10章 4話
一人称→三人称
終わりは近い。
攻撃の手を一切緩めず、躊躇うこと無く斬り刻む。
私の中に積み重なったありとあらゆる絶望を媒介に剣速はどこまでも上がっていく。百回斬って死なないなら千回。千回斬って死なないなら一万回。何度でも何度でも何度でも斬る。
思考を捨て、絶望の剣となって。死ぬまで殺し、殺して殺して殺す。
『君は……っ! そこまでして……っ!』
言葉はいらない。
私はお前との間に殺し合い以外の関係を望まない。
一周目で死んだ全ての人の死を背負って私はここにいる。お前に殺されたプレイヤーの絶望を背負って私はここにいる。
いかに時が巻き戻ろうとも、この絶望を無かったことにはさせない。
『もう手段は無いのか……! 君だってわかってるんだろう!? こんな結末、誰も望んでやいない!』
私は何も望まない。生存など望まない。脱出など望まない。私の望みはとうに絶たれた。
ただ一つ望むとすれば、それはお前を殺すことに他ならない。
殺す。必ず殺す。なんとしても殺す。何を捧げたとしても確実に殺す。
殺気の炎が陽炎を作り、焦げ付く吐息を吐き出して。この灼熱に身を焼かれながら狂おしく身をよじり、攻撃を重ねる。
魂が焼かれる感覚がする。それでもいい。燃えてしまえ、こんなもの。
私は何も望まない。
『くそっ……! くそくそくそくそくそっ! ちくしょうがっ! どうして、どうしてだよ! 人間ってやつはああああああああっ!!!』
ウルマティアは叫び、長剣にまとった黒が膨らむ。《黒き神の輪廻》。ようやく使う覚悟ができたか。
終わりだよ。お前も、私も。
『あああああああああああああああっ!!!』
慟哭。そして、スローモーになった感覚で。
知覚はすれど反応できない速度で、黒が迫るその時。
パキンと、結界が破れる音がした。
『えっ』
「…………は?」
世界が止まる。私もウルマティアも、ピシリと固まっていた。
結界が割れた……? 音が聞こえたのは上からだ。見上げると、結界の真上に小さな穴が空いていた。
見下ろす。地面に深々と、一本の剣が刺さっていた。
『極極鉄』だ。
『フウッはははははははははあああああアアアアッ!! 愉悦ッ! 愉悦ぞ! 智略の限りを尽くし! 技術の粋を極め! 己が力の全てをぶつけェ! 人がッ! 神にッ! 戦いを挑むッッ!!! これぞ語り継がれし英・雄・譚ッ!! 良くぞここまで成し遂げた! そなたが誉を讃え、この武勇と叡智の神ゼルスト! 加勢に参ったァッ!!!』
何を言っているか、わからなかった。
結界が割れた? 結界はゼルストの力で構築されている。純粋な力技で結界を破るのは不可能だ。――ゼルスト本人を除けば。
でも、なぜ? どうして? よりによってこのタイミングで?
『うむ? 英雄よ、何を固まっておる。遠慮することは無いぞ! この我の力を存分に振るうが良い! そして我と共に千年の戦を楽しもうぞ!』
予想外の闖入者に思考が揺り戻され、答えを出すのが遅れた。
アレは――、危険だ。
『ゼルスト……。以前、戦の掟について語っていたな。己が敵に全力を尽くさないことは不敬であると』
『いかにも! この我が敵方に回れば、汝とて全力を尽くすに足るであろう! 人と神の戦はいよいよ持って五分となる! さあ英雄よ、我が剣を取るが良い! 回天の時、来たれり!』
違う。
押していたのは私だ。王手をかけていたのは私だ。
ゼルストの乱入で形勢を逆転させたのは、私ではない。
ウルマティアは長剣にまとった黒を――《黒き神の輪廻》を発動させる。
『恨むなよ』
そして、一足で距離を詰め、『極極鉄』を斬った。
『何っ――ぬわあああああああああああああああああああっ!!!』
『極極鉄』が砕かれ、ゼルストは悲鳴を上げる。長剣にまとった黒の中に、巨大なエネルギーを持つ何かが吸い込まれていき――。
武勇と叡智の神ゼルストは消滅した。その力は輪廻の輪に取り込まれ、術者であるウルマティアへと還っていく。
《黒き神の輪廻》で取り込まれた者は力を奪われる。いかに強い人間を取り込もうと、上限はあくまで50レベルまでだ。
では、神を取り込んだのならば?
