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駅員は喫煙所にいる

作者: 狗山黒

 京都が紅葉でいっぱいになる時期のある昼下がり、とある駅の構内で、女子生徒が困り顔で佇んでいた。

 その駅の名は、大栗駅。その駅のそばには、一帯の地名の由来でもある、縄文杉に並ぶのではないか、というほど大きな栗の木がある。

 大栗駅とはその大きな栗の木のもとに建てられた駅である。縦には大きくないが、横に大きい駅であり、慣れないと迷う。頻繁に利用する地域の住民ですら迷う。

 大栗駅は、有名な寺社や大学の近くであり、常時学生が多い。しかし前述したように初心者には向かない駅なので、修学旅行中に学校がここを待ち合わせに指定することはまず、ない。だが、各々で行動するときに利用する生徒はいるため、中高生の迷子というのが続出する。常に迷子の呼び出し放送が絶えないので、巷の人には迷子駅という名で親しまれている。

 そういうわけで珍しくもなんともない、困っている女子生徒がいるのである。それもなぜか、彼女は喫煙室の前にいる。

 彼女が喫煙室を覗き込んだとき、喫煙室から駅員が出てきた。彼女は慌てて避けるが、彼からの煙草の匂いに、彼女は咳き込む。

 「失礼しました」

「いえ、大丈夫です」

彼女は小さな声を震わせつつ、尻すぼみに言う。

 「ときに、なぜこのような場所にいるのですか? 未成年は喫煙してはいけませんよ」

「あの、実は、」

彼女は小さな声で答えようとするが、駅員にはそれが聞こえず、駅員が口を止めることはない。

「……ああ、恥ずかしがらなくても結構ですよ。この駅で学生の迷子など、珍しいことでも恥ずかしいことでもありませんから。たとえ地図があっても、修学旅行生の方の半分はきっと迷うでしょう。私と同年代の方でも迷いますから」

と彼は彼女を慰めるように言う。

「あ、あの、」

彼女の声は小さく、彼には届かない。彼女の意思は伝わらぬまま、彼は笑顔で「待ち合わせ場所はどこですか」と聞いてくる。

 駅員は威圧的なわけではない。しかし気の小さい彼女は、彼に気圧されて「栗林東口の改札近くです」と小声で言ってしまった。

 「そうですか。それなら、ここの近くですね。よろしければ、案内しましょうか」

彼はあくまで、笑顔で丁寧に言う。彼女は、駅員の申し出を断ることができず、「お願いします」と言ってしまった。

 そして彼女は、、栗林東口へ行ってしまう。彼女は後ろ髪をひかれる思いで着いていく。ときどき振り向いては、喫煙室の方を見ていた。

 

 

 

 三年後。

 ある秋の日の夕暮れ、彼女は、またしても大栗駅にいた。困り顔でいるかと思いきや、今年は顔を手にうずめて泣いていた。

 あまり人通りのない通路のベンチに座って、しゃくりあげながら思い切り泣いている。三年前の喫煙所とは別の喫煙所の近くである。喫煙所の中の人間はちらちらと、彼女の方を見ている。

