DLC1章 3話
「それで、どういったご用件でしたか?」
「『かまぼこパン』。あれ一発アウトでしょ」
リースは世界の真実を知る一人だから説明を省いたんだけど、きょとんとした顔をされてしまった。これは多分、『かまぼこパン』の存在を知らなかったのかな。
概要を説明すると、ようやく得心がいったのか目の端が釣り上がる。そしてギルドメンバーを指差して一言。
「発禁」
えー、と湧き上がる反論も、一切を封じ込める鶴の一声。協力感謝します。
「今ある『かまぼこパン』を全て持ってきてください。露店販売分も差し止めて、既に販売した分は可能な限り回収するように」
「ええ……? こう言っちゃなんだが、たかがテイミングアイテムだろぉ? ちょっとくらい、なぁ?」
「PvEに娯楽性をもたらすアイテムがダメなんです。以前にも通達しましたよね?」
この世界のPvEは極めてデリケートな問題にある。真実を知らないプレイヤーは当然のようにフィールドに繰り出しては戦闘を求めるが、あまりやり過ぎると最終的には神々がブチ切れて人間との全面戦争に突入することになる。
それを避けるべく私やリースなど、真実を知るプレイヤーが協同してPvEを避けるよう働きかけているのが現状だった。
「とにかくダメなものはダメです。ほら、さっさと動いてください。ギルマス命令」
有無を言わさぬギルドマスター権限が振りかざされると、ギルドメンバーは行動をはじめた。跳ねっ返りの多い奴らだけどなんだかんだでリースの言うことはちゃんと聞く。慕われているのだ。
中央のテーブルに次々と積み上がるのは渦中のアイテム『かまぼこパン』。従魔システムの抜け穴を突いて街中に騒動を巻き起こす、不出来なシステムが生み出したバグアイテムだ。
そのうちのひとつをむんずとつかみ取り、しげしげと眺める。なるほどこれは、私が倒さねばならない敵の形のひとつなのかもしれない。
「これが世界の悪意か……」
「運営さん、それはパンですよ?」
「ごめん今の無し」
やばいやばい、声に出てた。朝日ちゃんとのごっこ遊びがクセになっていたらしい。だから止めようって言ったのに。
照れ隠しに掴んでいたパンを頬張る。素朴ながらも安心する味だ。こくんと飲み込むと頭がほわっとして、目の前のリースが妙に魅力的に見えた。
「運営さん……、運営さん?」
「リース……。これ、やばいよ……」
自覚できているだけマシなんだろう。思考能力が制限されているのを感じる。ゲームチックに表現するなら、魅了の状態異常にかけられたみたいに。
これは生身の弊害だった。システム的に保護されていない今の私は、実のところモンスターと大きく変わらない。刺されれば傷を負うし、毒を盛られればたやすくゲロる。そしてパンを食べればテイムされる。
「喉乾いた……。お水を求めます」
「何やってるんですか……、まったく」
口では呆れたようにぼやきつつも、その実焦った顔でリースはインベントリから『アムリタ』を取り出す。受け取って一気飲みすると状態異常が解除された。ふぅ、危ない危ない。
「気をつけてくださいよ、もう。……運営さんがパン一個でテイムできるって、どういうゲームですか。知られたら絶対悪用されますよ」
「ごめんごめん、油断した。後で状態異常耐性装備、お願いしていいかな」
「運営さんはまずレベルを上げたほうがいいと思います」
「それはちょっと……」
経験値とは実のところ死の概念そのものだし、レベルアップってのは死を喰らって自己に変容を起こす行為を指す。原理的には生身でも死を喰らうことで自己に変容を起こすことはできるが、さすがにやるつもりは無かった。ウルマティアのやつが良い顔しないだろう。
そんなわけで神の力を得てもなお、私は最弱の生き物に近い立場を保持していた。一応運命や時空の概念を吸収することでちょっとずつ成長はしてるんだけど、その力を発揮するには花飾を外さないといけない。
「それ、人が食べても害は無いはずなんですけど……。粗悪品でも混じってましたか?」
心配そうにひょっこりと顔を出したのは山田さんだ。なんでもないように手を振ると、不思議そうな顔をしていた。
「それにしても、『かまぼこパン』はお気に召しませんでしたか……。これくらいなら許されると思ったんですけどね」
「真犯人は山田さんか」
「内緒ですよ?」
愉快なジョークだ。内緒にしておいてあげよう。山田さんと一緒に口の前に指を立てて、しーっと内緒の約束を交わす。
