11章 2話
ほどなくして私室としてあてがわれている部屋に錬金鍋が設置された。
ここでの生活は案外自由だけど、散歩と鍛錬(と神々の話し相手)のルーチンワークにも飽きてきた頃だ。錬金ができるというのは素直に嬉しい。
ただ、鍋があれば錬金ができるというわけではない。その他に必要なものは色々あって、中でもどうしても必要なものがあった。
「刃物が欲しい……」
『ダメよ。危険だわ』
刃物の許可は降りなかった。当然と言えば当然だけど。
「でもでもですよリグリ様。刃物が無ければ採集はできず、採集ができなければ錬金などできません。小さなものでいいんです。どうか刃物を」
『下手に出てもダメ。怪我したら危ないじゃない』
「ナイフの一本で斬りかかったりしないってば」
『怪我するのはあなたよ』
む。
とんでもなく子ども扱いされてる気がする。この私がナイフの扱いを間違えて怪我をすると? 人界に名を馳せた大錬金術師たるこの私が?
はっはっは。神様は冗談がうまい。
「ナイフの扱いには慣れてる。怪我なんてしないよ」
『合計7回。これが何かわかる?』
「? 何の数字?」
『あなたがここに来てから自殺を試みた回数よ』
ぐぅ。
いや、まぁ、確かにやったけどさぁ……。しょうがないじゃん? だって死ぬ気満々だったところを無理やり生き返らされれば、そりゃ死にたくもなるじゃん?
『ここ数日は落ち着いてきたと思ったら、今度は自傷なんていう遊びを覚えて……』
「それは冤罪! 検証のための些細な犠牲!」
『自分の体をおもちゃにしない』
「もうやらないって!」
検証なら終わったし。それに痛いのは嫌いだ。
『なんにせよ諦めてちょうだい。今のあなたに刃物は渡せないわ』
「むぅ……」
『あら、不服かしら』
「……鍋があるだけ幸せだなって思ってるよ」
『ならいいわ』
錬金術刃物縛りかぁ……。やれなくはないけど、大きく制限されるのは間違いない。
無課金プレイというワードが頭をちらつく。しかし負けてはいられない。私には生産職の魂がある。
無いなら作ろうの心で行こう。
ということで神殿から出てみた。ゲーム開始直後、何もないところからはじめたあの頃を思い出す。
まっさらな気持ちとは言わないけれど、気持ちがほんのちょっぴり前を向いた気がした。
(最初にやることって言ったらやっぱりこれかなぁ)
楽園に並ぶ桜並木。この木は『魂桜』の木だ。一年中咲き続けるこの桜は安らぎに満ちた香りを放ち、死者の魂を導くとされる。秘密の花園の隠された霊園にあるものと同じ木だ。
そこに落ちていた枝を一本拾い、指で引っ張ってしならせる。これなら十分そうだ。余計な枝を手で折って一本の棒に加工した。
釣り竿のパーツその一を入手。後は糸と針、それから餌かな。
楽園を散策して背の高い草を探す。ふらふらと歩いていると黄金色の畑に出くわした。
どうやら麦畑……、というより放置され過ぎてもはや麦の群生地だった。見渡す限りの黄金色が野放しにされている。風にそよいで麦の穂が揺れ、ざわざわと美しい波を形作っていた。
「……なんで麦?」
あいつら神は何も食べない。この楽園で物を食べるのは私だけだ。
だからこそ疑問だった。誰が何のために作ったんだろう、この麦畑。
『綺麗だろう。人が作ったものにしては中々だと思わないか』
ウルマティアが居た。相変わらず唐突に現れる。
「人? この麦、人が作ったの?」
『ああ。昔居たんだよ。君より前にここに住んでいた人間が』
私より前に人が住んでいた? この楽園、ウルマティアの本拠地に?
違和感がある。こいつは人間が嫌いなんじゃなかったのか? なのになぜ?
