第29章 傷の舐め合い
「ふぅ」
ベットの上でため息を吐き、擦りすぎて痛い眼の周りをもう一度袖で拭ってから、赤い十字が付いた部屋から足を遠ざける。
あれからベットに涙の溜まりが出来るほど泣いたお陰で、ほんのすこし胸の奥は軽いけど、ゆいに何をしてあげればあんな苦しそうな顔を見なくて済むのか分からず、また胸の奥が重くなってしまう。
「はぁ・・・」
もう一度ため息を吐き、胸の奥を少し軽くしてから大きな家の廊下を呆然と歩いていると、曲がり角らしき場所から聞いたことのない誰かの足音が聞こえた。
(誰だろう?)
そんな事を思いながらも、その人とぶつからないように曲がり角を大回りで回ると、短い白髪の使用人さんが角から現れ、私の方にのほほんと気が抜けた笑みを向けてくれた。
「こんばんは〜」
「あっ、こっ、こんばんは」
初めてあった女性に慌てて軽く頭を下げると、髪を唐突に触られた。
そんな突然の事に驚きながら顔を上げると、その人は何処か悲しそうな顔を私に向けていた。
「どうして、泣いてたんですか?」
「えっ?・・・えっ!?」
急にそんな事を聞かれ、何も答えられずにいると、白髪の女性は私の髪から手を離し、今度は優しく温かい笑みを向けてくれた。
「温かい飲み物でも飲みます?少しは落ち着きますよ」
「えっ、いや、大丈夫です」
女性の申し出を咄嗟に断ってしまったが、それはこの人の親切を無駄にするのではないかと言う考えが頭によぎり、胸の奥に不快感を感じるようになる。
そんな不快感を感じ、女性に対してどうやって弁明すれば良いのか迷っていると、女性はまた私に優しい笑顔を向けてくれた。
「この道の先にですね、外へ続く扉があるんです。そこで少し落ち着いてみてはどうですか?」
「えっ、あ」
「では」
女性は私の返答を待たず、その場で深々と頭を下げると、私が進んできた道へ足を運び始めた。
そんな色々と親切な事を教えてくれた女性の後ろ姿に頭を下げ、気晴らしのためにさっき女性が言っていた外に続く扉へ足を運ぶ。
少しふらつく足取りで廊下を進んでいると、硝子が張られた白い扉があり、その硝子に触れないよう扉をゆっくりと押すと、夜の涼しげな風を肌に感じた。
「気持ちいい」
そんな言葉が口から勝手に漏れ、ふらつく足取りで外にある柵へ手を掛けて下を見ると、ここは意外に高いのだと改めて感じ取ってしまい、ほんのすこし怖くなってしまう。
そこから見える小さな森を、ただ無心で眺め続けていると、後ろから誰かの足音が聞こえ、慌てて後ろを振り返ると、俯く琴乃さんが白い扉を開き、外に出てきていた。
「はぁ」
琴乃さんは重いため息を吐いて顔を上げると、その顔は私が居たことに気が付いていないような表情を浮かべた。
「・・・すみません、気づきませんでした」
「あっ、こちらこそすみません」
急に謝られ、慌てて琴乃さんに謝り返すと、互いに話す話題が無くなり、言葉が止まってしまう。
そんな気まずい空気が嫌になり、琴乃さんに背を向けてポツンと見える小さな森を眺め直していると、後ろから足音が近付き、私から少し離れた柵を琴乃さんは飛び越え、柵の上に腰をかけた。
その行動に驚き、危ない場所に座る琴乃さんの顔を見てみると、風色の隻眼が私を見つめている事に気が付いた。
「何か、ありましたか?」
「えっ!?ど、どうしてですか?」
「いえ、眼が腫れてるので」
琴乃さんからそう指摘され、慌てて眼を擦ってしまうけど、琴乃さんに気づかれた今、もう隠しようが無い。
「良ければ話、聞きましょうか?」
「い、いえ、大丈夫です」
琴乃さんが向けてくれる優しさに少し嬉しい気持ちが湧くけど、それ以上の不安が胸の奥から溢れ出てきてしまう。
だって、ゆいの復讐を止めたいと言えば、琴乃さんの考えも否定する事になるから。
そんな強い不安を胸の奥に閉じ込めていると、琴乃さんは長いため息を吐き、私の顔から視線を外した。
「少し、話を聞いてもらえませんか?」
「えっ、は、はい」
急に話がしたいと言われ、慌てて返事を返すと、琴乃さんはまた重々しいため息を吐き、生気が無いような表情をその顔に浮かべた。
