12章 4話
吐いた。
胃が空になるまで吐いて、空になってもまだ吐いて、吐き出すものに血が混じるようになってもまだ吐いた。
頭の中がぐちゃぐちゃになって、倒れるように気を失って、目が覚めて、また吐いた。その間ずっと戦い続けている神々を見て、呆れとともに私は落ち着きを取り戻した。
あいつらいつまでやってんだ。
「ごめん。迷惑かけたね」
円卓に戻ってきてまず一言謝罪する。私情で話し合いを中断させてしまった。
「いや……。大丈夫なのか? その、ひどい有様だったが」
「元気、とはいかないけどね。これくらいの事でへこたれるわけにはいかないよ」
私たちが見てきた絶望に比べれば、こんなもの。
……楽勝じゃないけど、私には朝日ちゃんがいてくれる。今この瞬間も絶えず流れ込み続ける優しい思念波が無ければ、立ち直るのに時間がかかっただろう。朝日ちゃんには助けられてばかりだ。
「でも、その、整理がついてないから。とりあえず私のことは保留にしていただけると助かります……」
「あ、ああ。こちらこそ無神経なことを言ってしまってすまなかった」
「いや、ヨミサカのせいじゃないから……」
この話は終わりだ。終わりにしよう。終わりにしなきゃいけない。
気を取り直して。
「とにかく、ええと、どこまで話したっけ。その、私は神々に人間が滅ぼされない方向で動くから。できればプレイヤーもあまり過剰にモンスターを殺しすぎないよう協力して欲しい」
「……そうだな。どうする、フライトハイト」
「モンスターを殺すな、か。レベリングは済んでいるし、僕らは問題無いよ。他のプレイヤーにもこちらからそう働きかける。攻略のためと言えば抑止力にはなるだろう」
「協力感謝」
だが、と、フライトハイトは続ける。
「僕らの目的はあくまでもこの世界からの脱出だ。それを果たすために何かを殺す必要があるなら、必ずしも君に協力はできない」
「うぐ……。やっぱりそうだよね。まずはそれをどうにかしなきゃなぁ」
結局のところプレイヤーの脱出は至上命題だ。そしてそれを世界にとって犠牲が少ない形で果たさなければ、キレた神々が人間を滅ぼす。
かと言って脱出を諦めてしまえば今度はプレイヤーが暴徒となるだろう。この世界でやりたい放題できるだけの力を持つプレイヤーたちが、いつまでもこの世界に閉じ込められておいて大人しくしているというのは考えづらい。
人と神とどちらに味方するのであれ、穏便な脱出方法の模索は避けては通れない道だった。
「そうだ、君には伝えていなかったな。ログアウトの件なんだが見当はついたぞ」
「ほんと? 何か分かったの?」
「ああ。スキルウィンドウを見てくれ」
フライトハイトはそう言って、中空に指を滑らせる。おそらくはシステムウィンドウを開いているんだろうが、私の目には何も見えなかった。
「えっと、私もうシステム使えないんだ。システムの法則から外れちゃったみたいで」
「それはその体になった時の影響で?」
「おそらく」
多分枷のせいだけどそういうことにしておく。私はこの枷を外すつもりはないんだから、言う必要も無いだろう。
「そうか、なら口頭で説明しよう。君とウルマティアが決戦したあの日、僕らにはひとつの変革が起こっていたんだ」
「変革?」
「スキルウィンドウにひとつの項目が追加されたんだ。その項目はサブクラス。僕らはメインクラスの他にもう一つクラスを獲得し、メインクラス外のスキルを制限付きで使えるようになった」
サブクラス……?
