8章 16話
前半:銀太
後半:ラストワン
風の音が聞こえる。
本気の本気で垣間見える世界は、どこまでもシンプルだった。
そこにいるのは俺と龍。雑音は無く、色が消え、存在感はどこか希薄になって溶けていった。
自分が自分でないような感覚がする。キャラクターを操作しているかのような違和感を、意識と体の動きをリンクさせて消す。
風の音が聞こえる。
何かが吠えた。吠えたのは俺か、龍か、それとも両方か。考える間も無く体が動き出す。龍のブレスを盾で受け止め、ナイフを投げて赤龍の翼を裂く。宙を蹴って肉薄し、牙と剣とが交差してから着地し、着地点を狩りに来た龍爪の一撃を回避する。テイルスイングを斬りつけながら躱し、鱗を削いで、体当たりを受け流す。
風の音が聞こえる。
龍翼の羽ばたきに吹き飛ばされて後退し、後ろにあった何かに着地する。すぐに立ち上がってポーションを投げ、龍のブレスを切り裂きながら前へ出る。喉に剣を突き立てて龍をのけぞらせ、がら空きの首に一閃。龍が距離を取ったところで降ってきたポーションを背中で浴びて回復し、再び前へ。
俺と、龍と、剣と炎。目まぐるしく交差する色の無い世界で、彼女の小さな背中が見えた。
顔は見えない。彼女は俺の前にいる。彼女はただ剣を構えてまっすぐに走った。その動きは段違いに早く、どんなに速く走っても届かない。
彼女の動きを追って走り出せば、一瞬前まで俺が居た場所に炎が過ぎた。彼女が振ったように剣を振るい、赤龍の爪を受け止める。彼女が舞うように剣を踊らせ、無数の剣閃を赤龍に叩き込んだ。
彼女は俺の幻想の住人。本気の世界にだけ現れる最強の体現者。理想であり、究極でもある、目指すべき背中。
彼女の背中はまだ遠い。だが、昨日より距離は縮まっている。
風の音が聞こえる。
尾の一撃を盾で受け、わずかに攻勢が緩んだ瞬間に蹴り飛ばされた。何かに背中から叩きつけられて体力が大きく減じる。体勢を立て直そうとして、体が動かなかった。スタンだ。
『勇者よ。我の声が聞こえるか』
何かの声が聞こえる。返事はしない。代わりに剣を強く握りしめた。
スタンが切れた。立ち上がる。
『見事、見事と言えようぞ。最大級の賛辞を送ろう。だが勇者よ。汝、そのままでは死ぬぞ』
知るかよ。
龍の目玉にナイフを投げて牽制し、吐かれたブレスを横に飛んで交わす。障害物を使って距離を詰めようとして、龍翼の風に押し返された。
『汝の武勇に敬意を表し、我の力を授けよう。滅ぼす力か、守る力か、汝は何を欲する。答えろ勇者、汝にとっての力とは何だ』
そんなの決まってんだろ。
「前に一歩踏み出す力。欲しいのはそれだけだ」
人を舐めるな。神の手なんか借りなくたって、人は生まれつき大事なものを守る力を持っている。
だから手を貸してくれるって言うんだったら、あと一歩を前に出る力を。あの日の俺にできなかったその力を俺にくれ。
『その一歩は死路への一歩だとしてもか』
「承知している。だからこそ欲しいんだ」
『なればその道、我が力にて活路へと変えてやろう』
吹きすさぶ龍翼の風を切り裂いて、激しいブレスを盾で押し返す。牙を蹴り折って眼球を貫く。盾の一撃で脳天を揺らし、爪を拳で叩き折る。懐に潜り込んで剣舞をぶつけ、龍が身にまとった炎を切り飛ばす。背中を駆け上って翼を切り落とし、振り回される尾を切断する。
風の音が聞こえる。
剣戟を一閃積み重ねるたびにより鋭く、攻撃を一撃受け流すごとにより硬く、ステップを一歩踏むごとにより速く。やがて得物と体の境界は曖昧となり、剣が腕となったかのように、体が盾になったかのように。心の風が吹くままに体を動かし、足りない一歩を追い求めて。
風の音が聞こえる。
龍は裂けた翼をそれでもなお広げ、全身から血と炎を吹き出しながら折れた牙を猛々しく振りかざした。かくいう俺もズタボロだ。
