第21章 二人の狂人
「ここ…か? 」
あの紙が貼られた位置からずっと見えていた建物に着いた。
そこには手水舎に石の鳥居が建てられ、鳥居には水神と丁寧に彫られている。
手水舎に鳥居…この状況を見れば、この建物が神社だと嫌でも分かってしまうが、私にはどうしてもここが神社だとは思えない。
(なんだ? この神気… )
何度か和の国の神社に足を運んだ事はあるが、ここは神社とは思えない空気が漂い、様々な感情が犇めき合っている。
怒り…哀しみ…恐怖…
それら全てが混ざり合った空気は、換気すらされない死体置き場を彷彿とさせる。
(あの洞窟と言い、この社と言い、この里はどうなってんだ? )
こんな空気の中に今から入っていく現実が嫌になるが、嫌々言ってもしょうがない。
取り敢えず手水舎で手と口を清め、濡れた手を振って水気を弾き、一呼吸置いて境内に入る。
足を踏み入れた境内は当然と言うか息苦しい。
無理に例えるなら、殺しあった仲の奴らが狭い空間に閉じ込められている様な空気だ。
そんな空気から逃げるため、さっさとあの紙を書いた奴に会おうと足を早めていると、微かに男の歌声が聞こえた。
だがなんと言うか………めちゃくちゃ下手くそな歌だ。
私は音楽を嗜む程度だが、それだけは分かる。
歌が悪いのか、歌い手が悪いのかも分からない、ごちゃごちゃな歌だ。
けれどその歌からは、不思議な感情が伝わってきた。
怒り…哀しみ…虚しさ…苦しみ…喜び…待望…
それら全てがたった1つの歌声に凝縮されている。
(…面白いな )
私は物や人の感情を読み取れる…いや、感じ取れると言うべきか。
何故かは分からないが、いつからか感じ取れるようになった。
しかしこの歌からは、私が感じた事のない感情がこもっている。
無理やり言葉にするのなら、複数の色鉛筆で白い紙を塗り潰した様なものだ。
その名称し難い感情は、モールス信号が書かれていた感情とも一致し、歌っている男がモールス信号を書いたことには間違いない。
(さーて、どんな奴だ? )
そいつがどんな奴か拝んでやろうと言う好奇心が息苦しさを和らげ、拝殿へと続く短い石段段を登る。
階段を登り追えた先には少し引き戸が開いた拝殿が見え、開いた引き戸からは人影が見える。
「…おい 」
私の声が境内に響く。
すると社内から聞こえる歌はピタリと止まり、その人影は関節を軋ませながらゆっくりとこちらに振り向いた。
だが、そいつの顔は拝む事ができない。
何故なら、そいつの顔には狐の面が被せられていたからだ。
そのせいで表情は分からなかったが、私に向けられる感情は焦りと不安と恐怖を物語っていた。
「えちょわ!? 妖怪!!? 」
私を見てか、そいつは飛び跳ねるように驚き、体を抱き寄せる様に身構えた。
…出会い頭に銃でもぶっぱなされるのかと思っていたが、そいつの驚きように気の抜けた笑いを漏らしてしまい、警戒心は何処かへ行ってしまう。
「モールス信号を見た者だ…書いたのはお前だろ? 」
私の言葉を聞いてか、そいつは怯えながらもゆっくりとこちらに足を進め、その体が拝殿の外に出ると、夏の夕日に照らされ、そいつの姿がハッキリと目に映った。
薄水色の紬を身に纏うそいつは、一瞬だけ見ると細いようにも見える。
けれど袖や裾から少し見える手足は細い体付きに似合わないほど大きく、若い木のように力強く凛々しい。
恐らく歳は、20かその少し下くらいだろう。
肩の傾きを見るに、そいつが銃か大型の武器を紬の中に入れている事も分かるが、所作は武器を抜く素振りを見せておず、敵意の無い死んだ目で私を見つめている。
一通り観察し終え、こいつができるのはせいぜい武器による攻撃か、体格を活かした突進程度だろうと思えるが、気になる事が1つある。
それは両手の爪だ。
左右どちらの爪は全て不完全に欠けており、右親指の先端に至っては壊死しかけている様な黄茶色になっている。
「えっと、暗号を見た人…であってますか? 」
「あぁ…神器はこの先の社にある、だろ? 」
あれは暗号と呼ぶにはだいぶお粗末なものだが、取り敢えずあの紙を見た事だけを伝えると、少年は何故か仮面の上から顔を抑えた。
その感情は後悔と喜びと言う、相反するものを含んでいる。
「えっと…取り敢えず中にどうぞ。まぁ、ここは僕の家ではないんですけどね 」
自分自身への皮肉の様に少年はため息混じりに呟くと、その足を拝殿の中に進め、私も少年の言われるがまま、草履を脱いで拝殿にお邪魔する。
拝殿の中は古びた所を除けば何も特徴のない場所で、地面に溜まったホコリの跡を見るに、人の出入りもそこまで頻繁と言うものでは無い。
間違いなくこの神社は寂れているが、本殿から流れる神気は異様なほど多い。
けれどこの『神気』は、あの洞窟の様に悍ましいものでは無く、どちらかと言えば優しいようにも感じ取れてしまう。
「あっ、クッション持ってくるのでちょっと待っててください 」
「あっ、あぁ 」
少年は私を気遣う様に、拝殿に繋がる廊下を小走りで進んで行き、廊下の奥の方でドタバタと音を立てている。
罠かもしれないと一応警戒はしては居るものの、そんな警戒が馬鹿らしく思えるほどの気遣いに、独りでに苦笑が漏れてしまう。
(さて… )
頭を切りかえ、色々と謎が多い少年が帰ってくるまでの間、辺りを見回しながらこの異常な神気の原因を探していると、ふと…視線を感じた。
視線を感じた方に眼と敵意を向けると、そこには本殿に続く扉があった。
けれど何かが隠れている様子も無く、一瞬感じた視線も既に消えている。
(なんだ今の? )
「お待たせしました 」
警戒していた場所とは全く違う方から声が聞こえ、咄嗟に声がした方に顔を向けるが、そこには脇に2つのクッションを…巨大な手に2つの銀色のカップを持った少年が立っているだけだった。
「えっと、コーヒーですけど…お嫌いですか? 」
「いや、大丈夫だ 」
少年はクッションとコップを私の前に差し出すと、自分だけはさっさとクッションに座ってしまった。
(……… )
取り敢えず用意されたクッションの中に毒針か何かが入っていない事を確認し、それに尻を乗せて差し出されたコーヒーの匂いを嗅ぐが、それと言って怪しい匂いも無く、コーヒーの香ばしい匂いがするだけだ。
