12章 7話
私室でひとり遠野朝日の実験記録を漁る。
ただのメモ書きと言えど中々に膨大な分量だ。このメモとは長い時間向かい合っているけど、いまだ全ての記述に目を通してあるわけではなかった。
(欲しいのは神の情報。ログアウトを封じている神が誰か、それを特定しないといけない)
私の目的は隠すことなく朝日ちゃんに伝えた。あるいはその結果、神を殺すことになるかもしれないということも。
桜の花びらから帰ってきたのは弱々しい肯定の思念だ。朝日ちゃんからすれば反対してもおかしくないというのに、それでも彼女は肯定してくれた。
私が探している情報を朝日ちゃんは知っているのかもしれない。でも、こればっかりは朝日ちゃんに聞くわけにはいかない。もしも神を殺すようなことになればその片棒を朝日ちゃんにかつがせてしまう。それだけは絶対にダメだ。
(本当は、ここから情報を得ることもしたくないんだけど……)
そんなこと言っていられないくらい、今は少しでも情報が欲しい。
これは遠野朝日の実験記録を私が勝手にあさっているんだ。朝日ちゃんの意思は関係ない。そう言い訳をしつつ、神に関する記述を中心に目を通していく。
『精神生命体とは物質界に根ざさない生物のことを指し、あくまで物質界に存在する神はそれとは別の存在である。しかし一般的な肉体を持つ生物と明らかに異なることは明白であり、その正体はおそらくは意思と形を持つ概念と言うのが近いだろう。どのように概念が神となるかの説明は目処が立っておらず、現在調査中』
精神生命体がどういうものかはわからないけれど、それはいいだろう。関係ないことはこの際置いておこう。
『神の体を構成する物質は既知のものではないが、それは確かに存在する。これを仮に神性と呼ぶ。神性はそれを見るものの認識によって形を構成し、神はこの性質を利用して神と相対する生物に応じて姿形を変える。不思議なことに一度に複数種の生物が神を認識した時、神は同時に複数の形態を持つらしい。これは平行次元に複数の体を投影し、更に認識ごとに適用する次元を変えることで対応しているものと推測される。このように神性は変幻自在かつ超常的な物質ではあるが、神性に物理的な衝撃は通用する』
そうだよね。神だって剣で斬れば傷つけられたんだ。
神は殺せるということは周知の事実だ。この世界がゲームだと思っていた時は疑問にも思わなかったけど、今考えれば不思議な話だ。
『神の本体は御神体と呼ばれるものに宿るらしい。実物を見ることは叶わなかったが、御神体を破壊されれば神は消滅すると言っていた。まさか実際に破壊するわけにもいかない。この件は保留とする』
御神体が破壊されれば神は死ぬ。これもまた知っていた事実だけど、楽園に来てからひとつ情報が修正された。
ゼルストの御神体である『極極鉄』はウルマティアの手により破壊されたが、ゼルストは再び復活した。神にとって「消滅」と「死」と「封印」はどれも同じものを指すようだ。
つまり、あいつらは何しても完全に死ぬことはなく、一時的に力を失わせることはできても長い時間をかければ復活する。
今のところ神を完全に滅する術は私も朝日ちゃんも知らず、また知る必要も無いだろう。システムの解放には復活できる「死」で十分だということは実証済みだ。
『神の復活について話を聞いた。神によって治める領分というものが設定されており、その領分が活性化することで概念が世界に満ちる。概念の値が規定値を越えると神は復活するらしい。しかし復活したての神は弱く、一度復活した後に領分を管理して概念を獲得することで時間をかけて力を増していくそうだ。この現象も実際に確認はできておらず、また確認する術も無いため保留とする』
復活直後のウルマティアが弱かったり、最近復活したばかりのゼルストが弱いのもそういうことなんだろう。
そして付け加えるなら、概念は神の中に取り込まれることで「力」に変換されると推測できる。ウルマティアは現にゼルストの力を奪ってみせたことから、概念は「力」に変換されることでやり取りが可能になるのかもしれない。あれが《黒き神の輪廻》による特殊効果なのか、能動的にやり取りできるのかは不明だ。
『精神界観測法の応用により、概念の観測に成功した』
おっと。
『使用したのは幻覚性物質を利用して脳の知覚領域を操作する原始的な方法だ。機材が不足していたためこの方法を取るしかなかったが、二度とはやるまい。とにかく思い出せる限り実験記録を記すとする』
朝日ちゃん何やってんだ。これ、薬キメてトリップしたってことだよね。
『実験に使用したのは乾燥させた『鬼面茸』の粉末を『花神酒』に溶かしたもの。これを2ミリリットル静脈に注射し、知覚領域を目測2~8次元ほど上方に移動させた。15分24秒にわたる昏倒の後、楽園に満ちる死後の世界の観測に成功した。『魂桜』に集う魂から発せられる死の概念が神殿の地下へと向かっているものを確認。それを辿っていった先に厳重に封鎖された門を発見した。そこにたどり着いた後、実験は強制終了された』
強制終了……?
