エピローグ 5話
アトリエのテラスで釣り糸を垂らす。ここでこうして釣りをするのも久々だ。
かつてはここも賑わっていた。店を開いていればいつも誰かが釣っていて、その釣った魚を私に押し付けては何かを食わせろと騒いだり。
試しに七輪で焼いてみたらとんでもない煙が出て、アトリエの中が煙たくなるもんだからあわてて外に出したり。
ネッシーが初めて釣れた日はもう飲めや歌えの大騒ぎだった。
今は誰もいない。
「…………」
一人釣りをする。これはきっと、必要なことだから。
「邪魔するぞ。やれ、やけに寂しいことをしておるの。どうしたんじゃお嬢ちゃん」
しばらく会っていなかったじいさんが、私の隣に腰掛けた。当然のように釣り糸を垂らし、二人で夜釣りをはじめる。
そういえば二周目の最初の夜も、こうしてじいさんと釣っていたっけなと思い出す。今となっては懐かしい記憶だ。
「色々思うところがあってさ。ここに来るのも迷ったんだけど、どうしても言っておきたいことがあって」
「なんじゃ、若者の悩みを聞くのも年長者の務めよ。わしで良ければ聞くぞ?」
「まずは文句からかな。巡り逢えたらまた会おうなんて言っといて、速攻会いに来てんじゃん」
「……ほ?」
まったくもう。
まんまと踊らされた。
とんでもない遠回りだったよ。
「答えを出しに来たよ。運命と時空の神ミルラ」
そう言った時、世界が砕け散る。
弾けた世界は白に染まり、凄まじい勢いで再構成されて、私は白い塔の上に立っていた。
見上げれば銀天の空。眼下には無限に広がる白い雲海。星と雲に挟まれた白い塔の頂上に、私は立っていた。
そう、この場所は。
『なぜ気づいた』
白くぼやけたモヤ、これこそがミルラだ。運命と時空の神であり、この世界そのものでもある。
「言葉だよ。神々を始めとしたNPCに、例外を除いてゲーム用語は通じなかった。でもね、あのクエストNPCだけが私の言葉を全て理解していたんだ」
私はNPCとの接触をいい加減にし過ぎていたんだろう。初めて違和感に気がついたのは、神々との対話を初めてからだ。
最初から知っていれば事は簡単だったというのに。おかげで長い道のりだったよ。
「神々でもなくプレイヤーでもない。システムを知り超常の力を持つ者。あんたがこの事件を引き起こした、すべての黒幕だ」
さあミルラ、幕を引こうか。
『少々粗はあるが、まあよかろう。お前が知れる中では望むべくもない答えと言える。して、瞳の少女よ。お前の望みはわかっている』
ミルラが浮かべるのは白いモヤに覆われた文字列だ。それを読むことはできない。が、それが何かは分かった。
『これはお前の名だ。お前たちが現実と呼ぶ世界で、お前に刻まれた魂の名だ。これを手に入れればお前は現実の記憶を取り戻すことができる』
名は体。名は魂。名は記憶。
一周目にて死んだ私がミルラに渡した私の名前。それはただの記号なんかじゃない。
あの時私は時を戻すために、それまで築いていた全てを奪われた。残ったものは一周目の記憶だけだ。
『望むならくれてやる。が、タダではない』
代償ある奇跡。供物を求める神。
これはきっと、私が最初に死んだあの時の焼き直しだった。
『名の対価は名だ。この世界に刻んだお前の名を、この世界に築いたお前の全てをよこせ。それが対価だ』
この世界と現実と。
選べるのはどちらかひとつだけ。
その狭間にいる私は、答えを出しに来た。
「……ま、答えなんて決まってるよね」
『聞こう』
「断るよ」
『……ほう。これが現実を取り戻す最後の機会だとしてもか』
「最初に言ったでしょ、無かったことにできないことがあるって。それが答えだ」
『ふむ、いいだろう。これもまた予定調和のひとつだ』
忘れちゃいけないことがある。たとえ時が巻き戻っても、何を代償にしたとしても。
今を逃せば私の現実はもう二度と帰ってこない。でも、それでもいい。
きっと私は今、とても大きなものを失った。その事実もきちんと受け止めて、私は前に進みたい。
私が選ばなかった世界があったこと。それを私は忘れない。
全部受けとめて、ここにあるもう一つの現実で私は生きていく。
『ならば、そうだな。知りたいか。我の正体を。事件の真相を。この世界の真実を。お前たちが現実と呼んでいるものと、この世界の繋がりを。全ての内幕を知りたいと望むか』
それはジミコが求めたもの。
それは朝日ちゃんが探したもの。
そしてそれは、私が見つけた真実の欠片。
でも。
「ううん、必要ない」
『ふむ……。理由を聞こう』
「私が見てきたもの。それが世界だ」
私がこう答えたってこと、二人が知ったら怒るかもしれないけど。
でも、いいんだ。私にとってはこれでいい。
二周目をやって良くわかったよ。最初から何もかも知ってたら、世界を素直に楽しめない。
『良い答えだ。だが、我の正体に興味は無いのか?』
「代金が高いんでしょ?」
『くくく、まあな』
そう言ってミルラは笑う。私も笑った。全て予定調和だった。
決まりきっていた問いに、ようやく決まった答えを返す。攻略なんて必要なかった。ただ世界を受け入れるだけでよかったんだ。私たちは本当に遠回りをした。
でも今となっては、その道程すらも愛おしい。
「一個取引したいことがあるんだ」
『聞こう』
ちょっと待ってて、とことわって、頭につけたアセビの花飾りを外した。
それを外した瞬間世界が色あせていく。風の肌触り、雲の香り、世界中に轟々と響く音。肌で感じられる生々しさが一枚膜を隔てたように薄れ、電子で構成された体は温もりを失った。
視界いっぱいに戻ってきたユーザーインターフェース。そして画面のすみっこに表示される、小さな名前。
そうだ、思い出した。名前はラストワン。このキャラクターに私がつけた名前は敗残兵だ。
でももう終わりにしよう。
「これさ、もう要らないんだ。システムの力は必要ない。私は私としてこの世界で生きていく」
絶望に落ちた一周目の私は死んだ。
絶望に染まったラストワンは死んだ。
三周目の名前のない私は、体だけを残して死んだ。
四周目の私が私として生きていく。
「でも、名前がないのは困る。とても困る。めちゃくちゃ不自由してる」
あなたとかお前とか、神子とか。今となっては私を指す言葉は代名詞しかない。
神様に頼むことではないかもしれないけど、日常生活に不自由していた。
「だからさ。記憶をあげることはできないけど、この名前の代わりになにか名前をつけてよ」
『……なるほど。よかろう。ならばこの我が名付け親となろう』
「対価は?」
『タダでいい。前回の取引で少々貰いすぎた』
え。
前回私が代償にしたのって現実の記憶と一周目のキャラクターの名前だよね。ひょっとしてそれって、そんなに大事な物だったのか。
『記憶はあくまで願いの対価だ。本来なら一周目の記憶も奪うのだが、お前はそれを望んだ。不足分の徴収のためにお前の運命をいじったのだが、少しやりすぎてな』
「あんたの仕業か……!」
『そう言うな。穴は埋める』
道理で私の人生がフルスロットルだと思ったよちくしょう……!
