第28章 邪魔
「ふーっ」
口から細い息を吐き出し、緊張のせいで高まった自分の心臓を落ち着かせてから赤い十字が付いた扉をゆっくりと開けると、ベットと呼ばれる布団のような物の上で、ゆいが窓の外を眺めていた。
けれどその小さな背中は真っ直ぐでは無く、精気が無いように背中は曲がっていた。
あれから大和さんに倒されたゆいはすぐに起きたけど、あれからゆいは食事を全然取らず、ここ数日の間寝ているところを見た事がない。
「ゆい」
そんなゆいに心配しながら声を掛けると、ゆいは元気が無さそうな顔を私に向け、口だけで笑ってみせた。
「お姉ちゃん・・・」
「・・・ゆい、ちょっとお話ししない?」
私の提案に、ゆいは頷いてくれた。
蒼空さんに貰った草履を脱ぎ、ゆいの隣に正座で座り、窓から見える明るい集落を見るふりをしながらこっそりとゆいの方を見るけど、ゆいとの目線が合っている事に気が付いた。
「何?」
「いや、えっと、ゆいが心配でね」
「・・・そう」
私の言葉に、ゆいは興味が無さそうに頷くと、ベットの上に置いてあった短剣を肩に背負い始めた。
「ちょっと出てくる」
多分、修行をしに行こうとするゆいを、咄嗟に肩を掴んで止めると、ゆいは苛立ったような顔を私に向けた。
「・・・何?」
「っ・・・」
ゆいが普段しないような顔に言葉が詰まってしまうけど、自分が何をするために此処に来たかを思い出し、覚悟を決める。
「ねぇゆい、もう・・・やめにしない?」
勇気を出してゆいにそう伝えたけど、ゆいは風色の眼を見開きながら私の胸ぐらを掴むと、苛立った顔を私に押し付けてきた。
「何を?」
「だ、だから、大和さんと戦うのはもうやめよう。それを続けても、ゆいが苦しいだけだから」
そんな言葉をゆいに投げ掛けるけど、ゆいは私の思いとは裏腹に、襟が首にめり込むほど胸ぐらに力を入れた。
「何が分かるの!?お姉ちゃんは何もしてくれなかったくせに!お姉ちゃんは何も変えてくれなかったくせに!!お姉ちゃんは逃げたくせに!!!」
その張り上げる悲痛な声は私の耳と心を叩き、悔しそうに、悲しそうに瞳から涙を零すゆいを見て、胸の奥がずきりと軋む。
「ゆ」
「お姉ちゃんなんか、大っ嫌い!!!!」
そんな大声が私の耳を叩くと、胸の奥のなにかが弾け、言葉は止まり、視界が潤んでしまう。
そんな私を見たのか、ゆいは顔から血の気を引かせ、扉から逃げるように出て行ってしまう。
「ゆい!!」
部屋から出て行くゆいの名を呼んだ時にはもう遅く、部屋の中に残ったのは、情けなく視界を潤ます自分と、ゆいを救えなかった自分に対しての嫌悪だけだった。
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「うぅっ、ぉっ・・・ぇぇ」
吐き気が収まってくれない。
涙も、気持ち悪さも同様に収まってくれない。
あの事をお姉ちゃんが気にしてる事は、誰よりも私は知っていた。
なのに、あんな事を言ってしまった。
それを思い出すたびに、気持ち悪さと吐き気は高まり、逃げた森の中に吐瀉物をぶちまけてしまう。
「はぁ、はぁ」
汚い自分の吐瀉物から眼を離し、お水を飲もうと森の奥に足を進めようすると、誰かの足音が聞こえた。
それは・・・雷牙のものだった。
「ゆいー!どこだー!」
その声を聞いて何故か茂みに隠れてしまい、喉の痛みを感じながら息を殺していると、雷牙のため息が聞こえ、それとは別に雷が弾ける音が聞こえた。
すると、雷牙は迷う事なく私の方に足を進める。
(なん・・・で?)
