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第27章 狂気の片鱗



「じゃ、みんなで待っててね。もうすぐご飯が炊けるから 」


 漆塗りの黒髪を揺らしながら、桜さんは大人がする様な優しい笑みを、畳に居座る僕達に向けてくれる。

 

「あっ…はい 」


 そんな笑みのせいで頬が変に緩んでしまうが、桜さんが襖の向こうに行った後、少し冷静になってみる。


 僕達は来客だ。

 桜さんの態度を見るに、多分…突然現れた来客。

 けれど僕達は邪険に扱われる事無く、お茶を出された綺麗な部屋に案内され、何故かご飯を作って貰っている。


(………? )


 どうしてこんな状況になったのか分からず、視線を上の方にやり、少し前の事を思い返してみる。


 桜さんの素顔を見た直後、僕の意志とは関係なく、口からはヨダレが垂れてしまった。

 それを見た桜さんは、僕がお腹が空いてると勘違いしたのか、強気に家の中へと案内された。

 ……うーん、これってどう思い返しても僕のせいだよね。


(意地汚いと思われたくないなぁ… )


 雑魚とか家族なんかじゃないとか言われても別に気にしないけど、()()()()…そう思われているのなら、とりあえず僕は自分の頭に岩を投げ付けると思う。

 ………?


「悠人? 」


「んっ!? 姉ちゃんどうかした? 」


「いや、どうして泣いてるの? 」


「…えっ? 」


 隣に居る姉ちゃんの言葉が聞こえ、初めて気が付いた。

 自分の目の周りが湿っている事に…


 気が付けば視界は潤んでいるし、涙が流れたであろう頬には、水が乾く涼しさをほのかに感じる。


「悠人…何か無理してない? 」


「いや、何も無理してないよ。でもちょっと…なんと言うか、少し感情が纏まらないだけだから 」


 涙を拭いながら笑顔を形作るが、姉ちゃんは不安そうな顔をしたまま、左胸に手を当てている。

 どうして姉ちゃんが辛そうな顔をしてるのか全く分からないけど、家族のそんな顔を見ていると、僕も辛くなってくる。


「お待たせー 」


「あっ、おかえ… 」


 自分の足を見つめるように俯く中、不意に優しい声色が響くと、開いた襖から桜さんがやって来た。

 が、その両手に持っているものを見た瞬間、言葉が喉に突っかかってしまった。


 右肘には黒く大きな釜をぶら下げ、その先にある手には器を乗せたお盆を持っている。

 けれどそれだけでは終わらず、器の上に更なるお盆を乗せ、その上には見た事のない料理が盛り付けられたお皿が並んでいる。


 左手も右手に負けることなく、3枚の大きなお皿を左腕と胸だけで抑えており、木で編み込まれたバケットを左手にぶら下げている。


「ごめんねみんな、ちょっと温め直してたの 」

 