「あ、毒は入ってませんよ。せっかくのコーヒーに毒を入れるなんてもったいないですから 」
少年の言葉からは様々な感情が伝わるが、その中で1番大きなものは悪意無き緊張。
なんと言うか、手作りした物を他人に初めて食わせる様な…そんな感じだ。
人間の言う事など信用は出来ないが、私には薬や毒の類は効かない。
何か入っていてもなんの心配もないと考え、カップを握る手に冷たさを感じるコーヒーを飲むが、変な味などは何も無く、甘いがほのかに苦味のある味が走り疲れた体に染み渡る。
「…美味いな、コレ 」
「ブルーマウンテンって言う、結構高いコーヒーですからね。あっ、気をつけて下さい、そんな綺麗な服にコーヒーが付いたら取りにくいと思いますから 」
私の白い服を気にする少年の感情は、やはりと言うか温い感情をしていた。
悪意も敵意もあるが、それが1番強く伝わる。
試しに『神器』である刀を鞘ごと腰から抜き、私から少し離れた場所に置いてみるが、悪意や敵意は僅かにも揺れず、温い感情だけが肌を指先で撫でる。
悪意と善意を両立させた様な感情を持つ人間などはあまり見た事は無く、正直言ってこいつには気持ちが悪いと言う感想しかでてこない。
けれどそんな思いを知らない少年は、呑気に狐面をズラしてコーヒーを飲んでいる。
感情が読めない少年にペースを乱されるが、ここにはコーヒーを飲みに来た訳では無いと自分に言い聞かせ、あの洞窟にあった『神器』について話を切り出す。
「なぁ…あのモールス信号はどう言う意味だ? 」
「どうと言われても…そのまんまです。神器はこの社にあります。正確に言えば僕が持ってきたんですけどね 」
「あの洞窟からか!? 」
当たり前の様に『神器』を持って来たと言う少年に驚いてしまい、巨大な声が古びた拝殿に響き渡ってしまう。
すると少年は肩を跳ねさせ、強い恐怖心をヘドロの様に垂れ流し始めた。
「す、すいません、取り乱しました。それでえっと…なんの話をしてましたっけ? 」
「…? 洞窟の事だが 」
「あぁ、洞窟の事か。えっと…洞窟の事を知ってるなら、あの岩の所に行ったんですね 」
「岩? あぁ、鳥肌がヤバかったやつか…何か知ってんのか? 」
「鳥肌が立つのも当然ですよ。あの岩はおぉう!?」
そんな饒舌な口ぶりを遮る様に、拝殿の床が大きく軋み、少年を黙らせる。
すると少年は胸を両手で押え、肩を動かしながら深呼吸をし始めた。
「あぁぁ、びっくりした。この神社、結構古いからかめちゃくちゃ床が軋むんですよね 」
そう言われて見れば、天井にはシミや欠けた木などが目立っており、一部分は何かの棒でつつけば穴が空きそうなほど劣化している。
こんな状態の社を見てか、何故こんな所に『戦の国』の関係者が居るのか理解ができない。
「なぁ、お前は『戦の国』の住人だろ? なんでこんな場所にいるんだ? 」
自分が気になっていた質問を投げかけ、こいつが銃を取り出してもすぐに躱せるように警戒していたが、少年からは焦りや怒りなどは感じない。
むしろ、よくぞ聞いてくれたと言いたげな喜びが感じ取れる。
「そう言うあなたは…『不死』さんですね 」
「はっ? 」
何故か私の正体を知っている少年の言葉に血流が全身に回り、右薬指の骨を鳴らして殺意を少年に向ける。
「何故それを知っている? 私は魔法を使った覚えはないが 」
「いや鏡見てくださいって! そんなに綺麗な口元見たら誰でも分かりますって!! 」
「…そうだったな 」
私の殺意に押されてか、両手を上げてベラベラと喋る少年の言い分に、何故か素直に納得してしまう。
確かに『不死』は、人とは骨格も皮膚の組織も違う。
その知識を聞きかじっただけでも、目視で不死か否かを判断できるのに、何故こんなに気が立っているのか分からずにため息が漏れてしまう。
すると少年は殺意が消えた事に安心する様に、そっと胸を撫で下ろした。
(なんだこいつ… )
普通なら、人外から殺意を向けられれば反撃するか逃げる筈だし、少年は反撃できる銃を持っている。
けれど少年は銃を取り出す素振りすら見せず、手を挙げて敵意の無さを示した。
腰を抜かして逃げられないとか、パニックで正常な判断が見られないのかとも考えたが、焦りやパニック状態の感情は伝わって来ず、こいつは本気で安心している。
あぁ…気持ちが悪い…
「お前…本当に『戦の国』の人間か? 」
人間から敵意や心酔が伝わって来ない事に、心中の疑心が強くなって行き、馬鹿正直にそんな事を聞いてしまう。
実際、『戦の国』では『不死』を敵だと認識させる、洗脳教育が当たり前になっている。
教育を受けた子供や大人は『不死』を目の敵にし、自分達から攻めてきているのに何か被害を受けると、被害者ヅラでギャーギャー喚いている。
だからこそ、こいつの思考が…この態度が…気に食わない。
「えぇ、残念な事に生まれも育ちも『戦の国』ですよ。でもなんで急にそんな事を? あっ、もしかして銃のこと気にしてます? 」
少年は私の返答を待たずにベラベラと喋り続けると、急に紬の袖から片手銃を取り出した。
けれど敵意は感じず、片手銃の安全装置は掛かったままだ。
「…撃たないのか? 」
「あなた達にこれだけで勝てるわけ無いでしょ。後、ここでは銃なんて撃ちたくありません 」
私の挑発に少年は開き直った様に銃口を自分に向け、私に片手銃の持ち手を差し出してくるが、肌に感じる未知の気持ち悪さのせいで反射的に銃を押し返してしまう。
「いや…それはお前が持ってろ。それよりこっちの質問に答えてくれると助かんだが? 」
「…! もちろんです! あなたの質問ならなんでも答えましょう 」
少年は声を弾ませながら片手銃を袖の中に入れ、腕に巻き付けているであろう留め具を止めてから片手銃を固定した。
…大体こいつの正体が掴めたような気がする。
私のような奴になんでも答えると言う姿勢、その言葉から伝わる歓喜と期待。
その感情から察するに、考えられる事は1つしかない。
「お前は…不死信仰者か? 」
不死信仰者と言うのは、不死を神の使いだのなんだので勝手に崇め、それに敵対する人間らを片っ端から殺していくと言う過激派組織だ。