雷牙の行動に困惑しながらも見つからないようにと願ってしまうけど、そんな願いを嘲笑うように、私が隠れている茂みががさりと開かれた。
「お前・・・なんつぅ顔をしてんだよ」
茂みの間から顔を覗かず雷牙は右袖で私の口周りを優しく拭い始めた。
けれど今は、その優しさが癪に触る。
「やめて!!」
私の顔を触る雷牙の手を弾くと、雷牙は少し困ったような顔を浮かべた。
その顔を見て胸の奥がずきりと痛み、すぐさまその場から逃げようとすると、私より早く地面を踏み切る音がし、私の額が抑えられ、柔らかい感覚が後頭部に感じた。
その感覚を感じ、急いで首を上に向けると、雷牙のとても優しそうな笑みが見えた。
「この先に池があるんだ、そこで少し落ち着け」
その笑顔を見て何も言えず、ただ頷く事しか出来なかった。
(どうして?)
お姉ちゃんや美琴と少し似た雰囲気を出す雷牙に大人しく付いて行っていると、本当に綺麗な水の池の前に着いた。
「ここの水は綺麗だから飲んでも良いぞ良いぞ」
「・・・分かるから」
何故か水に詳しい雷牙を無視し、その冷たい池に顔を突っ込んで水を口の中に流し込む。
冷たい水を喉の気持ち悪さとともに胃の中は流し込み、水面から顔を引き上げると、湿った肌に冷たい夜風が当たり、とても心地が良い。
その気持ち良さのおかげで、胸の奥にある不快感はいくらかマシになってくれた。
長く細い息を吐き、右手で髪に付いた水を絞っていると、雷牙は私に白い手拭い差し出してくれた。
「・・・ありがとう」
「おう、どういたしまして」
手拭いを雷牙の指から引き抜き、顔を拭きながら耳の中に入った水を乾かしていると、雷牙は私の頭の上に左手を置いた。
「少しは・・・落ち着いたか?」
「・・・ん」
頭の上に乗った雷牙の手を払い、胸の中にある憂鬱な気持ちを紛らわせるために、森の中へ向かおうとすると、私の左肩を雷牙から掴まれた。
「・・・なに?」
修行に向かう私を邪魔するような雷牙の手を払い退け、雷牙の顔を睨むと、雷牙はよく分からない笑みを浮かべた。
「お前さ、復讐なんて馬鹿らしい事やめろよ」
その言葉に、頭の中で何かがパツンと切れ、憂鬱や後悔などを飲み込むような怒りが、腹の底から溢れ出てくる。
「何が分かる!!!」
笑みを濃くする雷牙に、怒りに身を任せた左の蹴りを顔面に撃ち込むが、その蹴りは両腕で防がれ、雷牙は私の軸足を滑らせるように蹴ってくる。
そのせいで上半身から地面に落ちてしまうけど、地面を上半身で全力で押し、その反動で雷牙の腹に横蹴りを打ち込むと、雷牙は地面に擦りながら木に激突した。
けれど足裏に伝わる感覚は、内臓を潰した感覚では無かった。
(ずらされた?)
そんな事を思いながら体を起こし、吹っ飛んだ雷牙の方を見ると、雷牙は苦しそうに咳き込みながら、ゆっくりと体を起こした。
「私はな、お前の事はよく知らねえよ。だからよ、私が勝ったら教えろ」
その言葉に、雷牙が決闘を望んでいると分かると、身体中に血が周り、身体中に気が巡る。
そんな私の変化に気が付いたのか、雷牙は身構えながら、私と間合いを詰めてくる。
私と雷牙は同じくらいの強さだけど、それは私が手を抜いている時の話だ。
両腕を腰より高い位置に構え、迫り来る右の拳を左手で逸らし、その腕を掴んで雷牙の顔面に殺す気で横蹴りを撃ち込むけど、雷牙は蹴りを間一髪で左の小手で苦しそうに防いだ。
「ク・・ソッ!」
雷牙は私から距離を離そうとするけど、それよりも強い力で雷牙の右手を引き、がら空きになった横腹に右足の蹴りを撃ち込む。
「ぐっ!?」
怯んだ雷牙の右腕を捻り伸ばし、その腕を左膝でへし折り、顔を顰める雷牙の顔面に右肘を撃ち込むと、雷牙は鼻血を吹き出しながら地面に尻餅をついた。
「勝てるとでも・・・思ったの?」
余りにも弱すぎる雷牙を見下し、尻もちを付いた雷牙にトドメを刺そうとすると、ある違和感に気が付いた。
雷牙は鼻血を出す顔を抑える事なく、引きつった笑みを浮かべている事に。
次の瞬間、雷牙の体が雲の隙間から時折見えるような紫色の雷を放ち、その光が目の奥に突き刺さった。
(目眩し!?)
