外伝 13話
そして、惨禍は過ぎ去った。
周囲にぶちまかれる屍山血河。バラバラになった肉片、焦げ済になった骨、どろどろに腐り落ちたアンデッドの内蔵。船の揺れに合わせて、こぼれ落ちた眼球が視神経を引きずりながらころころと転がる。
地獄である。なんでこのゲームこういう描写だけはリアルなんだよ。バグゲーのくせによぉ。なんだよなんだよ、私泣くぞ。
「ラストワン? だいじょーぶ?」
そして、その地獄を創り出した当の本人は平然としていた。
……うん、へーき。へーきだけど一回外出よう。ちょっと、ここ、居たくない。
「そうしよっか」
進路上にあった臓物を踏み潰し、の子は部屋の外へ出た。
廊下のいたるところから飛び出ていた手は消えていた。ミニマップ上にも敵影はなし。本当に船内全ての敵があの部屋めがけて押し寄せてきていたようだ。妨害もないので、外に出ることは簡単だった。
甲板の上では相変わらず嵐が吹きすさんでいた。横殴りの風が髪を額にはりつける。の子は気にした様子もなく、鼻唄まじりに聞いた。
「それでさ、ラストワン。どうやったらこの船壊せるの?」
あー、それね。そういえばそうだったね。
私たちに必要なのは船を破壊するに足るだけの攻撃力だ。鍵になるのはやっぱり『全能石』なんだけど、さてはてどうしようか……。
考え込んだのは一瞬だ。その一瞬、私はずっと周囲へ向けていた警戒を緩ませた。
だから、視界が高速で後ろに飛んだ時、私は柄にもなく焦ることになった。
「――っ!? 何っ!?」
獣じみた反応速度での子が飛び退る。次の瞬間、の子が立っていた甲板がぶち破られ、船内から濃密な瘴気を振りまきながらソレが現れた。
腐り落ちた肉をまとう、見上げるほどの異形の巨躯。爛れた皮膚の間からむき出しの筋肉が表出し、破れた腹からは黒ずんだ体液が滴る。両手には錆びたカトラスを握りしめ、無数のピストルが詰まったホルスターを吊るす。海賊帽に刻まれた髑髏には、歪み一つ無かった。
死せる名もなき大海賊。幽霊船と化したこの船の主だ。
「ちょっとあれ大きくない!? あんな大きいのどこに居たの!?」
の子が絶叫するのもわかる。瘴気を放つ大海賊は目測5メートルを越える巨体だ。それが甲板を突き破って出てきたのだ。
あんなデカイのがこの船内のどこに居たんだと突っ込みたくなるのもよくわかる。でも私は、それに対して答えを持っていた。
気にすんな、の子。ゲームなんてそんなもんだ。
「ええ……? 本当にそうなのかなぁ……?」
設定的な話をするなら、船内の瘴気を吸い込んでパワーアップしたとかそんな感じになるんじゃないかな。私はちゃんとストーリーを追う方のゲーマーだけど、そんなに詳しいことは知らない。一周目の時の相棒だった弓使いのあの子なら、ひょっとしたら知ってるかもしれない。
――あいつら、元気でやってるかな。時々風のうわさは流れてくるけど、まだ顔を合わせたことはない。
っと、感傷に浸ってる場合じゃなかった。今は目の前のこれを対処しよう。
の子。一応聞いとくけど、逃げるってのが一番安全だよ。
「冗談っ」
『全能石』を掲げての子はクラスチェンジする。選択したクラスはアークメイジ。巨大な魔力を行使し、大魔法を叩き込むガラスの大砲だ。
の子は手のひらから魔法を放つ。右手と左手にそれぞれ灯るのは、二色の魔法だ。
「右手に【フラム・ボム】――。左手に【氷晶球】――」
おいの子お前なにするつもりだ。別にやること自体は構わないけどその詠唱はやめろ。色々ギリギリなんだよ。
っていうか、相反する属性魔法の同時詠唱とか簡単にできることじゃないんだけど。あっさりこれ決めるとかこの子強すぎない? なんなの? 私でもできるかどうか怪しいんだけど?