……わからない。私はこいつのことを何も知らない。
「聞かせてよ。どんな人だったの」
『……うるさい奴だったよ。そして、どうしようもないくらい最後まで人間だった』
そう言うと、ウルマティアはそれきり口をつぐむ。その目は遠くを見て、どこかせつなそうな顔をしていた。
そんなことよりも。
「この場所って元々畑だよね。誰が管理してるの? まだ使ってる? 私が使っても良い?」
『君さぁ。風情ってものがあるだろう』
「風情より実利! 私は人間の生活向上を訴えるものだよ!」
ここでの食生活は果物しか与えられない。というのも神々は食事を求めないがゆえに、料理という文化に縁がないのだ。
それならそれで自分で料理すると言っても、包丁も火も使わせてもらえない。神殿にあったキッチンに忍び込んだら即座につまみ出される有様だ。仕方なくそこらの果物を採集して生でかじるという原始生活を送らせてもらっている。
以前は私も何も食べなくても良かったんだけど、今となってはちゃんとお腹が空くのが恨めしい。毎日きっちり食べなきゃいけないとか手間がかかる上に、ストレス要素になっているのだから面倒くさいことこの上ない。
『人間は大変そうだ』
「定命の苦しみ、味わってみる?」
ウルマティアは嫌そうに首を振り、畑は好きに使えと言い残して消えていった。よっし、畑ゲット。
と言ってもクワも鎌もジョウロも無いから、それらを用意するところからはじめないといけない。まだまだ先は長そうだ。
とりあえず麦を一本抜いて、茎をちぎる。
「クラフトウィンドウ――は、無いんだった。えっと、どうしよう」
茎を握って少し考える。うろ覚えだけど、やってみるか。
茎に爪を立てて裂け目を作り、ちぎれないよう裂いてほぐす。ぴーっと引っ張れば茎はバラバラに裂け、植物繊維に変化した。
「……ん?」
これは、手動クラフトの簡略表現……?
試しにもう一本茎を持ってきて同じことをする。見間違いではなく、今度も一撃で植物繊維に変化した。クラフトウィンドウは無くとも、手動クラフトは使えるとみていいだろう。
これはシステムの制限から逃れていたのか、そもそもシステムでない領域に――世界のルールとして元々あったものなのか。
憶測だ。憶測に過ぎないが、検証の余地はある。
麦の穂から種籾を取り出し、畑の隅に植えてみる。耕してもいないし水もやっていないが、物は試しだ。
そのまま近くに座ってじっと見守る。およそ3分20秒後、芽が出てきた。
(農業スキルは動いてる……。なるほど。だったらこれはどうだ)
ぱんと柏手を打ち、スキルを起動する。リグリの眷属スキル【収穫祭】だ。
体の中から何かが抜けていく感覚がし、スキルはしっかり発動した。生えたばかりの芽は急成長を遂げ、一瞬で生育が完了する。それだけじゃない。
辺り一面に乱雑に生える麦が、ぴしりと綺麗に生えそろった。
「わ、わわっ」
私が立っている足元にも麦の種が埋まっていたようで、ぐんぐん伸びてくる。慌てて後ずさればその足元にも次から次へと麦が生える。とっさに近くの木に避難すれば、その木にわっさわっさと果物が成った。
見下ろせば広大な麦畑。黄金色の美しい絨毯が広がっていた。
……やっべ。生育環境変えちゃった。生い茂る麦の下には元々そこに生えていた草花が、窮屈そうに覗いている。
『何してるのよ』
今一番会いたくないお方が会いに来た。
『私の力で環境破壊とはいい度胸ね』
「や、その……。こんなつもりはなかったんだけど。ごめん」
『……ちゃんと片付けなさいよ』
「はーい」
うぇへぇ。この作地面積を片付けるのかぁ。これは骨が折れそうだ……。
『使いなさい』
と思っていたら、リグリが『草薙剣』をくれた。
「刃物はダメって言ってなかったっけ」
『今だけよ。終わったら返しなさい』
お優しい。使わせてくれるなら使わせてもらおう。
『草薙剣』を腰に吊るし、抜刀術を構える。せっかくの和装束なんだから剣技も和式で行こう。
えーと、一番攻撃範囲が広いのは……。
「【抜刀術・風車】」
すっと真横に一閃。舞い上げられた風がさーっと黄金を薙いでいき、一刃で黄金の絨毯を刈り取った。
手動再現が使えることは【千剣万華】の練習で知っていた。これもまたシステム制限の外にあるものなんだろう。
『草薙剣』を納刀し、リグリに返す。
「ありがとう。助かったよ」
『あなたの剣技もこういう使い方なら悪くはないわね』
苦笑いで返す。戦いのための技術も平和的に使われるようになったものだ。
で。それはいいんだけど。
綺麗に刈り取られた畑には、黄金の穂があちらこちらに散乱していた。
「前は刈り取ったらインベントリの中に勝手に集まったんだけどなぁ……」
『刈り入れは手伝わないわよ。自力でやりなさい』
「はーい……」
こればっかりは自力でやるしかなさそうだ。仕方ない。
ばらばらに散った麦を一つ一つ拾い集める。今日はもうこれだけで終わりそうだった。




