第36章 惨めな弱音
外から雨の音が聞こえる。
そのせいか、俺が今隠れている洞窟の中に冷気が満たされて行くが、何故か体は震えず、手足は感覚が無くなるほど冷たいのに、あまり寒いとは思わなかった。
そんな奇妙な感覚を感じながら、重い体をゆっくりと硬い壁に預けると、体を踏ん張る足から力が抜けてしまい、暗くて冷たい、あの忌々しい洞窟を思い出してしまう。
自分が初めて死に、自分が人生で1番の喜びを覚えたあの洞窟を。
あの時、俺は強くなろうと思った。
自分が人の時、普通に生きている者達からの期待に答えようとした時の様に。
今思えば、自分が舞や妖術を諦めずに何度も鍛錬したのは、全て自分が強くなるための物だった様にも思える。
けれど、結果はこのザマだ。
諦めず、毎日何度も練り上げた舞は簡単に真似られ、妖術の扱いは下手で雷牙には勝てず、あの忌々しい霧の不死からは一撃で殺され、桜の様に痛みに耐えることも出来ず、唯一自分が不死になって勝てた美琴は、先日のセシルとの戦いを見るに、俺達と戦う時は加減をし、あの時はわざとに殺されていたのが分かった。
そして恐らく、セシルや美琴よりも強い大和には、当然勝てる見込みなど無い。
そんな当たり前の事に今更気が付くと、刀を握る事も舞を行う事も出来なくなり、未来が見えない白い道を朦朧と歩いている様な感覚に襲われるまま、洞窟の中で縮こまっている自分は、笑ってしまうほど惨めだ。
「ははっ」
不思議と辛いとは思わない。
不思議と死にたいとは思わない。
不思議と悲しいとも思わない。
ただ何も思えないまま、左眼から溢れる涙を拭わず、自分を嘲笑う様な乾いた笑い声を上げる事しか出来ない。
「ははっ、はははっ、ははははっ!あはははは!!ハハハハハッ!!!あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
洞窟の中に反響する乾いた笑い声にとうとう耐えれなくなり、頭を抱えて叫ぶと、胸の中の底に沈んでいた怒りと後悔が沸騰する様に泡立ち始め、その怒りに身を任せて壁を裏拳で殴り付ける。
「あ゛あ゛っ!!」
(あの夜に捨て猫に餌をやるべきでは無かった)
痛みが身体中を巡るが、その痛みを後悔と怒りが緩和していき、もう一度壁を殴り付ける。
「あ゛あ゛っ!!」
(あの時、妖怪の集落を離れなければ良かった)
自分の拳の裏に赤い物が見えたが、怒りに身を任せるまま壁を殴り続ける。
「あ゛あ゛っ!!」
(あの時、完璧に首を跳ねれば良かった)
「あ゛あ゛っ!!」
(セシルに合わなければ良かった)
「あ゛あ゛っ!!」
(大和と戦うべきでは無かった)
「あ゛あ゛っ!!」
(この国に来るべきでは無かった)
「あ゛あ゛っ!!」
(俺なんて生まれるべきでは無かった)
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!」
自分を罵る言葉に耐えきれず、衝動のままに後頭部を壁に打ち付けると、骨が殴られる痛みと共に視界が気持ち悪いほどふらつき、硬い地面に横たわってしまう。
「っ!」
その洞窟を自分が死んだ時の状況によく似ていたせいか、あの時の屈辱を、あの時の無力さを思い出してしまい、悔しさが少し落ち着いた心の中をさらに掻き立てるが、不思議と悔しさを晴らそうと言う気持ちは湧いて来ず、ただ雨音に隠れながら、嗚咽を漏らす事しか出来ない。
「クソッ・・・クソッ」
赤い血が垂れる右腕で両眼を隠し、冷えた地面の感覚を永遠と感じていると、雨音と反響する泣き声とは別に、草履を擦る様な音に気が付いた。
「っ!?」
その突然現れた足音に驚き、まだ気持ち悪い気分のまま涙を拭って洞窟の入り口を見てみると、そこには傘を持ち、少し戸惑った様な顔をした雅が俺に近付いて来ていた。
「えっと・・・大丈夫ですか?」
そんな惨めな俺を心配する様な態度を見て何故か無性に逃げたくなり、地面から立ち上がってどこか力の入らない足で外に向かおうと、雅の隣を通り過ぎる。
「えっ、琴乃さん?」
後ろから呼び止められるが、何故か足を止めたく無い。
そんな気持ちを胸に、雨がそれなりに降っている森の中へ足を進めようとした瞬間、後ろから左肩を掴まれ足を止められた。
「・・・桜さんから琴乃さんが守り人を辞めるかもって言ってたんですけど、何か・・・あったんですか?」
(はっ?)