 そして、やはり三年前と同じように、駅員が煙草を匂わせながら出てくる。彼女は、泣きながら咳き込んだ。

 「どうかなさいましたか」

としゃがみこんで駅員は問う。彼女の顔を覗きながら、駅員の手はズボンのポケットを探っている。

 「迷ってしまわれましたか」

という質問に答えようと、彼女が顔を上げたとき、駅員は

「おや、どこかで見た顔ですね」

と言った。彼女は、一瞬不思議に思ったが、すぐに悟った。彼は三年前に、自分を栗林東口に案内してくれた人物だと。

 駅員は、少し首をかしげてから「ああ、そうだ」と手を打った。

「三年前にも、迷子になっていらした方ですね。その時も、喫煙所におりましたが、やはりあなたが吸っておられるのですか?」

「いえ、あの、私は吸ってないです」

彼女は尻すぼみに答える。

 「とりあえず、涙をお拭きください。ひどい顔になっておりますよ」

と駅員は優しく言いつつ、ハンカチを手渡した。

「ありがとうございます」と蚊の鳴くような声で、彼女はハンカチを受け取り、顔を拭う。

 「そのハンカチは返してくださらなくても結構ですからね」

「さて、今年も迷子ですか。同じ方を二度も案内するなんて、初めてですね。それもどちらも修学旅行の時とは」

「あの、でも」

と彼女は何か言いたげだが、今年も駅員には彼女の言葉が聞こえず、話を続ける。

「今年も、栗林東口ですね? では、行きますよ」

と彼は返答を待たず先を行ってしまう。

「あ、待ってください」

彼女は、置いていかれるわけにはいくまいと、駅員のあとを追った。なんとなくいつもの癖で、ハンカチは鞄に仕舞ってしまった。涙は知らないうちにとまった。


 一年後。

 栗の木は、青々とした葉を茂らせている。

 彼女は今年も大栗駅にいた。今までと違うことは、制服ではなく、私服だということ。しかし、やはり彼女は困っている。彼女の手には、去年のハンカチが握られていた。

 彼女は、頻繁にここに来るわけではないし、駅員の名前を知らないから、呼び出してもらうわけには行かない。返さなくていいと言われても、返さずにはいられない。だから、彼女はあの駅員を探しに来た、ハンカチを返すために。

 彼女が駅員と会うのは、決まって喫煙所の近くだった。

 彼女は、駅構内の地図を携帯で表示しながら、駅すべての喫煙所を回っている。

 しかし、彼はいない。入れ違いということもあるし、そう簡単に会えるとは思っていなかったが、会えないと意外と応える。

 結局、行ってない喫煙所は残り一つになってしまった。私の回り方が悪かったのだ、これで会えなかったら諦めよう、と彼女はそこへ向かう。

 やはり、あの駅員は喫煙所にはいなくて、彼女はそばのベンチに座り込んだ。

 二度あることは三度あるというのは、でまかせなのだろうと彼女は重くため息を吐いた。彼女は、ハンカチをじっと見つめてから鞄に仕舞おうとした。

 「おや、またあなたですか」

 ふと、なんとなく知ってる声がした。

 彼女が声の方を向くと、あの駅員がいた。手に煙草とライターを持っている。

 会えてよかった、と彼女は安堵のため息を吐いた。やはり、二度あることは三度あるのだ、あるいは何度でも。

 「ため息など吐いて、どうなさいましたか。また迷子ですか」

駅員は煙草とライターをズボンのポケットに仕舞いながら言う。彼女は立ち上がって

「あ、いえ、今年は違います。あの、これを返しに来ました」

と小さな声で言い、ハンカチを差し出した。今年は話を聞いてもらえたと彼女は安心した。ハンカチは少し手汗で濡れていた。

「これは、去年お貸ししたハンカチではないですか。返さなくてもよいと言いましたのに」

そう言いつつも、彼はそのハンカチを受け取る。さっき詰め込んだポケットとは反対側のポケットに仕舞った。

 「ありがとうございました」

と彼女が言うと

「いえ、こちらこそありがとうございます」

と彼は言った。そして

「今年は迷子ではないのですね? 栗林東口へ案内しなくても大丈夫ですね?」

と聞いてきた。

「こ、今年は大丈夫です。もう三度目なので覚えました」

「三度目とはいえ、前回は去年の話ですからね。忘れることもありますが、大丈夫なのですね」

「は、はい、平気です」

「今年は一体どのようなご用事ですか? 大学見学ですか?」

「あ、はい、そうです。オープンキャンパスです」

彼女は勢いよく答える。駅員は目を細めてふっと笑い

「そうですか、ではその大学に受かるように頑張ってくださいね」

と言って喫煙所に消えて行った。

 彼女は再び安堵のため息を吐いた。すべて上手くいってほっとした。同時に彼女の心はうずく。彼の笑顔が、引っかかった。


 そして半年後。

 彼女は今年も、大栗駅にいた。

 駅は、スーツ姿や着物姿の人々でいっぱいだ。近くの大学の入学式があるのだ。

 その中、彼女は大きなスーツケースを引きずり、大きなボストンバッグを抱えて立ち往生していた。

 バスに乗らなければ自分の家には帰れない、しかしバスは混んでいるし、自分は大荷物で邪魔になる。しかし電車の駅は家の近くにない。歩いて帰れる距離でもないので、彼女は困っていたのだ。