風切り音が聞こえ、勘で胸の前で腕を組むと、その腕に鈍い衝撃が走り、後ろに飛ばされる。
蹴られたのだと瞬時に悟り、体をごろりと転がして前を向くと、左腕と両足に雷を強く纏った雷牙が見えた。
「私はな、勝つつもりだ!!」
雷牙はそう声を荒げると、折れた右腕を引きずりながら、私と間合いを詰めて来た。
必死に私に向かってくる雷牙に困惑しながらも体に風を纏い、短剣を背中から引き抜く。
迫り来る左の拳を短剣の柄で叩き落とし、がら空きになった顔面に右肘を撃ち込もうとすると、視界の端に何かが見えた。
直感的に身をかがめると、私の頭上を素早い蹴りが通過し、しゃがんだ私めがけ、雷牙は後ろ蹴りを打ち込んでくる。
それを首をしならせ躱し、伸びきった足を短剣で切り付けて短剣に血を吸わせると、体の奥で鼓動とは違う大きな脈動を感じた。
「いっ!?」
力が上がった体で地面を蹴り、雷牙の頭を右手で引き寄せながら雷牙のこめかみに左の膝を撃ち込むと、脳が揺れたのか、雷牙はぐらりと体を傾けた。
けれど次の瞬間、雷牙の体から雷が跳ねると、雷牙はふらつく体に踏ん張りを効かせ、鋭い左の突きを私に放った。
空中で避けれないせいで、その腕を掴んで空中で身を捻ろうとした瞬間、その拳が私の手に到達する前に、雷が爆ぜるように私の視界を埋め尽くし、轟音が辺りに響いた。
(うるっ!!?)
その轟音に眼と耳がやられ、慌てて距離を離そうとした瞬間、首を掴まれ、そのまま地面に押さえつけられた。
急いで起きようとしたが、雷牙から足を絡められ立てず、眼を開くと、そこには歪な笑みを浮かべる雷牙が見え、その笑顔に背筋がざわりと疼いた。
(こっの!!)
身の危険を感じ、雷牙の息の根を止めようと短剣を首に突き立てようとするが、その短剣を雷牙はわざとに折れた右腕に突き刺し、止められた。
「天、声」
そんな言葉が聞こえた瞬間、体に感じたことの無い痛みと衝撃が走り、体が小刻みに震え始める。
(なっ・・・に・・!!?)
雷牙から体を離そうとするが、短剣から手が離れてくれず、体が思うように動いてくれない。
そんな意味の分からない痛みと葛藤しながらも、掴んでいる短剣を腕から引き抜こうとしていると、雷が自分の後ろで跳ねる音がした瞬間、体が勝手に反り返り、意識がぷつりと途絶えた。
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「いっ・・・づ!!」
右腕に刺さった短剣をゆっくり引き抜き、重い体を冷たい地面に倒すと、夜空に浮かぶ綺麗な満月が見えた。
「とりあえず、勝ったな」
目を閉じ、ゆっくりと夜の冷たい空気と肉が焦げた匂いを肺の中へ取り入れていると、自分の折れた右腕と鼻から小枝を踏むような音が聞こえ始め、痛みと熱が引いていく。
(こういう時は、便利だよな)
ため息を吐きながらまだ痛む体を起こし、煙を出す鼻血を左腕の布で拭う。
ゆいの短剣で自分の袖の布を切り取り、それを池の水を含ませて、ゆいの火傷を負った顔を優しく拭いてやる。
(・・・ごめんな)
さっきはゆいを気絶させるために自分ごと感電させたが、私は腕につけている『稲魂』のお陰で傷は浅いけれども、ゆいの方は指先までも痛々しい火傷を負っていた。
(ほんとに・・・ごめんな)
ゆいにそう謝りながら、自分の背中に付いた砂を払って立ち上がり、ゆいを木陰に運ぼうとすると、ゆいは急に体を起こした。
「うぉっ!?」
そんなゆいに驚いてしまうが、ゆいは私を気にも留めずに、自分の火傷を負った両腕を眺め始めた。
「私・・・負けたの?」
「お、おう」
私の言葉にゆいはため息を吐くと、私にだるそうな顔を向けた。
「それで、何を知りたいの?」
そのゆいの顔を見て心臓がバクバクと脈動し始めるが、長い息を吐いて心臓を一旦落ち着かせ、ゆいの顔を真剣に見つめる。
「お前がどうしてあいつに復讐したいのか、知りたい」
私の言葉にゆいは暗い顔をすると、その場から立ち上がり、背中に着いた砂を払って木陰へ行ってしまう。
それに付いて行き、ゆいが座り込んだ隣に座って綺麗な月が映る池を二人で眺めていると、ゆいが長いため息を吐いた。