自分が居ない間にそんな話になっている事に驚き、それをすぐさま否定しようとしたが、その瞬間に頭の中に苦く無慈悲な記憶が通り過ぎ、喉から出るはずの否定する言葉はただのため息に変わってしまった。
(・・・はぁ)
胸に感じる億劫な気持ちを感じながら左肩を掴んでる手を体を揺らして弾き、雨が降る外に向かおうと足を進めた瞬間、今度は両肩を掴まれ、また無理やり歩を止められる。
「あの・・・良ければお話を聞かせて貰えませんか?多分、力になれると思います」
「あっ?」
そんな俺を心配する様な言葉に重々しい声が口から漏れ、両肩を掴んでいる腕を払いながら後ろを振り向き、雅の胸ぐらを煙が出ている右手で掴み、雅の顔を俺の顔に近付ける。
「誰が、力になると?」
「こ、琴乃さん?」
「誰が力になれると聞いている!!」
自分の口から洞窟を轟かすほどの大声が出ると、雅は顔を苦しそうにしかめたが、そんな事はどうでも良い。
今はただ、こいつの根拠の無い心配が釈迦に触る。
「お前が協力してくれた事で大和を殺せるか!?」
「えっ、いや、私はただ」
「お前が協力した所で俺が惨めなのが変わるか!?変わらないだろ!!それが分かったなら軽々しく力になるなどと言うな!!!」
そんな自分が言われても困る様な言葉を雅にぶつけると、荒い鼻息と共に苛立ちは少し収まり、右手の力を抜くと、雅は硬い地面に膝から崩れ落ちた。
「はぁ、はぁ。もう、俺に近寄るな」
今にも泣きそうな雅にそう吐き捨て、頭の後ろを引っ張られる様な後悔を感じながら外に行こうとした瞬間、脹脛の部分の布を引っ張られている事に気が付いた。
「何を・・・している?」
「琴乃・・・さん・・・待って」
そんな涙ぐんだ細い声が後ろから聞こえたが、黒い苛立ちが頭の中に根を張り、その苛立ちに身を任せてしまった。
すると無意識に足が後ろを向き、その勢いのまましゃがんだ雅の頬に足が飛び、白い肌を草履が切り裂いた。
「っう!?」
「あっ」
痛々しい傷を付けた頬を触る雅を見て、熱い頭の中に一気に冷たい空気が入り込み、自分の意思とは関係なく手足が震え始めた。
「なんっ・・・あれ?」
自分が蹴ったはずなのに、自分が無抵抗な雅に手をあげたのに、何故か体が震え始め、細く弱々しい声が口から漏れ始めた。
「すまな・・・ごめんなさい」
昔の記憶が頭の中に呼び覚まされ、呼吸が荒くなり、息がうまく吸えない。
「ごめんなさい、ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
息が吸えないのに永遠と謝罪を続けているからか、頭の中が白く朧げになって行き、意識を手放しそうになった瞬間、冷たい体に熱い体温がしがみつき、肉が焼ける様な音が右耳の隣から聞こえ始めた。
「えっ?」
殴られると思った。
罵倒を受けると思った。
なのに、雅から抱きつかれている事があまりにも理解が出来ない。
「雅、なんで」
「心の傷も、こんな風に治れば良いんですけどね」
雅は俺から体を離し、俺に白い煙を上げている傷を見せる様にしてくる雅にさらに困惑していると、いつの間にか雅の涙を溜めた赤い瞳は、真っ直ぐで美しい瞳に変わった。
「琴乃さん、さっきはすみませんでした。琴乃さんが何を悩んでいるのに、軽々しくあんな事を言ってしまって」
「いや・・・俺は」
「だから、話してください。貴方が悩んでいる事全て。それを聞いてからもう一度、力になると言います」
そんなめちゃくちゃな事を言われ、熱い頭の中はぐるぐると目眩がするほど回っていくが、俺を見ている真っ直ぐな瞳のせいか頭の中はだんだんと落ち着いて行き、体の力がごっそりと抜けてしまった。
けれど雅に身を委ねるのは気が引けたため、残った力で雅から離れ、冷たい洞窟の壁に背を預けてちらりと雅の方を見てみると、雅は俺の横に座り込み、こちらに熱い瞳をじっと向けていた。
それを見ると、話す事を拒んでいた体から力が抜けてしまい、ゆっくりと、まだぼーっとする頭の中で言葉を整理していく。
