第7章 不死の最低条件
「あの…時雨さん 」
「はい、なんでしょうか? 」
自分の前に居る、僕よりも背が小さな時雨さんに話しかけると、2つに纏めた空色の髪を揺らしながら、時雨さんはとても綺麗な声で返事をしてくれた。
「えっと…姉ちゃん達は病気だったんですか? 」
僕の問いに時雨さんは考えるように首を傾げ、僕の眼を鏡のような金色の瞳で不思議そうに覗き込んで来た。
「姉ちゃん? 半獣人の方ですか? だったら病気でしたよ 」
「そ、それって治せるんですか? 」
やっぱり病気だったんだと姉ちゃん達を心配していると、時雨さんは短いため息を吐き、小さな唇を鋭く尖らせた。
「さっき言ったじゃないですか、意識が戻りましたよって。悠人さん、意外に忘れっぽいんですね 」
「す、すいません…あれ? 」
時雨さんとはさっき会ったばかりだ。
だから僕は自分の名前は教えていないはずなのに、時雨さんは当たり前の様に僕の名前を読んだ事に、少し引っかかってしまった。
「どうしました? 」
「えっと、どうして僕の名前を知ってるんですか? 」
「あっ、そこはまだ説明されてなかったんですね。あなた達の名前はここにいるメイド…使用人達は全員知ってますよ 」
「えっ!? 」
時雨さんの驚きの発言に、僕は唖然としてしまい、急かされているわけでもないのに、慌ててしまう。
「えっ! えっと、どうしてですか? 」
「簡単な話です。悠人さん達は『不死の国』に入って来た人ですよ。だからみんな警戒してるんですよ 」
時雨さんの話を聞いても僕は黙り込むしか無かったけど、よく考えてみればそうなる事は当然なことだった。
自分達が住んでいる場所に見知らぬ人がやってきたのだから、当然警戒するし、気に入られなかったら『不死の国』から追い出されるかもしれない可能性もある。
そう考えると、姉ちゃん達の安否ももしかしたら危ないんじゃないかとも思えてしまう。
「まぁ、悠人さん達に敵意がないってことはもう分かってるんですけどね 」
そんな僕の悪い考えを断ち切るように、時雨さんから幼い笑顔を僕に向けられ、回っていた頭が急に止まってしまう。
そのせいで、上手く時雨さんの言葉を理解できない。
「え…どうしてですか? 」
「忍さんに会いましたよね。忍さんに会ってあなたは何も危害を加えられていない。それがあなた方には敵意がないということの証明です 」
自信満々に時雨さんはそう話すけど、どうして忍さんと会って何もなかったら敵意が無いという事なのか、意味がよく分からなかった。
そんな僕を見たのか、時雨さんは小さな人差し指を立て、僕をその指で指し示した。
「忍さんの魔法は見ましたよね 」
「はっ、はい。たしか『遮蔽』って言う、物を隠す魔法でしたよね 」
「実はですね、魔法って1人1個じゃないんですよ。忍さんは魔法を2つ持ってますから 」
急にそんな事を言われてしまうが、頭が上手く纏まらず、小さく首を捻っていると、時雨さんは僕の顔を見つめながらも話を続けてくれた。
「1つ目はさっき悠人さんが言ってくれた『遮蔽』と言う、物を隠す力です。2つ目はですね、『諦聴』って言う、心の声が聞こえるようになる魔法なんです 」
それを聞いたとたん、驚きのあまり顔が強張ってしまう。
「え…本当なんですか? 」
「本当ですよ〜 」
時雨さんは、僕の顔を見ながら呑気に答えてくる。
時雨さんの話を聞いて、少し前に僕が心の中で考えた事を思い出してみると、恥ずかしさのあまり顔が急激に熱くなって行く。
「どうしたんですか? もしかして…何かやらしいことでも考えてましたか? 」
時雨さんは僕を揶揄う様に笑い、ニマニマとした笑みで僕の顔を覗き込んでくる。
「いや、やらしいことは考えてませんから!! 単純に魔法が使えたらかっこいいなって思っただけですから!! 」
揶揄ってくる時雨さんの言葉を慌てて否定すると、時雨さんはきょとんとした顔をして首を傾げた。
「それ、私に言っていいんですか? 」
時雨さんの言葉で冷静になると、あまりの恥ずかしさでさらに顔を熱くしてしまい、その場で膝を抱えて座り込んでしまう。
「もう…死にたい 」
顔を硬い膝に埋め、自分にしか聞こえない小声で、自分を精一杯罵倒した。
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「もう、悠人さんのせいで時間食っちゃったじゃないですか! 」
時雨さんが怒った様な声を出しながら、子供の様に頬を膨らます。
時雨さんが言うには、僕が床に座り込んでから15分くらい経ったらしい。
「いや、ほんとにごめんなさい 」
今にも涙が溢れそうな眼を抑えながら、時雨さんに精一杯謝るが、時雨さんはずっと頬を膨らませて、怒り続けている。