「いやあの…手伝いましょうか? 」


 膨大な食器を運ぶ桜さんを手伝おうと、咄嗟に立ち上がろうとしたが、突然…顔だけが僕の方へ向き、心臓が止まるほどの笑顔で圧をかけられた。


「座ってて… 」


「……はい 」


 殺される寸前で見る様な笑顔に慌てて言葉を返し、背中に冷や汗を滲ませながら畳へと目を移す。

 けれど心臓は痛々しいほど脈を打ち、変な呼吸が止まらない。


 さっきの桜さんの顔はもてなすというより、手足をへし折った人の口元に、食事を運んでいるような雰囲気を感じてしまう。

 上手く言えない…けれど、逆らったら不味いとだけは、誰でも分かる。


「はいみんな、食べていいよ 」


 そんな事を思っていると、いつの間にか桜さんは部屋の中心にあるテーブルにお皿を並べており、僕達に優しくも明るい笑顔を向けていた。


「あっ…えっと 」


 目が焼き潰れる程の笑みに見惚れてしまうが、さっきの事もあって、『食べていいよ』と言われても『はい分かりました』とは、どうしても言えない。

 叶うなら全力でお断りしたい気分だけど、辺りに広がるなんとも言えない美味しそうな匂いに、ヨダレが止まらない。


「…? どうしたの? もしかしていらない? 」


「いえ、そういう訳ではないのですけれど、やっぱり貴重な食料を貰うのは気が引けると言いますか… 」


「大丈夫大丈夫、食料なんて魔法でどうにかなるから。いくらでも食べていいの 」


 姉ちゃんの丁寧なお断りに、桜さんは何処まで明るい声を返すけど、その言葉からは何処か…無理矢理でも食べさせようとする気持ちが伝わってくる。

 何か裏がある…と言うより、何処か必死な感じだ。


「ねぇ、魔法って戦うためのものじゃないの? 」


 桜さんの言葉に違和感を感じている中、ゆいは姉ちゃん達の会話に割り込む様に質問を投げかけた。

 けれど桜さんは嫌な顔1つせず、そんなゆいに優しく笑顔を返す。


「いや、それだけじゃないよ。植物の成長を促したり、お肉を増やしたりとか、沢山の用途があるの 」


「用途? 」


「あっ…ごめんね、知らない言葉使っちゃって。用途っていうのは使い道のこと。分かりやすく言えば道具かな? 肉を裂く道具があれば、水を撒いて稲を育てたりとかね。種類が沢山あると思って貰えたらいいよ 」


 投げかけられた疑問に、桜さんは優しく教える様に説明するけど、ゆいは首を捻り続け、どうも納得してない様だ。

 確かに『用途』って言葉は知ってるけど、僕も感覚的に覚えてるだけだから、説明してと言われても困ってしまう。


「それでえっと…ご飯はいらない? 」


「……食べる 」


「そっか…良かった 」


 ずっと部屋の隅に居たゆいは、その言葉と共に畳から立ち上がると、さっさと僕達の前を通り、バケットの中にある箸を掴んで、いきなり食事を口にした。


「ゆい!? 」


「………んっ、ふぅ。美味しいよこれ、変な臭いも味しないし 」


「良かった。1番状態の良いものを選んだ甲斐があったよ 」


 桜さんは心底嬉しそうに微笑み、左手のお椀に、(うじ)の様に白い米を装いでいるが、食べ物を噛みながらこちらを向くゆいの眼は何処か冷たい。

 けれどそれを見た姉ちゃんは、何かを察した様に軽く頷くと、その場に膝を立てず立ち上がった。


「…それじゃ悠人、申し訳ないけど頂こうか 」


「えっ…うん 」


 ついさっきまで遠慮してたのに、急に態度を改めた姉ちゃん。

 それに少し戸惑ってしまったけど、すぐに頷き返し、2人でテーブルの前に移動する。


 目の前には豪勢な料理が広がっており、鼻が喜ぶ様な香りにそそのかされ、指先で焼かれたお肉を掴んで口に運ぶ。

 すると肉の脂が口の中に広がった。


 お肉の脂なんて、臭くて気持ち悪くて吐きたくてくどくて居なくていい存在なのに、この料理だけは物凄く美味しい。

 脂だけでも飲めてしまうほど…美味しい。


「…? 悠人はお箸使わないの? 」


「えっ? 」


 桜さんの少し困った様な声を聞き、ふと我に返る。


「………あれ? 」


「ねぇ、あの刺すやつないの? 」


 汚れた指先に戸惑う中、ゆいは桜さんにそんな言葉を投げかけると、桜さんは軽く首を傾けた。


「フォークの事? それならバケット…その籠の中に入ってるよ 」


「はいこれ 」


 バケットの中から、ゆいはフォークを慌てて取り出すと、それを僕に差し出してくれた。


「あっ…ありがとう 」


 どうしてフォークを取ってくれたのか戸惑ったけど、青い顔をしながらフォークを差し出してくれるゆいの圧に押され、指先の液を舐めとってからそれを手に取る。


 右手に伝わるフォークの冷たさはひどく懐かく、胸の内側にはよく分からない温もりを感じてしまう。

 けれど何故だろう…僕の左右に居る姉ちゃんとゆいは、血の抜けた様に青い顔をしている。


「そういえば聞き忘れてたけどさ、みんなのお名前…教えて貰っていい? 」


「あっ、悠人です 」


「………ゆい 」


「雅…です 」


「そっか、素敵なお名前だね 」


 僕達の名前を聞いただけなのに、桜さんは子供のように喜び、明るい笑顔を見せる。

 そんな子供っぽい雰囲気を出す桜さんも、ひどく懐かしい…だからかヨダレが止まらない。


 でも…なんでヨダレが止まらないんだろう? お腹が空いてるから?