「九成の儀って・・・知ってる?」
「えっ、あ、あぁ。確か階位を戦って決めて、勝った方は何かを命令できる奴だっけ?」
2年以上前の朧げな記憶を頼りにゆいにそう答えると、ゆいはまた長いため息を吐き、足を自分の胸に抱き寄せた。
「うん、それで私は八尾の階位を持っていたの」
そのゆいの言葉は、普通ならありえない事だった。
確か獣人族の里での階位は一尾から九尾まであるが、八尾の階位となると、かなりの待遇を受ける事になる。
だからこそ、そこまで階位を上げようと必死になる奴らもいるのに、そいつらを押しのけてゆいは八尾の階級を持っていることになる。
けれど、その話はこの話題と関係あるのかと心配になってくる。
「えっと、それと復讐は関係あるのか?」
「・・・ある。私の目標は九尾の階位を得る事だったけど、それは出来なかったの」
「なんでだ?」
「半獣人だから」
何かを悔しがるように歯ぎしりをするゆいを見て、胸の奥がずきりと痛んでしまい、そんなゆいにどんな言葉を投げかければ良いか悩んでしまうが、ゆいはそんな私に気付いてないのか、淡々と話を進めていく。
「それで私は抗議するために、九尾の階位を持ってる奴らを全員九成の儀で半殺しにしたのに、私が里長になるのは認めず!私を化け物扱いして!!」
ゆいは嫌な事を思い出したように声を荒げ、自分の髪をぐしゃぐしゃに搔きむしり始める。
「ゆ、ゆい、ゆっくりで良いからな」
その小さな背中を撫で、少しでも落ち着けばと思っていると、その願いが通じたのか、ゆいは荒い息を落ち着け始めた。
「それ、で、私は家族に迷惑かけるから里の中から森に入って暮らしてたの。けど、その中で私を化け物扱いしない獣人の友達が出来た」
その獣人の友達と言う奴の話をし始めると、ゆいは微笑み始め、それに少し安心してしまう。
「あの人も化け物呼ばわりされた事があるらしくって、たくさん2人で苦しい事を分かち合った。楽しかった。救われた。なのに、なのに!」
ゆいは突然声を荒げると、風色の瞳から涙を零し、自分の髪を悔しそうに引っ張り始めた。
「あいつは!なんの躊躇いも無くあの人を殺した!!だから私はあいつをこの手で殺したいの!!!なのに!なんでみんな邪魔をするの!!!!」
そんな自分の本音をぶちまけたように息を荒くするゆいを見て、これから自分が言う言葉を躊躇ってしまうが、細く長い息を吐いて神経を研ぎ澄まし、覚悟を決める。
「なぁ、ゆい」
「・・・なに?」
「復讐なんてやめちまえ」
そんな私の言葉にゆいは眼を見開き、私が何を言ったのか分からなさそうな顔を震わせ始めた。
「話・・・聞いてた?」
「あぁ、ちゃんと聞いてたし同情もしたよ。だが、復讐なんてやめ」
私が言葉を言い切る寸前に顔面にゆいの拳が飛んできたが、神器を持っていないからか、反応し遅れたのにもかかわらずその拳を受け止める事が出来た。
「ふっ!」
その腕を引っ張り、短剣が落ちている方へゆいを投げると、ゆいは空中で身を捻り、足から綺麗に着地をすると、私の方をギラリと睨んだ。
「なんで、そんな事、言うの?」
「・・・私に勝ったら、教えてやるよ」
自分の本音を隠すようにそう言うと、ゆいは逆上したように四肢を地面につけ、右手の逆手で短剣を拾うと、ゆいの全身からおびただしいほどの風が吹き荒れる。
(紫電 清霜)
体を半身に構え、頭を使いながら雷を体の周りに纏わせ、その周りに微弱な雷を纏う。
「さぁ、こい」
ゆいが怒るようわざとに挑発をすると、ゆいは案の定私に突進してきた。
自分が出す雷に意識を集中させて目を閉じると、ゆいの姿形が目を閉じているにも関わらず明確に分かり、池の中に小魚が13匹居るのも感じとっていると、ゆいの右腕と左足の筋肉に微かな揺れが生じた。
それを察し、首に迫り来る短剣を左の小手で絡め、左足の蹴りを右手で受け止めて反撃に出ようとしたが、ゆいの右腕と腹筋と右膝に新たな揺らぎが生まれた事を察し、体を全力で反らすと、私の顔ギリギリをゆいの右膝が通過した。
(やべっ!?)