「俺はあいつを・・・霧の不死を殺して、妖怪達の、命の恩人達の仇を取りたい。そのために、大和を殺したい。けれど、ゆいはもうあいつの事を恨まずに、雷牙と楽しそうに毎日を過ごしている。雅は元々あいつの事を恨んでいない。だから俺は、1人で大和を殺すしか無い。・・・それが、俺の悩みだ」
恐らくは桜と美琴が協力しても勝てない様な奴に1人で勝つなど不可能な事だと頭の中で再認識してしまい、右手に力が入ってしまうが、そんな俺の肩を雅は掴み、首を横に振った。
「琴乃さんは、多分ですけど気付いていますよね」
そんな今の話とは全く関係ない問いに体が反応してしまい、自分が思っている事を当てられた様な気持ち悪い感覚を胸の奥に感じ始めた。
「不死を殺しても、その人は生き返りますから、仇討ちなんて無意味だって事を」
自分が一番隠していたかったこと言い当てられ、心臓がドクドクと脈打ち、首の血管が動いているのを感じる。
そう、俺は知っていた。
不死に対して仇討ちなど無意味な事を。
「・・・あぁ、何度も美琴から殺された時に、もう気付いていた。けれど、それがどうした。無意味だからってそいつは今、のうのうと生きているんだぞ?」
「それじゃあどうして、大和さんを無視して殺しに行かないんですか?」
「っ!?」
そんな俺の言い訳を言い当てる様な雅の声に早い心臓が跳ね上がり、何も言えなくなってしまう。
「琴乃さんって、復讐なんてしたくないんですよね」
「違う!」
けれどその言葉にはすぐに口が反応し、咄嗟にそれを否定すると、雅は俺の髪にそっと触れ、俺の顔を無理やり覗き込んで来た。
「私ですね。心を読める訳じゃ無いんです。だから、ちゃんと教えてください。何が貴方を蝕んでいるのかを」
そんな俺の事を真っ直ぐ見つめる雅のせいで、自分が隠し、表に出しまいとしていた土手のような物がゆっくりと崩れて行き、体から大きなため息と共に力が一気に抜けてしまった。
「・・・俺は、何も出来なくなるのが怖い」
「・・・えっと、どういう意味ですか?」
「何も出来なくなるのが、どうしようもなく怖い」
自分のどうしようもなく、しょうもない本心を口から漏らしてしまうと、もう口を止められなくなった。
「傷付いた体でも、家族は俺に期待してくれていた。だからか昔から、自分が何かをなし得ないと、何かをしていないと、存在価値が無い様に思えてしまうんだ。だから怖いんだ。復讐を成し遂げる事も、復讐を辞める事も。それが終われば、俺はどう生きれば良い。何も見えない道を、どう進めば良い。それが分からないから、無理やり妖怪達の記憶を掘り起こし、復讐のためと自分を偽って修行に力を注いだんだ。なのに・・・なのに、何も、報われない。・・・本当に、惨めだ」
こんなどうしよう無く、こんなにもしょうもない言葉が、俺の本心だ。
自分が名家の長男だからと言われ、足を無くしても生きている人が居るからと、傷だらけの体の俺を家族は励まし、俺もそれに答えようとした。
けれどいくら努力しようが杖がなければ歩く事も叶わず、包帯も自分で巻けず、結局家族からは生きているのが邪魔だと疎まれる様になり、だんだんと生きるのが嫌になった。
だから自分が生贄の代わりになれば、家族は俺を止めたり心配するのかと思ったが、結果は本人が言うならと言う様に生贄の後押しをした。
そんな過去を思い出すと、布団の中で何度も『ごめんなさい』と謝り続けた自分も思い出してしまい、左眼からどうしようもないほど量の涙が溢れ出てきた。
「もう、消えてしまいたい」
そんな弱さを口にすると、もう全てがどうでも良いと思うようになり、自然と涙は止まってしまった。
(もう、どうでも良い。どうでも良いんだ。復讐も、生きる事も。俺が消えて仕舞えば、それでい)
「琴乃さんは、期待が傷になってたんですね」
「・・・?」
何故か急に傷と言う雅のせいで心の声は止まり、ゆっくりと雅の方に顔を向けると、雅は真剣な顔のまま俺の右手を握り込んだ。
「琴乃さんはその心の傷が原因で、今苦しんでいるんじゃないですか?」
「いや、そんな事は・・・」
あった。
俺は多分、あの時から何かをしていないと死にたくなっていた。
