11章 9話
???視点→主人公視点
私は楽園にいた。
風光明媚な楽園の中でもこの桜並木は一際と美しい。研究に行き詰った時はいつもこの道を歩きながら、考えをまとめたものだ。
久しぶりの桜並木をゆっくりと歩く。あたりに人気は無い。あの過保護な神様も、今はいないようだ。
桜並木を少し外れ、泉のほとりへと足を向ける。この泉もこれまた素晴らしい風景を見せてくれる。……ミニカジキやエンゼルフィッシュが泳いでいるのは少々首をひねらされるが、美しいのはいいことだろう。
そんな桜の木の下にある泉で、人間の少女が眠っていた。
「…………」
見たことのない少女だ。薄紅の着物に紺藍の袴を着て、頭にはアセビの花飾りをつけている。手製の釣り竿を持って、少女は眠っていた。
そんな少女の前に立ち、言葉を紡ぐ。
「私は失敗しました。そしてあなたもまた失敗したのでしょう。ですが、あなたには続きがある」
少女は眠っている。安らかに。
「あなたの抱えてきた絶望と、私に植え付けられた絶望は違うものなのかもしれない。それでもどうか、お願いします。この世界を愛してください。この世界と向かい合ってください。この世界は決してまがい物なんかじゃない」
私はこの少女を知らないはずだ。だけど、言うべき言葉は分かっていた。
これは幻影だ。運命と時空を司るかの神が生み出した優しい幻影だ。私の役目がそうであるというなら、私の失敗も無駄ではなかった。
「人と神とは分かり合えます。優しい答えはきっとあります。絶望の底に沈んだ私たちだからこそ、見つけられる希望があるはずです。今度こそ失敗しないように、誰も悲しまなくていいように。どうか、最後まで諦めないでください」
私に与えられる時間が無くなる前に、伝えるべき言葉は全て伝えた。
後はこの子に任せよう。この子ならきっと、人と神との架け橋になってくれる。
見上げた空は蒼く、桜の花が散っている。これは『魂桜』。死者の魂の道標。
桜の花びらがふわりと香り、私は静かに目を閉じた。
*****
ゆっくりと目を開く。
そこは桜の木の下だ。リグリの話を聞いている間にすっかり眠ってしまったらしい。
なにか……、不思議な夢を見ていた気がする。誰かに何かを、とても大切な何かを頼まれたような……。
「……行こう」
立ち上がって歩き出す。不思議なほどに静かな気持ちになっていた。
心は決まっていた。迷いはもうない。リグリとウルマティアに、私たちの出した答えを伝えよう。
アセビの花飾りに魂桜の花びらが寄り添っている。それが私に希望をくれた。
*****
覚悟を持って神殿に戻ってきた。
その私を待っていたのは、お怒りになったリグリ様だった。
『あれほど火の始末をせずに寝るなと言ったわよね。しかも私の話の途中で寝るとはいい度胸じゃない』
「すいませんごめんなさい反省してます! 許してくださいお願いします!」
『ダメよ。当分火は使わせないから』
「そんなぁ……」
私の文化レベルが下がった。ただいま採集民族。もう果物はいやだよう。
それにしても不思議だ。リグリの話の途中で寝落ちしたはずなのに、私は遠野朝日の物語を全て見てきたような気がする。
しかもリグリの知るはずが無い内容まで、私は事細かに知っていた。まるで本人から聞かされたかのように。
『まあいいわ。お腹が空いているでしょう。食べなさい』
そう言ってリグリが出したのは葉に包まれたカジキだ。よく焼けている。
礼を言っていただくことにした。冷めてしまっているがそれでも美味しい。しばらくタンパク質が取れなくなるのなら尚更だ。
骨になるまできれいに食べて、手を揃える。ありがとうございました。
お腹がいっぱいになって一息つく。満足した。
「……何しに来たんだっけ」
あれ、私本当に何しに来たんだろう。ガチで忘れた。
その時どこかから吹いてきた風に乗って桜の花びらが飛んでくる。やけに鋭い軌道で飛んできた桜は、抗議するように私の頬にぺちんと張り付いた。朝日ちゃんごめんて、お腹が膨れるとつい満足しちゃって。
リグリと別れて私は一度私室に戻った。改めて見ればこの部屋におかれている家具はどれも手作りのようだ。
手作り感あふれる机に向かい、その上にミニカジキの骨を置く。頭部ごと取り外して尖った口を簡単に調べる。
とても鋭いことがわかった。
(朝日ちゃんが見れば別の感想もあったのかな。いやぁ、学の無い身が恥ずかしい)
使えればそれでいいや精神で行こう。
河原で拾ってきた丸石で骨を研ぐ。骨が痛まないよう慎重に、しかし確実に刃を削り出していく。
おおよそ2,3時間も削り出して、骨のナイフが出来上がった。強度に不安は残るけど丁寧に使えばしばらくは持つだろう。採集用ナイフとしてなら十分だ。やっぱり刃物が無いとね。
『つくづく呆れるな。一からそんなものを作り出すとは……。大したものだ』
気がつけばウルマティアがそこに居た。
『そんなものを作って何をする気だ。それをこちらに渡せ』
「採集用だよ。危ないことには使わないってば」
『ダメだ。リグリから聞いているぞ、危うく火事を起こしそうになったと』
「……手違いもあるよね」
そりゃ焚き火放置したまま寝ちゃったけど、放っておいたくらいで火事になるような甘い作りはしてませんとも。たぶん。
それでも約束は約束だし、破ったのは私だった。怒られるのも仕方がない。
いやいやではあるけど、作ったばかりの骨のナイフを渡す。
『なんだ、やけに素直じゃないか』
「うん。あんまりあんたを困らせると、怒られちゃうから」
『怒られる? リグリにか?』
「遠野朝日に」
ウルマティアの手からからんとナイフが落ちる。
『なぜ、その名前を……』
「遠野朝日の記憶を見てきたよ。彼女の絶望も、あんたの悲しみも、全部知った」
『そうか……。彼女は、なんと?』
「この世界を愛してって頼まれちゃった」
あ、思い出した。さっき何しようとしてたのか。
私は答えを出しに来たんだった。
「リグリ、いる?」
『呼んだかしら』
私が声をかけてからリグリが返事するまで0.2秒。このストーカーめ……。
何したってすぐに見つかる。プライバシーなんて無いようなものだった。それでも。
こんな場所を愛おしいと思ったんだ。
「私、神子になるよ。遠野朝日が愛したこの世界を私も愛したい。遠野朝日が願った人と神の融和を私も願いたい」
『あなた……』
「人間が犯した過ちを二度と繰り返させないために、二度と不要な悲しみを生み出さないために。もう誰も絶望しなくていい世界のために。私は神子になる」
『それが、君の答えか?』
「ううん。私たちの答え」
これまでだって散々いろんなものを背負ってきたんだ。遠野朝日。あなたの想いも、私がつれていく。
一緒に行こう。一緒にこの絶望を越えよう。一人では越えられなかった絶望も、二人ならきっと越えていける。
一人では絶望に負けてしまうような半人前の私たちは、ここではじめて主人公になれたのかもしれない。
私の物語は終わった。朝日ちゃんの物語は終わった。
だからここから始めよう。
私たちの物語を。