「俺は、これからどうするべきなのでしょう?」
「・・・えっ?」
そんな琴乃さんの口から出た言葉は以外にも大和さんに対する怨みの言葉ではなく、ただ、自分の胸の奥の苦しさを漏らしたような言葉だった。
「俺は、あれから何度も大和に挑みました。そして、幾度も殺されました。何度も、何度も」
その琴乃さんの言葉に少し違和感を感じ、琴乃さんが掴んでいる柵に眼をやると、琴乃さんが神器を持っていない事に気が付いた。
(・・・もしかして)
「それから眼を覚ますと、いつも最初に泣くんです」
そんな自分の知らない事を聞き、言葉に表せないような嫌な感情が胸に蠢き、その気持ち悪さと同時に眼が少し潤んだしまうけれど、今はそんな気持ち悪さよりも気になることがある。
「その理由はおそらく・・・怒りなのでしょう。前を向けない自分への」
その話を聞いて、もう分かってしまった。
琴乃さんは今・・・・
そんな琴乃さんの気持ちを理解し、涙を指先で拭うと、哀しみも同情も押し退けるほどの感情が胸の奥に生まれた。
「俺はもう、どうしたら良いか・・・分かりません。俺はどうしたら雅みたいに、郷里を滅ぼした相手を許せるんですか?」
琴乃さんは私に顔を向けた。
涙がゆっくりと零れ落ちる左眼も。
その顔を見て細い息を吐き、胸の奥にある覚悟に身を委ね、冷たい夜風を大きく吸い込む。
「私は、ですね、もともとあの人は怨んでないんです」
「えっ?」
「私は、故郷なんて大っ嫌いですから」
意味が分からなそうな表情を浮かべる琴乃さんに、満面の笑みでそう答えると、琴乃さんはとても綺麗で投げやりな笑顔を私に向けて来た。
「なんですか・・・それ」
そんな言葉を琴乃さんは呟くと、体を前にぐらりと倒した。
その瞬間に地面を蹴り、間一髪で落ちる琴乃さんの足を右手で掴むと、その重みで胸の横を柵で打ってしまう。
けれどそんなちんけな痛みより、強い怒りが胸奥から溢れ出てくる。
「えっ?なに、を?」
「動かないで下さい!!」
宙吊りになった琴乃さんにそう叫び、手に力を入れて琴乃さんを引っ張り上げ、後ろの地面に放り投げる。
「ぐっ!?」
地面に放り投げられた琴乃さんは呻き声を上げ、体をゆっくりと起こそうとするけど、そんな琴乃さんに跨がってそれを止め、琴乃さんの左頬を引っ叩く。
「・・・えっ?」
急に叩かれてた琴乃さんは、意味が分からなそうに自分の叩かれた頬を触り始める。
その顔を見て心が痛んでしまうけど、今だけはその痛みに奥歯を噛んで耐え、胸ぐらを掴んで琴乃さんの顔を自分に引き寄せる。
「なんで!自殺なんかしようとしたんですか!!?」
自分の耳が痛くなるほどの大声を琴乃さんにぶつけると、琴乃さんは私から眼を逸らし、私じゃないと聞こえないほどの小さな声で何かを呟き始めた。
「もう、死にたいんです。辛いんです。楽になりたいんです」
そんなうわごとのように楽になりたいと言い続ける琴乃さんを見て、ある過去が頭の奥から引っ張り出された。
黒く焦げた塊を暗闇の中で抱く自分を。
けれど、今はそんな事どうでも良い。
琴乃さんの顔を右手で掴み、その涙を流す顔を無理矢理私の方に向けさせる。
「なんで私が助けたか、分かります?」
「分かりま、せ」
「なんで私が叩いたか分かりますか!!?」
大きな怒鳴り声を琴乃さんにぶつけると、何故か琴乃さんではなく、自分の瞳から大きな涙が溢れでてくる。
けれど、そんな涙がどうでも良いと思えるほどの熱い気持ちが胸の奥から溢れ出る。
「貴方に、生きるのを諦めて欲しく無いんですよ!」
自分の涙が大量に付いた琴乃さんに本音をぶつけ、さっきよりも強い力で、琴乃さんの胸ぐらを握り込む。
「貴方が今どれだけ苦しいのか、どれだけ自分の弱さに打ち拉がれてるのかはだいたい分かります!!でも!自殺は私が死んでもさせません!!!!」
喉が張り裂けるような大声で琴乃さんに叫ぶと、さっきまでとは比にもならない大粒の涙がボロボロと自分から溢れ出てきた。
