8章 4話
「で、さっきのあれはどういうことだよ」
もーいーよと銀太を手招きすると、困惑顔を全開にして慎重に入ってきた。
まあその、色々と事情があるんだよ。
「Myrlaの神様は全て善神と悪神を兼ねていてね。たとえば金槌と算盤の神アーキリスだと、金槌の神が善神で算盤の神が悪神なの。まあ、善神悪神って言っても人間がつけた便宜上の区別であって、悪神だからって必ずしも悪いわけじゃないんだけどね」
「あー、ミルラ神話ってやつか。店長も好きだよなぁ」
「攻略に関係する知識だから。で、今回のアーキリスは、それはもう思いっきり堕落してたの。善神たる金槌の面が衰え、悪神の面が強く出ている。神殿内には高価な物しか置かれてなかったでしょ?」
「そりゃまあそうだったけど……。でも悪神だからって悪い奴じゃないんだろ?」
「今回の目的はこれの修理だよ。算盤の神と取引してどうすんのさ」
ちなみに付け加えるなら、アーキリスが悪神化したのはおそらく私たち職連のせいだ。私たちはちょっとばかし稼ぎすぎた。世界に通貨が溢れたせいで算盤の神が色濃く出てしまったんだろう。
『だからと言え、我が半身を殺すのは横暴が過ぎないか?』
「いやまあ、その辺は前世の恨みといいますか」
前世でもアーキリスと取引する機会はあった。その時もアーキリスは堕落していて、それに気づくことなく交渉した私たちは、それはもう法外な金品をふっかけられた。こいつのために高価な美術品や希少なお宝をいくつもかき集めさせられ、際限ない要求を延々と叶えさせられたんだ。
さすがにおかしいことに気がついてちょっと脅してみたら、戦闘能力を一切持たないアーキリスは簡単におとなしくなった。あの時ほど”誠意ある取引”ってやつの虚しさを感じたことはない。
『まあよかろう。かけろ客人、貴様らの望みはわかっている』
「ん、よろしく」
ずっと背負っていた十字架をずどんと下ろす。あー、重かった。
こんなもん背負ってたもんだから、さっきから動きにくくてしょうがなかったの。おかげで体が軽い。
当社比1.8倍速だ。今の私なら世界も狙える。
「これの他に、もう一個直してほしいものがあるんだ。そっちも頼んでいい?」
『望みはわかっていると言っただろう。早く出せ』
神様はなんでもお見通しですか。話が早くて助かる。
アイテムインベントリの中から『ロイヤル・リリーの羅針盤』を取り出す。部長さんから預かってきた、ロイヤル・リリーの召喚具だ。今はもうロイヤル・リリーは壊れてしまっているから、召喚することはできないのだけれど。
アーキリスは羅針盤をしげしげと眺め、ふむと頷く。
『客人。貴様らがこれを作ったのか』
「作ったのは私たちじゃなくて、帆船部の人たちだけど」
『これほどの船を、たかだか人間が生み出したことは賞賛に値する。全壊してなお殺気を放つ船など我でも初めて見たぞ。少々気品に欠けるのはいかがなものかと思うがな』
「『ロイヤル・リリー』は王を討つために生み出された兵器だからね。それにしたってやり過ぎだとは、私も思うところだけど」
そんで直んの? とたずねると、アーキリスは難しい顔をする。
『直すことはできる』
「ふむ。条件は?」
『単刀直入だな。客人よ、もう少し交渉事を楽しもうという気概はないのか?』
「ん、まだ算盤の面が残ってた? もっかい殺してあげようか?」
『……なるほど。そう来たか』
アーキリス像に剣を突きつけて邪悪に笑う。悪いね、交渉なんてまどろっこしいことやりたくないんだ。
『吾輩を殺したところで何になる。ラグアの寝床は直らないままだぞ』
「わかってるよ。だから譲歩してんじゃん、さっさと条件を出して」
『世界中の名剣をすべてもってこい』
像の腹部に剣をぶっ刺した。アーキリスはごふぅと血を吹いた。
「で? 条件は?」
『貴様……、どこまでも、効率的だな……』
「ゲーマーだからね。さっさと次のイベント進めたいんだ。あんまり待たせると穴だらけにするよ?」
『はぁ……。貴様に限ったことではないが、貴様らはつくづく我々を魂のない人形のように扱うな。だから滅びるんだ』
「どうでもいいからさっさとする」
安心してください。本気で世界滅ぼしに来る御仁には必要なだけ気使いますよ。リグリとかリグリとかリグリとか。
それに実を言うと、これだけ敵対的なパフォーマンスを取ってるのも半分はリグリのためだったりする。私これでもリグリの眷属らしいから、敬愛なる主様のご機嫌取りも下々の勤めなんですよ。はぁ、胃が痛い。
