第12章 黒い何か
辺りを見回すと、私は外に居た。
何処か見覚えがある木々、見覚えがある地面、見覚えがある夜空。
そんな懐かしくも忌々しい世界で1人、記憶が無いまま立っている。
「ここ…は? 」
自分の居場所が分からず、戸惑いながらも辺りを見回していると、視界の端で明かりが見えた。
「っ!? 」
明かりに反応して体の向きを変えると、そこには巨大な炎に包まれる家が見えた。
誰かの家が燃えている…
その家の屋根に炎がのしかかると、建物は崩壊する様に崩れ、木材が地面に落ちる激しい音が耳を叩く。
「誰か!! 」
崩壊しゆく家の中から、女性の悲痛な叫び声が聞こえた。
それは…母のものだ。
「お母さん!! 」
夜の世界に響く炎の音は焦りを肥大化させ、感情に押される様に燃え盛る家の中に突っ込むと、巨大な木に下半身が囚われている母が目に入った。
その口からは血を流しており、内蔵が傷付いていると容易に想像ができる。
早く助けないと…手遅れになる。
「雅、逃げて! 」
母は私を思ってか、必至にそう訴え続けるけど、私にはそんなことできない。
だって私は…家族だから。
「待ってて!! 」
母の下半身を押さえ付けている木を退かそうと、その木に触れるが、木は炎で熱せられているからか、体が手を離せと叫ぶほど熱い。
けれど母を助けたい一心で腕に力を入れ続けるが、その木は少しでも動かない。
原型をあまり留めてないが、恐らくは柱に使われていた木だろう。
「私を置いて逃げて雅! お願いだから! 」
「お母さん! 」
炎はすでに母の足元まで迫って来ている。
(私の力じゃ…ゆいか他の人達を!! )
自分だけの力では無理だと悟り、助けを呼ぶために熱い木から手を離して燃え盛る空気の中で息を吸った。
その瞬間、後ろから土を擦る音が聞こえる。
助けが来てくれたのかと思った。
けれどその足音の主が、助けに来てくれたのではないと瞬時に悟る。
自分の顔にも腕にも背中にも、全身のありとあらゆる場所に鳥肌が立ち、体が危険を通り過ぎて死を実感させる。
自分が炎の中に居る事など忘れ、ゆっくり…崩壊する建物の中で振り返ると、そこには黒い霧を纏う、人型の何かがいた。
それを見た瞬間、体が動かなくなってしまう。
だって…動いたら死ぬと体が訴えるから。
けれど炎は無情にも止まらずに母の足を炙り、肉が焼ける臭いと悲痛な叫び声が耳を叩く。
早く助けないといけない。
でも…圧倒的な恐怖の前で動けない。
火傷を負った手の痛さを忘れるほどの恐怖。
背中だけが冬の川に漬けられた様に冷え、痛みを覆い尽くす程の恐怖が体を震わす。
母の叫び声と崩壊する家の音を、何も出来ずに聞き続けていると、黒い何かは初めからそこに居なかった様に消えてしまった。
「…えっ? 」
突如として消えた何かに困惑していると、隣から何かが落ちる音が聞こえ、さっきまでの事が嘘の様に、母の悲鳴が聞こえなくなった。
固まった首を軋ませながら、ゆっくりと隣を見る。
するとそこには、刀の様なものを両手で構えるあの黒い何かと、鮮血を零す母の生首が見えた。
水が入った竹を倒した様に首の断面からは血が零れ、茶色い床に赤い液体が広がっていく。
「あ…なん…で… 」
私を見つめる、光の消えた母の瞳。
その眼を前に動けないで居ると、天井の一部分が悲鳴を上げながら崩壊した。
けれど死人の目が私を捕え、絶望に巻かれた体は動かない。
私の隣に燃える屋根の一部分が落ち、飛び散った木片は私の頬に突き刺さる。
痛い…
けれど動けない。
だって…お母さんを置いて行けないから。
私を見つめる死人の目に焼けた手を伸ばそうとした瞬間、天井が大きく軋み、視界を燃え盛る炎が埋め尽くす。
目の前に現れた死を前に何も考えられない。
けれど突如として襟を引っ張られ、私を死から逃がす様に何かから放り投げられた。
「っう!? 」
「雅? 」
回る視界に割れた窓を見えた瞬間、顔面から窓にぶち当たり、外に投げ出された。
落ちる視界には地面が見えたが、そこには鋭利な木片や硝子が私を待ち構えていた。
「っ!? 」
咄嗟に手で顔を守ろうとするが間に合わず、その木片達が目に突き刺さり、今までに味わった事の無い痛みが体を跳ねさせる。
(痛い! 痛い!! 痛い!!? )
「雅! 」
目に突き刺さった木片を取ろうとするが、腕や体、足にまで木片が刺さっており、体が少しでも力む度に激痛が脳を引き裂いて行く。
激痛の中で必死に破片を抜こうとするが、手の平は焼け、痛くてどうしようもできない。
(なんでこんな目に…誰か…誰か… )
自分ではどうしようもできない中、必死に助けを求めていると、不完全にしか見えない視界に映りこんだのは、黒い霧を纏った…何………か?
