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第29章 事情



「あっ……ぐっ……っううう!!! 」


 布を裂く様な悲鳴と共に鈍い肉音が響くと、左眼だけの狭き視界に、新たな足が落ちてきた。


「らい……が…… 」


「大丈夫か? 次は腕行くが 」


「っ……がぁぁあ!!! 」


(うご……けっ!! )


 唸るような悲鳴と共に落ちてきた雷牙の左腕……

 精一杯息を吸い、熱い激情を糧に全力を絞り出すと、先程よりかは力が入る。

 けれどまだ動くためには時間が足りない。

 

「はぁ……はぁ……ぐぅぅ 」


「な……ぜ……雷牙……ばかり 」


「あっ? 」


 雷牙の四肢を無造作にもいでいく大和に怒りを向けるが、返された一言にも激情が満ちており、空気が震えた。


「ただ()()からだ。あぁ、安心しろ。こいつを殺した後はお前だ 」


 ただ近い……

 それだけの理由で雷牙をいたぶる大和に対し、炉の様な怒りが心に生まれた瞬間、体に力が戻り激情のままに大和の腹へと一閃を振るう。

 しかし太刀は空を裂いており、肝心の大和は間合いの外へと離脱していた。


「っ!! 」


 余裕が生まれた状況下の中、一瞬だけ雷牙に目を移すが、その姿は踏み潰された虫のように無惨なものだった。

 左腕は肘上からもがれ、無造作にもがれた足は赤い筋肉と折れた白い骨を顕にしている。


「すぅぅぅ 」


 息を吸い……息を吐く。

 激情を沈めながらも太刀先を大和に向け、ゆっくりと重心を下へと落とす。


(殺す!!!! )


 激情を糧に床を蹴りあげ、大和を間合いへ入れようとした瞬間、白い足が目の前に見えた。


(……えっ? )


 困惑したと同時に蹴りが撃ち込まれる。

 ふと気が付くと、いつの間にか背中は壁へと埋まっていた。


(…………? )


 何が起こったのか理解できずに目を開ける。

 するとそこには、何本もの白い歯が付いた下顎が落ちており、赤い滝しぶきが床を赤に染めていく。


 舌裏に当たる風はやけに冷たく、けれど舌裏には暖かい物が溢れている。


(あぁ……俺の下顎……か )


 妙に冷静な頭は静かに現状を受け入れてくれた。

 音が聞こえず、色が抜けた白い世界をボーッと見ていると、目の前には殺気を纏った足が現れた。


(あっ )


 腑抜けた声が心の中で漏れた瞬間、鈍い音が脳内に響いた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



(……? )


 現実離れした光景に理解が追い付かず、何度も瞬きをする。

 けれど景色は現実のように変わらない。


 地面を踏み砕いた跳躍痕……床に落ちた私の手足……石壁(せきへき)にめり込んだ白い足……そして肉塊と化した琴乃の体。

 地獄とも言える景色では、大和が激情に駆られたように琴乃の骸を踏み潰し続けている。


 壁はヒビを広げ、辺りには血が飛び散り、流体状の肉が地面へと広がってゆくが、大和の行動には一切の躊躇はない。

 白い髪を返り血で染める様子は、復讐相手を滅多刺しにしている風に見えてしまう。


 何度も……何度も……耳が響く音に慣れる頃には、琴乃の骸は原型を無くしており、大和の足元には赤い泥が広がっていた。


「ふーっ……ふーっ…… 」


 返り血が滴る髪を大和は強引に掻きむしると、怒りを抑えきれない様子で息を荒らげ、血よりも赤い眼をこちらに向けた。


(次は……私か )


 目を閉じてでも思い出せる死の気配。

 それを感じた体は何処か冷静で、気怠い体は生きる事を放棄している。


(まぁ……これだけ血を流してればな )


 冷めきった血に浸りながら、1人乾いた笑いを漏らし、失血でボヤける視界を閉じた。

 瞬間、沈む意識をすくい上げるように、激しい音が響いた。

 