そのせいか琴子さんの襟から手を離れてしまい、自分から流れる涙を止めようとしたけど涙は止まってくれず、胸の奥からも止めようの無い冷たい感情が溢れでてくる。
「だがら、死のうとじないで」
その言葉を琴乃さんに伝えると、喋れないほどの悲しみが涙とともに零れ落ちてしまい、ただ何も出来ずに泣き続けてしまう。
もう、自分が何をしているのか分からない。
怒りと覚悟に身を任せて琴乃さんの自殺を止めはしたけど、私が伝えた言葉はただの願望で、救いの言葉じゃない。
また助けれないのかと言う考えが頭に巡るたびに、嗚咽感が増してくる。
そんな涙と嗚咽感の気持ち悪さを感じていると、私の髪に温かい何が触れた。
その温かさを感じ、手を顔の前からゆっくりと退けると、潤む視界に琴乃さんの風色の瞳が辛うじて見えた。
「あの、とりあえず退いて、落ち着いて下さい」
「あ・・・はい」
琴乃さんの言葉に大人しく頷き、顔を抑えながら琴乃さんの上から退くと、琴乃さんが立ち上がる音と服が擦れる音が聞こえた。
そんなこの場所に似合わないような音が聞こえ、ゆっくりと顔を上に上げると、床に胡座をかいている琴乃さんが見えた。
「とりあえず、座りませんか?」
「・・・はい」
急に穏やかな声を出す琴乃さんに困惑しながらも従い、床に正座で座るけど、まだ悲しさと涙が止まってくれない。
自分がどうして泣いているかも分からないまま、顔を押さえて永遠としゃくり声を上げていると、また私の髪に温かい指先が触れた。
「えと、あの、俺は今、大丈夫です。だ、だから、落ち着いてくれませんか?」
そんなおぼつかないような言葉に両手を顔の前から退けると、優しく微笑む琴乃さんの顔が見え、涙と胸から溢れ出る冷たい感情がピタリと止まった。
「えっ?」
普通、死にたいと言う気持ちはそんな簡単に収まる事は無い。
私がそうだったように。
だから琴乃さんが嘘をついていると思い、耳に意識を向けてみたけど、琴乃さんの熱い脈動には、嘘偽りは無かった。
「えっと、すいません。少し時間を下さい」
「はい」
琴乃さんにそう伝え、両袖で顔をゴシゴシと擦って自分の胸の奥の感情をため息と一緒に吐き出すと、少しだけ心に歯止めをかけれた。
「すいません、落ち着き、ました」
瞼を強く擦ってから、琴乃さんに多分酷くなっている顔を向けると、琴乃さんは安心できるような、温かいような笑顔を私に見せてくれた。
「そうですか、なら、良かった」
その笑顔に心臓が鷲掴みにされたような感覚を覚えてしまうけど、慌ててその感情を払いのけ、琴乃さんの顔を真剣に見つめる。
「えっと、さっきまで死にたがってましたよね」
「・・・えぇ」
「なら、どうしてそんなに落ち着いてるんですか?」
私自身が死にたいと強く思っていた時は、こんなに急に落ち着くことは無かった。
朝起きても、食事の時も、湯殿の時の、儀式の時も、ただ泥のような気持ち悪さが、胸の奥に張り付いていた。
そんな自分の経験を思い出し、冷たい夜風と辺りの無音を聞いていると、琴乃さんは急に細い息を吐き、私の顔をじっと眺め始めた。
「それを答える前に、教えて欲しい事があります」
「・・・それは?」
「貴方が故郷を好いていない理由を、教えて欲しい」
突然そんな事を聞かれ、心音が高鳴り、その場からすぐさま逃げたくなる。
けれど私を見つめる一つの瞳のせいで、その場から動けない。
そんな状況に何も出来ず、空を切る風の音を永遠と聞いていると、口から勝手にため息が漏れ、胸を両手で押さえながら琴乃さんの顔をしっかりと見つめる。
「面白い話では、無いですよ?」
「・・・構いません」
私に向けられる真っ直ぐな眼を見つめ返し、震える息を吐きながら、ゆっくりと自分の過去に眼を向ける。
「私は、獣人の父と人間の母の間に生まれた半獣人です。・・・琴乃さんは、獣人族の事情はご存知ですか?」
「えぇ、存じています。人間を嫌っているんですよね」
「はい、それで私達は生きにくい生活をしていました」
ただここだけを話しただけなのに、心音が驚くほど速くなり、呼吸が荒くなる。
けれど眼の前に琴乃さんが居る事を思い出し、ゆっくりと呼吸を落ち着かせてから、また話を進める。