何があったんだ。神殿の地下に何かあるのか。
『ウルマティア様にめちゃくちゃ怒られた。危険な実験は慎むようにと。今日はもう寝る』
あ、はい。
『翌日、昨夜見たものについてウルマティア様に話を聞いた。あの門の先にあるものはウルマティア様の御神体で、立ち入りは許されないとのこと。可能なら調査してみたいが許可は降りないだろう。――それにこれは、神々を容易く殺す術の発見に繋がるかもしれない。軍部に上げるレポートとしてこの項目は不適切だ。本件は私の胸にしまうこととする』
このメモを読んだ時、桜の花びらからざわつく思念が伝わってきた。
……ごめん、朝日ちゃん。この情報を使わないとはまだ言い切れない。ログアウトを封じているのがウルマティアだとしたら、どうなるかはまだわからない。
でも、私は可能な限り誰も死ななくていい道を探すから。それは約束するから。
『準備は整った。明朝より第二次概念観測実験を行う』
何やってんだマジで。
『以前の実験で使用した薬剤の他に、抗毒作用を持つ『花蜂の銀蜜』に『消炎ツユクサ』を漬けたものを事前に経口摂取した。これにより昏倒時間は2分12秒と大幅に短縮することに成功。これならウルマティア様にも怒られないだろう』
そういう問題じゃねぇ。
『前回の観測では『魂桜』を中心とした楽園にしか目が行かなかったが、今回はより多くのものを観測することに成功した。以下にその記録を記す』
箇条書きになっていたのはいくつかの概念の記録だ。それを読み解くに、自由と束縛に関するもの・死と生に関するもの・自然と滅びに関するもの・空と海に関するもの・戦いと知識に関するもの・制作物と価値に関するものと大別することができる。
おそらくはそれぞれの概念が、それを象徴する神に呼応しているんだろう。
『概念の記録はどれも興味深いが、中でも異彩を放つものが私だ。私から発せられる概念は他の6種のものと行き先が違う。他の6種の概念は遠くへ伸びていき、おそらくはそれぞれの神の御神体へと向かっているのだろう。しかし私から発せられる概念は少し流れ出た先で解けるように消えていった』
…………?
これは……?
『これは人間が持つ概念なのだろうか。私以外の人間が近くにいないことから断言はできないが、もしそうであればこの世界に人間の神がいるのかもしれない。この件は追って調査をする必要があると確信するが、ウルマティア様に『鬼面茸』を全て取り上げられてしまった。次にやったら故郷に叩き返すと脅されてしまってはもう実験はできない。本件は凍結処分とする』
あー……。
まあ、そうでしょうね。こんな実験してたらそりゃウルマティアも怒るわ。ウルマティアよくやったと言いたい一方、実験の続きも知りたいようでちょっと複雑。
この実験記録は本当にここまでのようで、次のメモからは素材の効能を調べる記述になっていた。幻覚性を持っていそうな素材に偏っているのは、『鬼面茸』を取り上げられた朝日ちゃんの悪あがきだろうか。
朝日ちゃんも懲りないなーと思いつつ、ぺらぺらとメモを流し読みしていた時。その記述は現れた。
メモの隅に乱雑な筆致で。しかし確かな興奮と共に、はっきりとそれは刻まれている。
『違う。あれは人間の神などではない』
そして次のメモだ。これまでのメモとは明らかに違う力強さで、記録が残されている。
『いくらかの実験の末、私は肉眼で薄っすらと概念を観測できる体質を獲得した。今となってはどの素材の影響でこうなったのかは分からない。とにかく、日に日に消えていくこの体質が完全に消える前に、私にはやらなければならないことがある』
……朝日ちゃん。
ドラッグはやめようね。
『私から発せられる概念は他の概念よりも色濃く、他の概念が薄く見える今となってはかえって観測が容易だ。色の濃淡が概念の優劣を示すという証拠はないが、仮称として上位概念と呼ぶことにする』
上位概念、か。
他のどの神々ともつながっていない概念。その正体はたしかに気になる。
『一匹のアリから上位概念が発せられているのを観測する。同種のアリと見比べても上位概念が発せられている個体はその一匹のみのようだ。捕獲して観察を試みたが、いくらかの検証を経ても特異性は見受けられなかった。後日そのアリはリグリ様の手により逃された』
アリから? アリから上位概念?
