュタールらしいですわ」
さらにウィルフレドは話し続ける。
「そのラ・ヴァッレという町には我らの仲間である輝のドラゴンがいたのだ。それにレティシアの仲間もな」
「仲間? まさかイリスレーア姫ですの? それともトールヴァルド?」
「イリスレーアはレティシアとともにノーブルヌ西の村にいる」
「ではトールヴァルドですのね。なんということ……」クリスティーナが眉をひそめる。「無事なのでしょうか?」
「そこまでは分からぬ」
ウィルフレドが首を振る。そしてさらに言葉を続ける。
「そして青嵐のドラゴン、エサイアスは封印されていた。これらの事象はすべて大地のドラゴンの仕業なのだ」
「大地のドラゴン? 偉大な五体のドラゴンの一体の?」
「そうだ。人間の世界を混沌に落とすために実力行使にでてきたわけだ」
「混沌……。いったいなんのためですの?」
「増えすぎた人間を減らす、いや、滅ぼそうとさえ考えている」
「そんな……、なんの権利があってそんなことを」
「我々の役割は世界のバランスを保たせること。人間が増えすぎ、この世界のバランスが崩れている。ゆえに正さねばならぬ。大地はそのように考えているのだ」
「荒唐無稽ですわ」クリスティーナが食いつく。「人間が増えたことこそ自然の成り行き、それを力で抑えようなど傲慢でしかありません」
「そうだな」ウィルフレドが目を伏せる。「我らもそう思う。ゆえにエサイアスは封印され、我も無事ではいられぬゆえここに避難してきたわけだ」
「はっ!」
思い出したようにクリスティーナが顔を上げる。
「では、焔のドラゴンも危ないのではありませんこと? あなた方同様に大地のドラゴンに狙われるのでは?」
「いや、彼はすでに力を失ってしまっている。あれ以上に狙われることはあるまい」
「まさか……」クリスティーナが気付いた。「あのアンハレルトナークでの魔法陣の暴走も大地のドラゴンが?」
「そうだ」
頭に血が上ったクリスティーナが立ち上がる。「許せませんわ」
「あれはもともとレティシアにアンシェリークの秘宝を渡さぬためのことだったようだ。だが、結果的に焔の力を奪うことに成功した形だな」
ちょっと俯いてワナワナしていたクリスティーナが顔を上げてウィルフレドに尋ねる。
「わたくしに何かできることはありませんか? 大地のドラゴンを止めるにはどうすればよろしいのでしょう?」
「できることはある」ウィルフレドが頷く。「では我と一緒に焔のところへ行こうか」
「焔のドラゴンのところですか?」
「うむ。ヴィスロウジロヴァー山だ」
クリスティーナのところに白銀がやってきました。
続きは明後日です。