 よく分からないけど、とりあえずフォークで野菜と肉を突き刺して口に運ぶ。


(あっ…美味しい )


 野菜なのにしっかりと歯ごたえがあり、葉から出てくるのは青臭い汁ではなく、しっかりと栄養のあるものだ。

 それだけが分かると、栄養を求める体は得体の知れない野菜を何度もフォークで突き刺し、甘い甘い白米と共に胃へと流し込む。


 何も考えず…何も考えれず…口に入れ、噛み、呑み、また口に入れる。

 それを繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し…ふと気が付けばお腹は膨らみ、生暖かい吐息が口底から溢れた。


「ごちそうさまでした 」


 生まれた幸せは胸の内だけには収まらず、温もりとなって身体中を巡ってゆく。

 そんな幸せな感情を胸に抱えながら顔を上にあげると、信じられないものを見る様な眼をする、姉ちゃんとゆいの姿が見えた。


「…えっ? なんか変…かな? 」


「うっ…うんん、物凄い勢いで食べたなって。お腹空いてたんだね 」


「…? あんまりお腹は空いてなかったよ? 」


 僕は首を傾げる。

 けれど姉ちゃんは心底理解出来ない様に、顔を青ざめる。

 なんだろう…話が食い違っていると言うか、朧気に実在している変な距離感は、とても気持ち悪い。


「ごちそうさま 」


 心の殻にへばりつく何かを感じる中、ゆいの声が遠くの方で聞こえた。

 いつの間にか下を向いていた顔を上にあげると、ゆいの前に並べられていた料理は、全て無くなっており、その小さなお腹は膨れ上がっていた。


「お代わりあるけど…いる? 」


「いらない。それより、魔法について教えて 」


「うん、勿論いいよ。でも私、言葉より見せて動かす方が得意だから、それでいい? 」


「うん 」


 唐突なゆいのお願いに、桜さんは間を空けずに言葉を返す。

 あまりにも短い間に沢山の言葉が出てきたから、少し理解が遅れたけど、要約すると魔法について教えて貰えるらしい。

 丁度良かった…僕も魔法の事は色々と知りたかったから。


「それじゃあゆい、私は食器…お皿を片付けるから、少し待ってくれる? 」


「んっ 」


「あの…僕も」


「私も! 大丈夫ですか? 」


「うん、勿論 」


 突然横から割り込んできた姉ちゃんの大きな声。

 普段小さな声で喋ってる姉ちゃんが大きな声を出した事に、一瞬だけ…恐怖が心臓を鷲掴みにした。

 が、そんな感覚はすぐに消えてしまう。

 ………?