そう言うしょうもない思想は様々な場所で広がり、『戦の国』にも少なからずだが、確実にそう言う思想は存在する。
『戦の国』の住人でありながらも『不死』を敵対視しておらず、ましては喜びの感情を持っているのであれば、それしか考えつかない。
「違いますよ! あんなめんどくさい奴らと一緒にしないでください 」
けれども愚痴る様に返ってきた答えは、私の予想とは大きく外れていた。
…いよいよ訳が分からない。
成長過程で刷り込まれた歪んだ常識は、そう簡単に変わる事はないと私は理解して………知っている。
だからこそ、こいつの存在全てが気色悪い。
「じゃあ…お前は一体なんなんだ? 」
「…ただ、夢を見過ぎた人間ですよ 」
少年はそう静かに呟いた。
けれど物静かな言葉とは裏腹に、私の肌に感じる感情は、一気にドス黒く濁ってしまう。
…この感情は、よく見た事がある。
嫌悪と言うには生温く、差別と言うには軽過ぎる感情…憎悪だ。
「…すいませんね、なんか厨二みたいなこと言ってしまって…他に質問はありませんか? 」
少年はもうこの話はしたくないと言いたげに、話題の方向を無理やり変えるが、私もこんな感情を感じて居たくはない。
だからこそ冷静に頭を回し、次の質問へと話を移す。
「…『神器』をこちらに引き取りたいんだが…『神器』は何処にある? 」
「…えっと、かなり烏滸がましいのは承知の上ですが…お互いに質問しあって、僕が満足したら出す…っていうのはダメでしょうか? 」
少年は使い慣れていない様な敬語で、私にそう頼み込んで来るが、烏滸がましいと自覚があるならわざわざそんな事を聞くなと思ってしまい、熱い血流と共に全身に苛立ちが回って行く。
けれど、ここで『神器』を無理やり奪ってしまえば、こいつが『戦の国』に帰り、『不死』の立場が悪くなる事を言われる可能性もあるし、欲を言うならば…『不死』を敵対しないと言う気持ちを失って欲しくない。
「…分かった。じゃあお前が聞きたい質問とはなんだ? 」
「ほんと無理を聞いて貰ってすいません…んでえっと、その仮面、取ってもらえることは出来ますか? 」
これは質問と言うよりお願いに近いものだが、その程度なら特に気にする事も無いなと思い、頭を締め付けている面を外して顔を顕にすると、汗ばんだ顔が風の冷たさを浮き彫りにさせる。
「これで満足か? 」
面を床に置き、こちらを向く狐の面に目を向けるが、少年からは反応がない。
それはまるで、感動のあまりに放心している様にも見える。
「おい? 」
「…あっ! ご、ごめんなさい。めっちゃ見惚れてました 」
女声のようにうっとりとした言葉が私の耳を叩き、私の頭中に甘い感情が快楽の様に広がっていく。
その感情は………言葉にしたくない。
こんな感情を向けられるのは気分が悪い。
「そう言うお前は…面を外さないのか? 」
話を逸らせばこの感情も止まるだろうと思い、こっちから話題を振ってみる。
けれど、それが間違いだった。
少年の甘く優しい感情はどす黒く淀み果て、肌に感じていた感情は臓物までに達し、それは腹を裂いてその淀みを取り出したい程までに不快だ。
私を見る2つの眼は光を…いや、元々光など宿ってなかったが、その闇は一層深くなり、際限なき絶望を具現した様に変わり果ててしまう。
「いえ…僕は絶対に嫌です 」
こいつと一緒に居たくない。
そう思えるほどまでの不快さに頭を冷やし、冷静にその絶望を見つめ返す。
「…本当に申し訳ないです。あなたに無理言ったのに僕は聞かないなんて… 」
私の目を見たのか、少年は冷静になった様に私から目を逸らし、そのまま申し訳なさそうに頭を下げるが、感情を感じれる私からはその申し訳なさすらも不快だ。
「いや…もういい。次の質問だ 」
この感情から逃れるようにとっとと話を終わらせ、次の話に移る。
「お前は…どうやってあの洞窟から『神器』を回収した? 」
「洞窟って、注連縄で囲ってるあの? 」
話がズレると、私の体内に巣食っていた淀みはごっそりと体から抜けて行く。
気持ち悪い気は無くなったが、どうも魂でも抜かれた様な気分だ。
「あぁ、あの洞窟だ 」
「えぇっと…どこから話せばいいか 」
なるほど、何かある様だ。
あの洞窟は『不死』の私でも入るのに躊躇した程の恐ろしさを誇っていた。
にも関わらず、人の身であるこいつはあの洞窟の奥へ入り込み、得体の知れない岩の刺さった『神器』を回収したと言う事は、あの洞窟には特別な入り方があるのか。
それとも、こいつはただの人では無いのか。
「話は聞くのは得意だ、適当に話してくれて構わない 」
「えっとじゃあ…お言葉に甘えます 」
少年はオドオドとしなから話を考えているが、そんな態度とは裏腹に、私に伝わる感情は嬉々としていた。
まるで誰かと話すのが楽しい様に…不快だ。
「あの洞窟に入るのには…1ヶ月くらい掛かったんです 」
「んっ? どういう事だ? 」
話を聞くのは得意だと言ってしまったが、唐突に話が始まったせいで前後の状況が全く分からない。
「分かりやすく言うとですね、初めて洞窟に入ろうとしたんですけど、怖過ぎて注連縄を通り過ぎた所で速攻で逃げたんです。でも、毎日毎日そこに行くと慣れてきて、1ヶ月くらいで洞窟に入る事ができたんです 」
分かりやすく言うと言った割には長ったらしかったが、その答えは納得できるものだ。
人はなんにでも慣れてしまう。
幸せに慣れ…絶望に慣れ…孤独に慣れ…別れすらも慣れて行く。
だから洞窟の恐怖に慣れる事など、1ヶ月の時間を有せば容易いものだろう。
「それで洞窟の中に入ったんですけど、陽の光は入らないわ懐中電灯の光は機能しないわで進めなかったんです 」
そらそうだろうな。
あの洞窟は『神気』の影響か、光が一切入らないようになっている。
音の反響で周りを認知できる耳を持っていなければ、暗闇の恐怖と『神気』のおぞましさで、普通の人なら進む事はできない。
けれどこいつは、あの洞窟から『神器』を持ってきた。
…何かあるはずだ。
「えっと…でもあるものなら洞窟の闇を晴らす事ができたんです 」
「…それは? 」
「松明でした 」
松明…か。
確かに私は松明など試した事は無いが、懐中電灯がダメなら松明を試そうなど、普通思うか?
