12章 5話
旅装を整える。服装はいつもの枷一式。手作りのカバンに『ツユクサポーション』と日持ちする食料を詰めて、ナイフを一本腰に吊るす。これだけあれば大丈夫だろう。
「実家に帰らせていただきます」
そう言うと、リグリは腕に抱えていたトウモロコシをぼとりと取り落とした。
普段は生産物にしか興味を持たないアーキリスがこちらに目を向け、いまだに神々の戦いを続けるカームコールとウルマティアは凍りついたように戦いをやめる。状況を理解していないミニゼルストは小首をかしげ、ラグアはあらあらまあまあと口をおさえた。
『突然どうしたのです。何かあったのですか?』
「そろそろ下界のことが気になって。この前のプレイヤーの襲撃は、私が長いこと顔を出さなかったから起こったんでしょ? ちょっと顔見せてくるよ」
『あ、ああ……。そういうこと、ね。そうね。そうするといいわ』
あからさまに動揺していたリグリは落ち着きを取り戻す。ちょっとしたジョークなのに驚きすぎである。
『ダメだ』
そしてウルマティアはいまだに動揺していた。
『ダメだ。人間の中に返すわけにはいかない。ずっとここにいろ』
「どうしたのいきなり。用が済んだらちゃんと帰ってくるってば」
『朝日もそう言って帰ってこなかった! あんな思いはもうたくさんだ!』
「私と朝日ちゃんを重ねるんじゃねえ」
そういうこと言うのやめて欲しい。朝日ちゃんが責任感じて落ち込むから。
「帰るって言ってもラインフォートレスにだよ。ラグアの目の届くところにはいるから」
『しかし……! 本当にちゃんと戻ってくるんだな!? 狂って僕を殺しにきたりしないと約束するか!?』
「朝日ちゃんをいじめんなー!!」
大丈夫朝日ちゃんは悪くないよ。あれは昔の人間が悪かったんだ。朝日ちゃんにはどうしようもなかったんだから仕方ないよ。だから泣かないで、そんなに一生懸命謝らないで。
「あぁ、もう。朝日ちゃんめっちゃ謝ってるからそれはもう言わないで。朝日ちゃんに何が起きたのかは前にちゃんと説明したじゃん。あれは朝日ちゃんのせいじゃないってわかってるんでしょ」
『それは……、そうだが。すまない、そうだったな。取り乱した』
「謝罪は朝日ちゃんにするように」
ウルマティアが謝罪すると、ふわりとどこかから風が吹いてきて魂桜の花びらが舞う。ウルマティアの肩に寄り添うように、一枚の桜の花びらがそっと乗った。
……その桜の花びらから、謝罪混じりの優しい思念が聞こえてくる。その内容があまりにも甘くて私の顔がちょっと赤くなった。
ごめん、朝日ちゃん。それはちょっと私の口からは伝えられない。
「……その、えっと。そんなわけで私行くから」
『どうしたの?』
「紅の大地で育つ植物の気持ちが分かったの……」
甘々である。
今更照れるな朝日ちゃん。これはそっちが悪いです。その乙女回路は私にも流れ込んでくることをよく覚えておいてください。
*****
楽園の端に立って、手作りの笛を吹く。
木の中が空洞になっている『トランペットウッド』の枝を加工して音が出るようにしたものだ。この木から発せられる周波数は、特定の種族に強く働きかける効果を持つ。と、興奮した筆致で朝日メモに書いてあった。
これを発見した朝日ちゃんが興奮したのもよくわかる。ピィィと高い音が空に響き渡り、待つことしばし。銀の龍翼が空をよぎる。
これは『龍笛』。龍種を呼び寄せることができる特殊な笛だ。
「銀龍ー! こっちこっちー!」
すっかり大きくなってしまった銀龍が楽園に着地する。その顔を撫でて楽園の果実を与えた。
大きくなってもかわいいやつだ。
「銀龍、乗せてくれる?」
「がぅ」
首を下げる銀龍に失礼して、頭から首を伝って背中にしがみつく。ぽんぽんと合図をすれば、銀龍はばさりと翼を広げた。
龍の羽ばたきとともに舞い上がり、空の上から世界を見下ろす。太陽に照らされる世界はこんなにも美しい。
(……現実、か)
もう思い出せなくなってしまった世界を思い、少し切なくなった。
知識として現実がどういうものかは知っている。私が覚えている情報の偏りから考えれば、きっと私は日本人だったんだろう。
でも、情報として知るだけの日本の街並みは私の故郷には思えなくて。そこにいた人の顔も、どういう暮らしをしていたのかも、もう思い出せない。
(記憶を失った理由を私は知っている。だからこそ――)