「ふむ、大音声(だいおんじゃう)が響いたと思うたら……これはどういう状況じゃ? 大和 」


 突然現れた声が聞こえると、何故か視界のモヤは晴れる。

 重い体に力を込め、声が聞こえた背後に顔を向けようとしたが、声の主は血溜まりを踏みながら私の隣を通り過ぎた。


 血の足跡を床に刻むのは、白い耳を頭に生やした獣人であり、その足は大和に近付いて行く。


「黙れ…… 」


「ははっ、童がいくら吠えた所で怖かないわ。ほれ、儂がこやつらの話を聞いてやるけ、さっさと失せろ 」


 空気を震わす重々しい声に、突如現れた獣人は子供をあしらう様な言葉を浴びせるが、それは大和の機嫌を損ねたらしく、白き足は床を踏み砕いた。


「うるせぇ。また……殺すぞ!! 」


「ふむ、確かに儂はお主より弱いが…… 」


 獣人はドスの効いた声を軽く流し、大和の傍で足を止める。

 すると辺りに無音の殺気が響き渡った。


「この距離なら、儂のが先に殺せるぞ? 」

 

 気が狂ってしまいそうな静寂。

 呼吸は浅くなり、鼓動は高まり、足があるなら今すぐ逃げ出したい。

 けれど足がない体は動かせず、圧縮された殺気の中で必死に呼吸をすることしかできない。


「ふーっ、ふーっ、ふーっ 」


 自分の荒い鼻息だけが聞こえる中、不意に空気が震えた。

 瞬間、二重の跳躍音が響いた。

 

「……? 」


 殺気を放つ2人をずっと見ていたのに、いつの間にか獣人の左腕は血にまみれており、大和は死んだ様に頭から地面へと倒れてしまった。


(何が……起こった? )


「ふぃぃ、なんとかなったわい 」


 混乱している頭に、長いため息が聞こえた。

 獣人は血の着いた腕を赤い袴で(ぬぐ)いとると、血の泥を広げる骸の足を掴み、それをこちらに引きずって来る。

 その時に見えた獣人の頬には、先程までは無かった真新しい傷が出来ており、傷口は焼かれた様に痛々しい。


「あの……頬の傷、大丈夫ですか? 」


「他人より自分の心配をせぇ。お主は手足をもがれておるんぞ? 」


「あぁ、もう痛ぐっ!! ないので……大丈夫……です 」


 この体のお陰で傷はもう塞がっているが、繋がっていない手足が動いている感覚と痛みが再発し、脂汗が額から滲み出ているを感じる。


「それ……より、琴乃は? 」


「安心せい。見た目こそ酷いがちゃんと治るわい 」


「ははっ、よかっ……っぐ!! 」


「はぁ 」


 無いはずの左腕の薬指が折れ、その痛みが頭に突き刺さる。

 さっきまでは気持ち悪い程度で済んでいたが、今となっては指全てが折れている様な感覚が止まらない。


「ほれ、上を向かんかい 」


「うぁ? 」


 痛みで頭が回らず、耳に入った言葉通りに体を動かすと、口の中に何かと指を突っ込まれ、鼻を塞がれた。

 気道が塞がれた喉は、反射的にその何かを飲んでしまい、喉の奥からは奇妙な不味さが込み上げてくる。


「ゲホッ! なに……を? 」


「薬じゃよ。幾分かマシになる 」

 

 獣人は涎で湿った指を袴で拭くと、その右手から首を掴まれ、片腕だけで軽々と抱きかかえられてしまう。

 無い手足では暴れることも抵抗することもできず、大人しく体から力を抜いていると、獣人は見覚えのない廊下へと足を進め始めた。


「あの……どこに? 」


「静かで安心できる場所に行くだけじゃ。別にバラして埋める訳でもないけ、安心していいわい 」


(いや……安心できないんだけど )