「雅!! 」
「っ!? 」
耳元で大声で叫ばれ、反射的に耳を塞いでしまう。
耳の痛みを感じながら、ゆっくりと目を開くと、そこにはただ白い空間が広がっていた。
どうして目が潰れた筈なのに目が見えるのだろうか…ここは死後の世界とでも言うのだろうか…
鈍い痛みが走る頭で、そんな事を考えてしまう。
「ここ…は? 」
「…ここは『不死の国』だ。大丈夫だから、落ち着いて息をゆっくり吸え 」
知らない人から言われるがまま、ゆっくり呼吸をしていると、朧気だった体に感覚が戻って行く。
高まっていた心臓は落ち着き、気だるい倦怠感と共に微睡んでいると、視界の端に、雪の様に白い髪が見えている事に気が付いた。
「あ…ん…? 」
霧が晴れて行く様に戻る感覚の中、自分が誰かから抱きつかれている事に気が付くが、不思議と振りほどこうとは思えない。
むしろこのまま眠ってしまいたいくらいに、心地がいい。
そんな、ずっと昔に感じた事がある温もりに心を奪われていると、霞がかる頭の中に、1人の名前が思い浮かんだ。
「大和…さん? 」
「あぁ、大和だ 」
名前を思い浮かんだは良いが、その人がどんな人だったのだろうか思い出せない。
そんな朝霧の中に居る様な気分でぼんやりしていると、大和さんの優しい声が頭の中に響き渡る。
「今から言う質問に答えろ、いいな? 」
「…はい 」
頭の奥を直に温める様な優しげな声に、軋む首を動かして小さく頷くと、私の後頭部に陽だまりの様に温かい手が回った。
「ここはどこだ? 」
大和さんの安心できる手の熱を感じながら、まだボヤける頭を働かせ、その答えを探し出す。
この真っ白な空間がどこかを。
「『神器の間』…です 」
「…2つ目だ。自分の名前は? 」
「雅…です 」
「…3つ目だ。お前の妹と弟の名前は? 」
「ゆいと…悠人です 」
大和さんの質問に答え終わる頃には頭は完全に覚醒し、濁った硝子の様な視界は晴れると、白い肌の眩しい光が、眼の奥に突き刺さった。
「もう大丈夫だ。お前、かなり魘されてたんだぞ 」
大和さんは私から体を離し、心底安心した様に長い息を吐く。
僅かに残る人の温もりに名残惜しさを感じながら頭を回すと、床に横たわったゆいの姿が頭に思い浮かび、焦りに体が突き動かされる。
「ゆい!! 」
「ここに居るよ 」
聞き馴染みのある、眠たそうな声がすぐ隣から聞こえた。
慌てて隣に顔を向けると、そこには黄色っぽい布に身を包んだゆいが弱々しい瞳で私を見ていた。
何処も怪我がないゆいの姿に心底安心してしまい、涙を滲ませながら、その小さな体に覆いかぶさってしまう。
「良かった…本当に…良かった… 」
「熱い…離れて 」
「あっ、ごめんね…えっと、何があったの? 」
「なんか大和に吹っ飛ばされたら、急に力が入らなくなって、眠っちゃった 」
小さな体から距離を置くと、ゆいは弱々しい笑みを浮かべながらそう呟いた。
そんなゆいの頭を、微かに火傷の痛みが走る手で軽く撫でながら、自分が寝る前のことを思い出す。
すると膝から力が抜けた感覚や、頭が割れる様な耳鳴りの痛みを思い出した。
「…私もね、気を失う前に体の力が抜けたんだ 」
私の言葉を聞いてか、ゆいの視線が大和さんの方に向き、私も釣られて大和さんの顔に視線を向ける。