ゆいに対してこの体制は不味いと判断し、眼を開いてゆいの腕と足に電流を流し、ゆいの筋肉を麻痺させる。
「っ!?」
その電流を急に止めると、ゆいは私の腕を離してしまい、その隙に右の平をゆいの胸に当て、鋭い雷をゆいの体に流し込む。
「ああぁ!!!」
悲痛な悲鳴が聞こえたが、獣人がそんな簡単にやられ無い事を知っているため、気を失ったゆいの首を掴み、ゆいを地面に叩きつける。
「っう!!」
その衝撃でゆいは気が付いたのか、目を勢いよく開けたが、体はまだ目覚めきっていないのか、すぐには動かなかった。
その隙にゆいの短剣を左の小手で弾き飛ばし、両腕を抑えてゆいの足に私の足を絡み付けて動けなくする。
「っ!!!」
さっきと同じ体勢にゆいは怒ったのか、体を無理やり起こそうとしてくるが、神器を身につけている分、私の方が力は上なため、ゆいは起き上がれない。
けれどゆいは少しでも気を緩めると、無理やり抜け出しそうな力で暴れる。
それにしばらく耐え続け、ゆいを自分が出せる全力の力で押さえ付けていると、ゆいは四肢の力を抜き、目を閉じた。
「私の」
その言葉を聞き、安心して次の言葉を待とうとすると、ゆいの腹筋と首元に揺らぎを感じ、慌ててゆいの攻撃を防ごうとした瞬間、私の視界を金色の髪が塞いだ。
(あっ?)
その髪が冷たい風に揺られると、口周りを血で赤く染めるゆいが見え、ゆいを抑えつける気持ちなど何処かへ行ってしまい、慌ててゆいに声をかける。
「ゆ゛い゛!!?」
自分の喉から篭ったよう声を聞こえ、少し冷静になると、自分の体から赤く濃ゆい物が大量に流れている事が分かった。
(噛み、千切った・・・のか?)
そんな事を思っていると、体は勝手に前のめりに倒れ、ゆいの体の上に横たわってしまう。
自分の首が噛みちぎられたのだと遅れて理解すると、どうしようもない激しい痛みが体の中を暴れ回るが、体は驚くほど重たく、暴れ回る事すら出来ない。
(クッ、ソ)
そんな痛みを感じていると意識が遠のき始めたが、ある声が聞こえ、意識を無理やり引き止める。
その声とは、誰かが啜り泣くような声だった。
自分の体とは思えないほど冷たい体を無理やり動かし、ゆいを抱きしめると、意識はそこでプツリと途絶えた。
・・・・・・?
肌に冷たい感覚を感じた。
けれど体は起き上がらない。
誰かの泣く声が聞こえる。
それは誰だろうか?
