外伝 12話
私は頭が痛かった。ちょっとこれどうしようかと、本気で迷っていた。
使うのか。これを。本当にいいのか。そんなことしてしまって良いのだろうか。リスクが大きすぎやしないか、いろいろな意味で。
ありとあらゆる可能性を考慮した上で、私は一つの結論にたどり着いた。
リテイクだ。リテイクしよう、の子さん。
「ええ……? リテイクって、なにそれ?」
知らん。私に聞くな。いいからそれを宝箱の中に戻して、蓋を閉めるんだ。見なかったことにしよう。それはこの世界に持ち込むには、あまりにも危険すぎる代物だ。
「う、うん……」
の子は私の言う通りにした。ったくもう、困るよの子さん。の子さんの運がアレすぎるせいで、この世界に存在しないアイテムまで創り出してるじゃないか。存在自体がバグキャラだよな、この子。やりたいほうだい過ぎでしょ。タイトル回収するのもいい加減にしろ。
「ラストワンって、たまに変な怒り方する……」
いいんだよ、外伝なんだから。メタ上等だっつの。
とは言え、私たちの頼みの綱が無くなったのは確かだった。この部屋は扉が一つしかない行き止まりになっていて、廊下からは無数の足音とうめき声が近づいてくる。袋のネズミ。万事休す。大体そんな現状だ。
「あ、ねえ。ほら見て、あれ」
の子は部屋の隅を指差す。そこには、ひっそりと隠された宝箱が置いてあった。
…………。うん。宝箱だね。
「もう一個あったよ! 良かったね!」
ご都合がすぎるんだよなぁ……。
なんなんだろう、この子。この子の人生だけやたらとイージーモードすぎない? 多分だけど、もしも私が主人公だったら絶対にあんなもん置かれてないよ。絶望的な状況を狂気じみた命がけの綱渡りで駆け抜けてるよ。そういうの詳しいんだ私は。
の子。の子はこっち側に来ちゃ駄目だよ。君はもう天に愛された女として生きるといい。
「えー? 私はラストワンの側に居たいよ?」
こいつ、私のくせに可愛いこと言うじゃねえか……。
ひょっとして、私に足りないものはこういうところなのかな。思えば私ってやつは可愛げのない少女だった。狂気じみた瞳を爛々と輝かせ、黙々と経験値を稼いでばかりの狂戦士だ。そんなことばかりしていたせいで、今の私はこんな境遇に陥ったのかもしれない。
……私も、ちょっとだけ、可愛い子になってみようかな。そしたら少しは何かが良くなるかも。
「ラストワン。無理はだめだよ。ラストワンは、ラストワンでいいんだからね。でもラストワンが変わりたいって言うなら、私はそれを応援するよ」
やだ……。惚れそう……。
私が自分に落とされかけるという中々に珍妙な経験をしていると、の子はすたすたと宝箱に近寄っていった。特にためらいもなく、かこっと開く。中から出てきたのは、少なくとも唐草模様の果物ではなかった。
「? なんだろ、これ?」
それは透き通ったガラスの立方体だった。
薄暗い部屋の光を反射してキラキラと輝く。細工でもしてあるのか、見る方向によってガラスの色は変化する。虹色に瑠璃と翡翠を足した、全九色の輝き。オパールのよりも複雑な色彩は、ほうとため息をつくほど美しかった。
視線をロックすると、鑑定結果が表示される。
『全能石』
……ああ。これか。なるほどね、こう来たか。
「ラストワン、知ってるの?」
安心して、の子。これは当たりだ。中々に面白いものを引いたよ。
一周目の時、風の噂に聞いたことがある。なんでもクラスチェンジを自在に行える石があって、プレイヤーの誰かが隠し持っているだとかなんとか。そのアイテムの名が『全能石』だ。
結局最後まで表には出てこなかったけど、都市伝説的に噂は流れていた。そんな存在未確認アイテムの一つが、これだ。
「んーと、これを使えばクラスチェンジができるの?」
多分ね。私も実際に使ったことはないけど、多分そう。
実のところ私たちはまだクラスを手に入れてない。だってそうだろう、実はまだチュートリアルすら終えてないんだから。クラス選択クエストなんてやっているはずもなかった。
だからの子、それを使って何かクラスを得ようか。そしたらなんとかできるから。
「……ねえ、ラストワン。これよりもさ、さっきのやつのほうが」
さっきのやつって何かなー! わかんないなー! なんかあったっけかー!