 とりあえず、彼女は歩行者の邪魔にならないように座ることにした。幸い、近くには誰も座ってないベンチがあった。

 二度あれば何度もあるようで、彼女の座ったベンチは喫煙所の近くだった。喫煙所からときたま煙草の匂いがもれるので、ここのベンチはあまり座られないのだ。

 そして、やはり、駅員がでてくる。ドアの開く音に反応して、そちらを見れば、駅員はあの駅員だった。

 駅員を見た瞬間、彼女は緊張する。体が凍り付いて動かないような感覚がするのに、体は火照っている。不思議な感覚である。

 駅員は、こちらを見て、目を少し大きく開いた。なんとなく、彼女は会釈した。

 駅員は、こちらへ向かってきた。彼女は、また迷子だと思われているのだろうかと、少しの不安に襲われた。

 「こんにちは」

と駅員は挨拶してくる。彼女もつられて「こんにちは」と答えた。

 「今年はどのような用事ですか? 大学の入学式ですか?」

「いえ、違います」

と彼女は小さく返す。しかし今年は声が届かず、駅員は続けてしまう。

「しかし、大学の入学式へ行くにはまずい格好ですね。今から準備では、間に合いませんよ。……それとも、予備校に通うために出てきたのですか?」

彼は自分の憶測を口にし続ける。しかし、どれも事実とは違って、彼女はとうとう本当のことを言おうと思った。思い切って、彼女の重い口が開かれたとき、駅員は笑顔でこちらを見た。

「知っていましたよ」

駅員は、静かにそう言った。

 彼女は黙る。驚いて、息を飲んだ。とりあえず、何か反応しなくては、と動かない頭で考え、やっと口を開いた。

「な、何を知ってるんですか」

「あなたが、すでに大学生だということくらい知っています。私はここで幾多の学生を見てきましたから、あなたの着ていた制服がどちらも規定外だと分かりましたし、大学見学はあれから一週間後のことです。そもそも私はあなたを知っていましたから」

「え、どうして、ですか」

「一昨年のことになります。あなたは、大学一年生でしたね。入学式から二週間後くらいのことですかね、誰かが学生証を落としていったことがありまして、ね。心当たりありますでしょう? 京田季代さん」

 彼が口にしたのは、まぎれもなく彼女の名であった。彼女が自分の過去を振り返ってみると、確かに学生証を失くしたことがあった。大学に届けられてあり、事務室から先生を通して連絡があった。非常に恥ずかしかったことを覚えている。

 「もちろん、それを知ったあとも知らないふりをしていました。あなたをからかうのが、随分楽しくて」

 恥ずかしさからか、からかわれていたことに対する怒りからか、彼女は顔を真っ赤にしていた。

 「しかし気になることがありまして。あなた、あの時、二度も迷子になっていたのですか? 初めて利用するにしても、あの喫煙所から栗林東口にいけないとすると、相当な馬鹿ですよ」

「あ、あの、五年前は、高校の友達と中学の制服を着て遊ぼうってことになったんですけど、一人が未成年なのに煙草吸ってて、見張りを頼まれて断れなくて。一昨年は、彼氏に修学旅行生のふりしてデートしようって言われて、その帰りに振られて。」

「そうですか、最近は奇妙な遊びが流行ってるんですね」

 そう言うと、二人は黙り込んだ。

 沈黙が気まずくて、季代は何か言わなくてはと、必死に考える。しかし、何を言えばいいのか分からない。他人以上知り合い未満という仲の二人に共通の話題などない。

 人々は、みな入学式に行ったのだろうか、人通りはまだらだ。

 「これって、全部偶然なんですかね」

結局、季代が口にしたのはこの言葉だった。いつものように、小さな声で問いかける。

 「一昨年までは、偶然ですよ」

駅員は、さも当然というようにはっきりと言う。

 「え、じゃあ、去年は」

「気の小さそうなあなたのことですから、きっとハンカチを返しにくるだろうと思いまして、暇なときは、ずっとそこの喫煙所にいました。で、ハンカチを握ってるあなたを見かけて、からかってやろうと思い、最後まで姿を現さなかったのです。今日も、そこの喫煙所で吸っていたところにあなたが現れまして、からかおうと思っただけです」

