10章 5話
『死んだか』
『そこそこ面白いものが見られた。上出来であったと褒めてやろう』
『悔いているか』
『いや、悔いてなどいないのかもしれんな。まあどちらでも良い』
『言っておくが巻き戻すことは叶わんぞ』
『今のお前に時を戻すだけの対価は払えん』
『だがな』
『お前のしてきたことは無駄では無かったと言っておこう』
『ひとつ事実を教えよう。これを希望と取るか、絶望と取るかはお前次第だ』
『サイコロはまだ回っている』
長い間漂っていた気がする。
意識は無く、ただ流されるままに、ふわふわと。
さらさらと流れる砂の中で、目を閉じて黒の中を漂っていたような。
そんな感覚から急に引き上げられて、激しくむせた。
「げほっ……、ぐっ、がほっ」
ふいに戻ってきた感覚に脳がパニックをおこし、気持ち悪さもままに嘔吐する。
口の中から出てきたのは黒い砂だ。その砂も、床にぶちまけられるとどこかに消えていった。
床に這いつくばり、肩で息をして。呼吸を整えてから口の中の砂を吐き出す。
ここはどこだ。
『やあ。目が覚めたか』
最悪に聞きたくない声がした。
「ああ、くそっ……。呪われてやがる……」
私は死んだはずだ。
ウルマティアを殺すという目的こそ達成できなかったが、ようやく死に場所を見つけることができたはずだった。だと言うのに、これはどういうことだ。
まるで力が入らず、言うことを聞かない体をなんとかして動かす。立ち上がろうとして失敗し、座ったままあたりを見渡した。
そこは豪奢な神殿だった。花は咲いて鳥が歌い、柔らかい陽光が射す場所。この世に楽園があるとするなら、その中にあるのはこういった神殿だろう。
いいや、現にここは楽園だ。死後の、という言葉がつくが。
『ここは魂の安息所。死した魂が一時の安らぎを得る場所。そして、僕の神殿でもある』
「……知ってるっつの」
一回来たし。
一周目の最後にウルマティアと斬りあったのがこの場所だ。私がはじめて死んだ、因縁の場所でもある。
「それより、なんで生き返らせた」
『君とはもう少し話し合いたいことがあってね』
「はっ……」
どうでもいい。
私はこいつと話すことなんてない。もう眠らせてくれ。
「死は最後の安息だ。死の尊厳すら奪うとか、ああ、もう今すぐ死にたい……。いや、死んでも生き返らされるのか。呪われてる」
『生きていることを喜ぼうとは思わないか?』
「どうでもいい」
生きるってなんだよ。
私の戦いは終わった。私の物語は終わった。私の運命は終わった。
願いは果たせず、望みも絶たれ、そして誇りも砕かれた。それでも生きろと。
……つくづく腐ってやがる。死ねばいい。
「それで」
私の中の絶望が膨らんでいく。剣は無い。策も無い。絶望だけで神を殺せればいいのに。
ただ、どれほど深い絶望を持とうと、体に染み付いたクセは蘇ってきた。止まっていた頭が動き出す。私の手札で、こいつは殺せるか?
わからない。対話だ。コミュニケーションなら人と神は同等である。引き出せ。こいつの殺し方を。
「何を望むの」
『随分と立ち直りが早いね。それに、冷静だ』
「混乱は混乱しか生まない。正直、今すぐ叫びたくて仕方ないよ。でも後にする」
『……傑物だね。いや、狂人と言うべきか。どちらにしても驚嘆に値する』
「本題を」
対話を進めつつ、裏でチャットウィンドウを開こうとして――、開かなかった。
フレンドリスト、アイテムインベントリ、スキルスロット、ギルドメニュー、オプション。果ては視界ロックによる鑑定ウィンドウまで。そのどれもが機能していない。
ゲームシステムが使えない。封じられている。これは……、なんだこれは。
『まずは君、自分の格好を確認してもらおうか』
そう言われてはじめて自分の格好を省みる。腰に下げていた剣は無く、鞘も無い。そして着ていたはずのアーマードレスではなく、不思議な服を着ていた。
ところどころに円環の模様が描かれた和装束だ。薄紅の着物に紺藍の袴。広めの袖と太い帯、履物は草履じゃなくて下駄だった。頭にはアセビの花飾りがくっついている。引っ張っても取れない。
このアセビは……。ああ、そう。そういうこと。
いい加減体に力が戻ってきた。立ち上がって足の可動域を確認する。動ける。ならよし。
『最初に確認することがそれかい』
「なんだっていいでしょ」
『はぁ……。最初に言っておこう。それは枷だ。君の力を制限させてもらっている。また殺しにこられちゃたまらないからね』
って言うと、こいつは私との殺し合いを望んでるわけじゃないのか。
てっきり練習台として嬲り殺すために生き返らされたもんだと思ってたけど、そういうわけでもないらしい。
それにしてもシステムに制限をかけられたか……。いよいよ持って正攻法じゃ倒せそうにない。武器も無く、アイテムも無く、ステータスも無いんじゃさすがの私も無力だ。
自力での殺害はまず不可能、と。じゃあ他の力を借りよう。どうやって殺してやろうか。
「随分と可愛らしい格好にしてくれたみたいだけど。そんなに私が怖いの?」
『気に入ってくれたかい? それなら何よりだ』
「悪趣味だね」
『悪趣味で可愛らしい服ってのはこれいかに』
「可愛らしいってのは皮肉。悪趣味なのはお前だ。説明させないでよ」
『……これは時間がかかりそうだ』
『今のはあなたが悪いと思うわ』
後ろから聞こえた声に振り向く。そこにいたのはリグリ。豊穣と荒廃の神リグリだ。
持ってきたアセビが花飾りになっていることから薄々察してはいた。そういえばリグリと交わしたのは、私の死後魂を明け渡すという契約だったっけか。
植物にするより、こっちのほうが利用価値があると。そういうことだろう。
「リグリ……。あんたの差し金か」
『様をつけなさい』
「不敬で手打ちにすればいいよ」
『またそんなこと言って……』
「わぷっ」
不意打ち気味に抱きしめられた。
押しのけようとして、やっぱり力が入らなかった。寝起きの虚脱感はかなり抜けてきたけどそれでも体が生み出す出力が足りない。これも枷の呪いなのかな。
「ちょっと。何すんのさ、離してよ」
『様をつけなさい』
「じゃあこのままで」
『あなたね……』
もうなんでもいいんだ。神様のご機嫌取りも疲れたの。
殺すなら殺せばいいじゃん。リグリがその気になれば死ぬよ、私。
『前はあんなに忠誠心に溢れてたのに』
「前からこんなんでしょ。人類滅ぼされないために取り繕ってただけで」
『じゃあ、私が人類を滅ぼすと言えばあなたは良い子になってくれるのかしら』
「勿論ですよリグリ様。なんなら靴も舐めましょうか?」
『……時間がかかりそうね』
呆れた顔でリグリは私を解放した。
オーケー、人類はまだ滅びていない。それがわかれば十分だ。心のメモ帳に「目標:人類を滅ぼさせない」の項目をつけくわえる。
そういえば私が死んでからどれくらいの時間がたったんだろう。UIから時計を確認しようとして、UI自体封じられていたのを思い出した。
「それで、そろそろ説明してもらえるかな。あれから何が起こって、どうして私が生き返らされたのか」
『そうね。それについては私から説明しましょう』
そう言って、リグリは話を始めた。
人と神と。それから神子の話を。