すると大和さんは、胡座を正座にして座り直し、地面に白い髪を垂らしながら頭を下げた。
「本当にすまん、説明不足だった 」
「えっと…その説明不足のところを説明してほしいんですけど 」
私の言葉に大和さんはすぐに顔を上げると、複雑そうに顔を歪めながら腕を組み、丁寧にそれを説明をしてくれた。
「えっとな、魔法があんだろ? 不死は魔法を使いすぎると魔力がなくなって気絶してしまうんだ。お前らの状況はまさにそれ…魔力切れで気絶したんだ 」
確かに私たちはそんなことも考えずに魔法使っていたから、その魔力が足りなくなって気絶したんだなと、なんとなく理解できた。
別に何かの病気だった訳じゃ無いんだなと安心していると、私の隣に居るゆいは不機嫌そうな顔を歪め、膝に顔を埋めて丸くなってしまった。
「不死って…万能じゃないんだね 」
残念そうに…どこか悔しそうな呟きに、大和さんは組んでいた手を額 顎に当て、正座から足を崩してため息を吐いた。
「不死にも気を付けなきゃならない事は、まぁまぁあるからな。『生き埋め』とか『毒』…『病』とか他にも色々ある 」
大和さんの苦虫を噛み潰したような表情に、確かに薬草で治せない病気とかに犯されればどうしようもないなと考え込んでしまう。
けれど私の考えをそっちのけに、ゆいは膝に埋めていた顔をひょっこりと出した。
「大和、質問 」
「なんだ? 」
「『不死の国』を守ってる人達って、魔力の量とかどうなってるの? 」
ゆいがそう質問をすると、大和さんは質問されたのが嬉しいのか、楽しそうに笑みを浮かべたけど、その質問に答えることはなく、右の人差し指を鼻に当てた。
「それは秘密だ。知りたいんだったら守り人たちに直接聞け 」
質問の答えが返ってこない事に、ゆいは不満そうに顔を歪めると、大和さんは膝から立ち上がり、腰をゆっくりと気持ち良さそうに伸ばした。
「ん〜…ふぅ。さて、そろそろ上に上がるか。お前ら寝汗すげぇし、上がったら湯浴みでもしてこい 」
そう言われ、今更ながら自分の体から大量に汗か出ていることに気が付いた。
きっと嫌な夢を…辛い家族との別れを思い出したからだろう。
そんな忘れたくも忘れられない記憶に浸っていると、汗の臭いが隣からもしている事に気が付いた。
「ゆい、大丈夫? 」
「うん…平気 」
ゆいは短く返事をするけど、私の獣の耳はゆいの鼓動の変化を聞き逃さなかった。
弱々しい…何かに怯えるような鼓動。
それを聞いて、やっと理解できた。
ゆいも私と同じように…悪夢を見ていたんだと。
「ゆい、大丈夫だからね 」
「…んっ 」
ゆいを…妹の体を抱き締めたくなったけど、そんな事をするとまた怒られると自分の気持ちを自制し、自分の手よりも小さな手を優しく握ると、ゆいは少し涙目になりながら、静かに頷いた。
私は、ゆいの気持ちはよく分からない。
だって…何年も一緒に居なかったから。
私にはこの子を思いやる事など、本当は出来ないのかもしれない。
でも、守る事は…支える事はできる。
それが私の天命。
姉が妹達を守るという、破る事を許されない使命。
「なんで…泣いてるの? 」
「…なんでもないよ 」
こんな私を心配してくれるゆいに心配ないよと伝え、潤む風色の瞳を見つめ続ける。
この子達を絶対に守り切ろう。
そう思いながら…