11章 8話
三人称視点
過去編最終話
こうして人間は大規模な侵略を始めた。
邪魔な木々を切り払い、危険な獣を駆逐して、有益な資源を根こそぎかき集めながら、極めて効率的に環境整備は進められた。その効率性の裏には朝日の残した研究成果が使われていたことは間違いない。
世論は既に侵略派が大多数を占めている。人間の内より止められるものはもはや誰一人いなかった。
そして豊穣の神リグリはブチ切れた。
『おのれ人間! お前たちがこの世界を侵略しようと言うならもはや許しはしない!』
リグリを急先鋒として神と人との戦争が始まる。それは極めて一方的なものとなった。
最新鋭の武装に身を包み数で上回る人類であったが、神の力はそのはるか上を行く。一切の手加減無く力を振るった6柱の神は、いざ戦争を始めると凄まじい速度で人類をはねのけた。
自然界にはびこる人類を掃討し、残すは最初に人類が根ざしたコロニーのみ。それを殲滅しに行こうとしたリグリをウルマティアが静止する。
『本当にあなたが行くの? 私がやってもいいのよ』
『いや。これは僕がつけるべきケジメだ。僕らは――、甘かったんだろう。朝日は何度も知らせようとしていたのに、そのメッセージに僕は最後まで気づかなかった。せめてこれくらいは僕にやらせて欲しい』
『そう……。なら、手出しはしないわ』
ウルマティアは単身コロニーに降り立ち、手始めにコロニー内で最も高いアンテナを派手に破壊した。
襲撃の開始を人類に示した。すぐに人類の戦闘員が集いはじめたが、同時に非戦闘員は逃げるだろう。できるなら、朝日のように脆弱な人間を殺したくはないとの考えだ。
向かってくる人間を皆殺しにすればあたりに人気は無くなる。後は簡単な仕事だった。居住区を破壊し、通信施設を破壊し、食料庫を破壊する。目につく施設を片っ端から破壊し、二度と使えないよう念入りに砕く。
最後に残ったのは『異世界の大門』。これを破壊すれば人間の侵略は終わる。
大門を訪れたウルマティアは異様な光景を目にした。門の前には多くの人の亡骸が転がっていたのだ。そしてそのどれもが、ウルマティアがわざと逃した非戦闘員のもののように見える。
そして大門の前にはウルマティアのよく知る少女の姿がある。白衣の裾を血に染めて、その手に銃を下げた遠野朝日は、にこやかに笑ってウルマティアを出迎えた。
「あは。来ましたね。待ってましたよ。まったく、言ったじゃないですか。人間を殺すなら一切の手加減をしてはいけないって」
『……どういうことだ。なぜ君がここにいる』
「しょうがないので代わりに私が殺しておきましたよ。次からはちゃんとしてくださいね」
朝日はくすくすと笑う。その目に既に光は無く、暗い炎が灯るのみだ。
遠野朝日は壊れていた。
精神誘導装置により絶望の底に突き落とされただけではない。自身の研究成果が愛した世界の侵略に使われ、更に結果として多くの人間の死を引き起こしてしまったという事実に、遠野朝日という少女はもはや完全に破壊されていた。
『なぜだ! どうして君がここにいる! 君がこの侵略に関わっていたというのか!?』
「そうですよ。全部全部私の仕業です。お父さんとお母さんが死んだのも、侵略を引き起こしたのも、人がいっぱい死んだのも、全部全部ぜーんぶ私のせい。おかしいでしょ?」
『どうして……! どうしてこんなことを!? 君は世界を愛していたんじゃなかったのか!?』
「はい。大好きですよ。この世界も、あなたたち優しい神々も。もう壊れちゃいましたけどね。あはははは」
乾いた笑い声が響く。愕然とするウルマティアに、朝日は楽しそうにけらけらと笑う。
それはウルマティアの知る彼女の笑顔ではない。彼女はもっと、純粋に世界を愛して笑っていた。
『朝日……、朝日! 何が起こったんだ、説明しろ! 君は狂ってしまったのか!?』