その答えが、これだ。
「は……、はは……」
ふざけるな。
なんだそれは。
ここまで来て、ここまで詰めて、私はまた足元をすくわれるのか。
凄まじい速度で力を取り込み、絶対的なまでに強大な存在に変わりつつあるウルマティアに、私はただ乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
一体何が悪かった。抜かりは無かったはずだ。ここまでやってダメというなら、これが運命だとでも言うつもりか。
きっと運命を操る神がいるとするのなら、そいつはサイコロでも振っているのだろう。そうでなければ私に与えられる運命はあまりにも残酷すぎる。
表示された鑑定ウィンドウを視界の隅で捉えながら、神を呪った。
『死滅と再生の神ウルマティア』
レベル 574
*****
その光景に誰もが呆然としていた。
主神6柱の1柱が消滅し、魔神ウルマティアがその力を取り込む。
プレイヤーも、神も、あまりの事態に思考がまるで追いついていなかった。
「……総員。退避を」
最初に我に返ったのはフライトハイトだ。状況を理解し、その場において最善と言える指示を出す。
今のウルマティアを倒す術は無い。一度退いて状況を立て直し、策を練ってから攻略にあたる。
可能ならウルマティアの戦闘能力を見極めたい。が、それは少女の死に様を最後まで見届けることを意味する。目の前で人が死ぬのを見守るとなれば、士気の崩壊は避けられない。
だからこその撤退命令。自分だけが最後まで残り、ギリギリまで粘ってからの退却。プレイヤーが呆然とする中、彼は冷えた頭でそう結論づけた。
「聞けっ! 命令だ! 今すぐ『帰還のロザリオ』を使用しろ!」
号令を出すと、我に返ったプレイヤーが次々にロザリオを使用する。一人、また一人と消えていき、ラインフォートレスへと帰っていく。
その一方で諦めようとしない人間もいた。
「結界を破るぞ!」
ヨミサカは巨剣を抜き放ち、結界に一撃を入れる。続いてヨミサカパーティと銀太がそれぞれの持つ最大の攻撃力を結界に叩きつけた。
必殺の策は破れた。ならば、次に考えることはラストワンの救出だ。しかし5人がかりでいかに攻撃を加えようと、強固な結界はその全てを跳ね返す。
「おい! 君たちも退避しろ! ここは危険だ!」
「断るっ! こんな終わりは認めない! これは、あいつが望んだ終わりではない!」
「馬鹿を言うな! 無駄なあがきはよせ!」
「そこで口を動かしている暇があったらお前も手伝え!」
フライトハイトがなんと言おうと、ヨミサカは自分で決めたことを譲らない。それはもう十分すぎるほど知っていた。
だからこそ、フライトハイトは大鎌を構える。
「……こんの馬鹿野郎が。結界を破ったらすぐに退避だ! これ以上のわがままは許さない!」
フライトハイトとまだ退避していなかったプレイヤーが加勢する。しかしそれでも、5人の攻撃が10人になっても、結界はびくともしない。
これは武神の結界だ。人が束になってかかれば破れるような、そんな甘いものではない。
そのことを少女はよく分かっていた。
「逃げて」
遅ればせながらも思考を取り戻し、少女は言う。
「結界を破ってはいけない。私が生きている限り、結界の中にこいつを閉じ込めていられる。私が足止めする。みんなは逃げて」
「嫌だ……! 俺はもう、誰も死なせないって決めたんだよ! 絶対に助ける、絶対にだ!」
「ありがとう。でも違うよ銀太。私は死なない」
双剣を構え、少女は立つ。
その顔は狂気に歪んでおらず、怜悧な瞳に強い意思を宿す。その顔には薄っすらと笑みすらたたえ、まるでいつもの調子でこうのたまった。
「ステータスの差を技術でひっくり返せることは証明済みだ。あいつが何レベルになろうと、あんな素人の攻撃私には通じない。ま、私の攻撃も通じなさそうなのが残念なところだけど」
「そんなこと言ってる場合じゃ……!」
「私が死ぬとしたらそれは《黒き神の輪廻》を受けた時だけ。クールタイムが終わるまで後24時間ある。24時間は私は死なない」
24時間耐久戦か、面白そうじゃんと言って少女は笑う。気負いもせず、弱気にもならず、できることを言っていると言わんばかりだ。
「タイムリミットは24時間。24時間以内にこいつを倒す術を用意すること。これ宿題ね。オーケー?」