だからこそ、空っぽの復讐を、目標の無い修行を行い続けた結果、今俺は、この世から消えたがっている。
けれど、それが分かったから何になる。
「原因がこれだとしても、それが分かったらどうなるんだ。何も変わらない、いや、逆に虚しくなっただけじゃ無いか!」
自分の胸奥に感じる苛立ちを吐き捨てる様に雅に言葉をぶつけたが、雅はずっと変わらない真剣な顔を真っ直ぐ俺に向けていた。
「だから、それを今から治しましょう」
「・・・どうやって」
その言葉に、わずかな期待を込めて雅に聞き返すと、帰ってきたのは、至極単純な言葉だった。
「幸せになる事です。傷付いた心が治るまで」
「はっ?」
そんな意味が分からない事を言う雅に苛立ちが混ざった声が口から漏れたが、雅はどこまでも真剣な顔をずっと俺に向け続けている。
その表情を見ていると、雅の言葉が正しいのではと思う様になって行くが、自分が幸せと感じた時などは、いつも隣に誰か居てくれた。
生まれ変わった洞窟では雷牙が居た。
生まれて初めて人前で泣いた時は、妖怪達が居てくれた。
初恋をした時は天狗が居てくれた。
失恋をした時は雷牙が居てくれた。
美琴を殺せた時は、雅達が居た。
だが、それはもう過去の事だ。
今からどう幸せになれば良いかなんて、一人の俺には分からないし、今はもう、ただ消えてしまいたい。
「俺は・・・もう、消えたいんだ。何もしたく無い。このまま眠ってしまいたい」
自分の胸に残っている弱音を口から吐くと、俺の手を握り込んでいた手はするりと離れ、俺の顔を雅の柔らかい胸に抱き寄せられた。
「琴乃さん、貴方が今どんな気持ちか、少しだけ分かるんです。死にたいですよね。何処か安心できる場所で、永遠に眠りたいですよね。でも、そう思っていても、何も変わらない事を、私は知っています」
そんな何処か悲しげな声を出す雅の顔を見ようとするが、それを阻止する様に胸に強く抱き寄せられ、雅の速く、熱い鼓動がよく聞こえる。
「だから琴乃さん、その安心できる場所を探しましょう。・・・2人で。」
「えっ?」
何故そこで2人でと言う言葉が出るのか分からず、ただ熱い心音を聞きながら戸惑っていると、顔を締め付ける腕の力が緩んだ。
その隙に重い体を雅の肩を掴んで顔を起こすと、俺を見ている雅の眼には涙が溢れんばかりに溜まっていた。
「琴乃さんが嫌だと言っても私は、琴乃さんに救われて欲しいんです」
「・・・何故?」
「・・・私が貴方に、救われたからです」
そんな事を言われたが、正直分からない。
俺は雅から自殺を止められたから俺が救われたはずだ。
なのに、何故雅は俺に救われたと言っているのか理解できない。
「いつ、俺は雅を救った」
「・・・あの日の夜、琴乃さんの自殺を止めた時です」
そんな熱のこもった声を聞き、それが嘘でない事は半獣人でも無い俺にも分かるが、そのせいでますます意味が分からない。
「どう言う・・・意味だ?」
「・・・私ですね、琴乃さんの自殺を止めれた事で、私は救われたんです」
「・・・はっ?」
「・・・私ですね、大切な者を誰も救えなかったんです。母も、妹も、弟も。・・・けど、今度は大切な仲間を私は救えた。だから今度こそは、貴方を完璧に救いたいんです。貴方は私が、生まれて初めて救えた人だから」
俺を見つめる赤い瞳を見て何も言えなかったが、1つ気がかりな事があった。
それは、たったそれだけの事で、ついさっき自分を蹴った人物に、人はここまで何もしないと言う事だった。
「・・・雅、どうして俺をそこまで気にかけてくれる?」
「えっ、いや、だから貴方をすくえ」
「それは・・・嘘だろ」
「っう!!」
俺の言葉に雅は分かりやすく顔を青ざめさせたが、その顔はすぐに赤く変わり、その顔を隠すように雅は俺の胸に顔を埋めた。
「私・・・ですね。琴乃さんの事が・・・好きなんです。あの日の夜から、琴乃さんの事をよく思い返してしまうんです。だからこそ・・・貴方に救われて欲しいんです。・・・どうしようもなく、好きだから」
そんな涙声で述べられた言葉は、告白と言われても良い物だった。
