外伝 2話
スタートダッシュはゲーマーの嗜み。ということで、の子には大神殿前に散らばった若造先輩こと『世界樹の若枝』を拾い集めてもらった。
「みてみて、ラストワン! この枝すっごくしなるよ!」
振り回さないの。あんたは小学生男子か。
広がる世界を初めて見るの子の瞳には、全てが輝いて見えるんだろう。世界樹の若木が伸ばす新緑の気勢や、城塞都市ラインフォートレスをぐるっと囲む堅牢な防壁、狭い壁内にごちゃごちゃと建てられた雑多な町並みを見て、あっちへふらふら、こっちへふらふらとの子はあらゆるものに興味を示していた。
の子、観光もいいけど時間が貴重なんだ。まずは海に行こう。
「海? 海って、あの海だよね! 海があるの!? 行きたい!」
記憶はなくとも一般知識は持っているらしい。私の中から生まれたんだし、そりゃそうか。
のわりにこのゲームのことは知らないんだから、都合のいいオツムをしている。まあ、このゲームの悪意について知ったらこんな能天気な性格はしてないだろう。
の子、まずは釣具屋に寄って。糸とルアーを買ってきて。そしたらクラフトについて教えるから。
「えっと……。お金って、どうやって支払えばいいの?」
お金の取り出し方は――。
一通りの基本動作をの子に教え込む。もとは私だけあってゲーム適正はかなり高いようで、の子はするすると飲み込んでいった。
釣りに必要な最低限のキットを整え、クラフト。初めて出来上がった作品『世界樹の釣り竿』を手にして、の子はどこまでも純真に目を輝かせた。
くっそ……。私のくせにかわいい顔するじゃねーか……!
「これで釣りをするんだよね! よーし、見てて見てて!」
の子は目の前に広がる大海原に、意気揚々とルアーの第一投を放り込んだ。
ああ、そこじゃなくって、あっちの流木が浮いてる根掛かりしやすい場所のほうが熟練度を稼ぎやすくて――。
なんてことを言おうとした矢先、海が揺れた。
海域に嵐が吹き荒れる。突如として立ち込めた雷雲が稲光を海面に突き刺し、吹きすさぶ突風がの子の横髪を揺らす。
海の底から途方もなく深い音色が響き渡る。それは荘厳にして豪奢なオーケストラのようでいて、時折交じる引き裂くような絶叫が全てを台無しにする悪意を放っていた。
顕現するのは異界への扉。この海のどこかに通じていると伝承に謳われた、ニライカナイの門。
門が開き、異形が姿を表した。滑るようにこの世界に侵入してきたそれは、ラインフォートレスのどこからでも見られるほどに巨大な体躯を持つ、七の首と一五の頭を持つ九頭の八岐の大蛇であった。
「すっごーい! なんかでっかいの釣れたよ! ねえねえラストワン! これなんて魚?」
色々ツッコミが追いついてないけどとりあえず逃げろの子。いいから逃げろ。この街はもう終わりだ。
なんだよこの蛇。一周目の時でもこんな化物見たこと無いぞ。っていうか結局頭は何個あるんだよ。くそっ、数えるたびに頭の数が変わりやがる……ッ!
十三の首と二の頭を持つ七頭の八岐の大蛇を相手に、の子は無邪気に手を伸ばしていた。
「怖くないよー、ほらほらー、おいでおいでー」
怖えよの子さん。大蛇も怖いけどの子さんも十分怖いよ。危機管理能力完全にぶっ壊れてんじゃねえか、ナチュラルボーンサイコパスだよこの子。
でかいやつからはとりあえず逃げとこうよ、生存本能をもっと大事にしてほしい。いや、私も生存本能って意味ではぶっ壊れてるんだけど、それはそれとして。
ああもうよもやこれまでか、と私が達観に暮れているのを置いて、の子は大蛇と無邪気に触れ合っていた。
よほど気に入られたのか、大蛇の頭上にひょいっと載せられて、海をざばざばと探検したりしていた。
「わああああ! 海って広いんだねー! 大蛇さんありがとー!」
なんだこれ。なんだよこれ。私の知ってるMyrlaじゃない。
ひとしきり心温まる(私は心が冷えた)交流を楽しんだ後、の子をラインフォートレスに降ろしてから大蛇はざばざばと海に帰っていった。
思わせぶりに顕現していたニライカナイの門も、大蛇を飲み込んでからそそくさと消えていく。なんなんだよもう。結局何しに来たんだよお前ら。
「ばいばーい! また遊ぼうねー!」
海に向かっての子が無邪気に手を振る。これは良い話でいいのか。もうわけがわかんねえ。
そんな時だ。どこからか、一匹の昆虫がふわふわと飛んできた。
褐色の外翅を広げ、二本の黒く輝く角を誇らしげにそびえ立たせる昆虫だ。それを見た時、不思議な直感が私の身を貫いた。
これはただ一匹の虫にすぎない。それも初対面のはずだ。私はこの虫を知っているはずが無い。
だと言うのに――。どうして私は、こんなにもこの子を待っていたのだろう。
「あれ? 虫さん?」
の子。何も聞かないでほしい。どうか、私の言うとおりにしてくれ。
理由は私もわからない。でも、なぜだろう、彼は、私の、生涯無二の友に他ならない気がするんだ――!
「それはいいけど……。ラストワン、この虫、なんていうの?」
よくぞ聞いてくれた。おいで。友よ、一緒に行こう。
数多の世界線を飛び越えて、よくわからないこの世界においてなお私のそばに寄り添うこの虫の名は、そう――!
ヘラクレスオオカブトムシです!
*****
それから、の子はゆっくりとルアー釣りを楽しんだ。ヘラクレスを釣り餌にした方が大物釣れるよ、という私の意見は「可哀想だから」という理由で却下された。
の子は純粋に釣りというものを楽しんでいるようだ。釣り上げた魚に貴重なポーションを与えて傷を癒やし、礼を言って海に逃がす。見上げた姿勢だと思うけど、本当に私の中から生まれたのか疑問に思うほどの良い子っぷりであった。
そんなことしてたらお金がたまらないじゃん、と言おうと思ったけれど、なぜか知らないけどの子の竿には『幽霊鮫の魚鱗』などの希少な素材が良くかかる。これを売るだけで目標金額は十分に稼げるだろう。
なんなんだこの子。私はの子という存在を測り違えたのかもしれない。この子、私が考えてるよりずっとやばい。
「……あれ?」
の子の竿に反応がある。ズシッとした重み、しかし抵抗はなくまるで無機物でも引き上げているかのようだった。
海底でも釣ったのかと思えば、きゅりきゅりと竿は上がっていく。やがて海面に姿を表したのは、錆びついた宝箱だ。
……ああ、これか。
「ラストワン、これなに?」
良かったねの子。それは自然を愛する釣り名人に、海神カームコールが授ける宝箱だよ。
メタ的なこと言うなら、一定以上の熟練度を持ち、大物を釣り上げ、それを自然に返したプレイヤーに与えられるユニークアイテムだ。の子はすべての条件を正攻法で満たしている。
錆びた口金に苦戦しながらも、の子は宝箱をカコッと開く。中から現れたのは、優美な蒼に輝く『蒼海龍の釣り竿』だ。
「見て、見て! お宝だよ! やったよラストワン!」
それなー。今の子が持ってる『世界樹の釣り竿』に毛が生えたくらいの性能しかないんだよなー。喜んでるところ悪いけど、期待するほどのもんじゃないんだよなー。
なんてことをわざわざ口に出すのも無粋ってやつだろう。私は苦笑いを噛み殺し、ただおめでとうとだけの子に伝えた。