私は全力で誤魔化した。やめろ、もう忘れるんだ。あのアイテムに触れるんじゃない。頼むから。海賊王になるのはあの男に任せよう。私たちはもう石油王なんだから、それで満足しようよ。
私がの子を全力で押し留めていると、部屋の扉がドンと強く叩かれた。ドンドン、ガンガンガン。尋常じゃない剣呑さを持ってドアが揺れる。突破されるのも時間の問題だ。
……っ。の子、大丈夫。私が言う通りにやれば、なんとかなるから。
「おっけー。じゃ、やろっか」
の子に緊張は無いようだった。助かるよ、やろうか。
戦闘モードに意識を落とし込む。脳の奥でスイッチが切り替わる。一度戦うと決めたら、恐怖は意思で塗り替えられる。怖がっている暇なんて無い。私はまだ死にたくない。だから、殺る。
私との子の呼吸が重なる。その瞬間、扉が破られた。
「行きますっ!」
の子は『全能石』を掲げた。輝きの色は赤、選択したクラスはベルセルク。巨大な武器を操り敵を叩き潰す、真っ向勝負の火力職だ。
残念ながら私たちに武器は無い。大剣も大槌もバトルアックスも持たない。だから代わりに、の子は拳を固めた。
床板を踏み砕きながら加速し、扉を破ったアンデッドに肉薄する。勢いを殺さずに、正面から吹き飛ばす。
「てやっ」
ズドン。
格闘スキル【正拳】。徒手空拳の基本攻撃にして、武器を持たずとも攻撃できる希少なスキルだ。
ただ格闘スキルの定めと言うべきか。リーチは無いし火力は低いし、あまり有効打とは言えなかった。
攻撃を受けたアンデッドは少しよろめいただけだった。それから錆びたカトラスを振り上げる。案の定、たいして効いてない。
の子、下がって。
「わ、わわっ」
振り下ろされるカトラスを避けながら、大きくバックステップ。すたんっと着地した。アンデッドは基本的に鈍重だ。の子の軽装備なら、ヒット&アウェイくらい容易にできる。
悪くないよ、の子。ベルセルクを選択したのも、格闘スキルを選んだのも正しい判断だ。やっぱこういうところは私なのかな、センスは良い。
「ほんと? でも、効いてないみたいだよ?」
まあ、このままじゃね。
ベルセルクというクラスは極めて直線的なクラスだ。できることと言えば、正面の相手に巨大な火力を叩きつけることだけ。そのために必要なスキルがベルセルクには揃っている。
その多くは武器を使用した攻撃スキルだが、自己を強化するバフもちゃんとある。強化バフならば、武器を持たないの子にも十分使える。
の子、まずは【ブラッディベルセルク】を使って。
「はーい」
【ブラッディベルセルク】――狂戦士の血を目覚めさせることで、体力と引き換えに巨大な攻撃力ボーナスを獲得するスキル。
ベルセルクの本体とも言える強力なバフだ。これがあるから、ベルセルクは純粋火力にして頂点とも言える力を持つ。
これ以外にも【チャージ】や【ガイア・フォース】なんかも使えば十分――。と考えたところで、一つ閃いたものがあった。
ねえ、の子。この状態でクラスチェンジできない?
「え、クラスチェンジ? 何になればいいの?」
えーと、フェアリーサモナーにクラスチェンジして。
の子は『全能石』を掲げる。翡翠の輝きがの子を包み、の子のクラスが変化する。
フェアリーサモナーはその名の通り、精霊の召喚士だ。精霊を召喚することで、一風変わった魔法を扱うことができる。主に補助魔法を得意とする、生粋のバッファーだ。
の子、【炎精の龍爪】。
「りょーかいです!」
あまり悠長にしている時間はない。短く指示を出すと、の子は迷わずスキルを発動した。
の子の両手が炎に包まれる。【炎精の龍爪】。炎精の爪を召喚し、全攻撃に火属性攻撃力を乗せる、火力底上げバフだ。
もういいよ、の子。やっちゃって。このゲームがいつものバグゲーなら、多分これで――。
「じゃ、やりますよ!」
眼前まで迫ってきていたアンデッド相手に、の子は拳を構える。振り下ろされたカトラスを余裕を持って見切り、カウンターの一閃。放ったのは、先ほどと同じ【正拳】だ。
だが、結果は同じではなかった。アンデッドの身体を衝撃が突き抜けて、バラバラになりながら激しく炎上する。腐った肉塊が燃え盛りながら飛び散り、白い骨までもが露出した。
――思ったとおりだ。の子は今、【ブラッディベルセルク】と【炎精の龍爪】の、二つのクラスのバフを両立させている。その結果が、この火力だ。
「……? どういうことなの?」
つまりね、『全能石』を手にしたの子は、全クラスからありとあらゆるバフの恩恵を受けられるってことだよ。
通常ならパーティを組まないと同時使用できないバフも一人で盛れちゃうし、自分だけを強化するタイプのバフの並行利用だってできてしまう。本気でやれば、たった一人で高速と高火力と高耐久の全てを達成できるだろう。全くもう。このアイテム、文句なしのぶっ壊れだよ。
「ええと……。つまり、どういうことなの?」
…………。
えっとね、そこの入り口から続々とアンデッドが入ってきてるじゃんね。の子さん、あれ全部ぶっ飛ばしておいで。そしたらよく分かるから。
「うん、分かった! やってくるね!」
の子は喜々としてアンデッドの群れに突撃する。燃え盛る炎を振りまきながら、千切っては投げ千切っては投げ。実に楽しそうである。
炎はアンデッドにたいして相性がいい、なんて小技も使ってるんだけど、の子はそんなこと気にしないだろう。まあいいか。こういうのは、私が考えればいいや。の子はの子のやりたいようにやればいい。
の子の言うとおりだ。無理は良くない。私は私のままでいいし、の子はの子のままでいい。つまりはそういうことだった。