1章 2話
釣りをしてたら日が暮れた。
「うっそだろおい」
声に出してみたけど、日は暮れた。暮れちゃったんだからしょうがない。
のんびりまったりとは言ったけど、まさか初日をまるまる釣りだけに費やすとは思わなかった。スタートダッシュとして大丈夫なのかこれ。
(いやいやいや。きっと最高効率でレベリングしても、今頃レベル8になるかどうかってくらいでしょ。それを鑑みるに釣り熟練度を取った私の選択は間違っちゃいないはず……)
努力の甲斐もあり、釣り熟練度はようやくカンストした。仕様の穴をついて裏技レベルで効率化させても丸一日かかったよ。オンラインゲームのレベリングはこれだから困る。
(だからこそ効率化させるのが楽しいんだけどね)
アイテムインベントリには種々の木材がずらりと並んでいる。すべて流木として釣れたものだ。
流木の中身が何なのかはランダムで決められる。大体はレア度の低い『カシ』や『シラカバ』だけど、たまに『サクラ』なんかも混じってたりする。今のところ手に入った中で一番レアなのが『黒檀』だ。
計算外だったけど、木材が大量に手に入ったのは僥倖。これはこれで何かしら使いみちはあるだろう。
随分と長いこと座っていた石から立ち上がる。
「お嬢ちゃん、もういいのかい?」
「……えーと、誰?」
急に話しかけられた。釣り人の格好をした老人で、表示を見るにNPCのようだ。
「さっきからずっとそこで流木に向かって竿を振っていただろう? そこじゃあ何も釣れないよって声をかけようとしたんだけど、あんまり無心で釣ってるものだから声をかけるにかけられなくての」
「そりゃどうも、ご心配をおかけしたようで?」
「差し支えなければで良いが、あそこで何をしていたか教えてもらってもいいかの?」
「釣りの練習だけど」
そう言うと、NPCの釣り人は目を丸くして笑い始めた。
「いやいやいや。いくら流木を釣ったって何も上手くなりやしないよ。こう見えてもワシは釣りの名人での。良ければ竿の振り方を教えてあげよう」
ぴこんとSEがなって、クエストウィンドウが表示される。
『釣り名人の指導・その1』を受注しますか? Yes/No
あー、なるほど。クエストNPCか。釣りの名人だとか竿の振り方だとか言うもんだから事案かと思った。
「それよりもさ。エサ釣りやりたいんだけど、この辺で売ってる場所知らない?」
「そうそう。素人はルアーよりもエサ釣りから始めたほうがいい。釣り餌ならそこの海の家で売ってるから買っておいで」
表示されたクエストウィンドウは保留にしておいて、海の家までひとっ走り。店番をしている兄ちゃんに話しかける。
「お兄さんお兄さん。まだやってる?」
「おうよ。ウチは16時から24時までやってるぜ」
「一番ランクの高い釣り餌って何?」
「そりゃもちろんヘラクレスオオカブトだな。コイツはスゲェぞ。どんな大物でもたちまち食いつく」
ヘラクレスオオカブトって釣り餌になるんだ。初めて知った。
「おいくら?」
「値段もスゲェぞ。一匹1,000ゴールドだ。スゲェだろ」
所持金確認。初期資金は1,000ゴールド。ピッタシだ。
「んじゃそいつ、一匹ちょうだい」
「まいどあり。ここで装備していくかい?」
「虫を装備する趣味は無いかなぁ……。あ、竿につけるかって意味か。お願いします」
世界樹の釣り竿をお兄さんに渡すと、お兄さんは手際よく釣り針にヘラクレスオオカブトをつけてくれた。
虫は触れないのー、なんて可愛いことを言う気はないけど、足がわさわさしている奴にはできるだけ触りたくない気持ちはあるんです。
「ありがと。んじゃ、またね」
「おう、また来いよ」
海の家のお兄さんに軽く手を振って、釣り人のじいさんのところまで戻る。
「……買っておいでとは言ったが、よりにもよってヘラクレスオオカブトを買ってきたのかの」
「うん。大物釣りたいの」
「悪いことは言わんからやめておきなされ。それワシですら扱えるかどうかわからん気難しい餌だぞ」