 バラして埋めるという、えらく具体的な言葉に不安を覚えてしまうが、今暴れてもたかが知れてる。

 有る右腕に力を込め、胸を締め付ける不安に耐え忍んでいると、不意に……獣人はある部屋の前で足を止めた。


 部屋に備え付けられている扉には、赤い十文字が刻まれており、獣人はさっさと扉を開けてしまった。

 部屋の中には、巨大な布団の様な物が3つほど置かれていて、獣人はそのひとつに血塗れの琴乃をそっと寝せると、今度は私を抱え直し、背もたれがついた椅子に座らせられた。


「支えはいるか? 」


「あっ……大丈夫です 」


 善意に満ちた言葉に、すぐに返事を返して少し落ち着くが、自分の紬に染み込んだ血を見てしまうと、落ち着きは徐々に混乱へと変わっていく。


(そもそも……なんでこうなったんだっけ? )


 怒りのままに国を攻め、感情のままに不死を殴り、その報いを受けるように手足をもがれ、今は落ち着いて椅子に座っている。

 そんな目まぐるしく変わる現状に、頭がフラフラしてしてきた。


(私、何してんだろ…… )


「はぁぁ 」


「んっ? 手足が痛むか? 」


「あっ……いえ、そんなじゃないです。もう再生が始まってるので、痛みはないですし 」


「ほうかほうか 」


 腕の肉は盛り上がり、足の肉はもう膝元までは再生している。

 普段なら関節の再生は痛いが、飲まされた薬のせいか、不思議と痛みはない。


 服に染みた血液は白い煙と共に消えていく。

 そんな光景を遠目で眺めていると、獣人は私の前にある椅子へと座り、柔らかい灰色の眼をこちらに向けてきた。


「もう痛みは薄いじゃろ? 」


「……はい 」


「なら説明して貰うぞ。お主らは何者か? 何故大和からあんな仕打ちを受けたかを 」


「っ…… 」


 そう聞かれた瞬間、喉は勝手に閉じ、体は言葉を出す事を拒んでしまう。

 けれど沈黙を許さない重いため息が響き、敏感な唇は空気の悪さを感じ取った。


「言わずとも良いが、立場を考え直すんじゃぞ? お主らは敵か味方かも分からぬ外の不死。今話さねば、無理にでも喋らせる事になる 」


「………… 」


 無理にでも……

 その意味が拷問であるとすぐに分かったが、喉は開かない。


 話したくない……思い出したくない……

 わがままで暗い感情が胸の奥で淀みとなる中、不意に……拷問の対象に琴乃が入っていると朧気に理解してしまう。


(それだけは……ダメだ )


 そう考えた途端、すぐに覚悟を決まった。


 息を吸い、喉を開く。

 息を吐き、気を沈める。

 胸の奥にある不快さに少し慣れるのを待ち、右手を握りしめてから、震える口を開く。


「私らは……「和の国」に隠れていた不死です 」


「それは身なりを見れば分かるが、何処に隠れておったんじゃ? 」


「和の国と戦の国の辺境にある、(あやかし)が住む村です 」


「……ふむ、それならば人の眼を避けれたのは理解できる。じゃが、なにゆえお主らは妖の中に取り入れた? 人と妖の関係は最悪。元々が人であるお主らと相性が良いとは思えぬが 」


「それは違う!! ……違います 」


 こんな状況にも関わらず、否定したい気持ちのままに声を荒らげてしまった。

 慌てて言葉を改めるが、私を見つめる獣人の眼は不機嫌そのものであり、次は無いと言いたげな雰囲気を醸し出している。

 

「和の人間共は、「妖狩り」とやらを伝統にしておる。元々が人であるお主らも、赤子の頃からそう教えられておるんじゃろ? 」


「……確かに! 人であった時も不死になった後も、『妖は人の敵であり、滅ぼさねばならぬ』と信じていました。でも……」


 感情のままに動いていた口が止まる。

 思い出してしまった()()記憶が軋む頭痛となり、今にも膝を抱えて縮こまりたい衝動が胸を掻きむしる。


「でもなんじゃ? はよう答えんかい 」


 けれど獣人の圧は弱まること無く、押し潰される様な恐怖は喉を絞り、縮こまる口から言葉が溢れ出す。

 

