10章 3話
三人称視点
少女と神の因縁はいよいよ持って終局へと至りつつあった。
狂気のままに斬りかかる少女の攻撃を、ウルマティアは絶望の色を浮かべながらかろうじて捌く。ウルマティアはそれでも《黒き神の輪廻》の発動を躊躇っているのか、防戦に回るだけで反撃をしようとはしない。
ウルマティアのHPがじわじわと削れていく。どういう形であれ、決着は間もなくつくだろう。
『リグリ。あなたはどこまで知っていたのですか』
『全部、とは言えないわね。知っていたのはあの子がしていたことだけよ』
人と神の戦いを見守りながら、リグリは苦々しい顔をしていた。
『あの子が神を嫌っていたことはわかっているつもりだった。それでもあの子は不要な殺生をしなかったの。わかるでしょう』
『……わかりますよ。あなたの願いも、ウルマティアの想いも。不要な死を撒き散らすことなく、世界と共生する知的種族の存在――。それは神々にとって願ってもないものでした』
『そうね……。今考えても、人間は極めて惜しかったわ。高度な社会性と知性を持ち、何より私たち神々と対話できる初めての種族だった。ただその、持って生まれたる残虐性の一点を除いてね』
ラグアは思い返す。かつて人間の勢力を大きく減じた後、人間に対する神々の処遇は大きく割れた。
人間の牙を抜くことができれば、彼らは神々の代弁者として世界を統治する守護者になり得ると主張したのが、ラグアとアーキリス。
その天性の残虐性は許容できない危険分子であり、すぐさま滅するべきだと主張したのが、ウルマティアとリグリ。
カームコールとゼルストは自分の立場を守りどちらにもつかなかった。
『私とウルマティアもね、守護者としての人間を望まなかったわけじゃないのよ。ただ、人間が残虐性を克服できると信じるには、彼らはあまりにも非道すぎた。そんな時に現れたのが彼女だったのよ』
『……私も大神殿であなたの知らせを聞いた時は驚きましたよ。不要な殺生をおかすことなく、自然を愛する冒険者の存在……。彼女は確かに神々に望まれた子でした』
『しかしあの子は神を嫌い、畏れてもいた。人間の立場から見れば無理もないでしょうね……。それでもあの子は可能性だったのよ。ゆっくりと時間をかけて人と神との誤解を解くことができたのならば、あの子が神を受容できたのならば、あの子は神子となり得たの』
『神子が神々の言葉を代弁して、人間が残虐性を克服するよう導くことができたのなら……。いえ、今となっては全て仮定の話ですね』
リグリは目の当たりの光景から目をそらさない。この戦いの結末を見守るのは自分で決めたことだ。しかし頭の何処かで、現実を認めようとしない自分に気がついてもいた。
結果としてリグリは少女を止めきれなかった。少女の絶望は根深く、いかなる言葉も届きはしなかったのだ。
神が人に干渉しすぎることは、その人のあり方をも歪めてしまう。それは自然の神として望むものではない。人が内から残虐性を克服して、それではじめてリグリは人を守護者として認めることができるのだ。
それを承知した上で、自分で定めた線引を越えた干渉をして声を届けて。だからこそ考えたくは無い。
少女が巨鯨にとどめを刺そうとした時に見せたあの顔が、見間違いだったなどとは。
『それでも……』
唇を強く噛みしめる。目はそらさず、思考を止めない。
一度は夢見た希望が手のひらからすり落ちていく。だが、まだ終わってはいない。
未来に至る可能性を探す。状況は極めて絶望的だが、手遅れではないはずだ。
少女が神を殺す前に、神が少女を殺す前に。
あらゆる可能性に思考を巡らせながら、できるのなら時を巻き戻したいと、そう考えていた。
*****
少年は全力の攻撃を結界に向けて放つ。もう何度目になるかわからない。
幾度攻撃を放っても結界はびくともしない。それでも諦めきれず、少年は一撃二撃と攻撃を重ねた。
「くっそおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