「あさよ………ごちそうさまでした。とても妙味(みょうみ)な料理でした 」


「そう言ってくれるなら嬉しいよ。後は私が片付けておくから、みんなは神器を持って外で待ってて 」


 僕が変な感覚に戸惑っている中、姉ちゃんも素早く料理を食べ終えたようだ。


 姉ちゃんが箸を置くと、桜さんは僕達が使っていた食器を重ね始める。

 それを手伝おうと、自分の近くにある食器に右手を伸ばそうとした瞬間、その腕を有り得ない力で掴まれた。


「悠人…後は私がやっておくから、外で待っててね 」


「は…はい 」


 腕を掴む力は死にかけの獣に等しく、向けられた笑みからは殺意めいたものを感じ取れる。

 そんな笑顔に喉から絞り出した一言を返すと、桜さんは優しく腕を離してくれ、まとめた食器をお盆に乗せて、さっさと襖の向こうへ行ってしまった。


「お兄ちゃん 」


「んっ? 」


 桜さんの背が消えた襖をボーッと眺めていると、不意に隣からゆいの声が聞こえた。


 声がした方を向いた瞬間、何かを投げられる。

 慌ててその何かを掴むと、それは白い木の鞘に収められた僕の神器だった。


「早く行こ 」


「あっ、うん 」


 振り返ると、神器が収められたベルトケースを背負う2人が見え、姉ちゃんは既に縁側に立っている。

 慌てて唇に着いた脂を手首で拭い、ゆいと共に姉ちゃんが待つ縁側へ向かって、3人で草履を履いて外に出る。


 大量に料理を食べたからか、少しお腹は苦しい。

 こんな感覚は物凄く久しぶりで、食べた後にもなんとも言えない満足感がある。

 そんな温かい感覚を感じ、幸せなため息を吐いている中、家の中から足音が近付いてきた。


 後ろを振り返ると、艶のある黒鞘に収まった刀を腰に差す桜さんが、縁側へと出てきた。


「みんなごめんね、お待たせ 」


「あっ…いえ、待ってませんので大丈夫です 」


「そう。それでゆい達は、魔法の事を知りたいんだっけ? 」


 草履を履いて家から出てきた桜さんは、僕の言葉に無関心な態度を示すと、その黒い(まなこ)をゆい達に向けた。


「うん 」


「そっか。それじゃあ何が分からないの? 」


「…魔法を上手く扱う方法と、魔力切れの治し方 」


 ゆいの言葉を聞いた桜さんは、こめかみに手を当てながら少し顔を傾けると、軽い笑みを浮かべながら小さな口を開く。


「魔法を上手く扱う方法…って言うのは存在しないよ。これは慣れでしか上達しないから 」


「慣れ? 」


「うん、手のようなものだね。最初は握る事しかできないけど、次第に摘み、投げ、爪を立て、道具を扱い、握り潰し、優しく握る事もできる。まぁつまり、とにかく魔法を使い続けて、息をする感覚で使える様になれば完璧かな? 」


 話だけ聞くとかなり難しそうだけど、桜さんの例えは分かりやすく、自然と頷きを返してしまう。

 それはゆいも同じらしく、右手をじっと見つめていたが、その風色の瞳はすぐに桜さんへの方へと移りゆく。


「じゃあ魔力切れはどうするの? 」


「魔力切れはね、神器を持っていれば気にしなくていいよ。神器を持つか身に付けて居れば、いくら魔法を扱っても問題は無いから 」


「…? 私達、神器を持っててもあの耳鳴りがしたけど 」


「それは多分、神器の名前を貰う前だったでしょ? 」


「…うん 」


「じゃあもう心配はないよ。名を思い出した神器は、持ち主を大事にしてくれるから 」


 魔力切れ? 耳鳴り?

 さっきまでの話はギリギリ理解できてたのに、知らない言葉が沢山出てきたせいで、よく分かんなくなってしまう。

 けれど頭を悩ませる僕など無視するように、話は進んでいく。


「…ねぇ 」


「なぁに? 」


「桜はさ、大和より強いの? 」


「うんん、私は大和より断然弱いよ。というか守り人の中では1番弱い 」


「そっ 」


 短い言葉で返答を繰り返すゆいに、何処と無く嫌な予感を感じていると、ゆいは眼をギラつかせながら、短剣を背中の鞘から引き抜いた。


「私と戦って? 」


「うん、別に構わないよ 」


「ちょっ! ゆ」


 初対面の人に…いや初対面じゃなくても刃を向けるのはダメだ。

 そう思いながらゆいと桜さんの間に入り込もうとしたけど、右手を引っ張られ、2人の間から遠ざけられた。


 僕の手を引っ張ったのは姉ちゃんだったが、その姿が逆に心の中にある違和感を強めた。


 ゆいは昔っから喧嘩っ早いけど、こういう時は姉ちゃんがよく止めていた筈だ。

 なのにどうして今は…それを止めようとする僕を止めるんだろう。

 そんな違和感が不安へと変わる最中、不意に…肌を風が叩いた。


 森から来ている風とはまた違う感覚に違和感を覚え、風の発生源らしき場所に目を向けると、そこにはゆいの姿があった。


「風…綺麗だね 」


 ゆいの周りを逆巻く無色の風は魔法だろうか?

