第23話 黒いモヤ
「ところで、ここって何処なんですか? 」
そう言えばここが何処か聞いてなかったなと今更ながら思ってしまい、前を歩く2人になんの許可もなく声を掛けてしまった。
(あっ… )
やってしまった…そう考えた瞬間に脳裏に赤黒い記憶が過ぎった。
けれどやってくるはずの痛みは姿を現さず、僕の目にハッキリと写ったのは透明な髪を揺らす真白さんの笑みだった。
「そういえば言ってなかったね。ここは『歴史の間』、全ての歴史が集う場所だよ 」
「す、全ての歴史ですか… 」
想像が及ばない程の話のせいでなんと言葉を返していいか分からず、ただぼんやりと空に浮かぶ本を眺める事しか出来ない。
あれ? 僕…さっきまで何を見ていたっけ?
「まぁでも、多分全てじゃない 」
「…? 」
さっきは全て歴史と言ったのに、何故か全てじゃないと答える真白さんに疑問を感じたけど、僕を見つめる笑みは嘘をついてないように見えてしまう。
嘘をついてないのに矛盾してる言葉が理解出来ず、首を傾げて頭を回していると、右の遠くから鈴の音が聞こえた気がした。
「あっ、悠人… 」
一瞬気の所為かと思ったけど、その音が耳に届いてしばらくしてやっと、それが言葉である事を理解した。
聞き覚えのある声がした方を見てみると、そこには赤髪の半獣人が、無造作に積み上げられた本の隙間に立っていた。
「姉ちゃん! 」
久しぶりに見た姉ちゃんの姿に胸が高鳴り、前に居る大和さんと真白さんを追い越して傍に行こうとすると、積み上げられた本の陰から、ひょっこりとゆいが顔を出した。
「あっ、ゆいも! 」
「なんで私がついでみたいなの? 」
僕は嬉しくて名前を呼んだつもりだったけど、どうやらゆいからはおまけ扱いされた様に思え、ご立腹らしい。
その証拠にゆいは薄目で僕の顔を見上げ、耳をピンと立てている。
「ご、ごめんねゆい 」
「頭撫でたら許す 」
土下座しなければ顔面に蹴りを喰らうかと思ったけど、ゆいはそんな簡単な事を要求してくる。
「…? 」
そんな事で良いのかと疑問に思いながらも、要求通りに妹の頭を右手で優しく撫でると、頭から生える獣の耳は嬉しそうに跳ね、その顔は至福に満ちていた。
そんな妹の表情は兄である僕には宝物のように思え、見惚れるように…食い入るようにその顔を見つめていると、不意に風色の2つの目が僕を見つめ返してきた。
「ありがとう、お兄ちゃん 」
「どういたしまして、ゆい 」
こんなに笑顔ならもう許してくれてるのだろうと思い、サラサラな金髪からゆっくりと手を離すと、ゆいは名残惜しそうに唇を尖らせてしまった。
(手…離さない方が良かったかな? )
「みんな仲がいいね。見ててすっごいホッコリするよ 」
聞こえた声に反応して背後を振り返ると、そこには優しい微笑みを浮かべる真白さんの姿があった。
仲がいいと言われた事に嬉しい反面、照れくささはあったけど、やっぱり仲がいいと言われた事は嬉しくて堪らない。
そんな一言で胸を温め、温もりが逃げないように胸を両手で抑えて幸福を噛み締めていると、僕とゆいの間を真白さんは通り過ぎ、不意に右手を上にあげた。
「…? 」
一瞬何をしてるのかと考えた瞬間、その右手には深い緑色の表紙をした、普通サイズの本が落ちて来た。
恐らく、魔法か何かで本を取ったんだろう。
「さて、それじゃあ3人とも揃ったし、用事を始めようか 」
真白さんは手に取った本を片手で広げると、通路に並べられた白い柵にもたれ掛かりながら話を進めてくれる。
「雅ちゃん達を読んだ理由はね、みんなが選んだ神器の名前が分かったからなの 」
「神器の名前って? 」
「うーんっとね、神器には人と同じ様に名前があって、その名を神器自体が自覚する事によってようやく本当の力を発揮できるの。だからゆいちゃん達が大和ちゃんと戦った時はただの弓と短剣だったでしょ? 」