「なんでそんなに打たれ弱いんですか! ちょっとからかっただけじゃないですか!! ていうかただ自滅しただけじゃないですか!!! 」
怒る時雨さんから発せられる容赦がない愚痴を反省しながら聞いてると、赤い十字が付いた扉の前で時雨さんは足を止めた。
「はい、この中にあなたのお姉さんと妹がいますよ。さっさと扉を開けてください 」
「は、はい 」
時雨さんから不機嫌そうに言われるがままに扉をそっと開けると、そこには白い布団のような物から体を起こし、窓から見える昼の明るい景色を眺めている、女性の姿が目に入った。
その女性は薄い白の紬を着ていて、赤色の綺麗な眼を見開き、赤い髪の毛と同じ色をした狐の耳をピンと立てて驚いた顔でこちらを見て来た。
女性は驚いた顔をしたまま、頭を僕に下げてくる。
それに釣れられて僕も見たことが無い女性に頭を下げると、急に後頭部を指らしき何かで小突かれた。
「いたっ!? 」
「何ぼーっとしてるんですか。あなたが運んできた半獣人のお姉さんですよ 」
「…え? 」
後ろにいる時雨さんからそう言われるけど、驚きを隠せずに思考が止まってしまう。
だってこの人は…自分の姉ちゃんとは顔が違うから。
「悠人? 」
ポツリと、目の前にいる半獣人の女性が声を漏らした。
耳を揺さぶる様な鈴の音に似た声を聞き、その人が誰なのかを瞬時に理解した。
その声は…自分の姉ちゃんのものだ。
でも…顔や髪の色、目の色があまりにも元の姉ちゃんとは違い過ぎて、声が同じなだけの他人と話している気分だ。
黒く短かった髪は腰のあたりまで伸びており、その髪は鮮やかな赤色になっていた。
街中に行けば全然目立たなかった顔はとても綺麗で整った顔になっており、黒かった瞳の色は、淡い炎の様な赤色になっていた。
「お兄ちゃん? 」
そんな元の姿とは似ても似つかない姉ちゃんに驚いていると、自分の横から寝ぼけている様な声が聞こえた。
僕の妹…ゆいの声だ。
急いで声が聞こえた方に顔を向けると、目に飛び込んできたのは、本来の妹とは全く違う顔の女の子だった。
姉ちゃんと全く同じ格好をしており、黒かった髪と獣人族特有の獣の耳は黄金色に…短かった髪も肩あたりまで伸びていた。
男のようだった顔は可憐で可愛らしい顔になっており、黒かった瞳は鮮やかな風色になっている。
「なん…で? 」
目の前の状況を飲み込めず何も出来ずに固まっていると、また後頭部を軽く小突かれた。
「いたっ! 」
「悠人さん達、不死の事について全く知らないんですね 」
「ど、どういうことですか? 」
「説明不足ですよ。忍さん 」
時雨さんがため息まじりに声を漏らすと、時雨さんの後ろから忍さんが、幽霊のようにゆっくりと姿を現した。
「うわぁ!? 」
驚きのあまりに女性のような声を上げてしまうと、時雨さんの後ろに居る忍さんは口元を抑えながら笑い、その笑みを時雨さんに向けた。
「あら、気づいていたのですね 」
「そりゃあ私の魔法があればすぐわかりますよ 」
少し不機嫌だった時雨さんは忍さんを前に急に態度を変え、自信満々に小さな胸を張るけど、忍さんはそれを無視して僕の前にやって来た。
「さて、困惑の再開を果たしたところで、説明不足だった不死の事について話しましょうか 」
忍さんは少し妖々しい笑みを浮かべながら、困惑している僕達に説明をする様に話をしてくれた。
「まず、あなた達は自分の顔や髪の色が変わっていることに驚いているでしょうね 」
確かに驚いている。
姉ちゃんやゆいも、お母さんと同じ人間の顔とは言えない。
強いて言葉にするのなら、それは…絵に描いたような綺麗な顔だ。
「あ、ちなみに悠人さんの顔を変わっていると思いますよ 」
そんな言葉と共に時雨さんは引き出しの上に乗っていた手鏡を、僕に見せに来てくれた。
鏡に映る姿を目にした瞬間、驚きのあまりに思考が止まってしまう。
鏡に映った自分の顔は、なんというか…美しい女性の様だった。
首のあたりまで伸びる髪はとても艶のある黒で、肌の色はとても明るい。
瞳の色は黒のままだけど、その輝きはとても綺麗な宝石のようだった。
「なんですかこれ… 」
「何って、あなたの顔ですよ? 」
時雨さんが心底不思議そうな顔でこちらを見てくるのが、潤んだ視界の中で辛うじて見えた。
「いや、そう言う問題じゃないんです! なんでこんなにも綺麗な女性の顔になるんですか! 変わるんだったらもうちょっとカッコいい顔の方が良かったですよ!! ていうかなんで顔が変わってるんですか!? 」
「落ち着いて悠人。お姉ちゃんは可愛いと思っているから 」
姉ちゃんが気を使う様にそう言ったのは、僕を慰めようとしてくれたのだろうか?