「狂う? 私が? そうですね、狂ってるのかもしれません。でも正常なんてどこにあるんですか? 私の何が正常だったと? 私は今、とてもすっきりした気持ちになっています。きっと今から死ぬからでしょう。それでよくないですか?」
『朝日……』
「おしゃべりは楽しいですね。もっともっとお話しましょうよ。次は何を話します? 人の話? 神の話? それとも、私の話? どうでもいいですね。飽きました。真実はいつもひとつって、昔の探偵漫画でも言ってます」
朝日は握りしめた拳銃をウルマティアに向ける。狂ってこそいたが、照準は機械のように精確だ。ぴたりとウルマティアの眉間に狙いを定め、引き金に指をかけた。
「私はあなたを殺しに来ました。それが真実です」
引き金は引かれ、拳銃から弾丸が放たれる。音速を越えて飛ぶ弾丸は、しかし命中しなかった。
単純な原理だ。ウルマティアは音速を越えて弾丸をかわした。それだけだ。そして弾丸は何に遮られることなく飛翔し、コロニーの残骸に命中して凄まじい爆炎を引き起こす。
ウルマティアが振り返ればそこにコロニーは無い。まるで初めからそこに存在しなかったかのように、一切合切が消滅していた。
「……あーあ。とっておきの一発だったのに。教えておきますね。今の弾丸は極微量の反物質を封じ込めた特殊弾頭を使っています。命中した瞬間反物質が対消滅して、あー、説明面倒くさくなってきた。なんか色々ふっ飛ばします。まあ、これはあなたたち神を殺しうる弾丸ってことだけ覚えておいてください」
『君は……、本気で僕を殺そうとしたのか……? 嘘だろう、嘘だと言ってくれ!』
「はぁ? この期に及んで何甘っちょろいこと言ってんですか。以前言いましたよね、人間は復讐する生き物だと。あなたたち神々が人を殺すのなら、私たちは必ずあなたたちに復讐します。私たちが殺されたのなら、過程がどうあれ全ての復讐は正当化されます。道理なんて知りません。正義なんていりません。そういうのは同じ人間同士でやり取りするものです。あなたは人間ではない」
そう喋る間も朝日はウルマティアに拳銃の狙いをつけて、かちんかちんと引き金を引き続ける。弾丸はもう発射されなかったが、ウルマティアは放たれた悪意を確かに受け止めていた。
やがてそれも飽きたのか、朝日はぽいっと拳銃を投げ捨てる。
「私にできることはこれくらいです。異界の神よ、あなたたちは人間の復讐対象に選ばれました。人間は総力を賭してあなたたちを殺しに行くでしょう。今度こそしくじらないでください。人間と敵対したのなら一切の手加減をしてはいけない。人間から生き残るにはどうすればいいか、わかりますね?」
『君はそれでいいのか!? 僕らは友だろう! こんな結末、認められない!』
「……まだ私を友と呼ぶのですね。あなたは、本当に優しい」
最期に朝日は淡く笑う。その笑みは、彼女が生来持つ自然なものだった。
「はぁ、喋りすぎて疲れました。楽にしてください」
朝日は目を閉じて手を広げる。絶望に狂った瞳は閉じられ、優しい笑みだけを顔にたたえて。殺してくれと、朝日はそう言った。
ウルマティアはしばしの逡巡の後、覚悟を決める。握りしめた長剣を手に駆け出して、そして。
(……次に生まれ変わったら)
長剣に刺し貫かれながら、遠野朝日は思う。
(もっと静かに生きようかな。音を立てず、静かに……)
朝日にとって狂ってしまった自分はあまりにうるさすぎた。
この美しい世界を、ただ静かに見ていたかった。それなのにどうしてこうなってしまったのだろう。
音を立ててそこに在る。それならおしゃべりは終わりにしよう。私のような人間はこの世界には必要ない。
次があればただ観客の一人として、この世界の音を聞いていたい。
そんなことを考えながら、朝日の心臓の音は止まった。