「私達は……生贄として殺されました。だから……人を殺しても何も思えないほど、私は人が嫌いです 」


 絞り出した言葉と共に涙が溢れ、喉の奥からは炎の様な熱さが込み上げてくる。


「ふむ、じゃから人嫌いな妖共と気があったと言うことか? 」


 私の涙を気にしないように、獣人は淡々と話を進めるが、涙を流して心に余裕が出来たのか、今度は簡単に言葉を返せた。


「いえ……元々妖は人を嫌っていませんでした。むしろ……好いていたとも言えます。だからか、人であった私達を見ても……優しく迎え入れてくれました 」


 今でも感じる温もりは胸を温め、涙は火傷しそうな程の熱を帯びる。

 けれど一向に変わらない冷たい眼は私を見つめ、安堵する間を許さない。

 

「……だいたいの流れは理解できたが、解せんことがある。そこまで思い入れの土地を飛び出し、何故この国へと攻めてきた? 」


 突如飛んできた核心を突く質問。

 そのせいで鼓動は跳ね上がり、苦しみが胸を締め付ける。

 だがもう、覚悟は決めた。

 これ以上苦しみを背負うのは私だけでいい。


「……私達の故郷は、もうありません 」


「何故? 」


「正確には分かりません。でも師匠……天狗の友人が事切れる前に教えてくれました。『霧の不死がやった』……と 」


 覚悟は決めた筈なのに、口に出した言葉は胸に突き刺さり、嗚咽が漏れるほどの悲しみが涙を促す。

 右爪で手のひらの皮をえぐり、その痛みで悲しみを紛らわそうとするが、血が出ても……皮を何度も剥いでも悲しみは収まらない。

 でも、喋らなければ……


「だからっ! わたしっ……たちは 」


「もう()い、お主らの目的は伝わった 」


 先程までとは全く違う、優しい声色。

 顔を上げると、そこには憐れむ様な表情を見せる紬が頬杖を付いていた。


「して、最後の質問じゃ。お主らはなして大和に殺されかけていた? 」


「ヒッ……すみません、しゃっくりが 」


()()い。それで理由は? 」


「多分……なんですけど、桜と呼ばれる女性と戦ったから……ですかね? 」


 嗚咽の余韻で、しゃっくりが出てしまったが、紬は私を安心させるような優しい声を掛けてくれる。

 お陰で慌てること無く、静かに言葉を返せた。


「ふむ、もしや頭ら辺に傷を負わせたか? 」


「えっ、はい。顔面に…… 」


「そりゃ大和も取り乱すわ。まぁその傷は、曖昧な理由で他者を傷付けた戒めと思っておれ 」


「……はい 」


 確かにこの欠損は戒めに相応しい。

 負けはしたが、仲間を庇う女性を2人がかりで襲い、殺そうとしたのだから。


「じゃがまぁ、辛いのによう頑張ったな 」


「……えっ? 」


「んじゃまっ、今度はこっちが話す番じゃ 」


 突如として飛んできた子供をあやす様な言葉は、あの人にそっくりだった。

 けれど紬は首の骨を生々しく鳴らすと、一気に話を進め始め、動揺した心を建て直して切り替える。


「結論から言おう。この国には『霧を使う不死』は居る 」


「ならそいつに会わせろ!!! あっ……いや、合わせてください 」


 激情のあまり、血が垂れる右腕で紬に掴みかかろうとしたが、静かな殺意を当てられ、怒られた子供のように縮こまってしまう。


「続きを話しても()いか? 」


「……はい 」


「そいで霧を使う不死は居る。が、そやつは(あやかし)など殺しはせん 」


「……確証は? 」


「ある。じゃが話した所でお主らは納得せんじゃろ。やけ今から連れてくる 」


「はい? 」


 仇かもしれない霧の不死。

 そいつを急に連れてくると言われ、怒号ではなく腑抜けた声を出してしまった。


「そんじゃまっ、心の準備でもしておくんじゃな 」


「いやちょ」


 私の困惑を置き去りにし、紬はさっさと部屋から出ていってしまう。

 部屋に残ったのは、顔の再生を終えた琴乃と私だけ。


 ただ待つだけでは落ち着かず、再生しきった素足で椅子から立ってみると、意外にも感覚のズレが酷い。

 立っている筈なのに立っている感じがせず、気を抜けば今にも倒れそうだ。


(連れてくる……か )