「なんで松明を試したんだ? 」
「陽の光がダメなら火の光で良くね?って軽いノリで…そしたら1発で行けました 」
少年は私から目を逸らしながら、恥ずかしそうに声を細めるが、私からすればその理論はめちゃくちゃものだ。
無理に例えるなら、火を消す水がないから尿で水を消そうと考える様なもの…それで答えを見つけたのだから、余程運が良かったのだろう。
「それで洞窟の奥に進んだんです。そしたら…縦穴が見えて、その中を炎で照らすと刀が見えたんです。だからそれを保護し、ここに持って来ました 」
(……… )
私は『神器』の事を1度も刀とは言っていない。
なのに刀と言うのであれば、こいつは実物を見たと考えていい。
が、こいつは何か隠している。
そういう感情をしているから分かってしまう。
別に隠し事にどうこう言うつもりは無いし、誰にでも隠し事はあるからそれが悪だと決め付ける事も無い。
だがこいつは、私に向かって『なんでも答える』と言った。
その感情に偽りはなかった。
だからこそ気になる。
こいつがそこまでして隠したいものが何かを…
(…揺すってみるか )
「なぁ 」
「はい? 」
「お前が何を隠してるかを問い詰めることは無い。だが、それで信用を失うのはどっちだ? 」
「……… 」
(さて…引っかかるか? )
普通ならこの言葉は全く揺すりにはなっていない。
けれどこいつは、形は違えど『不死』を好いている事は確かだ。
私にとってこいつは、大勢居る人の中の1人に過ぎないが、こいつからとって私は信仰の対象が目の前に降りて来た様なものだろう。
その証拠に、こいつの感情はかなり揺れている。
「はぁ…卑怯ですね 」
「ただボヤいただけだが? 」
「はいはい、なら隠してる事はお伝えしますよ 」
(掛かったな )
これでこいつが隠したい事実を知る事ができる。
「えっと…まず、岩に刀が刺さってたら『わー神器だー』…とはならないでしょ? 」
「まぁ、言われてみれば 」
「最初はただの刀だと思ってましたけど、刀からは黒い霧が出てたんです。あぁ、もちろんただの霧じゃありませんよ。触れた指が壊死寸前まで行きました。それで確信したんです。あぁ…これは神器なんだなって 」
刀が『神器』であると確信した事と、指が異質に変色した理由は分かった。
だが隠してるのはそれだけでは無い。
「で? 何故、持ち出した? 」
「…この里に、チラホラ人間達を見るようになったからです 」
…なるほど、こいつが考えている事がだいたい分かって来た。
『和の国』の人間は人外達を辺境に追いやったは良いが、逆に人外達が何を考え、何をしているかを正確に分かっていないため、辺境に追いやった人外は復讐を企んでいるのではと怯えている。
そんな奴らからしたら、人外が死んでくれたのはいい機会だろう。
この里から人外が居なくなっている事を正確に確認すれば、すぐにでもこの里の資源や文化を根こそぎ奪いに来る筈だ。
無論、あの洞窟も時間はかかるが調査はされ、見つけられた『神器』は国の手に渡ってしまうだろう。
けれどこいつからは善良な感情を感じた。
そこから推測するに、こいつは『神器』で人が死なないよう回収したのだろう。
「つまりお前は…人を守りたかったんだな? 」
「いえ、人は基本どうでもいいです 」
…待て待て、また訳わかんなくなったぞ。
「じゃあお前は…なんで自分が死ぬ可能性がある事をしたんだ? 『神器』を人の手で触るのは危険だって事くらいは全国共通な筈だぞ!? 」
「…『神器』には少なからず意思があるでしょう? だから人の手では無く、しっかりと力を使える不死さんに渡したかったんです。まぁ、使い手さんが善悪かは知りませんけど 」
最後の言葉は妙に引っかかるが、そんな事よりも気になるのは、何故こいつが『神器』に意思がある事を知っている? という点だ。
「…ずいぶん詳しいんだな 」
「えぇ、ここに住んでた狐さんに色々と教えて貰いましたから 」
狐か…
数百年も生きている人外なら、不死の情報を持っていても不思議では無いと思えるが、この里の状況を見るに、その狐とやらは既に死んでいるだろう。
だが意外な事もあるもんだ。
人外である狐が人と対話し、人にものを教えたのだから。
(………? )
そんな事を考えている刹那、強烈な違和感が頭の中で引っかかった。
それは自分が何か重大な事を見落としてると伝えてくれる。
(なんだ? 何を見落としてる? )
右手で頭を抑え、必死に脳みそを回す。
そして…やっと気が付いた。
最も重大な事を見落としていた事に…
(…なんでこんな事を見落としてた! )
激しい怒りが体を操り、頭を抑えていた指の爪が頭皮を抉る。
馬鹿だ…こんな事を見落としてるなんて…
これで何が平和を続けるだ…
お前には何も出来てないじゃないか…
お前なんて…死ねばいい…
いやダメだ、死んだらいけない…
抑えていた感情が1つの失敗で渦を巻き、吐き気が胸の中を掻き回し始める。
気持ち悪い…気持ち悪い…気持ち悪い!!
