11章 4話
散策して錬金素材を探しているものの、途方にくれていた。
楽園の植生は不思議ではあるが豊かだ。桜並木や黄金の草原が広がり、翡翠の川には宝石のような魚が泳ぐ。空は煌めき大地は輝き、まさしくこの世の楽園といえるだろう。極彩色の景色が目に痛いことを除けば。
そこら中見渡す限り、地上には無いものがわんさと転がっている。だからこそ、途方にくれていた。
「生えてる素材にまるで見覚えが無い……」
私ですら見聞きもしたことがないような素材がごろごろしてやがる。どの素材がどういう効能なのかまるで検討もつかない。
鑑定ウィンドウが開けるのなら錬金スキルを使って分析できるんだけど、システムに制限がかかってるもんだからどうしようもない。
かくなる上は。
「オペレーション手当たり次第を発動する」
紫色の実をつけた木に目をつける。その実を摘んで指で潰すと、紫の汁が指に付着した。
痛みやヒリヒリする感覚は感じられない。酸性のものではないようだ。
匂いを嗅いでみる。ほのかに甘い匂いが感じられた。
「……いくか」
おそるおそる舐めてみる。
焼肉味。
「……………………」
考えるな。感じろ。納得しようとしてはいけない。
とりあえずこれは焼肉の実と名付けよう。スクリーンショットを取って――取れないんだった。
持ってきたメモにささっとスケッチ。調べたことを箇条書きで書き記して、神殿から拝借してきたボトルに枝ごと試料として保存する。
次だ。次にいこう。
「きのこ系は……、後回しにしよう。危険な橋を渡るのは今じゃなくていい」
素材の種別ごとにおおよそ効能の傾向というものがある。
植物素材はおおむね安全。果実系はたまにヤバイ毒があるが比較的安全め。キノコは毒としても薬としてもピーキーな性能で使いづらい。動物素材は動物の特徴を受け継いでいるから判別しやすくて、魚系の素材は錬金素材というより食料としての向きが強い。
そして何より昆虫素材はヤバイ。このゲームにおいて虫と言えば毒だ。虫素材は食うな、触るな、近寄るなが錬金術の大原則。
そんなわけで植物素材を中心に調査と試料集めを進めていった。
オニキスフラワー、ぎんいろハチミツ、蔦リング、山イモ大関、草っぽいの、将軍カカオ、純恋華、大油田……。次から次へとうじゃうじゃ出てくる。3歩進めば新素材にが見つかる勢いだ。ネーミングが追いつかなくてだんだん適当になってきた。
大油田ってのは鬼面の模様があるキノコだ。なんとなく油田が欲しい気分だったからそう名付けた。ちなみに強力な麻痺毒があるから食べてはいけない。
もし誤って食べようものなら一撃で昏倒することになる。今の私のように。
(…………やらかした)
指一本動かない。いやあ、さすがは楽園産の麻痺キノコだ。地上の物とは効き目が違う。
……困ったな。どうしよう。吐き出そうにも口から何からまるで動かないと来た。ついでに言うなら、飲み込んだ瞬間麻痺したから気道が塞がってしまっている。
つまり呼吸ができていなかった。まじで死ぬ5秒前って感じ。おのれ大油田、無念なり……。
『……君ね』
ざっと足音が聞こえて、次の瞬間蹴っ飛ばされた。しかもお腹を。結構強めに。
どごぉとあまりよろしくない音を立て、喉から大油田の欠片が飛び出てくる。体が動くようになって最初にやったことは、お腹を抑えて悶絶することだった。
『わざとだろう。毒だと分かっててわざと食べたんだろう!? そうだと言ってくれ……! 仮にもこの僕を追い詰めてみせた人間が、キノコで死にそうになってたなんて信じたくない……』
「もうちょっと、優しいやり方とか、あったと思うの……!」
『知るかっ!』
574レベルとかいう文字通り桁が違うステータスで1レベルの腹を蹴るんじゃない。口から内蔵が出るところだったじゃないか。
荒い息を整えてから立ち上がる。大油田にはもう手を出さない。メモにもしっかり書いておこう。
『ったく、君はいつもいつも手間をかけさせるな』
「ほっときゃいいのに」
『そうもいかんだろう』
なに甘いこと言ってんだ。
色々と迷うところもあるが、感情的にこいつは敵だ。機会さえあれば殺してる。
……ま、油断してくれるならそれでいいさ。
『君はまだその目をするんだな』
瞬きひとつの間に、ウルマティアが眼前にいた。