「それから、父が急死しました。なにかの病で。・・・大黒柱を失った私達は、母1人で私達3人を育てる事が困難になり、私達総出で働く事になりました。ゆいは獣の皮と肉を。悠人と母は、服の手入れを。私はそれら2つの手伝いをしていましたけど、また、問題が起こりました」
「・・・それは?」
「・・・里長が変わったせいで、掟が変わりました。人間を追い出せという内容の。けれどそれと同刻に里の巫女が老死しました。そのせいか、巫女と容姿の似ている私が次期巫女になれば、その掟から私達を外すと九尾の人達から言われました」
「・・・それを、受けたんですね」
そう聞いてくる琴乃さんに頷き、ゆっくりと震える息を吐いてから次の言葉に備え、両手で胸を強く押さえる。
「それから巫女としての修行を始めました。ただの綺麗な池に浸かって穢れを落とせとか、肉を食うなとか、逆に酒は飲めだとか。・・・そんなくだらない事を続け、私は巫女になりましたけど、その時はもう、悠人とゆいは・・・追い出されていました」
「・・・どうして、ですか?」
「いえ、それは分からないのですが・・・それからの記憶がとても曖昧で。弓を引いて死体貫いたり、悩みを相談してくる人達への救いの言葉を言ったり、儀式を行ったり、そんなどうでもいい事を永遠と繰り返していると、夜になると絶対に泣くようになりました」
「・・・死にたかったんですね。」
「・・・はい」
その言葉に頷くと頭がぼーっとしてきて、瞳から涙が溢れ出てくる。
そのせいで喋れなくなり、しゃくりが止まらない。
「すいま・・・せん」
「いえ、大丈夫です。ゆっくりで」
背中を温かい手でさすられ、その体温のおかげで少しずつ嗚咽感が収まっていってくれる。
鼻から出てくる鼻水を啜り、袖で涙を拭ってから琴乃さんの顔をじっと見つめ直す。
「それ、で、何でもない普通の日に、私はそこから逃げ出しました。そして家に向かって、久しぶりに凄く痩せた母と会って、一晩一緒に寝て、夜になったら、母が焼け死にました」
そんな辛くめちゃくちゃな体験を話したのに、自分の瞳から涙は出なかった。
ただ、暗い水底を覗き込むような気分で胸を強く握りこんで、吐き気と気持ち悪さと後悔と絶望と悲しさを奥歯で噛み砕いて、夜の冷たい空気を使って深く呼吸をし続け、気分を少しでも落ち着かせる。
「それで母の死体を抱いて、もう頭がめちゃくちゃになって、そして私は、首を吊ったんです」
自分のろくな思い出の無い故郷の話を終えると、どうしようもないない気持ちが胸から溢れ、それに耐えるために体を丸めていると、自分の肩に温かい手が当たった。
「俺と・・・同じですね。俺も、自殺のような事を人間の時にしましたから」
「・・・えっ?」
その言葉に顔をゆっくりと上げると、私を見つめる瞳はどこか潤んでおり、琴乃さんなにかを悲しむような表情をその顔に浮かべていた。
「俺は、生贄の代わりになったんです。自から進んで」
その言葉に自分のどうしようもない感情は何処へ行ってしまい、どうして琴乃さんがそんな事をしたのかが気になってしまう。
「どうして、そんな事を?」
「・・・俺は、とある名家の長男でしたが、ある夜に獣から襲われて、生きるのが精一杯の体になったんです。だから役に立たないこの命は、先がある命にと思ったんです」
琴乃さんにそんな過去があった事を始めて知り、どう声をかけてあげれば良いか迷っていると、琴乃さんが私に優しく微笑んでいる事に気づいた。
「・・・けれど、やっぱり後悔はありましたし、死ぬまではさっきと同じように死にたいとずっと思っていました。けれど、今こうやって話せているのは、貴方のおかげです」
「・・・えっ?」
もう、よく分からない。
自分の過去を話しただけなのに、琴乃さんは私のおかげで助かったとか言ってくるし。
その笑顔を見て、私は喜んでしまうし。
そんな色々な感情を胸奥で感じていると、琴乃さんの手が私の頰を触り、琴乃さんの顔から眼が離せなくなる。