「不死さん、自傷しても傷しか残りませんよ。えっと…こんな風に… 」
けれどその気持ち悪さは、袖を捲られた少年の左腕を見た途端に動きを止めてしまった。
見せられた少年の腕には、様々な角度から斬られた様な傷が残っており、古いものから最近に傷付いたであろう、赤い傷跡も残っている。
「どうしたんだ…それ? 」
「自分が許せない時に…どうしようも無く苦しい時に腕を裂くんです。刃物は怖いので、噛んで尖らせた爪でね 」
その言葉を聞いて、ある考えが頭の中に思い浮かんでしまった。
(あぁ…その程度で傷が残るなんて………羨ましいな )
「それで不死さん、何か気になる事でもあるんですか? 」
「んっ? …あぁ、ある 」
羨ましさのあまりに思考が停止していたが、その言葉で慌てて止まっていた思考を動かし、私が見落としていた重大な事を質問する。
「戦と和の境に『神気』を帯びた森があるだろ? 」
「神気は知りませんが森はありますね 」
「…あの森は人や電子機器を惑わすものだ。なのに何故…お前はここに居る? 」
自分で言ってはなんだが、この問題は今後の『不死の国』のあり方にも影響する、重大なものだ。
和と戦の森は、『不死の国』の北に位置する『迷いの森』と同じ性質を持っている。
技術力では秀でている戦の奴ら和の国へ侵略ができていない理由はそのためだ。
けれどこいつがここに居ると言う事は、あの森には抜け道があるのか…それとも何かしらの方法で、その性質を無視できるのか…いや、どっちにしろ問題な事には変わりは無いな。
「それはッスね、森の法則を知ったからです 」
「…はっ? 」
必死に思考を回し、帰ってくる答えに備えて知識を集めていたが、必死に集めた知識は弾むような一言によって霧散してしまった。
「待て待て! 森に法則があるのか!? 嘘だろ!? 」
「嘘なら僕はここに居ませんよ 」
帰って来た答えが正論過ぎてまたも思考が止まっってしまたったが、今度はそのお陰で冷静に頭を回せる。
「すまん、また声を荒らげてしまった…でだ、その法則ってのはなんだ? 」
「ちょっと長くなりますよ? 」
「構わねぇから話せ 」
「分かりました。森の法則、それは行動方向を無意識にズラす事にあるんです 」
自信満々に、しかも声を弾ませてこいつは語るが、私の理解力がないのかこいつの説明力がないのか分からず、話の全貌を全く理解できない。
「えーと? つまりどういうことだ? 」
「簡単に言いますと、前へ進めば左に、左に進めば後ろに、後ろに進めば右へ、右へ進めば前へ、と言うように1つズレるんです 」
この言葉が嘘ではないと、声に乗る感情やこの現状を見れば容易く分かるのだが、どうも腑に落ちない。
そんな簡単な法則で、人が何十年も惑わされるものなのか?
もちろん、私が答えを聞いてから考えたために、簡単に思えることもあるが、そんな単純なものならば、何十年もあれば1人くらいは気が付きそうな法則だ。
「そんな簡単なものなのか? 」
「簡単と言えば簡単なんですけどね、この無意識にってのが…ヤバい? 危ない? えっと… 」
「厄介? 」
「あぁそうです! 厄介なんです。街をふらっと歩いていると、不意に自分の居場所を見失うじゃないですか。森はあれを意図的に起こすんです。だから自分が動いてる方向や景色の変化…ぶっちゃけ言えば歩いてる地面の変化にすら気が付かないんです 」
…なるほどな。
不死は『迷いの森』に影響されないため、こんな事を聞かなくても別にいいのだが、この答えを聞いて1つ確かめておきたい事がある。
答えようでは、こいつをここで殺さなければならない。
いや、そっちの方が楽だな。
目撃者も居ないし…『神器』がこの社の中にある事は確定してるし…うん、さっさと質問に答えて死ね。
「なぁ、お前が何故ここに居るかは分かった。だが解せないのは…お前が何故、その情報を国に売らないんだ? 」
質問をしながらも、殺気を出さずに全身に気を巡らせる。
こいつが質問に答え次第、苦しませず、綺麗に殺す気だったが、私の肌に感じる感情には焦りも後ろめたさも無く、ただただ底のない純粋な憎悪が私の肌に沈んで行く。
「あんな国に情報を売るくらいなら、もう一度首を括りますよ 」
…気持ち悪い。
いや、この憎悪は2回目だから別段気にならないが、嘘偽りが無い言葉で首を括ると言うこいつが気持ち悪い。
「何故だ? 情報を売れば地位も70年くらいは贅沢して暮らせるほどの金が手に入るだろ? 」
「それは奴らが欲しがるものでしょ? 僕は…故郷の人間が嫌いなんですよ 」
こいつが言う奴らとは、戦の人達だろう。
確かに奴らは己の地位や金ばかりを気にし、意図的に不死に戦争をふっかけて金を貪りとっている。
不死には勝てない。
だからこそ、新しい武器が飛ぶように売れ、一部の者が莫大な利益を産む。
だからこいつは…あぁ、そういう事か。
やっと納得ができた。
こいつが教育を受けたにも関わらず、不死を敵対しない理由を。
人は嫌いな者とは違う行動をしたがるものだ。
暴力を受けた者は暴力を嫌い、性犯罪を受けた者は性欲を嫌い、他者に裏切られた者は他者を嫌う。
それと同じだ。
こいつは…不死を嫌う奴らを嫌い、そいつらとかけ離れた存在になるべく、不死を好くようにした。
やっと理解できたよ。
こいつの過剰な程までの人外への好意を…
そう考えてみると、途端にこいつが悲しい存在に思えてきてしまう。
「…なるほどな 」
「えっ? 普通疑いません? そんな理由なんて金の前では無意味だ的な感じで 」
「言ってる事はよく分からないが…お前の考えは理解できるよ。誰だって…嫌いな者とはかけ離れた存在になりたいもんだろ? 」
ただ私は当たり前の事を言ったつもりだ。
けれどこいつは、憎悪を生温く甘ったるい喜びに変え、絶望の眼に希望を灯した。
少し前の私なら、内心では気持ち悪いと思って居ただろうが、もうそうは思えない。
今はただ…可哀想だとしか思えない。
「ははっ…そう、ですか………うん、そうですよね。えへへっ 」
繰り返し確認するが、私は当たり前の事を言っただけだ。
なのに何故…こいつの感情は温かい?