けれど、その言葉が凄い心に刺さる。
嫌な方の意味で。
「とりあえず落ち着いて下さい。順々に話しますから 」
忍さんの声に反応し、少し自分の暴れる心に歯止めをかける為に深呼吸をする。
深呼吸をして心が落ち着くのを確認してから頭の中を整理し、忍さんに言葉を返す。
「あ…話を遮ってすいませんでした 」
「いえいえ、驚くのは当たり前ですから。それでは話の続きをしましょう。まず、不老不死になるための最低条件は知っていますか? 」
忍さんにそう言われ、少し自分の中でその事を考えてみる。
言われてみれば、僕達は生まれつき不老不死ではなかった。
子供の頃は傷が付けばすぐには治らなかったし、顔もこんなに綺麗ではなく、どちらかと言えば不細工だった。
里が人に襲われた時も、姉ちゃん達の傷も治っていなかった。
特に顔の傷が酷かったから包帯を巻いたけど、そのせいで結局いつ不死になったのかは分からない。
「すいません、分かりません 」
「じゃあ、これから話すのは少し酷な事だと思いますので、心してお聴きください 」
忍さんの重くなった声色に唾を飲み、酷と言われる話に着いて行ける様に覚悟を決める。
「不老不死になる最低条件、それは死ぬことです 」
忍さんからそう言われた瞬間、驚きを隠せずに口をパクパクと動かす事しかできなくなってしまう。
だってそれは、僕達は一度死んでいると言うことだから。
「信じられないと思いますが事実です。私も時雨も、いえ、他の不死達は皆1度死んでいます 」
「えっ!? じゃ、じゃあ不死の人達はみんな一度死んでるってことじゃないですか!? 」
「悠人、落ち着こう。それ同じ意味になってるから 」
姉ちゃんの落ち着いた声を聞いて、少しだけ心が落ち付くけど、自分とは対照的に全く動じない姉ちゃん達の姿を見て、不安が心の中に生まれてしまう。
「ね、姉ちゃん達は驚かないの? 」
「だってお兄ちゃん、今私たち生きてるよ。それに問題ある? 」
ゆいからさらりとそう言われしまい、少し黙り込んで考え込んでしまう。
確かに僕たちは死んでおらず、生きている。
もう済んだ事は、深く考えすぎないほうがいいのかもしれない。
「所で…しのぶ? 」
「忍であってますよ。なんでしょう? 」
「なんで、身体中に武器をつけてるの? 」
ゆいの何気ない言葉が耳に入った瞬間、空気が一瞬だけ乾き、忍さんはその綺麗な顔に似合う大人びた笑みを、顔に貼り付けた。
「おや、気づいていらっしゃったんですね 」
「うん、重心が少し傾いてるし…でも、匂いがしない。なんで? 」
ゆいが忍さんにそんな事を聞くと、忍さんの顔の笑みが深くなり、少し怖い空気が辺りに漂い始める。
「それはこれからご説明しましょう 」
忍さんはその笑みのまま、僕が1度受けた魔法の説明をゆい達にしてくれた。
魔法の説明が終わると、興奮気味に耳を動かすゆいと、よくわからないものを目にした様な顔の姉ちゃんがおり、それを横目にして忍さんがとても楽しそうな笑顔で笑っている。
そんな楽しそうな雰囲気に釣られ、僕も笑っていると、その空間で時雨さんだけが、自分のこめかみを手で押さえて黙り込んでいる事に気が付いた。
「だ、大丈夫ですか? 」
頭を抑えている時雨さんを心配して声をかけるが、時雨さんは聞こえていないのか、目を開ける事もこちらに声を返す事もない。
「え…大丈夫なんですか? 」
その姿が心配になってしまい、慌てて忍さんに顔を向けるけど、帰って来たのは声ではなく、僕の鼻に細くしなやかな人差し指を当てられた。
「静かに」…と言う意味だろうか?
忍さんの指示に従ってしばらく静かにしていると、時雨さんは疲れたように吐息を小さな口から吐き出し、忍さんの方に汗ばんだ顔を向けた。
「どうでした? 」
「OKだそうです 」
「そうですか、それはご苦労様です 」
そんな労いの言葉を忍さんは時雨さんに返すと、その小さな頭に手を当てて、忍さんは時雨さんの頭を優しく撫で始めた。
すると時雨さんは気持ちよさそうに顔を緩ませ始め、汗ばんだ顔に幼くも可愛らしい笑みを浮かべた。
「では、これからあなた方に不死の国に入る前の最後の調査を行いたいので、場所を移動しましょう 」
「な、何を調査するんですか? 」
忍さんの少し威圧的な声に恐る恐る言葉を聞き返すと、忍さんは少し作ったような笑みをその綺麗な顔に貼り付けた。
「あなた方が神器を持てるかどうかを… 」
その忍さんの笑顔を見た瞬間、体が恐怖を感じた様にゾクリと悪寒が走ってしまった。