外伝 4話
金とは力である。
力とは現象だ。それが加わることで状態を変化させ、適切に使うことで柔軟に局面を操ることができる。
そこに来て金という力は極めてわかりやすい。ただ振りかざすだけで、人をたやすく操ることができる。使い方を過てばその力は自身を蝕みかねないが、だからと言って大事にタンスにしまいこんでしまっては本末転倒だ。
大事なのは恐れないことと、過信をしないこと。
の子は確かに恐れなかった。私も一切過信はしなかった。
ひとつだけ誤算があったとするなら、お金というものが持つ力を低く見すぎていたことだろう。
「の子様ー! おらさの畑で『救命草』が採れましただー!」
「うちんとこでは『幻惑虹キノコ』がぎょーさんできたけえのー!」
「『癒やしイワシ』も順調に釣れてますだあよ! お納めくだされの子様ー!」
即席の玉座に腰掛け、「みんなありがとー!」と上機嫌に手を振るの子とは対照的に、私はある種の達観に達していた。
言ってしまえば、私たちは暇してた彼らを金で雇っただけのはずだったのに。なのにどうして、の子帝国と言わんばかりの絶対王政が築かれたのか。
それを説明するには、少しばかり時を戻す必要がある。
*****
手に入れた原油を精油するプラントも、なぜだか知らないが農協に置いてあった。マジでなんでもあるなここ。
さすがにそれは貸し出していないと言うので、後払いでプラントを一式買い上げる。農場(今は油田と言うべきか)に設置して一昼夜問わず精油を続け、分離された『ガソリン』や『灯油』、『重油』に『軽油』に『LPガス』をごそっと店売り。
このファンタジーな世界で何に使うかは知らないけど良い値で売れた。実は街中を照らす街灯なんかも、魔力燃料とかいう都合のいいものではないのかもしれない。
瞬く間に石油王となったの子はプラント代金の返済も終え、その有り余る財力を使って次の行動を起こした。
プレイヤーの買収だ。
「うん、これでよし」
大神殿前の掲示板に、バシッと張り紙を叩きつける。そこに記されているのは求人情報だった。
農地や種を含めた資材一式を貸し出す代わり、生産物の全てをの子に売れ、と。要は農奴になれという趣旨の契約内容だ。
この広告を打った時期が良かった。今はまだゲームが始まって一週間も経っていない段階で、(攻略組とかいう究極兵器を除いた)全てのプレイヤーは手探りで状況把握に専念している段階だ。
そんな中、初めてゲーム内で起こった明確な変化「農奴契約」。その知らせはラインフォートレス中を瞬く間に駆け巡った。
「わ、ちょっと、待って、順番ー! 順番にお願いしますー!」
油田前に即席で建てられた露店の前に、長蛇の列が出来ている。彼らは張り紙を見て契約を交わしに来たプレイヤーだ。
の子はそんな彼ら一人一人と応対し、次々と契約を交わしていく。の子から初期資金を受け取ったプレイヤーはその足で農協に向かい、周辺のがら空きだった農地は続々と開発が始まっていた。
財力に物を言わせて浮いた労働力をかき集め、強引に乱開発を推し進める。ただし、この計画には様々な穴があった。
――の子、そのプレイヤー、列に並ぶの二度目だ。追い返しちゃって。
「また来てくださったんですね! 農業はその後順調ですか?」
「――っ」
の子がにっこり笑って(おそらくは素で)訊ねると、契約金の二度取りを企んでいただろうプレイヤーは何らかの言い訳を残して、去っていった。
さっきからこんな有様だ。明らかに人の良さそうな(実際アホかってくらい人の良い)の子からあの手この手でだまし取ろうと、詐欺師どもがわらわらと寄ってくる。
それは例えば、
「あの、農地に大きな岩が転がっていて、除去しないと農業ができないんです。そのために費用が40,000ゴールドほどかかって……」
「雑貨屋でツルハシを購入すれば、1,200ゴールドで方がつきますよ。頑張ってください!」
だとか、
「お前が飼ってるプレイヤーに怪我ァさせられたんだよ俺ァ! おいどうしてくれんだよもう少しで死んじまうところだったじゃねえか! 当然慰謝料払ってくれんだよなァ!」
「プレイヤー同士の戦闘でHPは減らないはずですが、それはおかしいですね。まずは傷を手当したいので、服を脱いでもらっていいですか?」
だとか、
「お願いします! 私の母が急病で、いますぐ最高級のポーションを届けないといけないんです! 少しでいいのです、お金を貸してください!」
「まあ、大変ですね! 10,000ゴールドもあれば足りますか? すぐにこれで――」
おい騙されるな。
とまあ、手を変え品を変え色々な手管を弄してくる詐欺師どもを、私が入れ知恵することで追い払ってる次第だった。
ただ、人情に付け込まれるとの子は弱い。「情で落とせばちょろいぞ」という共通認識が広まったのか、この辺一体にお涙頂戴ストーリーが流行った。