「ご丁寧にフラグ建ててくれてありがとう。んじゃご老人、この辺で一番大物釣れる場所教えてよ」
「やれやれ。まあいい、物は試しとも言うだろう。ついておいで」
釣り人のじいさんに誘われるまま岩礁地帯へ。既に日は暮れてあたりは薄暗く、周りに人気はない。月明かりという名のゲーム的補正があるから結構よく見えるけどね。
いやあ、事案の匂いが濃くなってきましたよ。
「ここじゃ。ここは岩礁になっている上に波が強く、根掛かりしやすいポイントになっておる。ここでしか釣れない大物が数多く生息するが、熟練の釣り師でもなければ投げ込むことすら不可能じゃ」
「ふーん。んじゃ、やってみるね」
釣りの作法なんてよくしらない。やったことないもん。
だからとりあえず、思いっきり振りかぶって、思いっきり遠くまでぶん投げてみた。
カンストした釣り熟練度にアシストされた釣り竿は一瞬だけ黄金色に輝き、ブォォォンとうなりをあげてしなる。釣り竿から伸びる一筋の銀糸は意思を持っているように真っ直ぐ飛び、釣り針にくっつけられたヘラクレスオオカブトが「ピギィィィ!」と悲鳴を上げながら海水に飛び込んだ。
…………。ヘラクレスって鳴くんだ。知らなかった。
「ほ、ほほう。なかなかいい位置に投げ込んだの。じゃがまあ、釣りってのはそれだけでかかるほど甘くは――」
釣り竿を持つ指にぴくんと刺激が伝わる。かかったかな? って思って釣り竿をちょいと上げてみると、急に海面からズドォォン! と大きな水しぶきが上がった。
ものすごい力で釣り竿が海面に引きこまれそうになり、あわてて踏みとどまる。その瞬間魚の体力を示すバーが現れ、釣りのチュートリアルが始まった。
「じゃまっ」
視界を占拠するチュートリアルを消す。こんなミニゲーム、チュートリアルなんかなくってもノリでなんとかなるんだよ!
「お、お嬢ちゃん! なんちゅう大物を引き当てたんじゃ! ええか、ガイドに沿って慎重に行くんじゃぞ!」
「だいたい分かるよ。慎重に守って、大胆に攻めればいいんでしょ? 任せて!」
「そんな単純なものじゃ……」
守るときは慎重に、攻めるときは大胆に。私はどんな敵でもこの戦術を基本に戦ってきた。得物が剣から釣り竿に変わっても同じでしょ。多分。
海に引き込まれないよう竿をしっかり握って、全力で踏みとどまる。凄まじい勢いで竿がしなるが、さすがは世界樹の釣り竿。そう簡単に折れたりはしない。糸は店売り品だから簡単に切れる。気をつけよう。
しばらくギリギリと拮抗していると、不意に抵抗が弱くなった瞬間が訪れた。
「魚の抵抗が弱まったぞ! 今じゃ、慎重に引き上げるんじゃ!」
「じいさん、気をつけてね。せーのっと!」
小さくためを作って、慎重さのカケラもなく思いっきり引き上げた。
釣り竿が一瞬だけ黄金色に輝くと、海から再びズドォォンと大きな水しぶきが上がり、巨大な魚が海面から打ち上がる。
打ち上がった巨大な魚はまっすぐに宙を舞い、私の手元目掛けて飛び込んできた。
「おっと」
そのままだと直撃しそうだったから、魚の頭からまっすぐ生えた角をキャッチする。勢いを殺すために角を掴んだままくるりとターン。ぐねんぐねん動く魚を岩礁に叩きつけ、角をつかんだまま首元を踏みつけた。
その魚には大きな一本角がそびえ立っており、体に鱗はない。全体的にまるまるとした可愛らしいフォルムで、前びれをびったんびったんさせている。
「ねー、じいさん。これってどういう魚?」
「こ、これは……。魚ではない。海のユニコーン、イッカククジラじゃ!」
「クジラなの?」
「クジラの仲間じゃ」
へー。イッカクってこんな浅瀬の岩礁地帯に住んでいてヘラクレスオオカブトに食いつくんだ。生き物の世界って不思議がいっぱいだなぁ。
「大変貴重で、深海と蒼穹の神カームコールの遣いとも呼ばれる神聖な生き物じゃ。まさか生きて目にすることがあろうとは……」
「ねえじいさん。こいつって高く売れるかな」
「売……、売るぅ!? 海神の遣いじゃぞ!?」