分かったらさっさと帰れ、と追い払う仕草をする。あんまりにもいつも通りの様子に、プレイヤーたちは思わず目をまたたいた。
「……全く。あいつにはいつもいつも驚かされる」
「僕も冷酷な方だとは思ってたけど、あそこまで割り切れるのもそうは居ないよね」
気勢を削がれたプレイヤーたちは、ため息まじりにロザリオを使って続々と帰っていった。最後に残った銀太も、唇を噛み締めてロザリオを握る。
「必ずだ。必ず助けに来る。だから……、待ってろ!」
「暑苦しいっての。いいからはよ帰れ、待ってるから」
少女はばいばいと手を振る。少しでも銀太の気を楽にしようと取った仕草だったが、銀太の顔は最後まで硬いままだった。
消えていった銀太を思い、大丈夫かなと一瞬だけ思案にくれるが、すぐに顔を振って思考を放棄する。少女にそちらのことを気にしている余裕は無い。
「さて」
振り返る。そこには力の吸収を終え、長剣から禍々しい力を放つウルマティアが立っていた。
「待たせて悪いね」
『いや、構わない。続きをやろうか』
硬い地面を強く蹴り、ウルマティアは走る。凄まじい速度で接近したそれに、少女は確かに反応していた。
ウルマティアが放つ神速の一閃。それを器用にかわし、続く二撃目を剣で逸らそうとする。
しかし――。少女が持つ二本の『クリスタルブレード』は、長剣の一撃がかすっただけで粉々に砕け散った。
よいしょっと気の抜ける掛け声とともに後方宙返りをし、少女は距離を取る。
(――予想通りだ)
ここまでステータスが隔絶していれば、もはや小手先の技術など通用しない。
それが通じるのなら、少女はそもそも一周目で敗北していないのだから。
恐れからか少女は一歩後ずさる。背中についたのは結界の端だ。
『…………』
それを見てウルマティアは手をかざした。
既に貼られている結界の外に、もう一枚の結界が構築された。
『結界の端に誘導し、僕の力を利用して脱出口を作る。おおむねそういったところだろう』
「……ま、使い古された手だけどね。ダメ元ってやつだよ」
少女は舌打ちする。いよいよもって打つ手はなくなった。
ならばどうするか、と考える事も無かった。すでに少女の心は決まっている。
『勝敗は決した。取引をしよう。君がもし――』
「やめてよ」
ただ一言。切って捨てた。
「私は何も望まない」
『それが、どういうことか分かっているのか』
「覚悟の上だよ。最初から、全部ね」
『……そうか。ならばせめて剣を取れ。死に花を咲かせるといい』
ウルマティアが手をかざすと、二本の鉄塊の剣が現れる。そのどちらもが『極極鉄』のレプリカだ。ゼルストこそ宿っていないものの、名剣であることに変わりはない。
しかし少女は、その剣に見向きもしなかった。腕組みをしてシニカルに笑う。
「ゼルストの力を手にしたお前は、今やこの世界で絶対的な力を持つ存在となった。しかし同時にお前は自分の弱点をよく理解している。私がイヤってほど教えたからね」
『…………』
「お前に足りないのは戦闘技術。いかに強大な力を持とうとも、技術がまるで追いついていない。だからこそ弱点を克服するために練習台が欲しい。違う?」
『君は……。そうか。そう、考えるのか』
これが自身にできる最後の策だ。
圧倒的なレベルを持つウルマティアに付け入る隙があるとしたら、それはもう技術面しかない。
こればっかりはレベル1の自分では無理だ。カンストプレイヤーが連携し、《黒き神の輪廻》への対策を用意した上で策を練れば、あるいはこいつを倒せるかもしれない。その僅かな可能性に少女は賭けた。
(――前よりは良い条件だ。前回は私一人だったけど、今回は私以外全員だ。悪いね、みんな。後は任せるよ)
少女は皮肉交じりに笑い、神は至極つまらなさそうに剣を構える。
諦めが早すぎるのも悪い癖かな、と少女は自責する。が、それももう意味はなさそうだ。
「だーれが24時間も練習に付き合うかっつの。お断りだよお断り。弱点引っさげたまま殺されろ」
『ここまで来ればもはや呪いだな……。心の底からぞっとしたよ。自らの命すら最大限に活用し、最後の一瞬まで僕を殺す術を求めてみせる。君は本当に、恐ろしい人間だ』
「褒め言葉だよね」
カモン、と笑って少女は手を広げる。
長剣が少女の腹を、深々と貫いた。