迷う。
私は失った記憶を取り戻したいのか。
私が失った記憶を取り戻すことは正しいことなのか。
私が失った記憶を取り戻すことは――、この世界そのものを否定することじゃないのか。
人と神と。
この世界と現実と。
その狭間にいる私は、いつの日か全ての答えを出さなきゃいけない。
決断の日は近い。
(大丈夫。平気だよ。どんな真実も受け止めてみせる。私はもう、一人じゃない)
アセビの花飾りに寄り添う桜の花びらから思念が流れ込んでくる。
その優しさに確かに触れながら、私たちは美しい世界を見ていた。
*****
上空から見たアトリエ周辺の農業地区はすっかり魔界になっていた。
ジャングルが生い茂っているのはわかる。血の池に改修された農地で、人間の生足にしか見えない『犬神草』が大量栽培されているのもわかる。
ただ、奈落の底から闇が這い出ている農地は何がどうしてそうなったのかまったくわからない。上空から覗き込んでみたら巨大な瞳と目があった。
一体何を栽培してるんだあれは。ちょっと気になる。
銀龍はアトリエ前の畑に着陸した。首を伝って地面に降りる。
「ありがとね」
頬を撫でると銀龍は嬉しそうに目を閉じた。そのまま翼を広げて畑の上に寝そべる。ここで日向ぼっこと洒落込むようだ。
久々のアトリエだ。畑にそびえる世界樹と、その頂上に刺さった『ジャック・O・ランタン』が懐かしい。
「ただいまー」
帰ってきたアトリエはがらんとしていた。長いこと補充していない商品陳列棚は空欄が目立つ。
以前は頻繁に人が出入りしていたアトリエだっただけに、どことなく寂しさを感じる。
懐かしさにひたりながらアトリエを巡っていると、キッチンの中に設置された簡易ベッドで眠る人を見つけた。
「銀太、まだここに住んでたのか……」
もう太陽は登ってるのにまだ寝ているとはこの寝坊助め。
側に腰掛けて頭をそっと撫でる。よく眠っているようだ。
「う、ん……?」
銀太は身じろぎをしてぼんやりと目を開く。寝ぼけた目が私を認め、ゆっくり時間をかけて焦点を合わせた。
おはようございます、私です。
「店長……?」
「おはよ」
楽園で再会した時はあんまりゆっくり話せなかったしね。
心配――してたかどうかはわかんないけど、顔見せに来たよ。
「え、わっ」
目が覚めた銀太は結構な勢いで抱きついてきた。
抱きすくめられて、ちょっと驚く。急に何するんだ。
「あったかい……。本物の店長、なのか?」
「私の偽物がいるとは初耳だ」
「最近よく店長の幻覚を見るんだ」
こいつやべぇ。
「本物だよ。純度100%の天然モノ」
「そんな天然モノも今となっては希少品に……」
「環境が変わったせいで生息域が限定されたからなぁ」
変わったのは環境というより生態だけど。
元ゲーム目攻略科絶望属、現世界目融和科神子属の私です。近種には研究属の遠野朝日がいます。
「心配したんだぞ! シャンバラで死んだって聞いて、それでも生きてる可能性にかけて、世界中あちこち探し回って……!」
「ごめんね。心配させちゃった」
「一部始終を見ていたラグアに話を聞いて、カームコールを説き伏せて、アーキリスと交渉して……!」
「大冒険になってきたぞ」
「『ロイヤル・リリー』大改修のために職連と攻略組を連携させて、『飛空船ロイヤル・リリー』のキー素材になっている『大雲鳥の白雲』を取りに行って……!」
「待ってなんでそんな楽しそうなことに私呼ばなかったの!?」
「飛行獣魔部隊と銀龍の合同作戦で大雲鳥ルフを討伐して、やっとの思いで店長を助けにいったってのに、肝心の本人は楽園に安住してるし……」
「まことに申し訳ございませんでした。海よりも深く反省しております」
いやほんとごめんなさい。みんながめちゃくちゃ頑張ってる中、一人楽園生活エンジョイしてました。
どうしよう。この後職連のとこにも顔見せに行くつもりだったんだけど、菓子折りでも持っていったほうがいいかな。許されるかな私。
少し落ち着いてきた銀太は私を抱きすくめるのをやめた。文字通り目と鼻の先で顔と顔とが向き合う。
なーに泣きそうな顔してるんだ。こういうときは笑ってよね。
「お帰り、店長」
「……うん。ただいま、銀太」
こうやって出迎えてくれる人がいると、ああ、帰ってきたんだなって強く思った。
あと朝日ちゃん、その乙女回路できゃーきゃー言うのをやめい。恥ずかしいから。