11章 5話
過去編 三人称視点
過去編は全4話を予定しています
「なんですかなんですかなんですかこれー!! わはー! やっべ、すっげ、興奮してきたー!!!」
楽園に少女の声が響く。
白衣を纏い、全身でその好奇心を表しながら野を駆け回る人間の少女。つい最近「地球」とかいう異世界から来た新種族だ。高度な知性を持ち、自在に意思疎通を行う稀有な能力を持つ。見たところ社会性を持つ種族のようだがこの少女は単独でうろついていた。何事にも例外はあるということなのだろう。
そんな少女を、少し離れたところでウルマティアは見ていた。世界樹の森の奥深くで倒れていた少女を、ふとした気まぐれで楽園に引き上げたのがつい先ほど。新種族を知る切っ掛けになれば良いとの行動だったが、ウルマティアは早くも後悔し始めていた。
『……君、ついさっきまで行き倒れてたんだよね。その元気はどこから出てくるんだ』
「見てくださいよこの! この景色! これほどまでに独自性が強く豊かな植生を持つ世界! これを見て黙ってるようじゃ研究者失格ってもんですよー! 地球から出てきてよかったー!」
『はぁ。まあいい、好きにすればいいさ』
研究者が何かはわからなかったが、ウルマティアは放置することに決めた。止めても止められそうにない。
この楽園はウルマティアの目の届く範疇だ。何かあっても対処はできる。好きにすればいいとの判断だ。
少女を放っておいて神殿に帰ろうとすると、ばたりと何かが倒れる音が聞こえた。
「おなかすいた……」
知覚を向ければ少女が倒れていた。
『何か食べればいい』
「携帯食料落としちゃいまして……。情報端末は故障するし、遭難して行き倒れるし、もう散々ですよ。ああでも、最期にこんなきれいな場所に来れてよかったー」
『勝手に死ぬな。ここで死ぬのは迷惑だ』
特定の生物に干渉するのは神として避けるべきことではあったが、ここで死なれるのはとても困る。この楽園に肉食動物は住んでいない。やがて長い時が立ち、風と土が彼女の体を溶かすまで、その死体は長く残ることになるであろう。そうなるとせっかく整えた景観が損なわれてしまう。
個人的な事情で神の定めた不文律を侵すことに内心で言い訳し、ウルマティアは毒性のない木の実を少女に与える。
「……ん? どことなく甘い匂い……」
『食べろ。死なれては困る』
「ああ、すみません、ありがとうございます。これはどういったものでしょう。見たところ果実のようですが……。匂いとしてはパイナップルの原種に近いですが、外見はまるで濃紫のナナカマドの実のようですね。この果実はここに生っているもので?」
『空腹なんじゃなかったのか。気にする前に食べろ。さもないとまた倒れるぞ』
「むぅ。よくわからないものを食べるのは危険ですが、背に腹は代えられませんね。ヨモツヘグイではないことを祈るとしましょう」
少女はおそるおそるその実を口に含む。
そして、とても微妙な顔をした。
「…………焼肉味」
『獣もよく食す実だ。毒は無い』
「まるで奇術でも見せられたようです。侮れませんね、さすが異世界」
毒はないと判断し少女はひとつふたつと果実を食す。よく喋るこの少女も、食事中はさすがに静かにしているようだった。
「ふぅ、ごちそうさまです。多少面食らいましたが、慣れれば受け入れられない味ではありませんね。案外この世界の食生活にも馴染めるかもしれません」
『定命の者は大変だな。食料が無ければ行動できないのか』
「そういうあなたは食べないので?」
『神は食事を要しない』
神、と聞いて、少女はぱちくりと目を瞬かせる。
「あなたはこの世界の神なのですか?」
『ああ。自己紹介がまだだったな。死滅と再生の神ウルマティアだ』
「あ、これはどうもご丁寧に。私は遠野朝日、人間の研究者です。よしなに」
『研究者とはなんだ?』
「調べ物をする人間ですよ。人は高度な社会性を持つがゆえに、食料を生産する人間以外にも数多の職業が存在します。研究者はその最果てですね。食っちゃ寝して考え事するだけの楽な仕事です」
『ふむ。よくわからんが、君が行き倒れた理由はわかった』
「あちゃー。これは手厳しい」
ころころとよく表情を変える少女だ。大人しい外見にそぐわず快活な瞳とよく動く口が、その少女のパーソナリティを如実に示していた。
「ところでウルマティアさん、様? 様ですか、様ですね。神様ですもの」
『好きに呼べ。どうせ君ら以外に呼ぶ者はいない』
「異界の神に敬意を表さないほど野蛮な種族ではありませんよ。ただ私の内に潜む好奇心の獣は少々暴虐かもしれません。無礼を承知で頼みます。ウルマティア様、私はあなたについて知りたい」
『構わないが、なんでもかんでもは教えられない。僕にはこの世界を統治する役目がある』
「もちろんですとも。異文化交流の第一歩はお互いを知るところから始まります。こうして対話をしているだけでも十分に有益なのですが、あと一歩を踏み出したいのですよ」
にこにこ笑って朝日はウルマティアの手を取る。本当によく喋る少女だ。
もしも人類のすべてがこうだったら……、この世界はさぞ賑やかになるだろう。それはそれで歓迎するべきことなのかもしれないと、ウルマティアはそう思っていた。