「えっ、ちょっと待って下さい。ゆいと姉ちゃん、大和さんと戦ったの? 」
物凄く大事な話をしている様だったけど、正直それは無視できず、話を遮ってゆいを問いただしてしまう。
けれどゆいはそれを隠す様子も悪びれる事もなく、しれっとした顔で僕を見上げてきた。
「うん、でも負けた。次は殺す 」
「えぇ…私はもう戦いたくないよ 」
「お姉ちゃんはもっと前向きになって 」
物騒な話を語る2人は何処と無く楽しそうに見えたけど、家族の一員としてはもう大和さんとは戦って欲しくない。
だって大和さん…僕が見てきた不死の中で1番強いから。
「えっと…話を戻していいかな? 」
「あっ、ごめんなさい 」
「いいよいいよ、久しぶりに家族でお話できたんだからね 」
話を遮ったのになんの罰もなく許してくれる真白さんは、とても優しい女性に思えたけど、目の端に見えるゆいと姉ちゃんは目を見開いており、その眼は今にも人を襲いそうな獣の様だった。
「それじゃあ話を戻すね…と言っても後は受け取るだけだから、気構えなくて大丈夫だよ 」
安心できる様な笑顔で真白さんは説明してくれるけど、それよりも心配なのはゆい達の表情だ。
何故こんなにも身構えているのか分からず、何処に警戒する要素があったのかと頭を回す。
「悠人ちゃん、もう2歩下がって〜 」
「えっ? 」
ゆい達の方から、声がした前方へ視線を移した瞬間、上の方から黒い何かが降ってきた。
あまりに突然過ぎて躱す事もできず、驚きのあまり固まってしまったけど、後ろから腰の帯を引っ張られたお陰で、頭上の何かにぶつからなくて済んだ。
「大丈夫? 」
「あっ、うん。ありがとうゆい 」
どうやら引っ張ってくれたのはゆいらしく、腰の帯を掴んでくれいる妹にお礼をする。
けれどゆいの目は僕を見ておらず、風色の2つの目は何かを見惚れる様に真白さんの方を見ていた。
「…? 」
前に何かあるんだろうか?
そんな疑問を感じながら前を向くと、そこには見覚えがある風色の短剣と銀色の短弓が、どういう原理か宙に浮いていた。
その2つに目を奪われて気が付くのが遅れたけどもう1つ、僕の目の前には黒い刀が浮かんでいる。
刀は月が無い夜の様に深く、ここが闇夜だとしても見失わない程の異質な黒をしていた。
とても綺麗だと思う…でも何故か、それ以外の感情が胸を締め付ける。
「それじゃあ、ゆいちゃんの神器から説明するね 」
「っ!? 」
刀に目を奪われて何も聞いてなかったけど、どうやら話は進んでいるらしく、慌てて刀から本を開く真白さんに目を移す。
「その神器の名は『鎌鼬』…家族のために生き、家族のために死んだ神獣の力が入ってるよ 」
「鎌鼬… 」
かっこいい武器の名を聞いたゆいは喜ぶと思ったけど、その幼い顔は嫌な感情を噛み潰すように暗く、風色の瞳は潤んでいた。
悲しそうな顔をするゆいが心配になってしまうけど、僕が声を出すより速く、ゆいは浮かんだ神器を手に取った。
するとそれを見た真白さんは、物静かな顔に似合う悲しそうな笑みを浮かべ、片手で本のページをめくった。
「次は雅ちゃんだね。その神器の名は『焔』…50年、来るべき戦いを止めるために弓を引き続けた女神の力が入ってるよ 」
「あの、すみません 」
「なーに? 悠人ちゃん 」
「その戦いって止めれたんですか? 」
その神の話の終わりが気になり、許可を取ってから質問するが、僕の未知への期待に対し、真白さんは憐れむ様な笑みを浮かべた。
「うんん、結局止められなかった。大事な者を守るためにその者達との時間を捨てたのに…全部無駄になってみんな死んじゃったの 」
それはたった二言くらいの言葉だった。
けれどどうしてか…胸の奥にある何かは死体でもぶら下がったかの様な重さを感じ、虚しさが目から涙を滲み出させる。
「凄く…悲しいお話ですね 」
「うん、本当にね 」
