外伝 11話
レベル28。
アンデッドたちをまとめて地獄に送りつけたの子は、大量の経験値を吸い上げた。その結果が、このレベルである。
「うーん、これって、寄生なのかなあ?」
今更になっての子は妙なことを気にしていた。タウントスキルを回していたのは二人のエージェントだし、カッターを操舵していたのはジョン・ドゥだ。の子自体は何もしていない。
そのエージェントとジョン・ドゥと言えば、甲板の上でぐったりとしていた。
「終わった……。これで、終わったんだな……」
「生きてる……。俺らまだ、生きてますよ……」
「俺、なんであの時帰らなかったんだろう……」
息も絶え絶えであった。ワンミスでもすれば死に直結するという状況は、彼らの精神力を酷使したらしい。
「みんな、だいじょーぶ? 無理だったら帰ってもいいよ?」
「あ、ああ……。いやちょっと待て、お前は帰らないのか?」
ジョン・ドゥが聞く。確かに妙な問いだった。
私達は既に目的を果たした。レベルは十分に育っている。もう少し稼ぐにしても、一度帰ってから装備と人員を整え直した方が良い。
それに、人が駄目になるのは体力の限界を迎えた時だけではない。精神が限界を迎えた時もそうだ。そういう意味で、彼らは既に危険域にいる。
「うん。まだ終わってないからね」
「まだ……? 終わって、ない……?」
ちょっとの子、何するつもりなの? もう帰ろう、目的は果たしたんだから。
「ううん。まだあの船が残ってるじゃん」
の子は無人になった幽霊船を指さした。
の子の言う通り、あの船自体もモンスターだ。あれを破壊すれば莫大な経験値が手に入る。でも、それをやるにはせめて砲が必要だ。そんなもの私達のカッターには積んでない。
無理だよ、の子。壊すにしても手段がない。
「だから、乗り込んで壊すんだよ」
……っ。
私に肉体があれば、間違いなく表情が凍りついていただろう。そして、肉体を持つジョン・ドゥは実際に表情を凍てつかせていた。
こいつ今なんて言った。あの船に、白兵戦をしかけるって? マジで言ってんの? 正気どこいった?
「敵船に乗り込むのか!? この嵐の中で、あの船に!? もし海に落ちたらどうするんだよ!」
ジョン・ドゥの心配ももっともだった。それに、私達が倒したのはあくまでも甲板にいたアンデッドだけ。船室にはまだ大量のアンデッドが残っている。
それらを相手にして、どうやって船を壊す。そんなこと不可能だ。
だめだよ、の子。それはできない。あの船を壊したいならまた別に方法を用意するから、今日のところは一旦帰ろう。
私はそれなりに強い口調で警告した。の子は、それを聞いてにっこりと微笑んだ。
「大丈夫だよ。ラストワンなら、きっとなんとかしてくれるから」
……は?
いやその私は無理だって言ってるんだけど。っていうかちょっと待て。こいつ今、私の名前を口に出しやがった。
「……ラストワン? なんだそれ?」
「えっとねー。ラストワンは、もう一人の――」
ストップストップストップ!
の子、ちょっと待て落ち着けお前。私のことを他人に教えるんじゃない。の子が頭おかしいのは知ってるけど、ガチでやべーやつって思われるのはリスクがでかすぎる。無意味に他人の反感を買うんじゃない。
「あ、ごめん。これ言っちゃだめなんだって。怒られちゃった」
「……? なんの話だ?」
ああ……。もう、滅茶苦茶だよ。
頭を抱えたい気分だった。なんでの子さんはこんな子になってしまったんだろう。一体誰が生み出したんだ。私か。私だよなあ。私の中の一体どこにこんなノーテンキがいたんだ。
「それよりも。乗り込んでくるから、船近づけてもらっていい?」
「本気でやるのか?」
「うん。危ないかもだから、一人で行ってくるね」
何が何でもの子はやる気らしい。一体私にどうしろって言うんだ。手元にたいしたアイテムは無いし、この状況で船をぶっ壊す手段なんて――。
……ひとつだけ、ある。の子でなければ絶対に不可能な手段が、ひとつだけ。
「じゃ、いってきまーす」
沈黙した幽霊船にカッターが接近し、の子は外殻に取り付いた。慣れた手付きでひょいひょいとよじ登る。こういう身のこなしはさすがに私だ。ボロボロに朽ち果てた甲板に降り立って、よいしょっと伸びをする余裕すらあった。
「それで、ラストワン。どうしよっか」
わかった、やるよ。でも失敗したらすぐに帰るからね。何があってもいいように、帰還スクロールはいつでも使えるようにしておいて。
「はーい。そうこなくっちゃ」
ったく、人の気も知らないで……。の子、まずは海賊旗だ。メインマストに張られた海賊旗を切り落として。
そう指示を出すと、の子は元気よく返事をしてメインマストを昇っていった。嵐の海。揺れる船。濡れたロープ。そんな悪条件を物ともせずに一番上までたどり着くと、手にしたナイフで海賊旗を切り落とす。
小さく丸められた海賊旗をインベントリに放り込んで、甲板の上に飛び降りる。ころんと転がって受け身を取ると、朽ちた甲板がひび割れた。
「よーそろー、だね!」
意味分からんわ。
インベントリから取り出した海賊旗をちょうどいいサイズまで折りたたみ、マントのように羽織る。即席の『海賊マント』だ。防御力がある他、隠密行動にちょっとしたボーナスがかかる。
の子。それじゃあ船内に侵入するよ。言っとくけど敵がいる。見つかったら殺される。オーケー?