【エアスラッシュ】を入れて弾かれ、砕けた風を集めて【スフィア・ストリーム】を放つ。それでもダメなら荒ぶる風を巻いて【メイルシュトローム】で嵐を作り出した。
激しい嵐を体に取り込み、風と剣とがシンクロする。色の消えた世界で少年は風の音だけを聞いた。
ゼルスト七王技が一の技、【ソードワールド】。一体化した剣と風があらゆる斬撃を呼び出し、結界を強く叩いた。
しかし――、結界は小揺るぎもしない。
「はあっ、はあっ! ちくしょ……、ちくしょおおおおおおおおおおおお!!」
剣を振るいありとあらゆる力を放つ。これまで培ってきたすべての技術を叩き込むが、たった一枚の結界は依然としてそこにある。
気持ちだけが先走り、しかし現実は揺るがない。焦る心が剣筋に現れ、その剣技がキレを失ってもなお抗い続ける。
「もうよせ。やめろ」
「うるせえ……!」
「やめろと言っている」
「……っ! あんたはなんで黙って見てられるんだよ! ヨミサカさん!」
苛立たしさのあまり少年はヨミサカを殴りかかった。その拳を避けようともせず、ヨミサカは泰然と額で受ける。
ヨミサカの目は強い。強く前を見据え、一瞬たりともそらさない。
「黙って見ていられるわけが無いだろう。止められるものなら止めている」
「だったらなんでだ!?」
「お前はあいつの覚悟を知っているのか」
突き出した拳をヨミサカがつかむ。その手は震え、唇は強く噛み締められていた。
……迷っているのだ。ヨミサカでさえも。可能であれば、別の道は無かったのかと。
「最初からだ。あいつはゲームが始まったその日から計画を用意し、この日この瞬間を待ち続けていた。自らの命を投げ打つと知りつつも一切躊躇うことは無く。我々が他の道を探そうともちかけようともただ首を振り。その覚悟がどれほどのものかお前には分かると言うか!」
その叫びはある意味敗北宣言でもあった。
ヨミサカは傍若無人ではあるが身内には甘い。一度友と認めれば決して見捨てることはなく、友が真に必要としているのなら手を貸すことを厭わない。敵に苛烈な目を向ける一方で、友人は何があろうと助けることを信条としていた。
そのヨミサカは彼女に対して真の意味では何もできなかった。彼女に触れ、その覚悟と絶望を知り、そしてはっきりと認めたのだ。彼女は己の手が届かない場所にいるのだと。
「我々にはわからなかった。我々は、あいつと同じステージにすら立てなかった。攻略組の精鋭がこのザマだ。黙ってみていられる? 違う! 黙って見るしかない! あいつの絶望の一割も知らないお前が知った口を聞くな!」
「だからって……、でも、それじゃダメなんだよ!」
「落ち着いて。銀太も、ヨミサカも」
争う二人の間に小さな影が割り込む。暗色のクロークにすっぽりと身を包むその人はジミコだ。
この場にあってもジミコの表情は平素と変わらない。無機質な顔と無感情な瞳で、しかし平素に見られぬ雄弁さを見せる。
「これは彼女の戦い。彼女の物語。彼女の運命。決着をつけるために彼女は来た。何人たりとも水をさしてはならない」
「それじゃあ……、ダメなんだよ……!」
「たとえどんな形になろうとも、終わりは必ず来る。見届けるの。彼女は今、音を立ててそこに在る。存在する。終わるその時まで」
「……嫌だ。それでも俺は、店長に、生きて欲しいんだよ……!」
「誇りを捨て、願いを捨て、生き様を捨て。それは生きるとは言わない。目を背けるな。ちゃんと見る。あれが彼女。彼女という生き様」
気づけば少年は膝を折り、剣も盾も手放していた。
滲む視界で見る彼女は、狂気に顔を歪めて笑う彼女は。
確かにそこに居る。
「それでも」
ジミコは言う。
「物語は終わらない。人の望みはここに絶え、神は答えを得られない。ならば続き続けるだろう。果てなき終わりと答えが得られるその日まで。誰かが望み求める限り、糸は決して途切れない」
ジミコは言う。
「諦めるな。望み続けろ。さすれば神は時計を回す」