「俺は、ついさっきまで水底のような場所に居ました。死にたかった。楽になって・・・眠りたかった。でも、貴方が引っ張り上げてくれた。冷たくて心細い場所から。・・・・・・俺は、何を言ってるんでしょうね」
琴乃さんはどこかどうでもいいように笑い、私の顔から手を離してくれたけど、私は琴乃さんの顔から眼が離せない。
琴乃さんも、私から眼を離してくれない。
「・・・すみません、俺は口下手で。・・・でも、貴方のおかげで、俺は今話せています。本当に・・・ありがとう」
優しく、とても温かい言葉を頭で理解出来ないでいると、琴乃さんは私の服を掴み、琴乃さんの男らしい硬く熱い肩に抱き寄せられた。
「こんな事をするのは、失礼なのですが・・・ごめんなさい。こう、させて、もらえまぁ、ぜんか?」
急に聞こえた涙ぐむような声に、私の心音はドクンと跳ね、私の震える腕は琴乃さんの肩を強く抱きしめた。
「えぇ、大丈夫、ですよ」
自分も嫌で苦しい場所から逃げだした時、誰かに抱きしめて欲しかった。
多分、琴乃さんもそんな気持ちなんだろう。
そんな事を思いながら。ぎゅっと琴乃さんを抱きしめると、琴乃さんは肩を震わせ始め、私の背中の布を強く握りしめてきた。
その震える背中を優しく叩いてあげ、琴乃さんの耳に口を近づける。
「大丈夫・・・ですからね」
今の自分が出来る、精一杯の優しい声を囁くと、琴乃さんは私の骨から音がなるほど強く腕を締めてきた。
けれどあまり痛みはなく、その何か安心しているような琴乃さんの体温を感じていると、自分の乾いた瞳から、眼が開けていられないほどの熱い涙が溢れ落ちてきた。
(ほんと・・・温かい)
何処か懐かしい人の体温を感じていると、冷たい胸の奥はだんだんと温まって行き、とても心地が良い。
そしてそんな心地良さに身を委ねていると、意識はふらっと暗闇の中に転げ落ちていった。
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「はぁ」
胸の奥の不安な気持ちを吐き出し、大和ちゃんが待つ王室へ足を進める。
大和ちゃんが死にたいと漏らしたあの日から、大和ちゃんと会うのが怖い。
だって、どう言う風に傷に触れてあげれば良いか分からないから。
(どんな顔すれば・・・良いのかな?)
そんな事を悩みながら、王宮の最上階への階段を登り終えると、王室から出てくる忍ちゃんが見え、心臓がドクンと跳ね上がった。
「あら、真白様。どうかしましたか?」
「あ、何もないよ」
こちらにやってくる忍ちゃんに何事もないように笑みを向けると、忍ちゃんも幼そうな笑顔を私に向けてくれた。
「そうですか。それでは私は時雨のところに行ってきますね」
「うん、行ってらっしゃい」
忍ちゃんに笑顔で手を振ると、忍ちゃんは顔を明るくさせ、私の隣をご機嫌な足取りで過ぎ去って行った。
忍ちゃんにちゃんと魔法が効いている事に安心し、覚悟を決めてから王室の扉をそっと開いてみると、何事も無いように机に向かう大和ちゃんが見え、心底安心してしまう。
「お、来たな」
「うん、お待たせ」
こちらに笑顔を向けてくれる大和ちゃんの顔に、微笑み返しながら王室の中へ入ると、大和ちゃんは椅子から立ち上がり、ゆっくりと腰を伸ばし始めた。
「ん〜っ、ふぅ」
大和ちゃんは腰を伸ばし終えると、ほっとため息を漏らし、優しい笑顔と赤い瞳をこっちに向けてきた。
「さて、ここに呼んだ理由だが、明日一緒に和の国へ行くぞ」
「・・・えっ?」
急にそんな事を言われ、しばらく頭の中が真っ白になってしまったけど、少しその事を考えてみると、理由は簡単に分かってしまった。
「えっと、悠人ちゃんの事?」
「あぁ。記憶を読み取れないんだろ。なら、事件が起こったあそこに行くのが妥当だろ?」
そんな効率的な事を言ってくる大和ちゃんに納得しながらも少し違和感を覚えていると、肉が焼けるような音が聞こえてきた。
その音の発生源は何処かと辺りを見回していると、その音は大和ちゃんの左腕から聞こえている事に気が付いた。
「大和ちゃん、どうしたの?」
「あっ、いや、なんでもねぇよ」
