第1章 不死の国
「はぁ……はぁ…… 」
ひろい平原に雨の音がひびく。
死体の上に水が落ち、冷たい雨が背をぬらす。
けれど口をおさえ、見つからないように息を殺す。
「っ!! ガッ!!! 」
霧の向こうでマズルフラッシュが見えたが、絞りだすような断末魔とともに光は消えた。
「クソ!! どこにイッ」
奴を見失った兵士の背を黒い刃が切り裂く。
「待ってくれ!! 殺さないでく」
武器を捨てて命乞いをする兵士。
その首は無情にも切り落とされた。
「うぁぁぁぁ!!!! 」
若い兵士が銃を乱射する。
「氷結の盾 」
「オッ」
けれど銃弾は氷の盾にはじかれ、空から降りそそぐ氷の刃が兵士を押しつぶした。
「ぁぁああ!!!! 」
情けない声とともに、生き残った兵士たちはいっせいに逃げだした。
「幻想纏 ウィンド 」
霧をかき消すような青い風が黒い刃にまとう。
奴はそれを横に振るうと、雨を裂く斬撃が兵士たちの命を奪った。
気がつけば雨の音と自分の心音だけが響いていた。
仲間は全員死んだ。
(ごめんなさいお許しください見つかるな見つかるな見つかるな見つかるな!!! )
なんども心の中で懺悔する。
なんども見つかるなと神に祈る。
だが奴はこちらを向き、狐の面がゆっくりと近づいてくる。
「死体の下に……隠れてたんだ 」
女の声が聞こえた。
なのに叫ぶことも逃げることもできず、ただ仲間たちの死体の下で震えることしかできない。
足音が俺の前で止まった。
瞬間、肉を刺す音とともに胸を貫かれた。
(あづがぁっ!!! )
内蔵を引き裂くような痛み。
悶え苦しみたいのに、上にある死体のせいでもがくことすらできない。
(死にたくない!! じにたくない!!! 死にたくな)
胸を突き刺す刃がまわる。
動いていたはずの心臓がグシャリとつぶれた。
(あっ……っ……ぷ…… )
意識が下に落ちる。
冷たい暗闇の中……一つだけ言葉が浮かんだ。
不死なんかに……手を出すんじゃなかった。
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「はぁ…… 」
ため息をもらし、濡れた髪から水をしぼる。
春だからと薄着になっていたけど、さすがに雨が降る夜は寒くてたまらない。
「なんであの人たちは……私たちを殺しに来るんだろ 」
身体を震わせる中、ポツリと弱音がもれた。
そのせいか胸を不快な感情がおおい、喉の奥から酸っぱい味がこみ上がってきた。
「お風呂に……入ろ 」
着物の上から胸をおさえ、死体たちを
自分のため息が夜の森の中に飲み込まれていく。
すると胸の中にもやもやが生まれてしまう。
「なんであの人達は、負けると分かっててくるんだろう?」
森の中を歩きながらそう呟くが、誰もその問いに答えてはくれない。
その状況に体を孤独感が包み込んでしまい、家に向かう足が自然と早くなってしまう。
森の中を早足で進み、体を包み込む孤独を夜の冷たい空気と共に感じていると、淡々と続いていた木々の隙間から大きな木造の建物が見えた。
(ふぅ )
私が住んでいる家が見えると少しだけ安心してしまい、体を包んでいた孤独感もいくらかマシになってくれた。
家の縁側で履いている下駄を脱ぎ、心の中にある憂鬱な気分を晴らすためにお風呂に直行する。
軋む廊下を歩き続ける。
そして廊下の奥にある木でできた引き戸を開けると、そこには微かに湯の匂いがする脱衣場が広がっていた。
脱衣場に置いた刀置きに腰に差している刀を乗せ、黒い半巾帯と黒い紬を脱いで、湯が張ってあるタライの中にそれらを投げ入れる。
続けざまに胸に巻いた晒や履いている黒の下着、白の足袋もそのタライの中に放り込み、髪留め用のゴムを細い右腕に通して木でできた引き戸ゆっくりと横に開く。
戸を開けた先には、人が50人は簡単に入れそうなほどの露天風呂が広がっており、その左側には10個の椅子、椅子の前にはシャワーと鏡が並んでいた。
