11章 7話
三人称視点
(投稿予約の設定を間違えており、投稿が遅れました。すみません……)
朝日が楽園に住み着いてちょうど一年後、ついに朝日は帰還することを決めた。
これ以上ここに留まるわけにはいかない。人間が形成したコロニーは周囲一体の環境を変えながら成長している。この世界が居住に適していると結論づけるには十分すぎる時間が過ぎた。
侵略はいつ始まってもおかしくない。
「お世話になりました」
『……本当に帰るんだな』
「はい。私にも家族が待っていますので」
情報端末が壊れたため、地球とは丸一年連絡を取っていない。地球に残していた家族はさぞ心配しているだろう。
しかし会えるかどうかは分からない。朝日が己に課した使命に危険が伴うことは明白だ。家族を巻き込むわけにはいかない。
『帰ると言うなら止めないが……。君のその、人間を内から変革させるということは本当に必要なことなのか?』
「おそらくは。このままだとこの世界にとって良くないことが起こるでしょう。私はそれを止めなきゃいけないんです」
朝日は決めた。人間のむやみな侵略を止めさせることを。
研究成果を持って帰還し、この世界に住む神と人が融和する路線を人々に示す。自然に配慮した穏当な植民を行うことで不要な諍いを止めさせる。それが朝日の出した結論だった。
おそらくは強硬な植民を主張する軍部と衝突することになるだろう。しかし『研究室』が味方となってくれるのであれば、先手を打って世論を動かすことができれば、決して不可能ではない。
『そうか……。寂しくなるな』
「また会いに来ますよ。必ず」
『ああ。待っているよ』
握手をかわす。名残は惜しいが行かねばならない。
その時、朝日はふとした気まぐれを起こした。手製のカバンを開き、その中にしまいこんだ大量の試料をかきわけてメモの束を取り出す。
それは朝日がこの一年間で書き記してきた実験記録だ。この楽園の植生や、この世界の法則、神について得た情報など多岐にわたる内容が記されていた。
「これを置いていきます。人と神とが共に暮らしていた証にでも残しておいてください」
『これは……。君がずっと積み重ねてきたものじゃないか。置いていっていいのか?』
「清書したレポートは別にありますので問題は無いです。ほとんどが覚書のようなものなので、役に立つかはわかりませんが」
この時朝日はどこかで予感していた。自分が失敗し、人と神とが決別に至る可能性を。
これはせめてもの抵抗だ。遠い未来の誰かに届ける、可能性の欠片だ。そんな夢物語を朝日は柄にもなく考えていた。
こうして朝日は一年ぶりに地球へと帰還した。
結論から言えば朝日は失敗した。
『研究室』を味方につけ、世論を動かして穏当な植民へと路線変更させること自体には成功していた。しかし、朝日にとって計算外だったことは、朝日が帰還した時には既に人類に被害が出ていたことだ。
その被害者は異世界で行方不明になった娘を探しに来たところを野生の獣に殺されたらしい。朝日がその情報を知ったのは随分と後のことだ。遅ればせながら朝日は情報を知り、被害者の名前を知り、そして最初の絶望が生まれた。
被害者は遠野朝日の両親であった。
*****
朝日は絶望した。
世界を呪い、神々を呪い、ただただ涙した。侵略か植民かで二つに割れていた世論は、植民派の指導者である朝日が沈黙したことで、徐々に侵略へと傾いていった。
部屋に閉じこもって沈黙を続ける朝日に向けられる目は厳しい。多くの研究成果を手に帰還した朝日は間違いなく異世界研究の第一人者であり、帰還した当初は英雄のように扱われたものだ。しかし今となっては両親を失い悲しみに暮れる一人の少女に過ぎない。
そんな彼女に手を差し伸べたのは軍部の人間だった。
「遠野朝日ちゃん、だったか。少し話せるかい」
「……あなたは」
「世界平和維持軍将校のヨセフ・フォーリナーだ。よろしく頼むよ」
笑顔を浮かべるヨセフに、朝日は無感情な目を向ける。かつては快活に表情を変えていたその顔は氷のように凍てつき、好奇心を秘めていた瞳は今となっては無機質に黒い。
「さて、この度は残念だったね。両親のことはお悔やみ申し上げるよ。しかし、だ。朝日ちゃん、君はいつまでそうしているつもりだ?」
「…………帰ってください」