 再生し終えた左手を握り締め、静かに覚悟を決めようとする。

 けれど胸には、得体の知れない気持ち悪さが付き纏い始めてしまう。

 頭にはモヤがかかり、思考がまとまらない。


 紬は私たちを守った。

 桜は仲間を守ろうとした。

 大和は仲間を傷付けられ、殺意をあらわにした。

 だが私たちは……確証のない殺意で他者を傷付け、あまつさえ、傷付けられたことで被害者ヅラしようともした。

 そんなの……人間みたいだ。


「っ…… 」


 頭が痛い。

 もう嫌になりそうだ。

 自分を……殺してしまいたい。


 渦巻く感情が収まらず、数日何も食べていない胃から酸っぱい空気が込み上げてくる。

 拳を握り、苦しみに耐えようとするが、憂鬱に耐えきれなくなった体は拳を壁に打ち付けた。


(……何してんだろうな、私は )


「あのー。大丈夫ですか? 」


「っ!? 」


 突如として後ろから聞こえた声。

 敵意を持って振り返るが、そこに居た不死の姿を見ると、自然と敵意が消えてしまう。


 扉の影から鏡のような瞳を覗かせるは、私の胸辺りまでしか背が無い子供の不死で、心配そうな表情で私を見ている。


「……あぁ、大丈夫。それより君は? 」


「私は時雨と申します。ここでメイド……使用人をしている者です 」


 屈んで視線を合わせ、子供が話しやすいように笑顔を浮かべると、時雨と呼ばれる女の子はスラスラと自己紹介してくれた。

 使用人……確かに()()もある城じゃ、それくらい雇わないとやっていけないだろう。

 だが子供に雑用を任せるのは些か納得は出来ない。


(…………今私は何を考えた? )


 不意に喪失感に襲われ、頭を抑える。


 この城が八階だなんて知らない。

 そもそも、ここが城だなんて誰からも聞いていない。

 なのに何故……私は知っている?


「っ? 」


 記憶が混濁している中、不意に涙が零れた。

 陽だまりに居るような、誰かに抱き締められているような安心感が止まらない。


 私は……今まで何を考えていた?

 何をしにここに来た?

 なぜ怪我をしていた?

 というより……なんでこんなに安心している?


「っ!? 」


 今度は頭に痛みが走った。

 岩壁に頭を打ち付けているような痛みが。

 そのお陰で記憶の混濁は部分的に落ち着き、すぐさまさっきまでの出来事を思い返す。


(紬から救われた……霧の不死を探しに……連れてくる。いつから私は……あと何か…… )


「あの、大丈夫ですか? 」


「あっ、あぁ。大じょう……っ!? 」

 

 私の異変に気が付いたのか、時雨は子供らしい小さな手を頭に伸ばしてくる。

 優しい心遣いに微笑みが漏れ、その手から撫でられようとした瞬間、身体中に鳥肌が立ち、体は反射的に手を弾いて後ろに下がってしまう。


(こいつが……来てから )


 安心しきっていた心臓はいつからか破裂するほどに脈打ち始め、漏れる吐息は怯えるように震える。

 何をされたのかは分からない。

 でも……でも、死よりも恐ろしい何かを感じた。

 

「おや、どうかしましたか? 」


 うっすら笑う時雨には、先程の子供らしい無邪気さは無く、ただ……静かな恐怖を感じる。

 ゆっくりと近付いてくる小さな足音に怯え、手足を絡めて体を守った瞬間、足音が止まった。


(……? )