「ふぅ… 」
いつもと変わらない露天風呂に安心しながらシャワー前の椅子に腰を下ろし、目の前の鏡を見る。
すると、美しい女性が不思議そうな目で私を覗き込んでいた。
「やっぱり…慣れないね 」
いつからか鏡に映る、美しい女性にそう呟くのが日課になってしまった。
「はぁ 」
もう一度ため息を吐いてシャワーの栓をひねり、自分の腰まで届きそうなほど長い黒髪にシャワーの湯をかける。
すると、雨で濡れた黒髪は漆でも塗った様な艶のあるものに様変わりした。
体にも湯をかけてあげると、元々白かった肌も艶のあるものに変わって行く。
「あー 」
シャワーから出るお湯が自分の冷たい体を温めて行き、おじさんの様なダラしない声が口から漏れてしまう。
でもこの声を聞く者は自分以外居ないから、思う存分ダラしない声を漏らす事ができる。
自分の体が完全に温まってからシャワーを止め、右腕に通していたヘアゴムで髪をまとめてから湯船に向かって足を運ぶ。
湯船にゆっくりと細い右足から沈め、腰、お腹、少し邪魔な胸と順番にお湯に沈めて行く。
体が完全にお湯に浸かり、ひと息ついてから湯船を囲っている石に頭を乗せ、ゆっくりと目を閉じる。
(今日も…疲れた )
お湯の温もりを感じていると、体の力が自然と抜け、今すぐ寝てしまいたい気持ちになってしまう。
けれど寝てはいけないと自分に言い聞かせ、瞼を何度も開け閉めして眠気を飛ばす。
顔を湿った両手で擦り、濡れた肌に感じる夜風を堪能していると、ふと顔が上を向いた。
するとそこには、半分かけた月が空にポツンと浮かんでいた。
「わぁ… 」
その綺麗な月のおかげで少しだけ元気が湧き、微睡む様なお湯の温かさに名残惜しさを感じながら、ゆっくりとから湯船から体を上げる。
「風 」
髪につけたゴムを外してそう呟くと、体に風がまとわり、自分の髪と体に着いた水気を吹き飛ばしてくれた。
「…ふぅ 」
薄い霧が立ち込める湯殿でため息を吐き、湯殿の引き戸を左手で開いて湯殿を後にする。
脱衣所の地面に置いてあるお湯を張ったタライの中を覗き込むと、そこには新品のように美しくなった黒い紬と、自分の下着達が浮かんでいた。
それらをお湯の中から引き上げ、風を操って濡れた服を乾かし、少し湿った晒を胸に巻く。
「よいしょっと 」
足を上げて下着を履き、羽織った紬の帯をしっかり締めてから刀を帯に差す。
紬のヨレを直してゴムを台の上に投げ置き、忘れ物が無いことを確認してから脱衣所を出ると、冷たい夜風を肌に感じた。
少し濡れた髪に夜風が当たる心地よさを感じ、ゆったりとリラックスしていたけど、その心地よさを遮るように固定電話のコールが静かな夜の空気に鳴り響いた。
「…ビックリした 」
飛び跳ねた自分の胸に手を置いて心臓を落ち着かせ、コールが鳴る固定電話を手に取って耳に当てると、耳を叩く様な大きな声が聞こえて来た。
「おーい桜! 元気か? 」
その声の主は私の恩人、大和の声だった。
「…うん、元気だけどどうかしたの? 」
「いやお前のことが心配だから電話しただけだ 」
大和の言葉に少し複雑な感情を抱いてしまうけど、それを隠しながら、話を進めるための言葉を考える。
「…そう。それで何か用事があるの? 」
「用事ならあるぞ。これからこっちに来れるか? 」
大和の頼み込むように声に何も言えず、電話越しなのに頷きながら、大和に返事を返す。
「うん、分かった 」
「おう! 待ってるぞ 」
そう返事を返すと大和は嬉しそうな声を出し、一方的に電話を切られてしまった。
「…はぁ 」
ため息を口から漏らし、すぐさま縁側に向かって足を運ぶ。
夜風が抜ける家の中を歩き、縁側に置いてある下駄をしっかりと履いて外に出る。
「風 」
そう呟くと体に風が纏い始め、体がゆっくりと軽くなっていく。
そして走り出す。
不死の国の中心部、『王都』に向かって。