自分が告白する事はあったが、告白されたことは無いため、ただ何も言えずに戸惑ってしまうが、俺の体はただ何も言わず、雅をあの時の様に抱きしめてしまった。
「・・・顔を、上げてくれ」
「・・・?」
俺の言葉に雅はゆっくりと顔を上げ、頬と眼を赤くした顔を向けられた。
そんな雅に、俺は感謝を伝えたかった。
こんな俺を好きになってくれ、こんな俺を救おうと必死に行動し、こんな俺のために泣いてくれた雅に。
だから、その薄い桃色の唇に俺の唇をそっと重ねた。
「んうっ!?」
そんな驚く声に慌てて柔らかい唇から唇を離すと、雅は何処か信じられなさそうな顔をし、赤く熟れた自分の頬をぺたぺたと何度も触っていた。
「えっ・・・えっ?・・・えっ!?」
「す、すまない。女性にこんな事」
「いえいえいえいえ、嫌だった訳じゃなくて、嬉しくて、あれっ、ちょっ、えっ」
そんな慌てふためいている雅を見て、少しだけ笑ってしまっていると、ふと、気が付いてしまった。
自分の胸に感じていた、消えていたいと言った感情が消えている事に。
それが分かると、左の視界がじんわりとぼやけて行き、嗚咽を漏らすたびに肩が震え始め、雅の胸に自分から顔を寄せてしまう。
「えっ、大丈夫ですか!?」
「・・・だいじょっ!・・・ぶだ」
何故自分が泣いているのかは分からないが、胸の奥に感じていた死にたいと言う思いは、いつのまにか安心と言う思いに変わっていた。
「うっ・・・ふっ、あぁ」
それが分かったからか、涙が止まらない。
嗚咽も、鼻水もよだれも、何も止まらないほど、感動し、安心してしまった。
そんな胸の奥に日溜りが生まれた様な感覚の中、何も出来ずに雅に泣きついていると、俺の体にそっと熱い腕が絡みつき、柔らかい胸にさらに抱き寄せられた。
「・・・大丈夫ですよ」
そんな優しい様な、心配する様な綺麗な声が聞こえると、さらに心が安心してしまい、息がうまく吸えなくなる。
きっと、今の俺はみっともないだろう。
男なのに、大人なのに、女性の胸の中で赤子の様に泣いている俺は、弱いだろう。
惨めだろう。
けれど、何処かこんな温もりを自分は求めていた様な気がする。
こんな温もりを、欲しかったんだと思う。
だから俺は、余った両手を雅に絡み付け、洞窟に反響する様な声で泣き喚き続けた。
自分の心の中に生まれた、感動が収まるまで。
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「はぁ、はぁ」
「・・・だっ、大丈・・・夫?」
背負って白髪の少女から、慣れない様な言葉で心配されるが、正直な話、あまり大丈夫では無い。
魔の国の実験機関からこの少女を救い出したは良いが、あんな奴らが魔の国に居るなど、スパイをしていた私の情報などには一切載っていなかった。
「んっ、大丈夫だよ。捕まっててね」
「・・・うん」
けれど弱音は吐いてる場合でも無いため、ポケットの中にある通信魔道具の緊急ボタンを押し、汗ばんだ額にくっ付いた茶髪の前髪を耳に掛け、大きく息を吸う。
(エンチャント 鳴隠 音速)
頭を使い、辺りにノイズを発生させてマスキング現象を意図的に起こし、私が出す音を認識させないようにしてから、音速とまでは行かないが、それなりの速さで暗い森の中を後ろの女の子をしっかりと掴んで駆け抜ける。
(それにしてもあいつら、本当に人間?)
急に現れたあの黒尽くめの4人組は、女の子を救った私に人間と言えない速さで襲い掛かり、ゲートを使う隙もなく、1人の巨漢から空間魔道具を壊された。
それからこの子を背負って音で一瞬怯ませて逃げたは良いものの、空間魔道具無しでは、この場から不死の国まで西の幻影の泉を抜けなければならないため、かなりの手間と時間がいる。
(身を隠すべき・・・いや)
「見つけたぜ」
前の木の影からそんな言葉が聞こえた瞬間、唐突に私の腹に蹴りが入ったが、みぞおちには入らなかったため鈍い衝撃だけですみ、足を滑らせて強引に地面に踏ん張ると、辺りの木の影から残りの黒いローブを被った3人の男が姿を現し、それに遅れる様にローブを被った女性が姿を現した。
(こいつら、不死!?)