それは私の知らない情報だ。一周目の記憶を含めても、そんなことは存在しなかった。
「これ自体は大したものじゃない。ただキャラクタービルドの幅が広がったというだけの話だ。問題は、決戦のあの日になぜサブクラスが解放されたのかだ。一体どの行動がフラグとなっていた?」
思い返す。あの日のことを。私が二度目の死を迎えたあの日のことを。
サブクラスの解放に繋がるようなことが起こったのかと考えて、そして、気がついた。
「まさか――、ゼルストが死んだから?」
「僕らも同じ考えだ」
足元から冷気が這い上がってくる感覚がした。
とんでもなく嫌な考えが頭の中をひらめく。否定材料を集めようとして、それは失敗した。
「『ゼルスト』が死んだから『サブクラス』が解放された。それはこう言い換えることができるだろう」
私の辿った推論と、同じ結論をフライトハイトは口にする。
「『神』が死ねば『封印されたシステム』が解放される。ゼルストが封印していたのはサブクラスというシステムだった。ならば、だ」
ふざけるな。この世界はどこまで悪意に満ちている。人間を試すのもいい加減にしろ。
それが答えだと言うのなら、それはあまりに残酷すぎる。
ようやく、ようやく人と神とがわかり合おうとしているのに。朝日ちゃんが願い、私が求めた世界がすぐそこにあるというのに。
「残り5柱のどれかがログアウトを封印している。見つけて、殺せ。それが僕らがこの世界から脱出する方法だ」
底冷えするような世界の悪意を、私は確かに感じていた。
*****
神々の戦いは夜になっても終わらず、朝起きてもまだやっていた。リグリの言うことが正しければ最短でも後二日はやりあうんだろう。
お昼が過ぎた頃に声をかけてみる。
「ちょっと休憩しないー? お茶淹れるけど飲むー?」
『飲むっ! 紅茶にしてくれ!』
『何を言うか若造! 茶と言えば緑茶に決まっておるだろうが! 熱めで頼むぞ!』
よくわかった。アイスコーヒーにしよう。
リグリに頼んでコーヒーの苗木を用意してもらい、【収穫祭】を使って促成栽培。コーヒーの実を手摘みで収穫し、丁寧にコーヒー豆を取り出す。料理スキルを使ってローストし、豆を挽いてから濃いめにドリップ。『アイスな実』を入れたグラスに注げば完成だ。
栽培からやったコーヒーだ。不味いはずがなかろう。軒先にグラスを二つ置いておくと、雷光よりも早く取りに来た二柱の神はぐいっと景気良くあおった。
『苦っ!?』
『なんじゃこれは! お主、何を飲ませおった!』
「アイスコーヒー」
うんうんと頷く。その顔が見たかったんだ。朝日ちゃんは呆れていた。
『いたずらにしては手が込みすぎよ。あ、でも美味しいわね、これ』
「リグリ、コーヒーの味が分かるの? 人間の食文化によっぽど慣れてなきゃ気に入らないと思ってたのに」
『あなたね……』
『私もいただけますか? 人間の味覚に興味があります』
「もちろんだよラグア。ちょっと待ってて、淹れるから」
ラグアのためのグラスも用意して渡す。不思議そうに香りを楽しんでいたラグアは、恐る恐るグラスに口をつけた。顔色から察するにあまり気に入ってはいないようだ。そりゃそうでしょう。
「きつかったら『水砂糖』いれるといいよ。本当はミルクもあればいいんだけど、今回は無しで」
ラグアはグラスになみなみと『水砂糖』を投入する。その分量たるやもはや水砂糖コーヒー入りって感じだ。ラグア様、人間はそんな飲み方しませんよ。
それでもラグアは美味しそうに飲んでいたから無粋なことは言わない。本人が気に入っているならそれでいいんだ。
自分のグラスを傾ければからんと『アイスな実』が揺れる。ちょっと濃すぎたかな。『水砂糖』をいれて、甘くしてみるとちょうどいい塩梅になった。
つかの間の休憩(もはやピットインという方が近い)を終えたウルマティアとカームコールは一層激しく元気に打ち合う。それをラグアとリグリが見守り、アーキリスは私が即席で作ったコーヒードリッパーを興味深く見ていた。ミニゼルストは神々の戦いに参戦しようと飛び込んでは戦闘の余波に吹き飛ばされることを繰り返している。
平和な光景だ。朝日ちゃんが愛したのもよく分かる。
だからこそ、心苦しい。
(この中の誰かがログアウトを封じている。私はそれを見つけないといけない)
私は神子として神々に協力する一方、攻略組にも協力することを決めた。
神に親しい場所にいる私は神々の調査を進め、彼ら攻略組はプレイヤーたちに不要な殺生を控えるよう呼びかける。お互いの目的を交換した形だ。
それでも私が全面的に協力するのは、誰がログアウトを封じているのかを特定するところまでだ。その後のことはまだ考えていない。
私は……、許せるのだろうか。彼らの神殺しを。
(調査が足りない。答えを出すには早計すぎる)
願わくば。
この平和な時間が少しでも長く続きますように。