「君は政府に任じられた研究員だろう? なら君も役目を果たさなければならない。我々人類に与えられた居住領域はあまりに少ない。残念ながら引きこもりに与えられる場所なんて無いんだよ」
「わかりました。なら、出ていきます」
研究員としての立場も、地上居住権も、異世界の神々も、もうどうでも良かった。
いっそのこと海の底にでも沈んでしまおうとすら考える彼女を見て、ヨセフは暗い笑みを浮かべる。
(最新鋭の精神誘導装置は大したものだな。『研究室』の奴らは恐ろしいものを作り出す)
実際のところ朝日が真に絶望したのは最初だけだ。
両親の死を知って悲嘆に暮れたものの、異世界を救うという使命に彼女は再び立ち上がろうとしていた。自分が背負ったものが簡単に投げ出していいようなものではないことを良く分かっていた彼女は、仲間の支えもあって数日の後に表舞台へと復帰できる、はずだった。
彼女の部屋に忍び込んだ軍部の人間が精神誘導装置を取り付けるまでは。
(『研究室』の奴らはこれを精神医療器具として作っていたそうだが、それはあまりに浅い見方だな。これは正しくは思考統制装置だ。危険分子を非暴力的に排除するまさしく平和のための兵器よ)
人の感情を意のままに操る装置により、朝日の感情はネガティブな方面へと日に日に傾いていく。絶望から立ち直ろうとしていた心は再び絶望に突き落とされ、もはや自力では脱出できない深みへと堕ちていた。
軍部がこうしたやり方をするのははじめてではない。あまりに非道徳的であることから大々的には行っていないものの、犯罪者でもない少女の感情を踏みにじることに誰一人として異議を唱えないくらいには、組織的に手慣れたものだった。
「まあそう言うな。かけたまえ。君とはよく話し合う必要があるだろう」
「話すことなんてないです」
「朝日ちゃん、君のレポートは読ませてもらったよ。なんでも君はあの世界に平和的な植民を行いたいんだってね? いやはや素晴らしい。君のような可憐な少女は考えることも優しいようだ」
「……そんなこと、思ってもないくせに」
「いいや、思っているとも。平和とは素晴らしいものだ。それを目指すという意味において我々の目的は一致している」
それを聞いて朝日の心がざわつく。
朝日の言う平和とヨセフの言う平和では意味が違う。彼らの平和はあくまでも人間にとっての平和だ。普段であれば考えるまでもなく気がついたことだが、満足に動かない朝日の頭はその結論に達することは無かった。
ただ、心がざわついただけ。朝日にできた抵抗はそれだけだ。
「朝日ちゃん。君の両親の死は、あの世界が平和でなかったがために起こった悲劇だった。二度とそんなことを起こしてはいけない。わかるね?」
「…………ちがう」
「無理をしなくていいんだよ。我々は君の味方だ。死者を蘇らせることはできないが、朝日ちゃんが二度と悲しまないようにすることはできる。そのためには朝日ちゃん、君の助力が必要なんだ」
「私の、助力……?」
「そうとも。これは異世界研究の第一人者である朝日ちゃんにしかできないことなんだ。君の研究成果があれば、我々は平和的に植民が行えるだろう。手伝ってくれるね?」
「そんなの……。嫌です。あなたたちがやろうとしてることは……」
懸命に抵抗を続ける朝日の瞳に少しずつ光が戻ってくる。明確に抗うべき敵を見出したことで、彼女の心はわずかばかり上向こうとしていた。
(ふん、抗うか。無駄なことを)
朝日に見られない角度でヨセフが指示を出すと、部屋の外で待機していた部下が精神誘導装置の出力を上げる。
マインドプロテクターをつけたヨセフにすら薄っすらと感じられるほど強烈な思念波が部屋の中に叩きつけられ、朝日は頭を抱えて小さくうめいた。
「ぅ、ぁ……、いや……っ」
「聞くんだ、朝日ちゃん。君の両親を殺したのはあの世界だ。復讐したいとは思わないかね?」
「復、讐……?」
「そうとも。復讐だ。君にはその権利がある! もし君がそうしたいと言うのであれば、我々は喜んで力を貸そうじゃないか!」
「復讐……」
朝日はどこかでその言葉を使った気がした。
頭のなかにふと思い浮かぶのは、優しい誰かの顔。しかしそれも胸の内から湧き上がる黒々とした絶望に塗りつぶされて、すぐに思い出せなくなる。
心の底まで絶望に染まり、やがて彼女は静かに顔を上げた。
その瞳に絶望の炎を灯して。




