外伝 9話
新設された研究部署、造船部。そこに引き抜かれた一部の生産職と戦闘職(エージェントと名付けられた)は、事実上のエリートだった。
生産職には専用の畑を数ブロック与えられ、『アムリタ』を販売して得た資金を注入。戦闘職にも最新鋭の装備を惜しみなく投与し、フィールド上にていくらかのレベリングを行わせた。
そうして鍛えられた生産スキルで、財団が保有する一号船が出来上がった。
風を乗りこなして水面を駆けるカッター船。小型の帆船だが、私たちの夢(というよりも、私の情念とジョン・ドゥの欲望)を詰め込むには十分だ。
「はーい、みんなー。狭いから詰めて乗ってねー」
の子は旗を振りながら、造船部のエージェントをカッターへと詰め込んでいく。
カッターに乗船するプレイヤーは全部で8人。エージェントが6人と、の子と、ジョン・ドゥだ。
船に詰め込まれるエージェントは不安そうな顔をしていた。多少レベリングをしたとはいえ、レベルはまだ一桁台。不安があるのは分からなくもない。
「いえ、あの……本当にこれでいいんですか……?」
「おう、の子の判断にケチつけるってか、アア?」
一人のエージェントが漏らした弱音に、ジョン・ドゥは噛み付いた。最高に小物っぽい。いいぞ、もっとやれ。
「でも、だって……。僕らの職構成、酷すぎませんか……?」
そう言う彼は、不安そうに仲間たちを見渡す。
フォートレス・フォートレス・フォートレス・フォートレス・フォートレス・フォートレス。
見事なまでの盾職統一パーティ。盾と鎧が立派なせいで、中身の頼りなさを一層際立たせている。
まあ、ぶっちゃけ、不安になって当然の構成だった。
「大丈夫だよ。ね?」
「はい……。はい! そうですね! がんばります!」
の子がにっこり微笑むと、不安そうなエージェントは一瞬で自信を取り戻した。
何も説明していないのにこれである。大した忠犬っぷりというか、なんというか。私のくせに顔が良いのって、本当にずるいと思う。
狭い船内で大きな鎧がガチャガチャとぶつかり合う。ジョン・ドゥはめちゃめちゃ邪魔そうにしていたが、の子は鼻歌まじりでかわしていた。元は私、運動神経は抜けていないらしい。
「さあ、いくよ!」
の子が声をかけると、カッターはするりと進水した。
カッターはざぶざぶと水を切って走る。鼻歌交じりで操舵しているのはジョン・ドゥだ。の子は海風を浴びて気持ちよさそうにしているが、舵を取ろうとはしなかった。
の子、舵は取らないの?
「こういうのはね、男のロマン、ってやつなんだよ」
ああ、うん、そうなんだ。へえ。私にはわからん。
の子が言うのも間違いではないのか、ジョン・ドゥはキメ顔をしていた。男のロマンに存分に浸っていた。まあ、うん、それで幸せになるならラストワンさんは良いんじゃないかなって思うよ。
「の子、行き先はどっちだ?」
「んーと、こっち?」
「オーライ」
の子が指差す方向にジョン・ドゥは船を走らせる。私は方向の指示は出していない。これは完全にの子の勘だ。
つまりそれは、必中を意味する。私は今更の子の運を疑うような真似はしなかった。
走ることしばらく。軽装のカッターで渡るにはやや苦しいくらいの遠洋まで出た時、ようやく私たちは目当てのものに出くわした。
「……おい、の子。本当にこのまま突っ込んでいいのか?」
「だいじょーぶだいじょーぶ」
「下手したら死ぬぞ!? 本当に良いのか!?」
珍しくジョン・ドゥが焦っている。そりゃあそうだろう。
目の前に広がっているのは海上の大嵐。私たちは、その渦中に突っ込もうって言うのだから。
「おい! の子!」
ほとんど悲鳴のような叫びを上げるジョン・ドゥに、の子はにっこり微笑んだ。
「嫌なら降りる?」
「…………っ!」
こっわ。
ぞくっとした。の子さんやべーわ。そりゃ仲間じゃなくて集団だとは言ったけどさ、いやまあ、ほんと、前から思ってたけどこの子には王の才能がある。
さすがは私だ。私には出来ないことをやってくれる。シビーわ。
ジョン・ドゥは黙って舵を取り、やがて船は嵐の渦中に飛び込む。吹き付ける横風に小さな船はがたがたと揺れ、エージェントたちの顔は真っ青になった。
の子だけが、この嵐の中で楽しそうに笑っていた。
「帆畳んでねー。落ちたら絶対に戻ってこれないから、気をつけて。言っとくけど死んじゃダメだからね。絶対に、何があっても、死んじゃダメ。わかった?」
生存本能がぶっ壊れているの子は、場違いなほど明るかった。
のんびりと飛ばされる指示に、エージェントたちは死に物狂いで付き従う。彼らが生き残るためには、の子に従う他ないとでも言わんばかりに。
「ひいっ……」
「嫌だ……死にたくない……嫌だ……!」
「なんでこんなことに……来なきゃよかった……!」
いやまあ、これ、攻略組用のレベリングルートだし。一般人が手を出したらこうなるよね。
の子、そこのエージェント。四秒後に落ちるよ。
「あ、あ、ああっ――!」
「っとと、だいじょーぶ?」
波に揺られて落ちそうになったエージェントを、すんでのところでの子がひっつかむ。ぐいっと引っ張り上げると、そのエージェントはへたり込んでしまった。
ふむ。ダメだな。こいつはもう使い物にならない。
の子、帰しちゃっていいよ。
「そっかー。ごめんね?」
インベントリから取り出した帰還用スクロールを、エージェントにぺたんと貼り付ける。彼は光に包まれて帰っていった。
仲間じゃなくて、集団。使い物にならないなら帰ってもらう。私たちが生き残るためには、情に流されないドライな判断が必要だ。
「それじゃあ」
くるりと振り向いて、の子はにっこりと笑う。
躊躇なく仲間を見限ったの子に向けられる視線は、今まで以上に恐れが混じっていた。
「みんな、がんばろうね!」
向かう先は嵐の中心。
さらなる地獄が、私たちを待っていた。