胸を抑え、ほんの少しでもこの辛さを抑えられればと感じていたが、目の端に見えた姉の顔を見た瞬間、そんな事がどうでも良くなってしまう。
だって姉ちゃんはゆいと同様に嫌な感情を噛み潰す様な顔をしていて、その頬には静かに涙が伝っていたから。
「姉ちゃん? 大丈夫? 」
「うん!? 大丈夫、大丈夫だよ 」
僕の声に反応した姉ちゃんは、慌てる様に涙を拭って笑顔を浮かべた。
けれどまだ赤い目の周りや潤んだ赤い瞳のせいで、余計に心配になってしまう。
「ねぇ、この刀って何? 」
「それは悠人ちゃんの神器だよ 」
「えっ!? 」
姉ちゃんを心配してたのは本心だけど、ゆいと真白さんの会話に聴き逃してはならない言葉が聞こえ、慌てて刀に目を移す。
「え…これ…僕の? というかこれって洞窟の刀じゃないですか!? 」
「そうだよ、早速持ってみたら? 」
「えぇ… 」
これが僕の神器だと言われた事にも驚いてしまうけど、正直な話…この刀は持ちたくない。
だってこの雰囲気は間違いなくあの洞窟のだし、刀を見ていると今にも泣き出してしまいそうな悲しさが胸を締め付けるから。
でも…でも、神器は不死にとって替えがきかないものだ。
力を得るか恐怖に負けるか…そんな葛藤に冷や汗をかき、どうしようかどうしようか悩み続けていると、不意に…姉ちゃん達の顔が脳裏に見えた。
その目は黒いモヤに覆われていたけど、辛うじて見える口周りは不死のものではなく、人のものだった。
何故ここで人の頃の記憶が出るのか分からない…
けれど困惑を置いて体は動き、伸ばした右手が刀を掴んだ瞬間、刀からは脳裏に見えた黒いモヤが溢れ出した。
「おに」
「近付くな!! 」
隣からゆいの…後ろから大和さんの声が聞こえた。
でもその声は、何故か遠くに感じる。
モヤは無機質な死の気配を放ち、今すぐにでも刀を離せと言いたげに筋肉は手を開こうとし、心臓は死にかけの獣の様に不規則に跳ね回る。
けれど刀を力強く握り、頬を胸の温かさに任せるままに釣り上げる。
懐かしさや悲しさが入り交じる胸は暖かく冷たい。
そして凄く…感動してしまう。
自分でも何を感じてるかよく分からないけど、楽しくて…楽しくて…楽しくて愉しくてタノシクテ楽死苦てくて………………………何か思い出しそうだ。
何を思い出すんだろう? 何を? 何を? 何を何を何を何を何何何何何
「そろそろ帰ってこい 」
不意に…左肩を掴まれた。
すぐにそれを振り解こうとしたけれど、直感的にそれは無理だと分かる。
だって無機質な死を呑み込むほどの熱い死が、左肩に詰まっていたから…
「んっ!? あっ…大和さん 」
「意識に違和感はあるか? 」
「それは大丈夫ですけど…なんで皆さん怖い顔してるんです? 」
肩から手を離した大和さんの顔も、目の端に見える真白さんの顔も、ついさっき忍さんにしていた顔に似ていて、色々と心配になって来てしまう。
(えっと、刀掴んで、黒いモヤが見えて…それだけだよね? )
思い出そうとしても特にこれといったものが出てこない。
けれど何かしてないと、ここまで怖い顔をされないよねと考えていると、目の下の方で何かが動いた。
「お兄ちゃん…大丈夫? 」
目の端に居たのはゆいだったけど、僕を見る風色の瞳は潤んでおり、今にも不安で泣き出しそうな顔をしていた。
その顔を見た瞬間、身体中から血が冷めきった様な感覚に陥り、慌ててゆいに笑顔を見せる。
「うん! 大丈夫!! 大丈夫だから!! 」
僕の笑顔は引き攣っているだろうけど、妹を泣かせるよりはマシだと考え、笑顔をゆいに向け続ける。
けれどゆいは瞳から透明な涙を流し、血の気の引いた背中は、最早熱いと感じるほど冷たくなっている。
(どうしよどうしよ!? )
妹を泣かせてしまった事でか、胸はかつてないほど跳ね上がり、焦り過ぎて思考がまとまらない。