大和ちゃんの左腕を隠すような仕草に急いで大和ちゃんに近づいて、左腕の袖を掴んで上げてみると、そこには何かで引っ掻いたような傷跡が無数に付いていた。
「ちょ!大和ちゃんどうしたの!?」
その傷口を見て、慌ててその煙を出す傷を魔法で治そうとしたけど、大和ちゃんは私の手から強引に腕を引き剥がし、その傷を見られたくないように私に背を向けた。
「ムカついただけだから、気にすんな」
大和ちゃんはそう言うけど、大和ちゃんの傷口を見た私の頭はとても熱く、考えが頭の中で纏まってくれないけど、取り敢えずそんな頭を落ち着かせるためにゆっくりと深呼吸をする。
「ふーっ」
頭の熱を少し冷まし、大和ちゃんの左肩に触れて言葉をかけようとしたけど、大和ちゃんは肩を揺さぶって私の手を弾いた。
その行動に少し胸の奥に痛みを感じていると、大和ちゃんは重いため息を吐き、私に何か思いつめたような顔を向けてきた。
「すまん、少し・・・イラついてた」
「いや、うん、大丈夫だよ」
そんな大和ちゃんの頭にそっと手を伸ばし、優しく撫でてあげると、大和ちゃんは口元だけで笑い、私の腕をそっと頭から外した。
「んじゃ、明日は頼むぞ」
「・・・うん」
大和ちゃんは早く話を終わらせたいように話を区切り、いつもの椅子に座って暗い顔をしながら仕事をし始めた。
(大和ちゃん・・・)
そんな大和ちゃんを心配してしまうけど、誰でも1人になりたい時間があると思い、急いで部屋から出ようとする。
自分の手が扉を押そうとした瞬間、ある疑問が頭の中で生まれ、足が止まる。
「ねぇ、そう言えばゆいちゃん達の事は大丈夫なの?ゆいちゃん半獣人だから、清白ちゃんを普通に見つけたりとかしそうだけど」
「・・・多分、大丈夫だ。あいつの護衛は陽毬に任せてるからな。いざとなったら神器の力も使って良いって言ったから負ける事は無いだろ」
「・・・そう、なら安心だね」
その返答を聞いて、安心しながら扉を開き、部屋を出る前に大和ちゃんに笑顔を向けると、大和ちゃんも私に微笑み返してくれたおかげで少しだけ安心してしまう。
「それじゃあ、おやすみ」
「あぁ、おやすみ」
そう大和ちゃんに伝え、ゆっくりと扉を閉めた直後、扉の向こうから何か鈍い音が聞こえた。
そんか何かを投げた様な音を聞いて慌てて扉を開けようとするけど、昔の自分を思い出し、扉を開こうとする手が勝手に止まる。
あの時、私が一番荒れていた時期は、1人の時間が欲しかった。
だから扉からそっと手を離し、ため息を吐きながら歴史の間へ足を進める。
胸に積もる、自分の行動への疑心を感じながら。
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不快感が収まってくれない。
肩が重い。
息苦しい。
身体もだるい。
もう何もしたくない。
そんな感情が真白が部屋から出て行ってから、胸奥から止め処なく溢れ出てくる。
そんな不快感を紛らわすために、頭に爪を立て掻き毟っていると、鋭い痛みが頭に走った。
一瞬、何が起こったか分からなかったが、爪の先に薄く赤いものが付いているのを見て、頭を強く掻き毟り過ぎたのだと理解したが、それよりも重要な事に気が付いた。
その痛みを感じている間だけ、胸の奥の不快感が楽になっていた。
それが分かると爪先が自分の頰に伸び、その指先を勢いよく振り降ろすと、鋭い痛みが頭に走ったが、やはり不快感はマシになってくれる。
「ははっ!」
そんな乾いた笑い声が口から漏れると、一心不乱に頰を掻き毟る。
一瞬の痛みと、一瞬感じる救われたような気持ちをしばらくの間感じていると、ふと気が付いた。
自分の指先が赤く染まっている事に。
その事に気がつくと、頬にじくじくと熱い痛みが走っている事にも気が付いた。
「ははっ!・・・・・・いたい・.・なぁ」
ふと気が付くと、自分の眼から涙が溢れている事に気が付いた。
その涙を止めようとするが、痛みが頭に走るたびに涙が溢れ出る。
「痛い、よぉ」
胸奥の痛みと顔の痛みに涙を流しながら、椅子の上で膝を抱き寄せて、ただ泣くことしか出来なかった。