「おっけー! の子さん、一生懸命こそこそします!」
…………。本当にわかってんのかなぁ。
多少レベルは上がったとは言え、まだまだ敵のほうがレベルは上だ。それにの子には大した装備がない。初期装備のナイフ一本でできることなんて限られている。
おっかなびっくり船内に入り、視界端のミニマップ上に表示される敵影を確認しながら慎重に進む。幸いにも中に入ってからは、の子が暴走することもなかった。
の子、次の曲がり角を左ね。階段があるからそこを下ろう。
「らじゃですよん」
とんとんとんと階段を降りる。船の下層。周囲からはアンデッドのうめき声が響き渡っていた。
正直、私はこういうのは苦手だ。ホラーゲームってやつだけはどうにも好きになれなかった。だって怖いし。びっくりするし。それに怖いじゃんか。怖いのは嫌いなんだ。そこに理由なんて無い。
「ラストワン? だいじょーぶ?」
……へーき。がんばる。
私を気遣う素振りを見せつつも、の子はずんずん進んでいく。気分としてはホラー映画を見ているのに近い。待ってやめてお願い止まってと言っても止まらないし、むしろこんな場所で下手に立ち止まったら尚更危険だ。進むしかなかった。
見つからないようにね。絶対に、見つかっちゃだめだから。見つかったら私泣くからね。
「うん、気をつけ――あっ」
の子は腐った床板を踏み抜いた。
ベキッとそれなりに大きな音が船内に響く。周囲に響くアンデッドのうめき声が大きくなった。それからすぐに、こっちに向かってくる複数の足音がした。
「ラストワン、どうしよっか?」
うん、わかった。今から叫ぶから、ちょっとだけ待っててね。
こんのばっかやろー!! 何してんだ早く逃げろああもう来る来ちゃう!! 待ってだめだってそういうのはほんと無理なんだよやだやだなんで腐ってるんだよこの腐れ野郎ども嫌いだ嫌いだゾンビとかアンデッドとかそういう怖いのは駄目だってば!! 最近のファンタジーってやつはいつもこうだちょっと闇っぽいやつ出してすぐに人をビビらせやがるいい加減にしてよ!! 私はそういうのが一切存在しない安心安全な世界で生きたいんだよやだもう帰ろうよお願いの子さん帰ろうよー!!
「へへ、隊長。そいつは無理ってもんみたいですぜい」
の子は芝居がかった口調で、足元にある何かを蹴り飛ばした。手だ。腐った手が、の子の足首を掴んでいた。
床、壁、天井。船内のいたるところから腐った手が伸びて、獲物を求めるようにうごめいている。戦闘状態だ。やっちまった。こうなったらもう、『帰還スクロール』は使えない。
私は心の涙をぬぐって、気合いで冷静さを取り戻す。泣いてたら死ぬ。ああもう、やればいいんでしょやれば……!
撤収! 逃げるよ! 来た道を戻って、急いでカッター船まで――。
そう言いかけて、言葉を飲み込んだ。ミニマップ上に映る敵影は、船内上層に続く道をことごとく塞いでいる。上層へ戻る階段にも敵影があった。くそ、駄目だ。このルートは使えない。
だったら。だったら……。だったら――!
「ラストワン。やっちゃおうよ」
腹をくくる。どうやらそれしか道はなさそうだ。
の子、奥へ走って。もう隠密はいい。手に掴まれないように、腐った床板を踏み抜かないように、最速で移動しよう。道は私が指示する。
「はいな! 待ってました!」
『海賊マント』をひらめかし、の子は黒い風になる。ルート取りは縦横無尽だ。手を踏み潰し、壁を駆け抜け、天井を蹴って加速する。無数のうめき声が後ろから聞こえてくる。それでもの子は、前だけを目指した。
やがて私たちは一つの部屋にたどり着いた。船内奥にある、海賊船の宝物庫。室内の中央には一つの宝箱が置いてあった。
「ラストワン? ここでいいの?」
そう、ここ。ここが私たちの命運を分ける部屋。の子、あの宝箱を開けて。
海賊船の船内には、確定で宝箱が設置された宝物庫がある。中に入っているものは様々だ。刀剣、銃器、古代の霊薬。宝の地図や大量の金貨なんかが収まっていることもある。
私たちの目当ては、この状況をひっくり返しうるアイテムだ。最低でも武装が欲しい。何が手に入るかは運次第だけど、の子ならきっとやってくれるだろう。私の主武装たる双剣を引ければ――。
の子は落ち着いた手付きで宝箱を開く。そして、中に入っていたそれを手にとった。
「ラストワン、これは?」
絶句した。言葉が出なかった。
それは、私が知らないアイテムだった。一周目の記憶をどれだけたどっても、こんなアイテムがあるなんて聞いたこともない。
あり得ない。こんなもの、この世界にあるはずがない。あってたまるか。視線をロックして弾き出した鑑定名には、こう書いてあった。
『ゴムゴムの実』
怒られても知らねえぞ馬鹿野郎。