像から剣を抜いてぺちぺち叩くと、アーキリスは苦々しく息をはいた。
『十字架も船も直すのは容易い。だが、吾輩が眠っていた間に炉の火はすっかりと冷めてしまったようだ。これではパレットナイフも打てない』
「火打ち石貸そっか?」
『パレットナイフは打てるようになるな』
「でも、神が宿る御神体となると特別な火が必要だと」
『そういうことだ』
はいはい、そういうクエストね。それならそうとさっさと言ってくれればいいのに。
ぴこんとSEが鳴って、久々のクエストウィンドウが表示される。いくつかアイテムもってこいっていうお使いクエストだ。
えーと、『黒曜の火打ち石』は手持ちにあるな。『銀霊樹の大枝』は確か職連の共同資産にあったから、あとでリースと交渉しよう。『御神酒』は錬金術で作ればオーケー。それと……。
「『龍の心炎』……」
『ああ。我が炉の炎ともなると、相応の品が必要になってくる』
「これ、他のものじゃ代用できない? 『古狐の白火』じゃダメ?」
『ダメだ』
「どうしても?」
『無理なものは無理だ』
……マジ、か。
よりによってこれか……。
奥歯をくっと噛み締め、ゆっくりと息を吐く。落ち着け私、これはまだ対処できる想定外だ。
「店長、そんなにやばいモノなのか?」
静観していた銀太がこそっと私に耳打ちする。
「『龍の心炎』はあるフィールドボスが落とすアイテム、なんだけどさ。私たちはそいつに一度苦汁をなめさせられたんだよ」
あんまり言いたくないことなんだけど、と前置きしてから、一周目のときのことを思い出す。
「一周目の私たちは大結界を失った。大結界も無く、攻略組という最大戦力が背面界の攻略に出払っていたとき、そいつは現れたんだ」
あの光景はこうして時が巻き戻った今でも忘れられない。思えばあの時が、攻略不可能に至る決定的なターニングポイントだったんだと思う。
やつはラインフォートレスを粉々に破壊し、私たち攻略組の補給線を断った。攻略組の苦しい戦いが始まったのはあの時からだ。
「そいつは拠点の中に居た数多の生産職や中堅プレイヤー、そして放棄組すらも容赦なく焼き払った。私たちが戻ってきた時にはもう、街は瓦礫の山だったよ」
「おい、それってまさか……」
「世界を放浪する大型フィールドボス、紅炎の赤龍。『龍の心炎』はそいつが落とす」
できることならヤツとは、戦いたくなかった。
因果な物だとつくづく思う。せっかく大結界を維持する未来を掴んだというのに、ヤツとの戦いは避けられない。結局どうあがいても逃げられなかったってことだ。
「……なるほどな。イイじゃねぇか、乗ってきた」
そう言う銀太は、見たこともないほど凶悪な顔をしていた。
「銀太……」
「つまりトカゲ一匹ぶっ殺せば済む話だろ? 俺たちなら余裕だ」
「そんなんじゃないってば。あいつは生半可なプレイヤーなら皆殺しにできる力を持ってる。舐めてかかると死ぬよ」
「知ってるっつの」
……そうだった。
銀太はすでに、紅炎の赤龍と遭遇している。
「あのね銀太、戦闘を避ける術ならまだあるんだ。ラグアの御神体の変わりになるものを探して来れば大結界は維持されるの。見つからなくたって時間さえあればラグアは少しずつ力を取り戻すんだから、リグリの力と文化祭の時の防衛設備を使えば時間稼ぎなら十分できる」
「だが、あいつはフィールド上でプレイヤーを殺し続ける」
「それは今までもそうだったでしょ」
「終止符を打つにはちょうどいいタイミングじゃないか?」
それは、そうなんだけど……。
「何弱気になってんだよ店長。攻めなきゃ勝てるもんも勝てないぜ」
「そりゃ他の敵ならそうなんだけど。でも紅炎の赤龍は、最悪ラインフォートレスが滅びかねないから……」
「今は最悪じゃない。そうだろ?」
……あー。
そうだよ。わかってるよ。紅炎の赤龍は倒したほうが良いのは間違いないんだけど。
ただ、その、さぁ……。言いたくないなぁ、これ。
でも、言わなきゃいけないよなぁ……。
「その……、ね。ええと……。勝てない、んだよ」
「……ん? 店長? 今、なんて?」
「だからその……。勝てる見込みが、なくって」
「それはその、どういう意味だ?」
「だーかーらっ! そのまんまだっつーの! 私たちじゃ、あいつに勝てないのっ!」
そう叫ぶと、銀太はぱちくりと目を見開いた。