こんな短期間で3回も死んだんだぞ。絶望したり世界守ったり大忙しだ。はぁ、もう。
『我には無数の名がある。あらゆる世界で呼び名を変え、形を変え、存在すら変えてそこにある。共通するのは神という符号だ。今、その名のひとつが不要となった』
そう言ってミルラは一つの文字列を浮かべた。その文字列は白いモヤに覆われていない。それを読んで、私は目を丸くした。
それって……、ちょっと待ってそれを私につけるの!? 正気か!?
『我よりこの名を贈ろう。お前の名は『ミルラ』。ミルラとしてこの世界で生きると良い』
「待って待って待って! なんつー名前付けてんの!? それはあんたの名前でしょ!?」
『不要となった』
不要となったって、そんな安いもんじゃないでしょ……。
人間にはあまりに過ぎる名前だ。こいつはどんだけ私の運命いじったんだよ。
『我は間もなくこの世界から消失する。しかし統治は必要だ。お前に任せよう』
「任せようって……。私、人間なんだけど」
『ふむ。運命と時空の人ミルラと言ったところか。神ならぬ身には大変かもしれんが、頑張れ』
「投げやりだ……」
『ああ、システム管理権限もその名に含まれている。お前なら使えるだろう』
そんなもん貰ってどうしろって言うんですか……。
どうもこうも言わず、ミルラは極めて事務的に名をつけた。その瞬間自分という存在を認識できるようになった不思議な感覚がしたけど、それ以上に。
ミルラの権能のほぼ全てを引き継いで、世界に流れる全ての運命と時空の流れを感じ取る。もうそれだけで頭がパンクしそうだった。
『持て余すか。仕方ない、餞別だ』
ミルラは私が手に持っているアセビの花飾りに軽く触れる。花飾りはほのかに光り輝き、ひとりでに私の髪に戻った。
花飾りが戻ると私の頭の中の洪水が引いていく。運命とか時空とかそういったけったいなものは、わずかにしか感じられないようになっていた。
ついでに言えば電子の体は熱を取り戻し、私は生身に戻っていた。
『枷の力を強化した。普段は付けておくと良い』
「外したくない……」
『役に立つ時も来るだろう』
運命と時空の力が役に立つ時っていつだろう。お料理には使わないと思うんだけど。
でも、管理者権限を貰えたのは嬉しかった。ちらっと確認した限りログイン権限はミルラの権能にあるようだ。
あとで解放しておこう。みんなにまた会えるように。
『では、我は行くとしよう。さらばだ瞳の少女よ。遠い未来のどこかで、膨大な可能性の果てに、巡り逢えたらまた会おう』
「色々お世話になったよ。ありがとう、またね」
そうしてミルラはこの世界から消えていく。かの神がどこへ行くのかはわからない。けど、またどこかで会える気がした。
絶大な力で世界を自在に操り、そして世界から世界へと渡っていく。数多の世界に偏在し、数多の世界を生み出しては時に消し去る者。
結局あれが何かはわからない。わからないけど、それでいい。
世界に広がる可能性は無限だ。時の流れが行き着く先で、誰かが望むならきっとまた会える。
遠い未来でまた会おう。膨大な可能性の中で私は待ってる。
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インターネットの片隅にひとつのゲームがある。
ファンタジー系のVRMMOだが不思議なことに管理者はいない。サーバーの場所もそのゲームの製作者も知られておらず、それを知る人は誰もいない。
恐る恐るそのゲームにログインした人は、口を揃えてこう言った。そこはまるでひとつの世界のようであったと。
知る人ぞ知るそのゲームに、何かを求めてプレイヤーはやってくる。プレイヤーたちは時に剣を振るい時に槌を振るい、思い思いに世界を生きる。
豊かな自然を持つその世界は、誰かが望み育んだ世界。数多の望みを受けてその世界は今日も回る。
そのゲームの名はMyrla。人と神とが共に生きる、ひとつの世界。
ご愛読ありがとうございました。
何かひとつでも胸に残るものがあれば幸いです。
それではまた、次の可能性でお会いしましょう。