12章 1話
神子になって最初に変わったことは、文化レベルの上昇だった。
ナイフは返してもらった。火の使用も許可された。ついでに言うならキッチンへの立ち入りも許された。
はるか昔に遠野朝日がアーキリスに協力を仰いで打った鉄のナイフが使えるようになって、私は骨のナイフを部屋に飾っておくことを心に決めたのだった。
「そんなんだから甘いって言われるんだよ! このチョロ甘ゴッズ!」
『まあまあ、いいじゃない。あ、今度大豆持ってくるわね。大豆は体にいいのよ』
『それより朝日の話を聞かせてくれ。彼女はその……、僕のことを嫌っていたのか?』
「知るかー! 本人に聞け!」
そして神々はべったべたに甘くなった。朝日ちゃんが危惧したのもよく分かる。こいつら何も成長してねぇ。
リグリは元から甘いところがあったけど……。ウルマティアが甘いのはどこか気持ち悪いようでいて、呆れながらも嬉しく思う朝日ちゃんの気持ちも流れ込んでくるようで、とても複雑。
はぁ、もう。まったく。
何かにつけて構うようになってきた神々を追っ払い、一人神殿の宝物庫をあさる。ここへの立ち入りはウルマティアに許可を貰ってある。
これ見よがしにおいてあった私の装備も気になったけど、それはもう必要ない。システムを封じる枷はつけたままでいい。私はこの世界を見ていたいんだ。UIなんて表示されてしまったら興が削がれる。
宝物庫の奥に厳重にしまってあったのは、メモの束。
遠野朝日の実験記録だ。
部屋に持ち帰って一枚ずつ確認していく。一年かけて重ねてきただけあってかなりの分量だけど、その分記されている情報量は多い。
朝日ちゃんがこれを残してくれたのは大きな助けになった。なんたって本職の研究者が事細かに調べてきた記録の全てだ。メモの束を整理しつつ、楽園の素材とその効能を確認していく。
私にとって極めて貴重な情報源だったが、このメモを読んでいると桜の花びらから絶え間なく朝日ちゃんの思念が流れ込んでくる。
(なーに恥ずかしがってんだ。そりゃ確かに乱雑なメモだけど、書いてある情報は黄金の価値を持つよ。ああもう、照れるな照れるな)
自分で書いた乱雑なメモを読まれて朝日ちゃんは恥ずかしがっていた。可愛い奴め。
メモをぺらぺらと確認し、治癒の効能を持つ植物を調べる。私が命名したところの『草っぽいの』、朝日ちゃんが命名したところの『消炎ツユクサ』が消炎及び治癒促進効果を持つらしい。試してみるか。
試料として採取してきた『消炎ツユクサ』をナイフで加工する。治癒効果が高いのは葉肉の部位だそうだ。葉の表面に浅く傷をつけて葉脈を剥離し、葉肉を水で満たされたボトルの中につける。
そして錬金術の手動クラフトが発動して錬成が高速化した。葉につけた傷口から組織液が水に溶け出し、水はほのかに緑色に染まっていく。
(……? 朝日ちゃん、何驚いてるの?)
なぜか驚いた思念が流れ込んできた。続いて飛ばされる思念から、朝日ちゃんの言いたいことを拾い上げる。
(ええと、手動クラフト? 人間には使えない、神の技? ……あー。なるほど。朝日ちゃんの世界だと手動クラフトは使えなかったのか)
推測だけど、設定上私たち今の人間はこの世界で生まれ育ったものだ。経緯はどうあれ人間が自然界に住み着いて長い時が経った。私はこちらの世界の法則に従っているんだろう。
かつての地球の法則と、こちらの世界の法則と、システムの法則。一番現実に近いのが朝日ちゃんたち地球人の法則で、枷をつけた私や神々が従うのがこの世界の法則。そしてプレイヤーにのみ与えられたのがシステムの法則ってことになるのかな。複雑だ。
そういったことを朝日ちゃんに伝えると、何やら考え込んでいた。
(システムの法則の正体? んー……、わかんない。ゲームとして作られたものだと思ってたけど、こうして枷で封じられるくらいなんだから、まるで世界の法則が届かない場所にあるわけじゃないんだよなぁ)
私には答えは出せそうにない。この問題は隅においておくことにした。
出来上がった『ツユクサポーション』をカバンに詰める。やっぱり薬があるのは心強い。怪我をしても治療ができないという状況は正直かなり不安だった。
食料と刃物と火と薬。これだけ揃えば人は生きていける。
(え、あ、いや違うって。朝日ちゃんは研究者だけど私は冒険者だもん。そりゃ得意分野は違ってくるってば)
一人で生きていけない研究者が落ち込んでいた。ごめんて。
*****
私の食生活は劇的に改善されていた。
朝日ちゃんの実験記録から調味料として使える『蓄塩花』や『水砂糖』を見つけられたほか、リグリが持ってきてくれた大豆を錬成して醤油と味噌を作り出せた。これだけ調味料が豊富にあり、キッチンと火が使えるとあったらもう怖いものはない。
畑から採れた野菜と釣ってきた魚で料理する。料理スキルも昔にかなり上げていたからお茶の子さいさいだ。
「で、なんでいるの」
『いいじゃない。食卓はみんなで囲むものでしょう』
『異文化交流だ。朝日もよく言っていた』
神々の前にも冷奴と焼鮭をお供え(?)する。主食は残念ながらパンだ。お米は近いうちに栽培したいと思う。
いただきます。箸を使って魚の身をほぐして美味しくいただく。神々は私の食べ方を見て真似をしようとしていたが、箸に慣れなかったようで焼き魚を直接パンに挟んで骨ごと食べていた。
……美味しいのかな、それ。口中小骨まみれになりそう。
『懐かしいわね』
『……ああ』
アセビの花飾りに寄り添う桜の花びらからも、懐かしいという思念が流れ込んでくる。
きっと朝日ちゃんもこうして神々と一緒に食卓を囲んでいたんだろう。
『それにしても人間は不思議だな。個体によってここまで差が出るのか』
『そうね。遠野朝日が作った料理は……、その、今思えばとても独特だったわ』
『と言うよりあれは料理だったのか? ペースト状にすり潰された味の爆弾というのが近いところだろう』
「朝日ちゃんをいじめるのはやめてください」
桜の花びらからわんわんと思念が流れ込んでくる。あーあー、落ち込むな落ち込むな。朝日ちゃんに生活力が無いのは今に始まったことじゃないでしょうに。
完食して手を合わせる。今日もありがとうございました。
食卓を片付けてちゃっちゃと洗い物を済ませ、外に出て空を見上げる。今日は何をしようかな。
気がつけばここでの暮らしは好きになっていた。この美しい景色も、穏やかに流れる時間も、今ではすっかり気に入ってしまっている。
(……朝日ちゃんもこういう気持ちだったのかな)
あー。
帰りたくない。
それでもいつかは向かい合わなきゃいけないんだろう。私は下界にいろんなものを置いてきた。いつまでも放っておくわけにはいかない。
(銀太、元気にしてるかなぁ)
そんなことを考えながら空を見上げていたからか。
銀の龍翼が、空をよぎった。