「みんな大変なんだね……。58人の病に伏した母親と、68人の生き別れになった恋人と、135人の飢えた子どもたちが助かるといいんだけど……」
本気で言ってんのかこいつ。の子さんあなたが一番大変な頭してるよ。
ま、多少詐欺師どもに小銭をせびられようとの子の財力はびくともしない。油田というゲームバランスを完全に無視した財源を握っているんだ。多少のお遊びは、それでの子が満足するなら見逃そう。
たまに「ゲームの脱出方法」なる大言壮語をチラつかせて油田の権利を分捕ろうとしてくるガチな人もいるけど、そういう手合には私も真面目に入れ知恵している。
現段階で私以上にこのゲームに対して理解度のあるプレイヤーなんて居ない。おととい来やがれってんだ。
そんなこんなで乱開発の嵐も過ぎ去り、街中でくすぶっていたプレイヤーも農地を手に入れた。
そして程なくして、プレイヤー内から『謎の種』の仕様を利用した地質システムの抜け道が発見される。編み出された魔界農法は瞬く間に広まり、農業地区を色とりどりなジャングルが埋め尽くすことになった。
ここにこぎつけるまで、ゲームスタートからまだ5日。一周目の時に比べると凄まじいまでの発展度合いだ。
人足も絶えてきた露店からその発展を見送り、の子が満足そうに石油を精製していると、一人のプレイヤーが現れる。
「邪魔するぜ」
「どちら様?」
「名前か? mvTkQxJwだ」
発音不明。いまコイツどうやって喋った。
「……ええと、その、それが名前?」
「ああ、そうだ。mvTkQxJw。良い名前だろ?」
「読み方を教えてください」
「mvTkQxJw」
そう言って、男はにやりと笑った。面倒くさそうな性格をしっかりと名で表している適切な名前だった。
「名前なんて意味は無いんだ、好きに呼べ」と男が言うと、「じゃあジョン・ドゥで」との子が返す。
ジョン・ドゥ。こいつ、本当に素で言ってんのかとたまに疑問に思うが、ともかく男はその名前が気に入ったらしい。
「見てらんねーんだよ。の子、と言ったか。お前、自分が何をやったか分かってんのか?」
「何がって、何が?」
「とぼけんなよ。これだけ大損かましておいて、分かんないじゃ済まされねえぞ」
ヒュウ、と内心小さく口笛を吹く。
「お前がにこにこ笑顔で交わしまくっていたこの契約。こんなもの、何の意味も無いんだ。契約を交わしたプレイヤーは生産物の全てをお前に売るよう書いてあるが、その契約を守らせるための強制力がどこにある? どこにも無いだろ?」
その通りだった。
実際、農地を手に入れたプレイヤーがの子にまで物を売りにくることは少ない。大半のプレイヤーは契約のことなんて放ったらかしにして、思うがままに農地を私有している。
その現状をの子はことごとく放置した。これではただ、無償で農地を与えただけに過ぎない。
「あの手この手で騙されてた時からバカだとは思ってたが、こんだけ派手に騙し取られてもへらへら笑ってんじゃ救いようがねえ。聞け、お人好し。お前は契約を交わしていたんじゃない、ただボランティアで金をばら撒いただけだ」
それを聞いて、私は静かに笑いを隠す。の子は隠さなかった。
にっこりと満面の笑みを作り、頷く。
「それでいいんだよ」
そう、それでいい。
プレイヤーどもにばら撒いた資金はただの撒き餌だ。生まれたばかりの稚魚でしかないプレイヤーに、何ひとつだって価値は無い。
まずは良質な餌を喰って、少しでも働けるようになってもらうのが最優先。プレイヤーがある程度仕上がらないと、次の段階には進めない。
ボランティア? 違うさ。これは投資って言うんだよ。
「最初はみんな、この世界に囚われて右も左も分からなかった。自暴自棄になっちゃった人だっていたんだよ。でもほら、今は少しでも未来が良くなるよう、一生懸命頑張っているから。そのためなら多少のお金なんてどうでもいいと思わない?」
の子さんのお花畑理論、私は好きだよ。皮肉じゃなくて純粋に好き。きっとこの子はこれでいい。
「お前……。何が目的なんだよ……」
何って。プレイヤーの生産基盤の成熟だよ。
別に稼ぎたいだとか、優位に立ちたいだとか、そんなのはどうでもいい。
個としての価値観に意味はない。私が求めているのは、群としての最善だ。
「みんなで幸せになれたら、それが一番いいなって」
の子は迷わずそういった。ジョン・ドゥは測りかねているだろう。彼女がどこまで計算しているかを。
でも、残念ながらこの子は素だ。いかに私が打算しながら入れ知恵しようと、実際に動くの子はどこまでも素だ。
全ての悪意を跳ね除ける、残念なほどに天然な善意。それすらも計算に入れて一手を詰める悪意。
控えめに言おう。私たちは、最強だ。