外伝 28話
目を覚ました時、痛いほどの静寂が耳についた。
アトリエの中だった。ラインフォートレスの中にある、私のアトリエ。私との子と、【財団】のみんなたちが使う、みんなのアトリエ。
とても静かで。外から聞こえる葉擦れの音が、いやに気になった。
「……ラストワン?」
の子は椅子に座って手紙を読んでいた。私が起きたことに気がつくと、の子はサイドテーブルにそれを置く。
「起きたの?」
うん。ごめん、また寝ちゃってたんだ。
「久しぶりだね。大丈夫?」
私、どれくらい寝てたの?
「一年と四ヶ月」
……は?
いちね……一年って言った? 今? 一年と、四ヶ月だって?
「うん。一年以上、ラストワンは目を覚まさなかった」
私が呆然としていると、の子はカレンダーを持ってきた。ゲーム内の日付は、私が最後に確認した時より一年以上進んでいる。思わず、言葉が出なかった。
本当に……。本当に、一年が経ったのか。実感がない。どう受け止めていいものか、わからなかった。
えっと……。の子。
「うん」
私、あんまり覚えてないんだよね。
目的を果たしたことは覚えている。私は、この手でウルマティアを殺した。それからについては記憶が曖昧なんだ。
あの後何があったのか、教えてもらっていい?
「…………。ううん。なんにもなかったよ」
の子は立ち上がり、アトリエから出る。あたりいっぱい荒れ放題になった畑で、アトリエ周辺だけが手入れされていた。
ここには誰もいない。
とても静かだった。
「えっとね、ラストワン。ログアウトができるようになったんだ」
の子が開いたシステムウィンドウには、ログアウトボタンが押せるようになっていた。
ログアウトができるようになったなら、プレイヤーたちはもうみんなこの世界を去った後なのだろう。そう考えると、この静けさも納得がいく。
……だとしても、この街は静かすぎる。本当にそれだけなのだろうか。
の子。の子はログアウトしなかったんだね。ひょっとして、私が目を覚ますのを待ってたの?
「それもあるけど……。私、向こうのことって覚えてないから」
ああ、そっか。まあ確かに、あんまり帰りたいと思っていないのは私も同じだ。
「向こうに行きたい?」
うーん……。
の子はどう思う?
「どうしようね」
困ったようにの子は笑った。
私たちは町中を二人で歩いた。町の中はとても静かだ。ここには誰もいない。プレイヤーも、NPCも、それ以外のものたちも。
大神殿の、一番見晴らしのいい高台に腰掛ける。そこから見えるラインフォートレスの街並みは、ところどころ自然の侵食が始まっていた。
「ねえ、ラストワン。これからのことなんだけどさ」
うん。
「私、もう一回この街を復興させようって思ってたんだ」
……復興?
復興って、この街を? どうやって?
「わかんないや。どうすればいいのかわかんなくて、困ってたの」
それはまあ、ごもっともな話だった。
悪くはない提案だと思った。私は別に帰りたいわけでもなければ、この世界で成し遂げたいことがあるわけでもないのだ。の子に付き合うのはやぶさかではない。
それに、の子とは約束をしていたはずだ。私の目的が終わったら、一緒に何か楽しいことをやろうって。
ならば、の子がやりたいことは私がやるべきことでもあった。
いいよ、わかった。やってみよっか。
「せかいせーふくの続きです。はりきって参りましょう」
あー、前も言ってたね、それ。そんなに世界征服したいの? この街には私たちしかいないのに?
「夢はおっきければおっきいほど良いものとされます。細かいこと気にしてたら背は伸びませんよ、わんわん」
まーたわんわんって呼びおって……。
どうせ征服するならさ、もっと色んなものがわちゃわちゃしてた方がいいと思うんだ。この街は静かすぎる。街の外だってさ、ほとんど未開の荒野だったように覚えてるけど、どうせなら色々あったほうが嬉しくない?
「……ラストワンもそう思うの?」
うん、そうだけど。
あ、そうだ。前にの子が作ろうとしてた各地のベースキャンプって、開拓に使えたりしないかな?
「えっと……。ねえ、ラストワン。この世界のことって、どう思う?」
どうって……。
あんまりうまく言えないけど……。なんていうか、今となってはここが私の居場所だって気がするんだ。
肩の荷が降りた今では、この世界がゲームっていう気もそんなにしないんだよね。向こうのことも覚えてないし、まだここにいてもいいかなって。
ほら、この世界ってやたらと自由度が高くて色んなことができるじゃん。そんなとこが好きなのかも。
今は時間もあるし、どうせならゆっくり見て回ってもいいかもなって思ってる。
「そっか……。そう、なんだね……」
嬉しいような、寂しいような、の子は複雑な顔をしていた。どうして彼女がそんな顔をするのかはわからない。どこか泣き出しそうな顔で、の子はにこりと微笑んだ。
「きっとね、本当のラストワンはすごく優しい人なんだと思う」
……へ? 本当の私?
「私たちは急ぎすぎたんだよ。目的のために頑張るあまり、たくさんのことを見落としてきた。もう少しだけ落ち着ける時間があれば、きっと違う答えもあったのかも」
それは……。そうなのだろうか。
私はいつだって必死だった。果たすと決めた復讐のために、他の何を差し置いても一心不乱に走り続けた。それが私が求めるたった一つのことだった。
私は何をどうしたって止まらなかっただろう。それこそ、この命が尽きるまで。あの頃の私にはそれくらいの覚悟があった。
「間違えたのは、私だったのかな。私があんなこと約束したから」
よくわからないけど……。今私が生きているのは、の子のおかげだよ。
私、死んでもいいって思ってたから。の子が止めてくれなかったら、ただ単に刺し違えて死んでただけだと思う。
「うーん……」
過ぎたこと悩んだって仕方ないでしょ。
それよりの子、そろそろ行こう。世界が私たちを待っている。
「それもそうだね。じゃ、何からやる?」
やることはたくさんある。荒れた街を整備して、未開の荒野を開拓して。街からいなくなった人たちも探しに行かないと。
あの手この手で繁栄を広げていけば、静かになったこの世界も、きっと楽しい場所になるだろう。覚悟しておけ、私は手段を選ばないぞ。
無限の未来と明日を目指して。私たちは、広がるこの世界に一歩を踏み出した。
『END2 ふたりぼっちの世界征服』