まるで幸福の余韻を貪るように、傷だらけの腕を胸に寄せ、微かなため息を仮面の下から漏らしている。
言っちゃ悪いが………純粋に気持ち悪いな。
「あはっ…えっと…それじゃ神器を持ってくるので…少しお待ち下さい 」
「…もう質問はいいのか? 」
「えぇ…もう満足です 」
少年は突拍子もなく神器を持ってくると言うと、腕の骨が軋むほどの力で胸を押さえながら立ち上がり、フラリ…フラリと軋む廊下を進んでいく。
あまりにも不安定な足取りを見て、肩でも貸してやろうかとも思ってしまうが、そんな事を思っているうちに、あいつは廊下の曲がり角を進んでおり、既にその背中は見えなくなっていた。
「…はぁ 」
さっきまで気持ち悪いだのなんだの考えていた割に、急にあいつを心配し出す自分に気持ち悪さを覚えてしまう。
曇り無き気持ち悪さを紛らわすため、前髪を鷲掴みにして永遠とため息を吐いていると、ふと…無臭の空気にある臭いが混じった。
最初はその臭いが何か分からなかった。
けれど、この臭いの名前を探そうと記憶を漁る脳を置いて、それを嗅ぎなれた鼻はある言葉を脳に浮かべた。
死だ…
死の臭いがする。
しかもそれは…廊下の向こうから…
死の臭い…死の感覚…死の感情…
この場に似つかわしくない死の気配に当てられた体は関節を軋ませる事無く立ち上がり、床に置いた刀を無音で帯に差す。
足は軋むはずの廊下を無音で進み、腕は間合いに敵が入った瞬間、首や心臓を狙う力み方をしている。
気配を消し、己の感情を消し、窓から差す夕暮れに映し出された影の気配すらも消す。
そうして廊下を進んでいると、声が聞こえた。
あいつの…少年の声だ。
「あぁ、どうも………えっと、取り敢えずこんばんは………あぁ、はい。あなたの言う通り、少し嬉しい事がありまして…今絶賛浮かれてるんです 」
誰かと話しているにしては話に穴があり過ぎる。
けれど肌に感じる感情は、この向こうに2人いると語っていた。
「あぁ…えっと…触りますね………失礼します………大丈夫ですよ、今は受け止められなくても。今はお互い時間が必要です。でも、あの人達が貴方の前に来たら、抱きしめてあげて下さい。叩かれても、殴られても、罵られても、優しく抱きしめて下さい。それが多分…貴方やあの人達が望んでることですから…まぁ僕は貴方達の気持ちなんて分かんないんですけどね 」
あいつはまるで誰かを元気付けるように言葉を投げかけていたのだが、最後の最後で皮肉を吐いてしまい、少年とは違う者の感情は冷ややかなものに変わってしまう。
恐らくだが、死の臭いはそのもう1人からしている。
死の臭いを放つ何かを確かめるため、空気の乱れすら消して曲がり角から視線を覗かせると、そこにはホコリが溜まる窓のない廊下の上で、蹲るようにして膝を着く少年の姿があるだけで、あいつ以外の姿や形は存在しない。
「あーすいませんね。僕…どうしても現実を見てしまいますから………んっ? 」
私は音も気配も呼吸の乱れすらも消していたのに、あいつは私に気が付いたように振り向いたが、刹那…死の臭いが顔全体を叩き、死を警戒していた体は神経を逆立てた。
「うおわぁ!!? えっちょ…いつからそこに!? 」
けれども私の耳に届いたのは、悲鳴にも近い叫び声だった。
私の耳を悲鳴が叩くと、辺りに感じていた死の臭いは残り香と変わり、2人分あった筈の感情はたった1人の焦りと恐怖に変わっていた。
「なんで音もなく来たんですか!? 心臓止まったらどうするんですか!! 」
「あっ…すまん。ちょっと変な気配が……… 」
恐怖を吐き出すように叫ぶ少年に軽い謝罪と言い訳をしようとしたが、その言葉は少年が持っている物に遮られてしまった。
少年が持つ物…それは黒い刀だった。
その黒は月光がない夜よりも深く、意識を引き込まれるほど底が無い黒をしている。
けれど刀身は薄くしなやかであり、恐ろしさと美しさ、その両方を備えた異様な刀だ。
「それが…『神器』か? 」
「はい。よも…じゃなかった、あの洞窟にあった神器です 」
少年の言葉には偽りは無く、本当のことを言っているだろう。
けれどこの刀を神器と言うには、何か引っ掛かりがある。
私が持っている神器とは似ても似つかない神気を放ち、その雰囲気は物ではなく人の様に感じ取ることもできる。
いや…神気を放ってる時点でこれは神器だろうが、これは普通の神器と何かが決定的に違う。
そんな違和感を確かめるため、腕を伸ばして黒刀に触れようとするが、少年は焦りの感情を全身から吹き出し、咄嗟に私の腕を肩で弾いて黒刀を抱え込んだ。
「おい? 」
「驚かなくて大丈夫ですよ、この人が不死さんです。驚くのは分かりますがどうか落ち着いて下さい 」
指一本で殺せそうな少年に腕を弾かれた事に酷く驚いたが、それ以上に気になるのはこいつの独り言だ。
普通なら他の者が居たり、酷く考え込んでいる時以外は独り言などはしないだろう。
けれどこいつは抱えんでいる黒刀に向かって言葉を投げかけている。
…まさか……
「なぁ…お前は神器と会話できるのか? 」
「…? いえ、出来ませんよ。出来たらもっと楽しいでしょうに 」
(………? )
どういう事だ?
いや…マジでどういう事だ?
さっきの会話は私に聞こえない声と会話している訳ではなく…本当に独り言だって言うのか?
そんなの…ただの狂人じゃないか…
「あっ…えと…すいません。これじゃただの変人ですよね 」
「…まぁ、気にすんな。誰でもそうなる事はある 」
少年は縮こまる様に猫背になると、頭を抱えて後悔などの様々な負の感情を私の肌に突き刺してくるが、何故か私の言葉を聞くと、その感情を胸を温めるような感動に変えてしまった。
…こいつは忍並に感情の変化が目まぐるしいな。
「あぁえっと、それじゃあこの人は悠人さんに渡して下さい 」
「…はっ? 」
突拍子もなく出てきた名にただ困惑し、頭が白くなってしまう。
だってこいつは…なぜ悠人の名を知っている?
人の頃に面識があったならまだしも、なぜこいつが不死になった悠人の事を知っている?
困惑を解消するために思考を回し、こいつがどうやって悠人の名を知っているのか理解しようとしていたが、こいつからしまったと言いたげな焦りを感じた瞬間、右手は刀を抜いた。
殺す為ではなく脅すために刀を振り、刀身が肌一枚を切った所で刃にブレーキを掛ける。
「なぜお前は…神器を悠人に渡せと言った? それは悠人が不死になったと言ってる様なものだぞ? 」
「えぇっと、一から説明すると多分日が暮れるので端折って説明しても良いですかね? 」
刀は皮膚を破り、赤い鮮血が銀色の刀身に広がて行く。
首の傷は小さいが確実に痛みはあり、鉄の冷たさを肌の下で感じているはずだ。
なのに何故…些細な事で驚くこいつが何故これで動揺しない?