すぐ近くに奴がいる。覗き込む黒目と目があって、警戒心を引き上げながら距離を取る。
『逃げるな』
肩を掴まれた。反射的に殴った拳は止められ、ならばと蹴ってみたがびくともしなかった。
それなら体術で投げてやろうか、と初動を構えた瞬間、掴まれた肩を締め上げられる。
「痛っ」
『なぜ逃げる。なぜ暴れる』
「あんたは敵。それ以上の理由がいるの?」
『……その目だ。なぜ、どうして君たちは……』
そう言うとウルマティアは肩を離す。今度こそ距離を取った。
『逃げないのか。僕は敵なんだろう』
「……不用意に近寄らなきゃそれでいいよ。それに、私にはやることがある」
『分からないな。君たちは何を考えている?』
「ねえ、君たちって?」
周りを見渡しても私以外の人間はいない。こいつ、なんかヤバイもん見てるんじゃないか。
どことなく顔に精彩がないし、目線はどこか遠いところを見ていた。悪いもんでも食べたのかな。キノコとか。
『与えれば居付き、奪えば死すらも受け入れる。そのくせ時に僕を殺そうともしてみせる。君たちは一体なんなんだ? 教えてくれ、僕は与えればいいのか、それとも奪えばいいのか?』
「好きでこんな場所にいるんじゃない。出られるなら今すぐ出ていく」
『……君はそうだったな』
これは何の話なんだろう。わからない。
わからないけど、ウルマティアはどこか辛そうな顔をしている。それだけはわかった。
「何を奪っても何を与えても、もうとっくに手遅れだよ。私とお前はとうに決別し、そして決着をつけた。これはお前の歪んだ感傷が生み出したロスタイムに過ぎない」
『生み出した……、なんだって?』
「後日談に過ぎない」
話の腰を折らないでほしい。ロスタイムも通じないのか。ゲーム用語ってよりスポーツ用語だぞ。
「私たちは最初のボタンをかけちがったんだ。人間は目的のために死を振りまき、お前はそれに死を持って償わせた。どちらが正しかったと言うつもりは無いよ。ただ、私はそのことをずっと覚えている。時が巻き戻った今でも」
『……そうか。そうだったな。なんだ、そういうことだったのか』
わざとわかりづらいように話したつもりだったけど通じたらしい。
こいつ、時が巻き戻ったということを認識しているのか?
『奪うことも与えることもただ一度の選択で意味を失う。僕は、人を殺してしまった。君たちは……、大切な者を殺されたとあれば、なんだってしてみせる。つまりそういうことだったんだろう?』
「ねえ、時が巻き戻ったことを知っているの?」
『そうだ。時が巻き戻せるなら、僕は……』
違う。
何かが違う。決定的に違う。強烈な違和感を感じる。
こいつは一体何を――、誰と話している?
ウルマティアの肩を掴んでこっちを向かせる。その顔を引き寄せ、黒目を間近で覗き込んだ。
「私が分かる?」
どこか遠くを見ていたウルマティアの視線が収束し、私に注がれる。
精彩を失っていた顔色が平常に戻っていく。現実を認識したか、ウルマティアはぱちくりと目を瞬き、そして心底残念そうにため息をついた。
『なんだ、君か』
「なんだってなんだ。私は最初から私だ」
『そうだったね……。はぁ、くそ、腹立たしい。君を見ていると嫌なことを思い出す』
「前にここに住んでた人間のこと?」
そう問うと、ウルマティアの瞳は確かに揺れた。
オーケー、ビンゴだ。
『君には関係の無いことだ』
「教えてよ。気になる」
『ねえ、距離が近くないか? さっきは逃げたくせに、素直じゃないんだね』
「殺すぞ」
『やってみろ』
突き飛ばす。距離が離れた瞬間、ウルマティアは消えていた。
……お前は逃げるのかよ。これじゃまるであべこべだ。
「人間、か」
あの人殺しの神は人間をどう思っているんだろうか。
私はまるで知らない。仇敵のことを知ろうともしてこなかった。
(必要なのは対話か。まったく、リグリの言うとおりだ)
バカらしくてちょっと笑う。
喧嘩が殺し合いになる前に、私たちは話し合おうともしてこなかった。こんな簡単なことにすら死ななきゃ気が付かないバカヤロウがいるらしい。
……それは間違いなく私だった。
*****
泉のほとりに腰掛け釣り糸を垂らす。
餌は木をほぐして作った疑似餌だ。集魚力が低いから簡単にはかからないけれど、時間ならいっぱいある。のんびりやりたい気分なの。
穏やかな時間だった。
(……眠いんぐえくすとりーむまっくす)