 閉じてしまった目を開くと、そこには宙に浮く時雨と、それを片手で持ち上げる紬の姿があった。


「何しとるんじゃ、客人に向かって 」


「お、下ろしてください! 今ファスナーがミチって言いましたよ!? 」


 先程の不気味さが嘘のように、持ち上げられた時雨は子供のように暴れている。

 ため息を吐いた紬は時雨を地面に下ろすと、床に縮こまる私に手を差し伸べてくれた。


「大丈夫か? 意識や記憶に違和感はないか? あと時雨に好意を抱いたりしておらぬか? 」


「あっ……はい。大丈夫です 」


 凄まじい勢いで色々と言われ、少し頭が混乱してしまう。

 けれど言葉を絞り出すと、紬は安心したように私を引っ張りあげてくれた。


「時雨、お主は離れておれ。こやつらは」


「っ!? 」


 紬が喋っている最中、突如として息を吹き返した琴乃は文字通り通り飛び起きた。

 琴乃はすぐさま右手に風の太刀を生み出すと、その刃先を何故か時雨に向けた。


「琴乃!? 」


 子供へ武器を向ける琴乃に声を荒らげるが、琴乃は混乱しているのか、私の声が届いてない。

 すぐさま琴乃から武器を取り上げようした瞬間、時雨はまたも微笑み、自ら太刀へと足を進め始めた。


 その不気味な行動を理解できず、足が止まる。

 琴乃は未知の恐怖から身を守るために、太刀を振りかぶる。

 だが紬だけは全力で床を蹴り、琴乃の首……それと見えない何かを掴んだ。


「忍……止まってくれ。止まらぬならお前を殺す事になる 」


「コロス? コロス……殺す 」


(なん!? )


 突如として現れた長身の女。

 彼女はうわ言のように『殺す』と呟いており、時雨を庇うように右手で握り締めた刃を琴乃に向けていた。


「忍さん、今日は曇り空ですね 」


「曇り? 曇り……お昼寝? お昼寝! 」


「はい、私の部屋に行きましょう 」


 突然でてきた場違いな言葉に困惑してしまうが、何故か忍には伝わったらしく、言葉を覚えたばかりの子供のように大喜びし始めた。


「おやすみ! 紬!! 」


「……うむ、よい夢を見るんじゃぞ 」


「行こ! 行こ! 」


「はい。それでは皆さん、失礼しました 」


 冷たい眼の紬は掴んでいる手を離すと、忍と時雨はさっさと部屋から出ていってしまった。


(何がどうなって…… )


 豪雨のように突然で、そよ風のように去っていった忍に困惑してしまう。

 だが目の端に見える琴乃の顔が赤くなっている事に気が付き、慌てて紬に声をかける。


「ちょっ、紬! 琴乃が死ぬ! 」


「あっ、すまんのう 」


「ゲホッ! ヒュー……ゲホッゴホッ!! 」


「大丈夫か? 」


 窒息寸前で悶え苦しむ琴乃。

 その体を支え、少しでも呼吸が楽になるように背を摩っていると、琴乃は私の手を握り込み、紬を睨み付けた。


「ケホッ、お前は……誰だ? 」


「わしは紬、この国に住んでおる半獣人じゃ。んでまぁ、お主の仲間から話を聞いたけ、大方事情は分かっておる 」


「霧をゲホッ!ゲホッ! 使う不死は……どこに居る? 」


 琴乃は隻眼を鋭くさせ、重々しい声で威嚇するが、紬は威嚇など気にも止めずに乾いたため息を吐くと、気配がある扉へと顔を向けた。


「ほいじゃ、入っておくれ。待たせて悪かったの 」


「いえいえ。このくらい苦ではありませんよ 」


 紬の合図で部屋へと入ってきたのは、私と同じくらいの背をした、緑髪の女性だった。

 けれど女性は私には無い妖艶な雰囲気を漂わせ、口に薄く塗られた紅付けは、更なる色気を引き出しているようだ。


「初めましてお二人方、私は『(しずく)』。霧を使う不死です 」


「っ! お前が!! 」


「待て琴乃! 」


 琴乃が飛びかかる前に体を掴む。


 仮にこの不死が私達の探している者だとしても、今戦いになれば『神器』を置いてきた私達では勝ち目はない。

 しかもあの大和を殺した紬も居る。


(今は……大人しくするしかない )