そのせいで逆にこっちが動揺してしまう。
「…あぁ 」
「えっと…僕は予知夢みたいなものが見えるんです。だから悠人さんが不死になってる事を知ってますし、この人…この刀が悠人さんの力になる事を知ってるんです 」
その言葉に乗せられた感情で、こいつの言い分が嘘ではない事は分かる。
だが納得出来るはずは無い。
不死でも無く、ただの人であるこいつが予知夢など………いや、1つだけそうなれる方法があった。
そう考えれば色々と辻褄が合うし、こいつの独り言の理由も分かる。
だが反応を見るに、こいつは何も見えていない。
そんなの………
「…はぁ 」
嘘を付いておらず、そういう複雑な事ならこれ以上問い詰める理由もないと考え、刀にへばりつく鮮血を剣圧で落とし、鞘に銀色の刀身を収める。
「…急に脅して悪かったな 」
「いえいえ、ちょっとチクッとしただけですから。それでえっと、この人は………」
「安心しろ。お前の言う通り悠人に渡すよ 」
「そうですか…ありがとうございます 」
どちらかと言えばお礼を言うのはこっちだが、こいつにしか見えない…いや、感じれないものがあるんだろうと考え、礼に軽く頷いてから刀の柄をゆっくりと右手で握り込む。
すると指先から肩まで一気に悪寒が走り、まるで気を少しでも抜けば死ぬと体が訴えてくる。
(間違いない、あの洞窟の神器だな… )
これがあの洞窟にあった神器だと確信し、握り込んだ刀を鞘に収めようとするが、そう考えてやっと自分が鞘を持って来てない事に気が付いた。
「あー…鞘はないのか? 無いなら布でいいが… 」
「あっ、忘れてました。えぇっと確か… 」
少年は慌てるようにホコリが溜まる廊下に足跡を付け、何かを探すように廊下に置かれている、かび臭い棚の扉を開け始める。
しばらくし、少年が安堵のため息を漏らすと、扉が全て空いた棚から白い鞘が姿を表した。
「はい、これが鞘です 」
「これがか? 」
「はい。これが1番いいものです 」
少年は白い鞘に付いたホコリを指で取り除き、鞘口を私に差し出してきたが、それを二つ返事で受け取ることは出来なかった。
なぜなら、差し出された鞘は中が虫に食われた様なスカスカな木で出来ており、鞘を色付ける白も素人が塗装したように塗りムラがかなり目立っているからだ。
恐れ多くも美しいこの刀に、こんな不出来な鞘を収めるのは正直気が引ける。
けれど刀から感じる悪寒は鞘の方に伸びていき、まるで刀が鞘に手を伸ばしているようにも感じることができてしまう。
「……… 」
しばらく無言で悩んだが、真白から言われた『神器の意志を尊重する事は大事』という言葉を思い出し、左手で鞘を握りしめる。
黒い刀身を鞘の口で滑らせ、しなやかな刀を大きさが合わない鞘に収めると、私の肌に感じていた悪寒は完全に収まり、刀からは安心している様な感情を感じれる。
どうやらこいつの言う通り、これが1番いいもののようだ。
「…色々ありがとな。お前の助言が無けりゃ私はここで死んでたかもしれねぇ 」
「じゃあ僕達は…お互い救われた者同士ですね!!! 」
少年は音量調節を間違えた様な大きな声を廊下に響かせたが、声の感情を知れる私にとっては、その言葉の真意を知れてしまった。
だからこそ言葉にはあえて触れず、笑みだけを返す。
「…あぁ、そうだな 」
私の笑みを見ているのか、少年はボヤけた虚ろな目で私を凝視している。
少し前なら気持ち悪いと思っていたこの目も、今では哀れみの気持ちしか出てこない。
そんな思いを胸に、私を凝視する絶望の瞳を見つめ返していると、突然…鋭く高い音が無音の廊下に鳴り響いた。
不快な音の発生源に目を向けると、そこには少年の腕に嵌められた黒い時計が見える。
その時計は小さな赤い光が点滅しており、少年はその光を悲しげに見つめていた。
「あっ…すいません、そろそろ帰らないと 」
「…そうか。んじゃ私も帰るよ 」
「そうですか…気を付けて下さいね 」
「…お前もな 」
人間から心配されるなんて、私にとっては不快でしか無いが、この悲しい存在に哀れみを思ってしまい、咄嗟に心配の言葉が口から出てしまった。
すると少年は照れくさそうに両手を重ね、生暖かい感情が私の肌に感じ始めた。
「あぁ…えっと…はい、気を付けます………えっと、ちょっと…拝殿で待ってて貰えませんか? 」
「…? あぁ 」
急にかしこまった様子で、ハッキリしない言葉を私に投げかけてくるが、まぁ断る理由も無いだろうと考え、その様子に不思議がりながらも頷くと、少年は廊下のホコリを舞わせる様に慌ただしく走り、私の横を通って拝殿とは真逆の方へと行ってしまった。
あいつが何をしに向こうに行ったという理由には興味がそそられるが、拝殿で待てと言われからには何か見せたくないものがあるんだろう。
深読みし過ぎな気もするが、他人が見せたくない物を無理に見ようとするほどの屑にはなりたくない。
そう考え、白い足袋で廊下のホコリを掃除しながら拝殿へと戻る。
戻った拝殿には2人分のクッションとコーヒーが入ったカップが残っているだけだ。
先程と同じ景色…なのに、なのにだ、何かが足りない…そう感じてしまう。
けれど何が足りないのか分からず、ホコリが薄く積もる拝殿を眺めていると、私が最初に入ってきた入り口から見える景色はすっかり黄昏時になっており、電気も…ましてや人が灯す炎もない里は既に夜の闇に飲まれていた。
(暗い…からか? )
確かにこういう場所は、人の気配や日が暮れるとガラリと雰囲気を変わるため、この変な空気は時間のせいかと考えてしまうが、結局ハッキリとした答えは出てこない。
拝殿に漂う妙な空気に首を傾げながら、答えが出ない疑問の答えを永遠と考え続けていると、後ろから廊下を軋ませる音が聞こえてきた。
「お待たせしてすいません、ちょっと奥の方に入れ過ぎてました 」
「そこまで待ってねぇから大丈夫だが…そりゃなんだ? 」
後ろを振り返ると、微弱な月明かりが差す廊下から、ゴムでまとめられた分厚い紙の束と赤い表紙の本を持った少年が顔を出してきた。
「これですか? えっと、戦の機密情報もろもろとただの本です 」
「…それをどうする気だ? 」
「えっ? そりゃあサプライズ的なあれであなたに渡そうと思っただけですけど………迷惑でした? 」
こいつの持っている力を使えば、機密情報を探ることなど書かれた文字を書き写す並に楽な事だろうが、普通…機密情報を敵国にホイホイ渡すか?