「いやだって、そうは言ってもお金ないし」
全財産ヘラクレスオオカブトに使っちゃったし。無一文だし。
「この角とか高く売れそうだよねぇ。皮や肉なんかもいい素材になりそう。クジラの仲間なら鯨油や竜涎香なんかも……。いや、竜涎香はマッコウクジラだけか」
「なんでそういう金になりそうな知識だけあるんじゃ」
「ゲーマーだもん」
でもまぁ、そうは言っても海神の遣いと来たか。下手に殺すと余計なイベントフラグが立ちそうだ。しょうがないから逃がしてあげよう。
決めた後は迅速に。イッカクの角を掴んで、海の中にすぽーんと放り投げる。ばしゃーんと大きな音を立てて海神の遣いは海の中に帰っていった。
じいさんがなんまんだぶなんまんだぶと海に向かって祈る。それに合わせて私も海に向かって手を揃えた。
「今度はお金になりそうな魚が釣れますように」
「お嬢ちゃんはそればっかりじゃのう……」
その時、近くに置いておいた釣り竿が黄金色に輝く。どうしたのかと手に取ると、いつの間にか釣り糸が海の中に入っていた。
何かかかったのかなと釣り竿を引く。ずしんとした手応えだが、イッカクと違って抵抗が無い。何かこう、無機物を引いているような感触。
「……んー? なんだこれ?」
釣り竿を引き上げる。釣り針には相変わらずヘラクレスオオカブトがくっついていて、その六脚で大きな宝箱をしっかりと握りしめていた。
「お、おお? おおお?」
「な、なんとこれは……! 深海と蒼穹の神カームコールが、自然を愛する釣り名人にのみ授けると言う海神の財宝ではないか!」
「さっすが私! 自然を愛する釣り名人!」
「カームコールよ、ついに耄碌したか……!」
その時、海から大波が上がりじいさんだけをべちょ濡れにした。いいぞやったれカームコール。
地上まで宝箱を引き上げ、ヘラクレスオオカブトを針から外す。こいつ、イッカクとの戦いを生き抜いた上に宝箱まで回収してきたというのか。
「お前も勇者だなぁ」
角をつんとつついてやると、限界だったのかヘラクレスオオカブトはひっくり返って六脚をぴくぴくさせた。
最初から持ってる初心者用ポーションを少したらしてやると、体力が回復したのか足をわさわささせた。もうちょっとポーションをかけると元気になって元の体勢に戻った。
「お入り」
アイテムインベントリを開いてヘラクレスオオカブトを中にしまう。よしよし、ゆっくりお休み。
「何をやっとるんじゃお嬢ちゃん」
「いやぁ。ただの釣り餌のつもりだったんだけど、なんか愛着湧いちゃって」
「つくづく不思議なお嬢ちゃんじゃのう……」
それはそうと、釣り上げた宝箱を開けようとする。宝箱の口のところが錆び付いていて開かなかった。蹴っ飛ばすと開いた。
中から出てきたのは、深い蒼色をした優美な真っ直ぐの棒。
「おお……。こ、これは……!」
「知っているのかじいさん!」
「『蒼海龍の釣り竿』……! 大海に棲むリヴァイアサンの尾から出てきた槍を打ちなおしたと言われる、幻の釣り竿じゃ! これを持つことは全ての釣り人の誉じゃぞ!」
「色々突っ込みたいところあるけど何より釣り竿もういらないわッ!」
『世界樹の釣り竿』とかいう十分優秀な釣り竿持ってるよ! 何がリヴァイアサンだよ尾から武器が出てくるのはヤマタノオロチだ! っていうか槍が出てきたならそのまま槍をくれよ! なんでわざわざ釣り竿に打ち直してんだよバカームコール!!
とかいうことを海に向かって叫んでたら、大波が上がって私をびしょ濡れにした。つめたい。
「……なんかもう、疲れた」
「……そうじゃな。お嬢ちゃん、帰るか?」
「ううん。お金無いから、もうちょっと釣りしなきゃ……。ねえ、じいさん」
「どうした?」
「釣りのやり方教えて。普通の魚が、普通に釣れる釣りのやり方を」
「お、おう。それは構わんが……」
ずっと保留にしていた『釣り名人の指導・その1』のクエストを受注する。不思議な虚脱感に包まれたまま、『蒼海龍の釣り竿』を肩に担いだ。