 困惑する琴乃を力強く抑え、目だけを紬達に向けると、私の目線に気が付いた2人は話を進めてくれた。


「お二人方の事情はある程度お聞きしております。ですが、私はあなた方の仇敵(きゅうてき)ではありません 」


「……証拠は? 」


「私は紬の妻ですので。妖を嫌う……というより、妖を憎む筋合いはございません 」


「しかもこやつは国の外に出ておらん。わしが証人じゃ 」


「……それがなんの証拠になる? 」


 正直、私はこの短い話で紬達が仇ではないと確信した。

 言い分で確信した訳では無く、対話で寄り添い、私達を納得させようとしてくれる姿勢を信じてしまったから。

 けれど納得がいかないような声を漏らしたのは琴乃だった。


「妻であるからなんだ、他人なら殺そうと思えば殺せるじゃないか。そもそも身内であるのならいくらでも嘘を付けるだろう? 」


 煮えたぎる怒りを隠しきれない言葉は、ある意味では正しいと思える。

 だが仮に紬達が嘘を付いているとして、ここから逃げる事などはできない。

 はっきり言って琴乃の発言は、自ら炎へと近付くような無謀過ぎるものだ。


「っ!? 」


 嫌な予感が的中したのか、突如として雫の周りには霧が立ち込める。

 すぐさま琴乃を庇おうとするが、それよりも強い力で腕を引かれ、無理やり頭を守られた。

 しかしなんの前触れもなく息が詰まり、溺れるような苦痛が胸を覆う。


「ゴボッ!? 」


 苦痛に耐えきれず咳き込むと、透明な水が口から溢れた。

 水を飲んだ訳でも川が付近に無いにも関わらず、突如として体内から溢れた水に混乱してしまう。

 それは琴乃も同様らしく、咳き込む音と共に私に生暖かい水しぶきがかかる。


「私の妖術は『底霧(そこぎり)』というものでして、この霧に触れた者を溺れさせるものでございます。あなた方が見た亡骸には、溺れ死んだ人は居ませんでしたか? 」


 激しく咳き込み、肺に入った水を必死に出している最中、そんな話し声が聞こえてきた。

 一通り水を出し終え、すぐにでも返答するために痛む肺へと空気を通す。


「ゲホっ! いや、居なかった。みんな……全身を切り刻まれたみたいで……あと、深い刺傷があった 」


「ならば私が仇敵でないと分かって頂けましたね? 」


「……いや」


「あぁそれと、人を疑うのは体外に。やってもいない事を押し付けられるのも、他人の関係に口を出されるのも、そろそろイラついて来ましたので 」


 静かだが確かな怒りを口にされると、流石の琴乃も何も言えなくなったようだ。


 そのせいか、しばらく静寂が響く。

 だがそんな沈黙を破るように、ずっと黙っていた紬がため息を漏らした。


「誤解は解けたか? 」


「あっ……はい 」


「そりゃ良かったわい。これ以上疑うのであれば、わしも怒鳴ってた所じゃぞ 」


 紬の言葉は当然の事だ。

 紬たちは妖と人でありながらも家族として縁を結んでいる。

 そこにどんな苦悩や考えがあったかは分からないが、その縁を罪人を匿う理由にされれば誰でも怒鳴ることだろう。


「さて、お主らはこれからどうするつもりじゃ? 」


 妖と長く関わったのに、彼女らの関係を疑ってしまった事を悔いている中、紬の言葉が聞こえた。


 どうするか。

 そう考えた途端、様々な答えが脳を埋め尽くす。

 霧を使う不死の捜索、神器の回収、これから身を隠す場所。

 けれど……けれども、まずやらなくてならない事がある。


「あの……おこがましい事は承知ですが、北に居る不死ともう一度合わせては貰えませんか? 」


「北? 」


「はい、刀を持った黒が似合う不死です 」


「あぁ桜の事か。じゃが何故じゃ? もう一度戦いにでも行くんか? 」