「ひ、ひどいです。そんなにからかわないでください」

「ああ、すいません。でもどうしても、からかいたくなるのです。あなたの困っている顔が好きでしてね、どうも楽しくて楽しくて」

駅員は、笑いながら、季代の顔を見て言う。去年、彼が見せた笑顔と一緒だ。

 恥ずかしくて、季代は涙目になる。こんなことを言ってる駅員でも、格好良く見える自分の目を、恨んだ。

 彼の笑顔を見て、季代はようやく悟る。

 駅にいなくても彼の顔を思い出したり、煙草の匂いが嗅ぐたびに彼を思い出したり。彼の笑顔を考えると、胸が締め付けられるような気がするのだ。

 自分は、この名も知らぬ駅員のことが好きなのだ。

「まあ、自分でも多少ストーカーじみたことをしているような気はしていたんですが」

 付け足すように駅員は言う。

 それでも、季代はやっぱり駅員のことが好きなようだ。たとえ、ストーカーじみていて気持ち悪くても。

 「どうかなさいましたか、顔が真っ赤ですよ」

駅員は、季代の顔を覗き込む。その顔は意地悪く笑っている。

 季代には、分かる。彼は、自分がこの女子大生から好かれていると分かって、こんなことをしているのだ。

 季代は、一層顔を下に向ける。まるで泣いているようだ。実際、彼女の目は、涙でいっぱいだ。

 季代は、覚悟を決める。膝の上の手を、ぎゅっと握った。今、この機会を逃したら、彼には何も言えなくなる気がした。

 目に涙をためて、顔を真っ赤にして、彼女は顔をあげて、駅員を見つめた。少し息を吸ってからきゅっと口を引き締めて、季代は口を開く。

「駅員さんは、こんなことを言われても困るのかもしれませんが」

といつもよりは、大きなはっきりした、それでも小さい声で言う。

 「まだ、分かりませんか」

少し、沈黙があってから、駅員は、ため息を吐くようにそう吐き出した。

 季代は、突然の彼の言葉に戸惑い、口を開いたままかたまる。またしても、自分お言葉を遮られてしまい、なんだが泣きたくなった。

 「あなたの言いたいことは、大体分かります。私がそんなことを言われて困ると思うのですか」

「え、あの、その、それはどういうことですか」

と彼女が聞くと、駅員は大げさにため息を吐いて言った。

「あなたには、遠回しに言いすぎたかもしれませんね。はっきり言いましょう、私は、あなたが好きだと言ってるのですよ」

駅員は一気にそういうと、彼女と同じように顔を赤らめ、背けた。

 季代は、ようやく彼の言いたかったことを悟る。目にあふれていた涙が、こぼれた。

 「泣くほど、嫌ですか」

顔を真っ赤にさせたまま、駅員は聞いてくる。

 季代は、自分が泣いてることを意識していなかったから驚いて、袖で涙を拭いた。

 自分からちゃんと言おうと、季代はもう一度息を吸い込んだ。

「そんなことないです。私も駅員さんのことが好きです」

「ええ、知っています」

「……また、からかったんですか」

駅員の言葉に、少し腹を立てて季代は言う。しかし、もしからかわれていたにしても、季代は嬉しかった。

 「それと、私の名前は、駅員ではありません」

「それくらい、知ってます」

「そうですか。では私の名前は、一体なんですか」

駅員は、顔を赤くしたまま、またも意地悪く笑いながら言う。

 「もう、からかわないでください」

季代がそう言うと、駅員は鼻でため息をする。そして笑いながら

「仕方ありませんね」と言う。さっきの意地悪い笑顔とは違う。柔らかく、本当に嬉しそうに笑う。

 「私の名前は、栗山誠志郎ですよ」

「わ、私は京田季代です」

彼女は、勢いで名乗ってしまって、結果恥ずかしくなって顔を赤くさせた。

 「ええ、知ってますよ」


 大栗駅に植えられている桜が、咲き始めた。


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