よく・・・分からない。
「っ?」
目が開いた。
すると、深い夜空に綺麗な満月が浮かんでいるのが見えた。
「・・・起きた?」
そんな心配そうな声が聞こえ、その声の方に顔だけを向けると、そこには元気が無さそうな木に寄りかかるゆいが居た。
「あっ、あぁ」
とりあえず冷たい地面からゆっくりと体を起こすと、頭の上から濡れた布が落ちてきた。
湿る顔とその濡れた布を見て、自分がゆいに介抱されていたのだと理解してしまい、悔しさで拳に勝手に力が入ってしまう。
(クソッ)
「ねぇ」
ゆいの弱々しい声が聞こえ、自分の拳からゆいの方に眼を向けると、ゆいは暗い顔で私の顔を見ていた。
「なんで私の邪魔をするか・・・教えて」
その言葉に、自分に勝てば教えてやると挑発した事を思い出し、後悔をしてしまうが、約束は約束だと割り切り、髪と背中に付いた砂を払ってゆいが座っている隣へ移動し、さっきと同じように2人で静かな池を眺める。
「はぁ」
自分の胸の中にある憂鬱な思いを吐き出すようにため息を吐き、池の中にある月を眺めながら話を始める。
「とある・・・女の話をするぞ」
「・・・ん」
「・・・・その女は平凡な家に生まれ、普通に生きていた。朝起き、家の手伝いや畑仕事、昼になれば飯を食い、夜になればすぐに寝る。そんな平凡で平和な生活を繰り返していた。けれどある日の夜に眼が覚めると、視界には血と家族の死体しか写ってなかった」
その光景を思い出してしまい、吐き気が腹から込み上げるが、膝を強く抱え、その気持ち悪さに耐えながら話を続ける。
「家を襲ったのは・・・獣らしかった。その獣に殺されなかったのは、家族の中ではその女だけだったが、獣に受けた傷のせいで女は歩けなくなった。それから女は身内の家に預けられたが、傷を受けた体は誰にも認められず、女としての義務すらこなせなかった」
深く深呼吸をし、憂鬱を胸に溜めないようにしながら少し間を置いて話を続ける。
「そんな役立たずの女はある日、村の旱魃のせいで生贄に捧げられ、その女は死んだ。けれど、神が憑いたか悪霊が憑いたか、その女は蘇りました。蘇った女が最初に思った事は、村の住人達への復讐でした。雷が鳴る夜、蘇った女は自分が住んでいた家に忍び込み、台所に置いてある包丁でその家に居る人間を全員殺し回りました。1人1人、確実に殺すように首に刃を滑り込ませて。けれどその家にいる人間は全員殺しましたが、女の中に宿る怒りは収まらず、今度は別の家に行き、我が子が生贄に選ばれなくて良かったと喜んでいた家族らを殺しました」
眼の端に落ちていた小石を一つ拾い、憂鬱を払うように池に向かってそれを投げ入れると、静かな波紋がゆっくりと広がって行く。
「女はそれを繰り返し続け、ふと気がつくと、村で生きているものは1人も居なくなりました。けれど、復讐を達成した女の胸の中には怒りは無くなりましたが、その代わりに生まれたのは後悔でした。その後悔は今も体にまとわり続け、今もその女の胸の中を蝕んでいます」
自分の過去を一通り喋り終えると、胸の奥にある不快感はかなり楽になってくれ、少し安心してしまう。
「そして女は、その後悔を自分の大切な仲間に味わってほしくないため、復讐を遂げようとする仲間の邪魔をするのでした」
自分で思うほどの長い話を終え、ため息を吐いてから顔を上げると、いつの間にか、ゆいの顔が私の眼の前にあり、心臓が飛び跳ねてしまう。
「うおっ!!?」
ゆいから顔を離し、少し距離を置こうとするが、ゆいは私に顔を近付けてくる。
「な、何?」
ゆいの唐突な行動に困惑していると、ゆいは私の胸に顔を沈め、腹あたりの布を強く握りしめた。
「私ね、雷牙の事好きなの」
「・・・へっ!?」
急にそんな事を言われ心臓と血流が高まり、だんだんと体が汗ばんでくる感覚を感じていると、ゆいは急に私の胸の中でしゃくりを上げ始め、涙をこぼす顔を私に向けて来た。
「だから、雷牙の言葉を受け入れたい!でも、あいつを私は許せない!!もう・・・どうしたらいいの?」
そんな悲痛な声に思考が止まってしまい、どう答えれば良いのか分からず、ゆいの赤い顔をじっと見続けていると、自然とゆいの頭に右手が伸び、その小さな頭を自分の胸に押し当てる。
「すまんが、私にも分からん。でも、お前がどうしても復讐したいんだったら、私は止めるよ」
「私に・・・負けるくせに?」
「あぁ、それでお前の気が少しでも晴れるならな。いくらでも止めてやるよ」
私の言葉にゆいは私の服を強く握りしめ始め、自分の言葉が間違いだったのかと焦ってしまうが、しばらくすると握る力をだんだんと弱くなっていき、その代わりに小さな寝息が聞こえ始めた。
(そういやこいつ、何日も寝てなかったな)
ゆいが安心してくれたのだと分かり、静かにため息を吐いて小さな少女の背中を左手で摩ってやる。
「おやすみ」
寝ているゆいのそう声を掛け、とりあえず動こうとしたが、私が動いたらせっかく寝たゆいが起きるのではと思ってしまい、後ろにある木に背を預け、眼を閉じる。
(・・・暇だな)
そんな事を思いながら私の胸の上で静かに眠るゆいの体温を感じ続けていると、意識はゆっくりと暗い闇の中に包まれていった。