寝そう。
うつらうつらとするけど寝てはいけない。いつ魚がかかるともしれないのだ。好機を逃せば食いっぱぐれる。
眠気と格闘しつつじっと待つ。夢と現を反復横跳びし、いい感じに頭がふわふわとしてきた。
なんで眠気にあらがってる瞬間ってこんなに気持ちいいんだろう。すとんと体を倒してしまう瞬間の至福は何者にも代えがたい。快楽に身を任せたくなる衝動をゆらゆら我慢していると、脳がほろほろに溶けそうになる。耐えるんだ私、堕ちるな私。
抵抗はしばらく続いたものの、気を抜くと意識が飛ぶようになってきた。あ、だめだこれ。もうねる。おやすみなさい。
『竿引いてるわよ』
起きた。
竿を鋭く上げて針をかけ、じわじわと引いていく。糸が弱いから慎重にだ。カンストさせた釣りスキルを使って慎重に魚の体力を削り、抵抗が弱まってから確実に引き上げた。
釣り上げたのは……、多分カジキ。口が尖ってるからカジキ。全長30センチだけどカジキってことにしておこう。
『あら、中々大きいじゃない。良かったわね』
「ふぁぅ……。ありがとリグリ、逃がすとこだった」
『眠いなら寝たほうがいいわよ』
「食べてから寝る……」
寝たいのはやまやまなんだけど、釣っちゃったからには食べないと。冷蔵庫もバケツも無いんだ。一眠りしてからだと鮮度が落ちてしまう。
ぱんぱんと頬をはたいて眠気を飛ばす。よし、やるぞ。
『人間は大変ねぇ』
「苦労もするけど楽しいよ。自分で釣って焼いた魚はとてもおいしい。飢えている時だと特に」
『切実ね……』
切実なんです。
焚き火を組んで魚を焼く準備をする。最近は焚き火に火をつけるのも手慣れてきた。マイ火打ち石が火花を散らし、焚き付けから枯れ木に火が移って魚を炙る。
魚をぶっ刺した枝をくるくるしながらじゅあわする。そうして魚を焼いていると、焚き火のぬくもりがゆっくり体に染みていき、うつらうつらとし始めた。
『わかってるとは思うけど、火事起こしたら二度と火使わせないわよ』
「大丈夫大丈夫。寝落ちなんてしませんとも」
『?』
あ、寝落ちも通じないのか。失敬失敬。
気を強く保って起きる。がんばるぞ。
「ねー、りぐりー。聞きたいことがあるんだけどー」
『どうしたのよいきなり』
「話してないと寝そうで……」
『昨夜遅くまで作業してるからよ』
「なんで知ってる」
昨晩は採集した試料の効能を調べてたら遅くなってしまった。おかげでいくつかの有用な効能を持つ素材を発見したが、代償に睡眠時間が削られた。
……そういえば机に向かったまま寝落ちしたように覚えてるんだけど、起きたら布団の中だったな。いつの間にか和装束から寝間着に着替えてたし。
まあいいや。そんなことよりも。
「かつてここに住んでいた人間について聞きたいの。何か知らない?」
『……それ、ウルマティアのやつが話したの?』
「うん。詳しくは聞けなかったけどね」
『はぁ、まったく。あの子とあなたを重ねるなって忠告したのに……。それも仕方のないことなのかもしれないわね。あの子とあなたは一致する符号が多すぎるもの』
「その子、そんなに私に似てるの?」
『いや全然』
似てないんかい。
『少なくとも性格はね。あの子はあなたよりずっと純粋で、内なる好奇心にひたむきだったわ。あなたとは大違い』
「うるさいな。どうせ私はやさぐれてるよ」
『そんな可愛いものじゃないでしょう。例えるなら神算鬼謀の糸を張り巡らせ、病的に緻密な網を張って獲物を罠にかける妖蜘蛛よ。更には残酷なまでの効率主義で数多の感情を踏みにじり、積み重ねた屍の上で己も朽ちようとする。糸の強度が甘い箇所があるのが救いね。そうじゃなければ手に負えないわ』
「あの、私死んだほうがいいですかひょっとして」
『…………。難しい質問ね』
「悩まないでくださいよー!」
矮小な身には過分な評価を頂き恐悦至極。涙が出そう。
「私のっ! ことよりっ! 人間のこと!」
『そうね。あなたは人間と呼ぶには微妙なところがあるものね』
「しまいにゃ泣くぞ!」
『冗談よ。ちょっとからかいすぎたかしら。……そうね。どこから話したものかしら』
リグリは少し考え込み、そして語りだす。
『人間がこの世界を訪れた後、大規模な侵略を始める前。その僅かな空白の期間に、ウルマティアが人間の少女を拾ってきたのよ』
 