けれど次の瞬間、涙を流すゆいから抱き着かれ、焦りを通り過ぎて何も考えられなくなってしまう。
「ど…どうかした? 」
「…なんでもない 」
ゆいは平然な口調でそう言うが、僕を抱き締める力は臓物に負荷をかけ、正直口から色々出てしまいそうなほど強い。
「ちょっ、ゆい…苦しいから 」
「…ごめん 」
「けほっ、大丈夫だよ 」
ゆいはお腹から腕を外してくれたけど、その顔は僕の方へは向かず、さっさと姉ちゃんの方に顔を向けてしまった。
どうして泣きながら抱きついて来たのか…どうして僕と顔を合わせてくれないのか…
そんな疑問が頭を埋めつくし、どこか悲しい雰囲気がする妹の背中を眺めていると、目の端に気まずそうにしている真白さんの姿が見えた。
「あのー…話を戻していい? 」
「あっ、ごめんなさい。ゆいは大丈夫? 」
「別にいい 」
「だそうです 」
正直どんな話をしていたか忘れてしまっているけど、大事そうな話をしていたのは覚えているから、真白さんに顔を向ける。
すると真白さんは本を空に投げて、話を続けてくれた。
「それで悠人ちゃんの神器の名前なんだけどね…分かんないの 」
「…えっ? 」
ゆいや姉ちゃんの神器には、かっこいい名前が付いてて色んなお話があったのに、この神だけ、そんなものはないらしい。
………意味がよく分からない。
「えっと、どうしてです? 」
「それも分からないの。こんなの初めてで私もお手上げ。あっ…でも安心していいよ、神器としての力は使えるみたいだから 」
この神だけ名前が分からないのは少し嫌だけど、神器としての力が使えるみたいだなら良いかな? とも思えてしまう。
というか…ゆい達の神器の名前ってなんだったっけ?
「よーし、んじゃ全員戻るぞ。今日中に守り人の手続きをしなきゃならねぇし 」
「………!! 」
一瞬、後ろから聞こえた大和さんの言葉に理解が追いつかなかったけど、その言葉を理解した瞬間、嬉しさのあまり姉ちゃん達の方に笑顔を向けてしまう。
「やったねゆい! 姉ちゃん! これで家族一緒に居れるよ!! 」
姉ちゃん達の耳の良さなど考えず、胸の高鳴りのままに叫んでしまう。
すると案の定姉ちゃん達は耳を尖らせ、肩を跳ねさせた。
「あっ…ごめんね 」
「うんん、大丈夫。私達も嬉しいから 」
僕が大きな声を出してしまったにも関わらず、怒らずにただ優しい笑顔を向けてくれる姉ちゃんは、まるで妖精の様に見えてしまう。
けれど何故だろう…その赤い瞳は腐った血の海を見ているような気がしてならない。
「急かして悪いがそろそろいいか? この後、急ぎの用事があるんだが… 」
「あっ、すいません。ゆいが泣き止んだらすぐ行きます 」
「いい…行こ 」
「えっ、大丈夫? 」
まだ泣いてる筈なのにゆいはそう言うと、積み上げられた本の隙間をさっさと通って、大和さんの方に行ってしまう。
妹にしてはあまりにもおかしな行動に疑問を感じ、ゆいに詳しい姉ちゃんの方へと顔を向けるけど、その顔はまだ悲しげなままで、ゆいの後を続くように大和さんの方へと行ってしまった。
顔を見せてくれないゆいと、全く喋らない姉ちゃん…そんな2人を見ていると、自然に違和感が募っていく。
だってあまりにも、記憶に映る2人とは違うから。
いつも喧嘩なんてしなくて…いつも食べ物に困ってなくて…いつも怒ってなくて…いつも夜になると泣いてなくて…いつも、いつも、笑顔で居た。
でも何故こんな、距離を感じるんだろう?
まるで数年ぶりにあった気分だ…まるで仮面を取って変えた様な気分だ…ありえない…ありえない…ありえない…ありえ
「悠人、置いてくぞ 」
「あっ…はい、すぐ行きます 」
大和さんの声を聞くと、自分が何を考えていたのか忘れてしまった。
忘れてしまったのは何かと気にはなったけど、ただ何も考えず、それを頭の片隅に放り投げて妹達の元へと足を進める。
今度こそは、一緒に居れる様に…