神と私
…バリッ ムシャグチャ ゴリゴリ
今、目の前で大きなミミズのような化け物が私をここまで連れてきた男の内臓を撒き散らしながら、一心不乱に食べていた。
次はきっと私の番だ。
どうして、こんな事になってしまったのだろう。
朝、いつもどおり学校に向かうために、眠け眼を擦りながら、駅まで歩いていた。
憂鬱ながらも、いつもと何も変わらない一日になるはずだった。
急に後ろから腕を掴まれ、抵抗したが、その抵抗も空しく、ワゴン車に押し込められた。
自宅から駅まで人通りが少なく、きっと目撃者もいなかっただろう。
私は誰に気付かれもせず、人攫いにあったのだ。
手と足を拘束され、視覚も布によって覆われ奪われた。
実際にどのくらい経過したか分からないが、長い時間車に揺られ連れてこられた場所が『ここ』だった。
目隠しを外してもらうと、男が目の前に居た。
薄暗い洞窟の中、出口もどちらか分からない、ひんやりとした空間の中、少し小汚い男と私の二人だけで居た。
ふと見ると足の拘束は解けていたが、手の自由はなく、縛った縄の先は男の手にあった。
「お嬢ちゃん、君はワーム様の糧となるために連れてこられた。俺がワーム様のところまで連れて行く。済まないな、お嬢ちゃん。俺は家族の命がかかってんだ。」
ワーム様?糧?
まだ、混乱していて頭が働かない。
「本当に申し訳ないとは思っているんだ。だが、誰かがこの役目をしなくちゃなんだ…。」
男は苦い顔をしながらも、強く縄を引っ張った。
「イタイイタイイタイ…、やだ、イタイ、やめて。」
手首が取れるのではないかと思うくらい強く引っ張られた痛みを口に出した。
「あっちに行くから立って歩いてくれ。お願いだ。」
「ヤダ、コワイ、助けて…。」
まだちゃんと頭が働いていないけど、この異常な状況は理解していた。
逃げなくちゃ、『ここ』から離れなくちゃと警鐘を鳴らしている。
グォォォォォォォォォォ
男が私を連れていこうとしていた方向から何かの呻き声が聞こえてきた。
「嘘だろ…。あと時間はあったはずじゃなかったのか。」
男は何かを察し、顔を青白くさせた。
「今の何?ねぇ、何なの?」
「ワーム様がこの世に降臨なされた…。だが、このままだと暴走をする。伝承通り、若い女の肉を食わせないと。」
ここで私はやっと自分の置かれている状況を把握した。
ズルズルズルズルズルッ…
何か大きなものが這いずってこちらに向かってくる。
「ヤダ、死にたくない。何で私が…。なんで。」
私は逃げようと這いずる音とは反対方向に向かおうとするが、
男は縄を離す気配はなく、手首に傷が刻まれるだけだった。
「君さえワーム様の胃に入ってくれれば、ここは守られるんだ。」
男は必死だった。私を逃がすまいと、手から血を流しながらも縄はしっかりと握っていた。
気が付くと、奥から巨大なミミズのような化け物が来ていた。
いや、ミミズなんていうもんじゃない。
頭らしいとこにはギザギザとびっしりと生えた歯のある口から、粘りのある透明な液体を垂れ流してこちらに近づいて来ていた。
「や…、無理…。」
私は大きな怪物を前にへたり込んでしまった。
私がもう恐怖で動けないことを察したのか、男は私のロープから手を離した。
同じく腰が引けたであろう男であったが、最後の勇気を振り絞り、この場から逃げ出そうとした。
しかし、逃げ出せなかった。
男が逃げようと動いた瞬間、彼の頭はすでに化け物の口の中だった。
ベチャリと私の顔に男の血が付いた。
首から下の体がぐしゃりと倒れる。
恐怖のあまり、叫ぶことすら出来なかった。
化け物は一瞬こちらの方に血にまみれた頭を向けたが、すぐ向きなおし、男だったものを貪り食いはじめた。
…ベチャ ムシャグチャ バリバリ
逃げろ…、逃げろと頭では分かっている。
震えが止まらず、大きな錘を背負ったかのように身体が重たかった。
悪夢なら目を覚まさせてほしかった。
血の臭いが充満したこの地獄の様な場所で、私もあの男のように食われてしまうのだろうか。
そもそも、何も抵抗できないまま、この大きな化け物に食われる道しかもう思い浮かばなかった。
そして、咀嚼する音が止む。とうとう自分の番が来てしまったのだ。
今までの記憶が走馬灯のように流れていく。
化け物の頭が少しずつ、近づいてくる。
食べられるのであれば、いっその事、一瞬で終わらせてほしい。
私は目を強く瞑った。
ヌメッとした何かが私の頬に触れた。
おそるおそる目を開けると、青紫色の触手のようなものが視覚を覆っていた。
視線を動かすと、それは化け物の口の中から出ていた。
その舌のようなものは何度も何度も私の頬を濡らした。
ベチョリと口から出た涎が私の頭に垂れてくる。
私はあまりの恐怖と血生臭さに耐え切れず気絶してしまった。
私はどのくらい気絶をしていたのだろうか。
私は生きていた。しかし、悪夢からは覚めていないようで、あたりは暗く、地面もひんやりとしていて、手に土がついた。
「オはよゥ。」
「……ッ。」
振り向くと、素っ裸の青年がいた。
あどけない表情をした彼の瞳は赤く、身体中に刺青のような痣があった。
私は先ほどまでのことで感覚がおかしくなっているのか、彼に対し恐怖心や警戒心はあまり感じなかった。
「ナまぇ、おしエて?」
「え、私は咲だけど。」
「さキ!おで、おぼエた。」
片言ながらも、彼は笑顔で私に伝えた。
「あなたの名前は…?そもそも人なの?」
「ナまぇ、わかンなぃ。デも、人、ちガぅ。おで、神様って人イってタ。」
「神様…。」
神様と聞いて少し後ずさった。
気絶する前にいた化け物が神様扱いされていた。
あの化け物はどこに行った?