山田さんは職連サブマスターの一人で、主に経理を担当している人だ。ギルドの維持管理に多忙がちなリースの代わりに職連店舗の運営を取り仕切り、あの手この手で収益を目論む実質的な職連のブレイン。
「『かまぼこパン』、結構いいビジネスだったんですよ。最近は皆さん楽しいことを求めているので、パーティグッズの需要は目を見張るものがあります」
「だからってこういうモノは困るよ。作るんだったらもう少し平和的なオモチャにしてください」
「刺激的ほど面白い。そうでしょう?」
山田さんはぱちんとウィンクを飛ばす。あんまり反省してなさそう。
「心配しなくてももう作りませんよ。運営さんとは仲良くやりたいと考えていますので」
「それ、私に怒られないギリギリの範囲を攻めますって意味じゃないよね」
「あはは、手厳しいですね」
要警戒人物に認定しよう。この人こんなタイプじゃなかったと思うんだけど。変わったのは私の方なのかなぁ。
にこにこと笑いながらも油断ならないことを言っていた山田さんは、少しだけ表情を抑えて遠くを見る。
「皆さん、娯楽に飢えているんですよ」
「それは……、まぁ」
「だって、ほら、このゲーム。せっかく何でもできる自由度を持っているのに、肝心のやることがもう無いじゃないですか」
痛いとこ突くなぁ。
デスゲームは既に解放され、倒すべき敵はもういない。おまけにPvEは非推奨と来たもんだ。今になってもこのゲームを遊んでいるプレイヤーは、自分たちで娯楽を見つけられるプレイヤーに限られていた。
今はまだ、職連が経済成長を目論んで大規模な行動を起こしたり、市井でPvPに興じるプレイヤーが盛り立ててくれている。でもそれもいつまでもは続かない。事実として緩やかではあるが、確実にプレイヤーの総人数は減ってきている。
停滞したこの世界に変革をもたらすこと。それは私がなんとしてもやらねばならない課題だ。
「あなたを批判しているわけではありませんよ、運営さん。そこはどうか勘違いなさらないでください。僕はむしろ、あなたに協力したいと考えている」
「……そう言ってくれると助かるよ」
「ですので、これは友誼の証です。今後ともなにとぞ」
スイッチを切り替えたように笑みを貼り付け、山田さんは大きな瓶を持ち出す。
「これは?」
「贈賄」
「少しは隠そう」
受け取ったものはどこからどう見てもビール瓶。お酒。アルコール品。全年齢対象のこのゲームだと、当然のように禁制品である。
「よくもまあ堂々と……」
「次の商材なんですけど、展開前にお伺いしておこうかと思いまして。ダメですか?」
「ダメも何も、良い要素が何ひとつ無いよ」
「まあまあ、そう言わず一杯どうぞ」
手慣れた動きで山田さんは栓を明け、持ち出したコップにビールを注ぐ。飲めと。私に。
(私の年齢、覚えてないけど……。でも多分未成年だとは思うんだよなぁ)
諸事情により私は過去の記憶と決別している。正確な実年齢なんてもう二度と思い出せないけど、成人はしていなかったように思う。
「ま、いっか」
どうせ法律なんてないし。未成年飲酒、ダメ絶対。運営さんとのお約束だよ。
ちびっと舐めたビールは苦いばかりで、私は顔を精一杯しかめた。
「どうですか?」
「……リース、あげる」
「飲めないなら受け取らないでくださいよ。山田さんも、飲ませないでください」
きっと好きな人は好きなんだろう。私にはお酒の良さはわからない。すぐに『アムリタ』を飲みなおし、体に回る微弱なアルコールを打ち消した。
「で、どうですかね」
「どう、とは」
「運営さん的にですよ」
にこにこと笑う山田さんの真意は分かっていた。これをばら撒けば、きっと何かが起こるだろう。それは私に起こせなかったこの世界の変革となるかもしれない。
しかし……。まさしくこれは劇薬だ。お酒を販売することで世界に起こる影響は、私には測りかねる。
「山田さん。どうなると思う?」
「さあ? 僕はわかりませんよ」
「…………」
「本当ですって」
思いの外無責任。貼り付けたような笑顔は相変わらず油断できないし、嫌な予感もひしひしと感じるけど、どこか期待を感じさせられるのも確かだ。
あんまり使ってないけど、私の直感はよく当たる。迷った時はこれに従うことにしているんだ。
「……限定的に許可します。製造販売は山田さんのみが行ってください。とりあえず数日間は様子見て、ダメってなったらすぐに差し止めるからね」
許可を出すと山田さんはにっこりと笑う。ずっとにこにこ笑っていた山田さんだけど、この時の笑みはなんというか、とても邪悪だった。