決着をつけるには、いい頃合いだろう。
――あの技を見たのは一度だけ。それもまだ未完成な物だ。
だが、それでも不思議と行ける気がした。知らない動きは剣が教えてくれる。『極極鉄』を両手で構え、心の中から吹く風に身を委ねた。
目を閉じれば世界が見えた。世界は風に包まれている。
生み出すのは剣閃の領域。世界を切り裂く、激しき風の世界。
ゼルスト七王技が一の技。
「【ソードワールド】ォォォォオオオオオオオオオッッ!!!!!!」
風と剣閃がひとつになって、ズタズタに切り裂かれた空間を生み出しては断ち切った。
バラバラに切り落とされていく世界の狭間で、彼女の淡い笑顔が見えた気がして。
風の音が聞こえる。
風の音が聞こえる。
*****
彼の戦いを、ただ見ることしかできなかった。
踊るように剣を振り、血しぶきを浴びてなお速くなる銀閃。月下に舞う彼はどこまでも鮮烈で、完成されていて、何より純粋に強かった。
――何が誤算だ。何が作戦だ。まったく、失敗ばかりだ。
銀太は私の考えていたより、はるかに強かった。
最大の誤算はそれだ。戦力を測ることもできなくなるなんて、戦場を離れて随分と錆びついてしまったらしい。
せめて一歩でも加勢しようと、【龍の威】を振り払って少しずつ一歩を前に進めようとする。
「止める」
月夜の隙間から現出したジミコが、私の肩を掴んで止めた。
「あれは、彼の戦い。彼の覚悟。彼の決意。たとえあなたでも邪魔しちゃいけない。入っちゃいけない」
「……でも」
「ラストワンの戦いは見守ること。守られること。あなたはそろそろ、そういう戦いを知るべきだ」
いつになく饒舌なジミコは滔々と語る。
「戦いの中で人は生きる。音を立ててそこに在る。剣を振り、雄叫びを上げ、自分の存在を証明する。叫び続ける。やがて音が止むその日まで」
「……だからジミコは、ただ静かに弓を引き絞るんだね。誰かの音を聞きたいから」
「それは、前の私に?」
「うん」
――私にはもう、自分の居場所があるから。
そう言ってジミコは、静かに笑った。それがかつて、ここじゃないどこかの話。
「ところでジミコ、聞きたいことがあるんだけど」
「……」
「どったの」
「疲れた。帰る」
珍しく長文を喋り続けたからか、ジミコは音もなく去っていった。何しに来たんだあいつ。
「頼まれたんだよ」
ジミコの代わりにおっさんが現れた。そこで初めて意識を周りに飛ばしてみると、木々の間に紛れるようにシャーリーとヨミサカがいた。
どうも隠れていたらしい。でも、いつから?
「お前らに万が一があったら助けに行ってくれって泣きつかれてなぁ。ったく、いくつになっても女の涙には勝てやしねぇ」
「……なるほど。リースの差し金か」
「そうだ。勘違いすんなよ? 俺はお前ら二人で十分だって言ったんだぜ?」
リースってば心配性なんだから……、とは思うけど、今回に限っては強くは言えない。
私だって一度は負けると思ってしまったから。心配すんなよって言って良いのは銀太だけだ。
やがて銀太と『極極鉄』がシンクロし、ひときわ強い風が吹くと、風が全てを切り払う剣閃の領域へと変わっていく。ゼルスト七王技が頂点にして原点【ソードワールド】。あらゆる剣閃が生まれた世界を呼び出す始まりの技。
しかも、完全手動再現だ。私もまだ届かないその領域に、銀太は確かに立っていた。
ありとあらゆる斬撃で切り裂かれた赤龍は、そのHPを散らして断末魔を上げながら砕け散る。
最後に残ったのは、剣と盾を手に佇む銀太だけ。
「行って来い」
【龍の威】が解けた瞬間、おっさんに言われるまでもなく駆け出した。
心配すんなよとは言えないけど、心配させたことに文句くらいは言わせてもらおう。これが見守るってことなのかな。
でも一番言いたいことはそれじゃなくって。
ただただ今の気持ちをぶつけたくて、銀太に思いっきり抱きついた。