私の魔法は魔術では破れないため、こいつらが不死であると分かったが、自分が今囲まれている状況に内心かなり焦っていると、私を蹴った男は大きなため息を吐いた。
「なぁ姉ちゃん、その女を置いてくれたらあんたは逃すからさ、そうしてくれ」
「お断りします」
こんなよく分からない不死達にこの子を渡せば良いことなど1つもないと直感的に理解し、後ろで小さく震える女の子の足をギュッと掴むと、前にいる男はまた大きなため息を吐いた。
「なら・・・死んでくれ」
そんな重く、殺意のこもった男の言葉に警戒しようとした瞬間、そんな警戒も虚しく右頬に鈍い衝撃が走った。
(っう!?)
突然過ぎる衝撃に脳が混乱するが、背負っている女の子を庇おうと体を咄嗟に動き、足を踏ん張り衝撃が来た方を向いた瞬間、目の前には黒い靴が見えた。
「がっ!?」
その速過ぎる蹴りに脳が揺れ、背中に落下時の浮遊感を感じ始めたが、女の子だけは庇おうと全身の筋肉を使い、地面に腹を向けた瞬間、地面から氷の刺が現れ、それは私の腹と肩と首を貫いた。
「ごおっ!?」
吐血と痛みで頭が回らず、氷の刺に映った背後には、巨大な岩のハンマー構えた男が私と女の子を潰そうと大きく振り被っていたが、不思議と死の恐怖は無く、それとは逆に安心を感じていた。
それは、あの足音が聞こえたからだ。
(遅いですよ)
そう思った瞬間、振りかぶった男の頭は一瞬で消し飛ぶと、地面を穿つ音が辺りに響き渡り、それに続く様に空中から何かが降って来た。
「てめぇら・・・私の仲間に何してやがる!!」
そんな怒りのこもった声に安心し、痛みに耐えながら氷の刺を体を踏ん張って無理やり抜くと、その勢いのまま地面に背から落下しそうになるが、そんな私達を支える様に大和さんが背中を支えてくれた。
「座れるか?」
「・・・あ゛い」
首がまだ治り切っていないせいで上手く喋れないが、その問いに答える様に支えてくれる手を利用してゆっくりと冷たい地面に座ると、太刀を抜いた大和さんは大きなため息を吐いた。
次の瞬間、辺りの空気が軋む様な音が聞こえ、仲間の私でも唾を飲む様な雰囲気に辺りは包まれた。
「葵、一歩も動くなよ」
「っう」
辺りの軋む様な空気のせいで大和さんに返事は出来ず、取り敢えず頷いて辺りに耳を傾けると、どうして敵は私達を攻撃してこなかったがよく分かった。
何故ならそれは、大和さん以外の全員が怯える音をしていたから。
けれどその状態は長く続かず、私に攻撃してこなかった巨漢は巨大な剣を何処からか取り出し、大和さんに向かって私の何倍もする速さで突っ込んだ。
それを援護する様に氷の針が空中から大和さんに襲い掛かり、大和さんの後ろから私を蹴った男が有り得ないスピードでナイフを持って突っ込んだ瞬間、巨大な剣を持った男の胴体は大和さんの一閃で上と下で2つに分かれ、その風切り音は氷を使う女の方に吸い込まれ、頭を消し飛ばし、男の泣き別れした上半身が落下するよりも速く大和さんは掴むと、それで氷を塞ぎながら後ろからやってくる男に、上半身を体を有り得ない速さで投げ付けた。
「ぐあぁ!?」
それだけでも、人の体から鳴っては行けない鈍く生々しい音が聞こえたが、それに続く様に上半身だけの男は発火し、その炎は瞬く間に潰された男にも燃え移った。
そんな一瞬の事で、3つの命を葬った大和さんに正直恐れを抱いていると、その赤い2つの眼は私の腹を蹴った男の方に向いた。
「お前、どうして不死なのに私達を襲う」
「・・・はっ、教え」
男が命を諦めた様に投げやりに笑った瞬間、風切り音が聞こえ、男の心音は文字通り消し飛んだ。
そんな状況を音で無理やり理解したが、脳はそれに追い付かずただただ困惑していると、後ろにいる女の子は急に小さな泣き声を上げ始めた。
「お、お姉・・・ちゃん、怖い・・・」
「あぁ・・・えっと、大丈夫だよ」
いつの間にか治っていた喉で女の子にそう伝え、鏡の様な金色の瞳を潤ませる女の子をぎゅっと抱きしめて肩をトントンと優しく叩き続けていると、しばらくしたら女の子は安心したように小さな寝息を立て始めた。
「・・・ふぅ」
「そいつは?」
「あぁ、魔の国の研究所に囚われてました」
「子供の不死か、珍しいな」
「そう・・・ですね」