「いえ。ただ……謝罪がしたいだけです 」


 無論、謝罪で済めばなんて思っていない。

 だが……謝罪やけじめすらも付けず、自分達が付けた傷を無視して生きるなんて嫌だ。

 そんなの……人間みたいだ。


「俺からもお願いします。冷静で無かったとはいえ、許されるべき事をしましたから…… 」


 私と同じ想いなのか、琴乃は真っ直ぐな声を紬にぶつける。

 すると少しの静寂が続いたが、紬は優しい吐息を漏らし、私達に大人びた笑みを向けてくれた。


「分かった、使用人たちに話は通しておく。じゃから今は……疲れを少しでも癒しておれ 」


 優しい言葉と共に紬達は部屋から出ようとするが、その足を止めるように琴乃は立ち上がった。


「あの、雫さん 」


「はい? なんでしょうか? 」


「すみません……でした。あなた達の関係に……妖と人との付き合いに、口を出してしまって 」


「……謝れば済むとお思いで? 」


 琴乃は辛い今でも関わらず、頭を下げて謝罪した。

 だが雫は水底のように暗い瞳を鋭くさせ、殺意すら感じる威圧的な言葉を返した。


「いえ、全く思っていません 」


 だが琴乃はすぐに風色の瞳を前に向けると、ゆっくりと……雫の傍へと歩みを進める。


「なんでもします。貴方の気が済む事ならなんでも 」


「……死ねと言われても? 」


「はい 」


 誰もが迷うであろう質問に、琴乃は即答する。

 すると雫の周りには霧が生まれ始めるが、琴乃は一切の動揺も見せずに暗い瞳を見つめ返している。


 長い長い沈黙。

 死が間近にあるような恐ろしい時間。

 けれど雫はため息を漏らすと、辺りから霧を消し、さっさと部屋の外へと行ってしまった。


「紬、帰りましょう。妖術を使って疲れてしまいました 」


「分かった、分かった。んじゃお主ら、あまりうろちょろせんようにな 」


 紬は私達に軽く手を振ると、雫を追いかけ部屋から出て行った。


 2人きりになり、部屋は一気に静かになる。

 お互い何も言えない気まずい空気が続く中、琴乃は部屋の扉を閉め、私の隣に腰をかけた。

 すると両手で顔を力強く抑え、視界を塞いだ状態で静かな声を出した。


「なぁ雷牙 」


「……なに? 」


「俺たちは……間違いを犯したな 」


「……うん 」


「沢山傷付けて、沢山他人を苦しめたな 」


「……うん 」


「でも、この怒りは間違いじゃない。そうだろ? 」


「うん 」


 次第に力強くなる言葉に頷いていると、琴乃は顔を上げ、赤くなった目元から涙を流し始めた。


「絶対に……霧の不死を殺そう 」


 その言葉には頷きたくなかった。

 でも、ここで琴乃の心を迷わせたくない。

 そんな気持ちが首を縦に動かし、心に躊躇いを抱えたまま琴乃の背をさする。

 

「絶対に……絶対にだ 」


 涙を拭い、鼻水をすすった琴乃は左手を力強く握り込み、左手で私の背をさすってくれた。


 互いを慰めるような……互いを励ますような……優しい行為。

 けれど私達の心は、何かすれ違っているようにも思えてしまう。


 だが今は何も言わず、静寂とお互いの温もりで心の傷を癒し続ける。

 このすれ違いは時間が解決してくれる。

 そう信じながら……

 



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― 新着の感想 ―
[良い点] 紬様が白髭はやした仙人の言動なのにビジュアルはケモミミ美少女で実は弱さを抱えてるなんて めちゃ尊いです!! 推し確定です。 [気になる点] みんな狂っていて怖い。。 それぞれの過去を知りた…
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