*****
「なるほど……。神とは言わば概念なのですね。そうして取っている姿はあくまで仮のものに過ぎず、本体は別にある、と。かつて地球に存在した信仰に酷似していますね。地球の信仰では神は記録の中に姿を現すのみでしたが、この世界ではこうして実在している。これは学界を沸かせますよ。一度は衰退した神学が再興するやもしれません!」
『はぁ……。質問は以上かい』
「いえいえまだまだほんの序の口ですよ! 私の興味は汲めど尽きぬ泉がごとく!」
中天に登った太陽が傾くまで、ウルマティアは朝日に質問攻めにされていた。疲労とは無縁の神ですら精神的な疲労を感じてきたというのに、朝日は元気になる一方だ。
「次の質問です! この世界に人類は存在しないんですよね? ですが、あなたの姿格好は私たち人間のものによく似ています。偶然と言うには出来過ぎだと思うのですが、これはどういったカラクリでしょう?」
『ああ、それは君にはそう見えているという話だ。僕ら神はそれを見る種族と同じ姿を取る。人が見れば人の神のように見えるが、獣が見れば獣の神となるだろう』
「ほほう……。では、人語を解しているのは? 先程から異種族翻訳機を通さず会話をしているのですが、正常に意思疎通ができているように思えます。この会話が全て私の思い込みの産物によるものでなければ、ですが」
『君の鳴き声の中から意思を拾い上げ、僕の意思を君の頭に直接送っている。人間は楽でいい。獣と違って意志が明確だ』
「なるほど、あなた自体が一種の異種族翻訳機であると。いやはや面白い。まさしく神の力ですね。あらゆるものと自在に意思疎通ができるとは羨ましい限りです!」
ウルマティアは異種族翻訳機が何かは知らない。朝日との会話では知らない単語がいくつも出て来るがいちいち気にしないことにした。
ウルマティアが適当になりつつある一方で、朝日は考えを纏めていた。
(既知のどんな生物とも一線を画す存在……。精神生命体と言うにも別格すぎる。神を名乗るだけはありますね。概念とは例えてみましたが、案外いい線行ってるかもしれません。意識を持ち形をなす概念が、この世界の支配者である、と)
想定を越えている。この世界に来る前は、よくある与太話のひとつとして人間以外の知的生命体(研究者仲間は一昔前のサイエンスフィクションになぞらえてエイリアンと言っていた)の存在を夢見たりもしたが、それどころの話ではない。
この神がどういう存在なのかという輪郭は読めてきた。だが、肝心の一点、これは生きているのかという問題には答えは出せそうにない。
(生きてるなら、殺せる。司令部はそれを望むんだろうなぁ)
結局のところ、人間の目的は植民だ。既にこの世界に統治者がいるとするならそれを打倒することも視野に入れているだろう。
実地調査として派遣されてきた遠野朝日研究員もそれをよく分かっていた。その一方で、自身が司令よりも己の好奇心に忠実であるということもまた、十分すぎるほどよく分かっていた。
(やだなー。研究したいなー。こんなスピリチュアルパゥワーを持つ上意思疎通可能で友好的な生命体なのに。あんの銃が好きで好きでしょうがない猿どもに馬鹿正直にレポート上げようものなら、危険だ殺せの一言で片付けられるんだろうなー。あいつら猿だからなー。『平和』と『安全』のために戦争できる危険人物だからなー)
この植民は軍部(正式名称を世界平和維持軍と言う)の主導で行われている。彼らの興味はあくまでも領地の拡大とチャンバラごっこにしか注がれていない。
朝日はそういったことにまるで興味は無かった。それどころか、『研究室』が作った『異世界の大門』がそういった使い方をされることに憤慨してさえもいた。
『質問は以上か? 以上だ。以上にしよう』
「えっ、あの、まだまだ聞きたいことがあるんです!」
『もう日も暮れる、今日は終わりだ』
そう言って、疲れた顔でウルマティアは神殿に向かって歩きだす。朝日はその背中を慌てて追いかけた。
「ちょちょ、待ってください! 置いてけぼりにしないでくださいよ! 自慢じゃないですけどこんなところに放って置かれたら明日には冷たくなってますよ私!」
『ああ、そういえば人間は一人では生きていけないんだったな』
「正確には研究者は、です!」
『……誇ることじゃないだろう』
このまま放っておかれては困る。しかし、帰ればこの事を報告せねばならないだろう。
異界の神と接触し、それを黙っていたとあれば処罰は免れない。ようやく手に入れた研究員の座を追われるどころか、処罰は家族にまで及ぶであろう。軍部の連中ならそれくらいは平気でやる。
だが……、『やむを得ない事情』で帰れなかったら?
『君たちがやってきた大門まで帰してあげよう。用があるならまた今度会いに来ると良い』
「待った待った待ったー! 駄目です駄目です駄目です! 帰りません私! 帰ったら死にます死にますとも!」
『急に何を言い出すんだ?』
「もうちょっと……、もっとあなたのことを知りたいんです! 一緒に、居てもいいですか……?」
なんだか告白のようになってしまったが、朝日はいたって真面目である。
遠野朝日研究員[削除済]歳。若くして『研究室』研究員の座まで上り詰めた彼女は、根っからの研究バカだった。