たしかにそう言われてみれば、子供の不死は非常に珍しい。
私達は子を埋めないから多分、子供の不死は見た目的に言えばクレアさん以外は居ないかも知れない。
そんな事を考えつつも傷が治った足で立ち上がり、女の子をしっかりと前に抱えて大和さんの隣に立つと、大和さんは大きなため息を吐き、燃えている男二人の死体から炎を消して胸にポッカリと風穴が空いた男の方に大和さんは足を進め始めた。
多分、死体を回収するのだろうと思い、それを手伝おうと大和さんの側に行こうとした瞬間、前にいる大和さんから重たい圧を感じた。
「や、大和様?」
「なんで・・・」
そんな意味不明な言葉を疑問に思い、大和さんの影からそっと男の死体を見てみると、その男のあらわになった顔は、人間の物だった。
「なんで・・・人間が魔法を」
「・・・恐らく、魔法だろう」
「えっ!?人間に魔法を与える魔法とかあるんですか!?」
「あぁ、昔・・・そんな奴が居たからな」
その一言の奴という言葉に何故な力が入っていたのか少し気にはなったが、今はこの子の保護が最優先なため、大きく息を吸い、速くなった心臓を落ち着かせて頭を回す。
「取り敢えず、燃やしましょうか。死体が見つかれば不死の国のせいにされかねませんので」
「・・・あぁ、そうだな」
大和さんは優し過ぎるせいか死体を燃やして証拠を隠滅する事を躊躇ったが、しばらくすると覚悟を決めたのか大きく息を吸い、胸に風穴が空いた男の足に手を触れた。
すると男の体は一瞬で炎に包まれ、小枝を踏むようなパチパチと言う音と油が焼ける様な臭いが辺りに広がり始めた。
(うぅ・・・)
その不快過ぎる臭いに顔をしかめ、鼻から息を吸わない様に口で呼吸していると、大和さんは赤い枝を白い広袖の袖から取り出し、それを私に差し出してきた。
「先に帰っててくれ」
「大和様は?」
「少し、気になることがある」
その返事がこの場に残ると言う事だと理解し、大和さんに軽く頭を下げて杖を受け取り、ゲートを開いて空に現れた紫色のモヤの中に体を進めると、景色は森の中から懐かしい王宮の王室に移り変わった。
「ふぅ〜」
久しぶりの王宮の空気に力が抜けてしまい、心から安心していると、王室の扉がゆっくりと開き、メイド服を着ている時雨が少し慌てるように王室の中に入って来た。
「あっ、葵さん、大丈夫だったんですか?」
「うん、大和様が助けてくれたの。ごめんけどこの子をベットに寝せてくれない?」
「はい!」
時雨は私には元気よく返事をし、私からそっと白髪の女の子を受け取ると、王室の扉を足で開け、廊下に出て行った。
「あ〜、きっつ」
それを見終えると、自分の仕事が一旦終わった事を認識し、足からも力が抜けてしまい、綺麗か汚いか分からない地面に倒れて床の心地が良い冷たさをゆっくりと感じていると、後ろのモヤから何処か暗い心音がした大和様の足音が出てきていた。
「あっ、お帰りなさいませ」
「・・・おう、ただいま」
けれど私の返事には笑みを返す大和さんに少しだけ胸が痛むが、私達がなんと言おうと大和さんは何も楽にならない事は知っているため、寝そべったまま大和さんに笑みだけを返していると、大和様は右手に持った太刀を刀に納め、その右手で髪を掻きむしり始めた。
「取り敢えず、葵。スパイ活動と不死の保護、お疲れさん。給料とかは後々振り込んでおくから、今はゆっくり羽を伸ばしてくれ」
「はい:
私に暗い顔を隠したような明るい笑みを向ける大和さんに微笑み返し、ゆっくりと体を起こして王室の扉に向かって足を進める。
「では、おやすみなさいませ」
「おう」
王室を出る前に深々と大和さんにお辞儀をして廊下に出て、自分の部屋に向かって足を運ぼうとするけど、今の自分がかなり汗臭い事に気が付き、ため息が口から漏れてしまう。
(めんどくさいけど、お風呂入るか)
疲れてはいるけど、このままベッドに寝るわけには行かないため、だるい体で長い階段を永遠と降りていると、3階の廊下から何かボールを蹴るような音が聞こえている事に気が付いた。
(なんだろう?)
あまり聴き慣れない音に疑問を感じ、階段の陰からそっと3階の廊下を覗いてみると、壁に向かって白いサッカーボールの様な物を軽く蹴り、反射したボールを楽しそうに追いかけている忍が居た。
(っう!!?)