 風の中心に居るゆいは何処か神秘的で、()れるのも戸惑う程の美しさを放っている。

 けれどそう思ってるのは自分だけなのか、姉ちゃんや桜さんの反応はとても薄い。


「ゆい、何時でもいいよ 」


 風を纏うゆいに対し、桜さんはそっと鞘から刀を引き抜き、右手だけでそれを構えた。

 鞘から引き抜かれた刀は黒かったが、僕の刀が美しい黒とするならば、その刀は肉が黒く腐りきった様な淀んだ色をしていた。


 無音…無音…いくらかの静寂が続く中、最初に動いたのはゆいだった。


 跳躍したゆいの姿勢は獣のように低く、下からすくい上げる形で桜さんの腹部に刃を突き立てようとする。

 が、桜さんはそこに刃が来る事を分かっていたように刀を振るうと、刃は短剣の側面を確実に捉え、それを軽々と弾き飛ばした。


 一瞬の混乱…けれど武器を失ったゆいは止まらず、桜さんの顔めがけ左拳を突く。

 それは首を傾けられて躱されたが、ゆいはその躱された左手で桜さんの後頭部を掴むと、その腕で顔面を引き寄せながら右膝を打ち込み、肉音が響く。

 けれど顔と膝の間には左手が潜り込まされており、膝は顔面に届いていなかった。


 反撃を恐れたのか、ゆいは左足で桜さんの右胸を蹴って距離を離したが、桜さんは追撃する様子もなく、ただじっとゆいを見つめている。


「ゆい、神器は手放したらダメだよって言われなかった? 」


「……… 」


 桜さんの優しく子供を叱り付ける様な言い方に、ゆいは無言を返すと、吹き飛んだ神器の元へ近付き、短剣に着いた土を落として、それをケースに収め直した。


「…? もう来ないの? 」


「今戦っても…殺されるだけだもん 」


「そう、いい判断だね 」


 桜さんは刀を収め、優しい声色でゆいに笑顔を向ける。

 けれどその顔が気に障ったらしく、ゆいの小さな口からは骨を砕くような歯ぎしりの音が聞こえた。

 それほど悔しい思いをしたんだと朧気に察し、ゆいの元へ近付こうとしたが、すぐ隣から聞こえた桜さんの声に足が止まってしまう。


「あっ、そうそう。聞く前に戦っちゃったけどさ、皆の神器の名前って何? 」


「えっと…確か『焔』と 」


「『鎌鼬』 … 」


 2人が神器の名を答える中、僕だけ神器の名前が分からないとは言い辛く、恥を隠すように黙り込んでいると、桜さんは優しい笑みをまたゆいの方へと向けた。


「ゆい、ごめんけどその短剣貸してくれない? 」


「……んっ 」


 さっきの意趣返しのつもりか、ゆいは短剣を弾丸の如きスピードで放り投げるが、桜さんはその柄を難なく左手で受け止める。


「ありがと 」


「……… 」


 やはり桜さんは優しい笑みを浮かべるが、それとは対照的に、ゆいの雰囲気は重くなってゆき、今にも誰かを殺しそうな顔付きをしている。

 けれど桜さんはなんの気にもとめず、今度は僕達に薄い笑みを向けてきた。


「さっき言い忘れてたけどね、神器には特別な力があるの 」


「身体能力をあげるとは、大和さんに聞きましたけど… 」


「それは神器全てに共通しているものだよ。私達の魔法と同じようにね、神器個々にも特別な力が備わってるの。例えばこれはね 」


 姉ちゃん達がよく分からない話をしている中、桜さんは話を途中で止めて、左手に掴んだ短剣を逆手に持ち替えた。


 嫌な予感がした。

 そう感じた次の瞬間、桜さんは細く綺麗な右手に短剣を突き立てた。


 白い肌や骨を貫通した風色の刃は、血で(なま)めかしく光沢を放つが、桜さんは顔色1つ変えず、その短剣で自分の肉を掻き分けていく。

 肉が擦れ、大量の血が地面に滴り落ちる現状にただただ困惑していると、桜さんは右手から刃を引き抜き、赤く湿った刃を持って柄をゆいに向けた。


「はい、これ持ってみて 」


「……ん 」


 見慣れない赤を見過ぎたせいか、喉と胸の間に気持ち悪い感覚が淀めいていく。

 けれどゆいは血が柄まで垂れる短剣を、戸惑う事もなく受け取った。


 ゆいの小さな手が赤く染まり、その手から血が出てるのかと錯覚する程になると、突然…風色の短剣は血を飲んだ口周りのように、赤く染まり果てた。

 

「…なにこれ? 」


「『鎌鼬』の力だよ。鎌鼬は血を飲む神獣だからね、その力を受け継いだ神器も血を啜るの 」


「ふーん 」


「それじゃあゆい、適当に走り回ってみて 」


「…? 」


「いいからいいから 」


 何処か急かす様な声風に、ゆいは首を傾けながらも身を低くし、折り曲がった右膝で地面を押し出した。


 瞬間…左頬に土がかかった。

 一瞬の困惑…けれどちっぽけな困惑は生々しい音に塗りつぶされてしまう。


 音がした方には足が空に向いているゆいが居り、逆さまな風色の瞳は困惑に満ちていた。


「………ゆい!? 」


 その瞳に困惑している中、1番に声を上げたのは姉ちゃんだった。

 視界の端を走る姉ちゃんに、僕も1歩遅れて走る。


 ゆいとの距離が僕達の手が届く程までになると、ゆいはお尻を地面に付けた状態で、何事もなかった様な顔をしていた。

 けれどその小さな鼻からは血が溢れ出しており、左腕の手首と肘の間は不自然に歪んでいる。

 多分、骨が折れている。

 

