01 仕事(1)
ギアをバックに切り替え、サイドミラーを確認する。
車幅ぎりぎりの壁の隙間をぬって、車を後方に進めていくと、
いつも通りの場所へ車をとめ、助手席にある荷物を手に取った。
男にとって、それは毎日の仕事であったから、
せまい道路を後ろ向きに運転することも、
難しいことではなかった。
薄いグレーの軽自動車を降りて、Aビルの非常階段をのぼる。
荷物を、二階のみせに配達するのだ。
この時間は中にひとがいないから、裏口をつかう。
もちろん、みせも不用心ではないから、
非常階段から入る裏口にも、鍵がかけられている。
しかし男は、その鍵の在処を知っているから、仕事には困らない。
二階の踊り場には、枯れたサボテンを植木鉢があって、
その鉢の水受け皿に、ドアの鍵が隠してあるのだ。
鍵でドアをあけ、暗いみせの中へ入った。
キッチンの水かびと、埃のにおいが鼻につく。
十歩ほど足をすすめると、右手に木製の棚が見える。
無造作に書類や封筒、食器などが置かれたその棚の、
僅かに残されたスペースに、荷物を置いた。
そしていつものように、納品書にサインをして、裏返しにして荷物の上に添えた。
ゆっくりと外に出て、鍵を閉め、それを植木鉢の皿へしまって車に戻る。
男は、次の配達先に向かった。
*****
もうかれこれ、3ヶ月も人と話をしていない。
荷物を人がいない時間にこっそり届けて、納品書をおいてゆく。
簡単な仕事だけれど、誰とも話すことはないし、退屈だ。
毎日が風のように去っていく。
「こちらのお弁当は、温めますか?」
コンビニのレジのお姉さんが、機械のような笑顔を作って聞いてきた。
「は、はい、お願いします」
あまりに人と話さないおかげで、発声するとき必ずどもってしまう。
僕だって、もっとうまく話せるはずだ。
ただ、期間を空けているせいで、なまっているだけで。
その気になれば、このお姉さんを食事に誘うことだって、もちろんできる。
「この時間はいつもレジですね」
僕はもうずいぶんと長い間このコンビニをつかっているし、
彼女に会った回数も数え切れない。
彼女も僕を覚えていないはずはなかった。
我ながら、当たり障りのない、いい切り口だ。
お姉さんは、
「なんだ~、覚えてくれてたんですね。
もっとはやくに言ってくれたらいいのに。
今日はもうお仕事は終わり?」
と笑顔で返してくれた。
機械笑いではない、本当の笑顔。
周囲平方10kmが、ぱっと明るくなった。
「終わりですよ。ど、どうですか。
もしよければ、こ、このあと、ご飯でも・・・・・・」
「ははは。お兄さん、今、ご飯買ったとこじゃない。
でも。ん~、明日ならいいかな。」
「そ、それもそうですよね。
じゃあ、明日、今日と同じ時間に来ます。」
無邪気に笑う彼女は、ほんとうにかわいらしかった。
用がなくても、話しかけてみるものだ。
明日が楽しみだ。どんな服を着てこようか。
「お客様、お待たせしました」
お姉さんは暖まった弁当をもって、機械のように笑っていた。
「明日待ってるね」という彼女の笑顔を想像しながらみせを出る。
明日こそ、声をかけよう。僕だって、その気になれば、できる。
電話が鳴った。
「もしもし、山下です」
僕はすぐに電話に出た。
寺井さんからだった。