忍には何度か無残に殺された事があるため、恐怖が体を強張らせ、何も出来ずにただただ驚いていると、その白いボールがこっちにやって来て、忍の目線と私の目線がぴったりとあってしまった。
(まずっ)
「あっ、葵〜、ボール取って〜」
そんな声も何処か子供っぽい忍に驚きながらも、体を陰から乗り出してボールを足で止め、それを拾って平然を装って忍に軽くボールを投げ付けると、忍はとても明るい笑みを私に向けた。
「ありがと〜」
「ま、窓ガラス破らないようにね」
「はーい!」
そんな忍を見て、また精神がめちゃくちゃになっているのだと気が付き、哀れみと恐怖が混ざり合った変な感覚を感じながらも、その場から逃げるように階段を降り、王宮の地下にある浴場に足を運ぶ。
肩に纏わりつく怠惰感を感じながら浴槽へと続く階段を降りて浴槽の扉を開けると、そこには扇風機の前でくつろいでいる陽毬が裸の状態で座っていた。
「あ〜、最高。・・・おっ、葵、久しぶりだな」
「うん、久しぶり。それより、そんな事してるから盗撮されるんだよ?」
「大丈夫大丈夫、あいつはもう寝てるらし」
そんな陽毬の笑顔を消すように陽毬の後ろからシャッター音が脱衣所の物陰から漏れた。
「へへぇー、陽毬ちゃんの裸ゲット!」
そんな声に合わせ、物陰からひょっこり顔を出したのは、真っ黒な服に合う黒く大きなデジタルカメラを首に掛け、木漏れ日のような緑色の髪をサイドテールで結んだ冴蘭が黒色の眼を輝かせていた。
「これ売ったら私、評価されるかな〜?」
楽しそうに笑みを浮かべ、デジタルカメラを操作している冴蘭を無視し、陽毬は何か言葉が書かれたシャツの中身から何かを取り出すと、長い息を吐いた。
「お前は・・・悪だ」
そんな事を陽毬は怖い真顔で呟くと、陽毬の手には『時跨ぎ』が姿を現し、それを裸のまま全力で振り回し始めた。
「ちょっと!?神器は反則でしょ!!?」
「死ねぇ!!」
慌てふためく冴蘭を無視して陽毬は杖を問答無用で振り抜くと、並べてあった脱衣所の棚は大きな音を立てた倒れたが、陽毬にはそれが聞こえてないのかさらに全力で杖を冴蘭に振り抜き始めた。
「ちょっ!?いやっ!!死ぬ!?ヘルプ!葵ちゃん!!」
「・・・はぁ、自業自得」
「そんなぁっ!?」
器用に陽毬の攻撃を躱し続ける冴蘭を尻目に、自分も巻き込まれないようにさっさと服を着替えて騒がしい脱衣所から風呂に入って扉を閉めると、鼻には水が蒸されたお風呂特有の匂いを感じ、ホッとした息が口から漏れてしまう。
(久しぶりだなぁ)
魔の国から不死の国に戻るのは数ヶ月ぶりなため、この広い風呂に感動を覚えながら区切りがあるシャワーの栓を捻り、温かいお湯の心地良さを感じながらシャワーを浴び、その心地良さにひと段落してからシャワーを止める。
広い湯船を堪能するためにプールのような広さの湯船の真ん中に行き、体をお湯の浮力に任せてゆっくりと上を向きながら浮かび上がる。
「あ〜」
そんな至福の一時を感じながら、今までの疲れをお湯の熱で溶かして行っていると、お風呂の扉が開く音が聞こえた。
「んぅっ?」
その音に合わせ湯船の中に足を付けてお風呂の出入り口の方に顔を向けてみると、そこにはついさっき会った時雨が笑顔を浮かべてお風呂の中に入って来ていた。
「あっ、時雨、あの子ありがとね」
「いえいえ〜」
(・・・んっ?)
楽しそうにお風呂に入って来た時雨を、何処か変にかんじてしまった。
そんな時雨を不思議に思いながらじっと時雨の体を眺め続けていると、時雨は急に顔を赤らめ、胸を恥ずかしそうに隠した。
「あ、あの、あまり見ないで下さい」
「えっ、あっ、ごめんね」
そんな恥ずかしがる態度を見て、さっきの違和感は私の気のせいだと思い、もう一度浮力に身を任せてぷかぷかと湯船に浮かびながら疲れを吐き出す様に大きなため息を吐き、のぼせるまでお風呂の中で浮かび続けた。