「ゆい、左腕は動かさ」


 そっと差し伸ばされた姉ちゃんの右腕…それは折れたゆいの左腕に弾かれた。

 あまりにも突然な拒絶に困惑してしまうが、それ以上に2人は困惑している様で、どちらとも目を見開いて硬直している。


「あっ………ごめん 」


「うっ………うん、あんまり動かさないでね 」


「…すぐ治るのに 」


 ボソリと呟いたゆいの声は何処か棘がある様に感じた。

 一瞬気のせいかとも思ったけど、姉ちゃんの伸ばされた右手は、白い肌が青くなる程の力で握られている。

 どうやらその棘は姉ちゃんに突き刺さったらしい。


 何がなんだか分からない僕と、笑みの仮面を被っている様な姉ちゃん。

 そんな微妙な空気に何も話せず、家族全員で黙り込んでいると、背後から声が聞こえた。


「どうしたの? 」


「なんでもない 」


 桜さんの声に、ゆいはさっさと言葉を返すと、固まる僕達を無視して起き上がり、右手で鼻血を拭う。

 すると細い左腕から小枝を踏み壊す様な音が響き、不自然に歪んだ腕は元の形を取り戻した。


「あっ、折れてたんだね。大丈夫? 」


「もう治った。それで聞きたいんだけど、これに付ける血って自分のでもいいの? 」


「うん、多分ね 」


「そっ 」


 赤みが抜け、風色に染まった短剣をゆいはもの寂しげに見つめていると、それを背中のホルダーに収めた。

 そんなゆいの姿を見ていると、自然とその背に手が伸びてしまう。


 行かないでと…1人にしないでと…叶うならその背中を掴み、骨が折れても、肉が抉れても腐っても、その肉を離したくない。

 けれど伸ばした指先が小さな肩に触れた瞬間、視界が白く爆ぜた。


 一瞬何が…と思ったが、そんな事を考える余裕すらない轟音が辺りに響き渡った。

 耳を叩き、心臓を内側から揺らす轟音…落雷だ。


「っ!? 」


 はやく木から離れなければと、すぐ様行動しようとするが、見上げた空には黒雲どころか白い雲1つない青空だった。


「悠人、ゆい。雅を連れてここから離れて 」


「…えっ? 」


 まだ奇妙な高音が響く耳に、桜さんの声が聞こえたが、どうして離れろと言われたのか理解できず、反射的に閉じてしまった左目を開く。

 開けた両の視界には桜さんの横顔が見えたが、その目は僕達を見ておらず、森の方向を向いている。


 何かが居る…そう理解し、桜さんの視線の先へと目を向けると、そこには2人の人間…じゃない、不死が立っていた。


 1人は黒い眼帯を右目に付けた、長い灰髪の女性…

 その人は見慣れた緑色の紬を着ており、今にも折れてしまいそうな薄く細長い刀を構えている。


 もう1人も、黒い紬を身に纏う金髪の女性…

 こっちはひびが走る灰の様な篭手を両腕に付け、その腕の周りには紫色の雷が弾けている。

 多分だけど、さっきの落雷はこの人のものだろう。


「なるべく急いでね。この2人、私達の事を殺す気かも 」


 桜さんは僕らに笑顔を向けてくるが、その口から語られるのは物騒なものでしかない。

 そんな言葉に押され、耳を抑えて蹲る姉ちゃんを抱えあげて、短剣を抜きかけているゆいに声をかける。


「ゆい! 」

 

「…分かった 」


 短剣から手を離したゆいと共に、桜さんに背を向け、そのまま森を走る。

 後ろから何かが飛んでくればゆいが気付いてくれるため、僕は姉ちゃんを落とさない事だけに集中できる。


 走り、走り、走る。

 考えるよりも足を動かし、全力で森を走っている最中、ふとした事を考えてしまい、足が止まってしまった。


「…? どうしたの? 」


 足を止めたゆいは僕に振り返る。

 その風色の瞳は僕を急かしている様だったけど、急ぐ事よりも重大な事を、僕達は忘れていた。


「ここってさ、『迷いの森』っていう場所なんだよね 」


「…ここがそうなんだ。それで? 」


「いや…ね、この森は人を迷わすみたいなんだよ 」


「それがどう………」


 ゆいは何かを言いかけたが、その途中に僕が言いたいことを理解してくれたみたいだ。

 人を迷わす森…つまり僕達は………迷ってしまった様だ。

 


 

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