「こワくなぃ。おで、さキに、イたィこと、シなィ!キず、ナおしタ。テ、イたくなィ。」
今まで気付いていなかったが、縄による手首の傷が消えていた。
「おで、さキ、すキ。さキ、こワいオもィ、させタくなィ。さっきハごメンなさぃ。」
「あなた、もしかして…、ワーム様?」
すると、先ほどまでの無垢な表情から一転し、鋭い眼光で私を睨み付けた。
「おで、それ、キライ!キライ!キライ!キライ!ナまぇ、ちガぅちガぅちガぅちガぅちガぅちガぅちガぅぅぅぅぅ!!」
地雷をふんでしまったようだ。
顔を真っ赤にさせ、歯をガチガチ鳴らし、私を睨み続けていた。
怒り狂った彼に殺される。
しかし、ふっと表情を柔らかくさせ、
「デも、さキ、しラなかッた。こレから、それ、だメだョ。こワいオもィ、さセて、ごメンなさぃ。」
「い、いえ、これから気をつけるね。」
「あリガとぅ!」
彼はびっしりと生えた牙を見せ、笑った。
あれから、どれだけのときが経っただろうか。
この空間には時間を計るものがないから、どれだけの時間が経過したのかわからない。
「咲、君は何を望む?美味しいもの?綺麗なもの?いい香りがするもの?」
かつて、片言でしか話せなかった神様は流暢に話せるようになっていた。
「私は外に出たい。」
「…それは出来ない。」
「なんで!こんな暗いところで一生を過ごすのは嫌!!」
彼は出来る限り私の希望に添えるように今まで過ごしてくれた。
あのおぞましい姿にも私の前ではならなかったし、癇癪もあのあと起こすこともなかったし、ほしいものは極力出してくれた。
けれど、ここから出してはくれなかった。
何度頼んでも、やさしく諭されてしまい、こちらが折れる形で終わっていた。
一度、彼の目を盗んで、『ここ』から出ようとした。
けれども、歩いても歩いても出口は見つからなかった。
力尽きたころ、彼は私を迎えに来た。
彼の不思議な力で出口を隠している事をそこで察した。
「咲、俺は君を失いたくはない。」
「別に『神様』が嫌いなわけじゃないの。ただ、家族や友達に会いたいの。」
「………。」
「ちょっとでもいいの!」
「……俺は、咲の幸せを願って今まで行動して来たつもりだ。咲には一目ぼれして、咲の危険となることは僕が食べたり、消したりした。でも、俺にも出来ないことはある。…いいよ、咲、見せてあげる。今、ここの外がどうなっているか。これを見て、外に出るか出ないか判断してほしい。」
そういって彼は鏡を目の前に出した。
映し出されたのは、私の姿でも、彼の姿でもなく、真っ赤に燃えた世界だった。
「君が『ここ』に連れてこられた数分後、君の国に大きな地震が襲った。かつてない大きさの地震だ。多くの死者と被害の影響で、国は機能しなくなり、人々は荒れ、内乱が起こった。この機を逃さんと敵国も襲ってきた。もう30年もこんな醜い争いが続いている。俺は世界を変えるほどの力は持っていないから止められなかった。だから、咲に知られないように隠してた。君の時を止めて、『ここ』で永遠に過ごせたらなんて、俺は勝手に思っていた。でも、君にも意思はあるし、選ぶ権利がある…。咲、どうする?こんな世界でも外に出る?」
どうして、こんな事になってしまったのだろう。
「私は…。」
咲がどういう未来を選んだのかはご想像にお任せします。