いや、こいつの感情や人外への崇拝に近い愛情なら、爆弾を巻いて敵陣で自爆してこいと言われても喜んでするだろう。
(……… )
こいつの狂った愛情に若干顔を顰めながらも、仕方なく真偽か不明な情報とやらを受け取ろうとした瞬間、自分がまた大事な事を見落としている事に気が付いた。
「つかお前…私がここに来ることを知ってたのか? 」
「はい、そりゃあ夢で見ましたから。でもいつ来るかは分かんなかったので、ずっとここに置いてたんですよねー 」
「………そ、そうか 」
夢で見たからと全く知らないであろう私を待ち続け、危険な神器や機密情報まで準備していたこいつの狂気さになんとも言えない感情が込み上げ、最早苦笑いしか出てこない。
だがまぁ…1人で狂っているだけマシか。
「でえっと、受け取ってくれます? 」
「…あぁ。有難く受け取らせて貰う 」
「…! それはとても嬉しい限りです!! 」
慣れない言葉を使いながらも、少年は嬉しそうに私の腕に書類や本を乗せてくる。
それだけの重さなら全く速度に制限はないが、刀に書類に本と荷物を増えた状態では、流石に動きに制限がついてしまう。
何か袋でも欲しいところだが…まぁいい、ゆっくり帰るとするか。
「じゃ、私は帰らせて貰うな 」
「はい、気を付けて下さいね。あっ、それと… 」
少年は私に嬉しそうな感情を放ちながらも、何か思い出したように薄暗い拝殿の角に小走りで向かうと、月光の影で隠れた場所から私の狐面を拾い上げた。
「忘れ物です 」
「あぁ、すっかり忘れてたな。本の上にでも置いてくれ 」
「はい! 」
少年は私の言葉を素直に受け入れ、赤い紐が付いた顔だけを隠す狐面を赤い表紙の本の上に置いてくれたが、今更ながらこの本はなんの意味があるのかイマイチ分からない事に気が付いた。
「なぁ、この本ってなんなんだ? 」
「あっ、すっかり忘れてました。それは僕が書いた本ですよ 」
んっ? どういう事だ?
戦の機密情報を受け渡してくれるのは分かるが、何故ここで自作の小説を私に渡すのかが全く理解できない。
「なぁ…感想を欲しいって言われても、私には読む時間もお前に感想を送る手段もねぇぞ 」
「あっ、貴方に読んで欲しいんじゃなくてえっと…他の人に渡して欲しいんです 」
「悠人か? 」
「いえ、真白さんに… 」
さっきと同じように、こいつが知り得るはずも無い奴の名が出てきた事に一瞬驚いてしまうが、知り得るはずも無い事を知れるなど、こいつなら可能だろうと何故か納得してしまう。
「あの人は…読んでくれすかね? 」
「多分読むと思うぞ、あいつ本好きだし 」
「あっ、なら良かったです 」
少年は心底安心したように仮面の下でため息を吐く。
何故読んでもらえるだけでそこまで安心したような感情を出せるのか疑問にも思うが、まぁそこは理解しようとしても理解できないだろう。
まぁ、理解しようとするつもりもない。
「あっ、それじゃあ僕は戸締りして出ますので、お先にお帰りください 」
「…あぁ 」
誰も来ず居ない場所なのに、戸締りをしようとするこいつは善人と言うより狂人に見えるが、それだけここに思い入れがあるんだろう。
…そんな事はどうでもいいか、こいつとは二度とあう事はないだろうから。
そんな事を思いながら拝殿から外に出ると、さっき見た暗闇は更に濃くなっており、文字通りの暗闇が無限に続いているようにも見える。
だがまぁ、闇に慣れた私の目にはなんの問題もない。
「さてと… 」
両手でしっかりと書類やらを抱きしめ、草履を履いてそのまま境内を飛び立とうとした瞬間、後ろからドタバタと一際騒がしい音が聞こえた。
その音に足を止め、騒がしい音が近付いてくるのを少し待っていると、案の定暗闇の拝殿から顔を出したのは狐面を付けたあいつだった。
「あー…はぁ、間に合って、はぁ…良かった… 」
「どうしたんだ? そんなに慌てて 」
「あぁいえ、ただ1つ聞くのを忘れてた事がありまして 」
少年の必死そうな感情を感じるに、それはこいつに取ってはかなり大切な事だとすぐに分かった。
だからこそ足を止め、しっかりとこいつの言葉に耳を傾ける。
「…それは? 」
「あなたのお名前を聞き忘れてました 」
だが帰ってきたのは、逆にこっちが何故?と聞き返したくなる様な質問だった。
「いやお前、わざわざ言わなくても私の名前くらい知ってるだろ? 」
「いえ、確かに夢とかでなんとなく分かるんですけど…正直、正夢と普通の夢の区別がつかないんです。だから忘れちゃうんですよね 」
「あー…なるほどな 」
私は寝ていると未来の出来事などを察知できるのかと思っていたが、こいつが言うには『夢と正夢』の区別は完璧についておらず、こいつにとっては夢かと思っていたら正夢だった程度なのだろう。
なら私の名前を知らずともおかしくは無いなと思い、少年に気さくに笑いかける。
「私は大和だ。お前の名は? 」
「えっ!? ぼ…僕の名前ですか? 」
「あぁ、名乗られたら名乗り返すもんだろ? 」
「あぁ…まぁ…そうですね。えっと、悠翔…悠翔って言います 」
「そうか…んじゃな、悠翔 」
「…はい、さようなら大和さん 」
初めてお互いを名前で呼びあったが、それが別れの挨拶となってしまった。
足に力を込め、重心を移動させ、膝に掛かった負荷を一気に解放して跳躍する。
飛び上がった体は最高到達点に達すると浮遊感が体を包み込み、地面へと勢いが乗った体が迫るが、その勢いのまま着地した膝に負荷を溜め込み、今度は直進力として地面を蹴る。
これから神器を回収した事やら人外の事やらを『和の国』に報告しなければならないのが鬱陶しいが、まぁ平和維持には必要なことだろうと割り切り、冷えた夜の空気を肺に取り込みながら、夜の世界を駆けた。