「たやーっ!!」
爆炎と氷晶が大海賊の身体に叩き込まれる。船が揺れるほどの大きな衝撃。しかし敵のHPは、少し削れた程度だ。
お返しとばかりに大海賊が突っ込んでくる。甲板をまとめて薙ぎ払うカトラスの一閃。その場にぺたんとしゃがみこむことで、の子はそれを回避していた。
追撃で放たれた銃弾を、即席で編み込んだ【フラム・ボム】で相殺する。そんな芸当を披露しつつもの子は叫んだ。
「効いてないよ!?」
火力不足だよ、の子。詠唱補助具の杖も無しに撃ったって、衝撃だけの中身がない魔法だ。せめてバフくらいは盛っていこう。
まずはストームシューターの【風の音階】。一つ一つの動作が高速化されるバフだ。魔法の詠唱速度も上がる。その次はフェアリーサモナーの【水精の浮心】。こっちは属性攻撃力にボーナスが入る火力バフ。そしたらアークメイジに戻って【超集中】。魔法攻撃力を底上げするバフ。この辺使っとけばダメージは通るようになるよ。
「う、うんっ」
の子は敵の攻撃を避けながらバフを詠唱する。【風の音階】を発動した時点から動きが変わった。一挙一動の精度が高まり、一つ一つの攻撃を紙一重の距離で危なげなく避ける。
一通りのバフを詠唱した後、両手を重ねて再度術式を行使する。誰に教わったわけでもないのに、やけに様になっていた。
「――【雷光槍】」
全長5メートルほどもある、巨大な雷の槍が現れる。紫電の雷を撒き散らしながら、槍は嵐の中で光り輝いた。
「貫けっ」
の子が指示を出すと、まさしく雷速で槍が大海賊を貫いた。穿ち貫かれた胸には大きな穴が開いた。体力は大きく削られた大海賊は、甲板に片膝をつく。今までとは感触が明らかに違っていた。
「やったっ。効いてるよ!」
いーや。そう言いきるにはまだ早いみたいだよ。
船内から立ち上る瘴気が、大海賊の手に絡みつく。まるで意思を持つかのようにうねるそれは大海賊の身体を立ち上ると、胸に開いた穴へと埋められていく。
大海賊の体力がじわじわと回復しはじめる。大型のアンデッドが所持しているパッシブスキル、【不死者の呪い】が発動したようだ。
「え……? あいつ、回復してる?」
そう。回復してるの。
あいつを倒すには巨大な攻撃力を次々に投射して完全に破壊するか、対アンデッド特攻の炎属性で攻撃しないといけない。の子、次はそれを踏まえてやってみて。
「え、ええ? じゃあじゃあ」
の子は少し考えた後、炎属性大魔術【インフェルノ】を詠唱する。悪くない選択だ。だが、タイミングが悪かった。
甲板に片膝をついたままの大海賊が何かをした。一瞬だけ瘴気が広がると、朽ち果てた床穴を突き破って腐った手が飛び出す。詠唱に集中していたの子は反応が遅れた、足首をガッと掴まれることになった。
「ひゃっ」
悲鳴とともに詠唱が途切れる。あ、ちょっと。それはまずい。
拘束された状態で反撃手段を喪失するというのは極めてよろしくない。そんな隙を見逃してくれるはずもなく、大海賊はピストルをの子に向けてつきつける。
――回避、は、無理か。迎撃だ。の子、落ち着いて【フラム・ボム】。の子の詠唱速度ならまだ間に合う。
「え、え、ええっ!? とにかくとにかく、【フラム――」
の子はパニックに陥っていた。集中が切れている。この速度じゃ間に合わない。
くそッ……! の子、代われッ!
「代われって――!?」
無意識に叫んでいた。そんなことができるとは、自分でも思っていなかった。
だが一瞬にして鮮明になった感覚は、何が起こったのかを知らせるには十分すぎた。それまでモニターを眺めるかのように見ていた光景は双眸を通して脳に焼き付き、まるでこの場に居るかのような臨場感を全身で知覚する。
手を握れ。そう命令すると、思いのままに身体が動く。
私は今。紛れもなく、この場所に立っていた。
「――【ストーンウォール】」
感覚を確かめるより先に魔法を詠唱。一瞬で展開された柔らかい土の壁は、大海賊が放った鉛玉を受け止めた。
足首を掴んでいる腐った腕を蹴っ飛ばすことで拘束から逃れる。再度【ストーンウォール】を詠唱し、足場代わりに利用した。
(ちょっと、ラストワン!? どういうこと!?)
頭のどこかからの子の声が聞こえる。なるほど、の子はこんな感覚だったわけか。
「ごめんの子、私にもわかんない。でも、やってみたらできちゃった」
(ええ!? なんで!?)
「だからわかんないって」
この現象について確認するのは後だ。それよりも今は、やるべきことがある。
完全に体力を回復した大海賊が、私に敵意をぶつけている。久々に感じる戦場のリアル。まあ、軽い運動くらいにはなるかな。
「うちのの子が世話になったね。私を相手にして、まあまあよくやったほうだ」
『全能石』を構え、シャドウエッジにクラスチェンジ。奇襲と隠密を得意とする暗殺者のクラスだ。シャドウエッジが持つスキル【暗影の刃】を発動すると、闇を塗り固めたショートソードが両手に現れた。
「でもここまでだ。悪いけど、私はの子ほど甘くないよ」
二振りのショートソードをくるんと回して、大海賊へと刃を向ける。
ずっと見てばかりで退屈してたんだ。そろそろ私にも遊ばせてもらおうか。