なぜアリから発せられていたかは分からないが、少なくとも上位概念とは人間の概念では無いようだ。
『道端に転がっている小石のひとつから上位概念が発せられているのを観測する。生命のない物質からそれは確かに発せられていた。本当にこの小石が生きていないのか検証するために、対話実験を含むいくつかの実験を行ったが成果は得られず。翌日ラグア様がカウンセリングと称して会談の機会を設けたが、そこでも小石の正体は判明しなかった』
朝日ちゃん……。そりゃ小石とお話してたら神様も心配するよ……。
メモを読み進めるほどに朝日ちゃんが残念な子になっていく。この子、研究になると本当に見境が無くなるなぁ。
『上位概念の発見は続いた。生物、非生物、物質、非物質。他の概念の絶対量から比べれば希少ではあるが、ありとあらゆるものから上位概念は発せられていた』
こうなるといよいよわからなくなってくる。
上位概念ってなんなんだ?
『発生源は統一されていない。しかし、これまでの観測の中で共通項を見出した。上位概念の発生源は物質ではない、現象だったのだ』
現象……。
現象から発せられる概念、か。自由や死といった他例もある。わからない話では無い。
『おそらくはその現象が二種類存在することは突き止めた。これ自体は驚くべきことではない。一柱の神につき象徴する概念は二種類ある。問題はそれが何かだ。この目が見えなくなる前に、早くしないと……』
死にかけの老科学者みたいになってるけど、あなたドラッグキメ過ぎて中毒症状から幻覚見てるだけですからね。
そのおかげでとんでもなく有益な情報が残っているんだけど。なんだか複雑だ。
『魂桜の並木道から遠目でもわかるほどに巨大な上位概念が発せられたのを観測する。現場に向かうと、泉の下に少女が眠っているのを発見した。手製の釣り竿を持った和装束の少女だった、ように覚えている』
これは……。
ひょっとして私……?
『そこで何かを話したような気がするが記憶が曖昧だ。確かなことは、気がつけば少女は消えていて、そこに色濃く残った上位概念が解けるように消えていったことだけだ』
似たようなことを私も覚えている気がする。
私は眠っていて、私の前に立つ白衣の少女が、何かを私に伝えて……。
――世界を愛するように頼まれて。
『消えていく上位概念に触れた時、私はそれが何かを理解した。根拠も理屈もなく、感覚に近い部分で私はそれを理解してしまった。いや、理解させられたと記すのが正しいだろう。あの感覚は言葉では到底説明できないことから、この件はレポートに記すには不適と判断する』
……ああ。
なんだ、そういうことだったのか。
理解させられるという感覚を、私は知っている。
『ともあれ上位概念の正体は分かった。私から発せられるこの概念は、確かに御神体へと届けられていたのだ。御神体とはこの世界そのもの。そしてそれに宿る神を、概念と世界の名になぞらえてこう呼ぶことにする』
あんなに大事なことだったのに、なんで気づかなかったんだろう。
私は一度、この神に遭っている。
『かの神はミルラ。運命と時空の神ミルラ。この世界に存在する7柱目の神にして、全ての神の上位に位置する神』
(R-15該当部分。ドラッグはやめようね!)