明るい月の下で
杉崎と雅也の声援を背中で受け止めながら速水は離れにある部屋へと歩みを進めた。思ったよりも時間が経っていたようで、昨日から泊まっている客もちらほらと見える。女将と軽く会話を交わした後、満ち足りた表情で大浴場に消えていく。朝風呂も大人気らしい。
「大浴場っていっても、一人用の風呂もあるしな。仕切られてるし、デザインも考えられて作られてる。アキラのアイディアは凄いな」
旅館の大浴場には露天風呂と室内浴場がある。夏の事件が解決した後、アキラは杉崎と速水と大浴場で初めて温泉に入った。大浴場の大きさに驚いていたアキラに杉崎が露天風呂を薦めて、温泉の良さを何度も力説していたものだ。ゆっくり入ってこいとアキラを一人にした時、アキラの中であるアイディアが浮かんだ。
「この露天風呂。とても気持ちよくて体が軽くなった気がします。でも。。この大きさでは落ち着きませんよ。一人用のこじんまりとした個性的なお風呂を作ったらどうでしょうか?」
一人が好きな人には堪らないんじゃないかな。アキラの何気ない呟きはあれよあれよという間に実現してしまった。美しい田舎町の長閑な田園風景と吹き抜けるようなありのままの自然に囲まれた露天風呂。しかも一人用の洗練された小さな風呂の中で、ゆったりと湯船に浸かりながら時間が流れるのを楽しむ。この一人用の風呂で何時間も入り続ける客が格段に増えた。
「お忍びに相応しい。わしも休みができたら、この風呂に入ろう」
アキラの親代わりである老人もとても気に入ってる。徐々に口コミで広がり予約まで入るようになってしまった。女将は、ふふふと優しく笑って予約帳を開く。
「びっくりしたわ。ご家族で来られるお客様以外、ほとんどが一人用の露天風呂をオーダーされるのよ。アキラくんは凄いわね」
一人用の露天風呂を実現しようとアキラはたくさんの人達にアンケートをとったり風呂の材料である檜を見に行ったり、旅館や更正施設の人達と協力して設置を進めていた。一人用の露天風呂の種類は様々で、低めのものから視線が高く風景がよく見えるものまである。なるほど、個性的だ。
「たくさんのアイディアが詰まっていますからね。それぞれの想いも。それがお客さんに自然と届いている。何も宣伝していないのに。。不思議ですよ」
今では大浴場の掃除や温泉の水質を管理するのはアキラの仕事になっている。正宗がアキラの働きぶりを見てあっさりと抜擢した。時々、雅也も掃除を手伝っていてとても楽しそうだ。
「温泉は自然からの贈り物なんだなっていつも実感します。天候が荒れた時と晴れた時ではどこか違うんです。具体的なことはわからないですけど。。でもいつも優しい感じがしますよ」
感覚が鋭いアキラは自然に寄り添うことが必要なこの仕事に向いているようだ。お陰で少しずつだが温泉に入る客の時間が延びてきている。一人用の露天風呂が出来てからはとても顕著になった。
「長風呂は体に負担がかかる場合があって。。その事もお客さんに伝えていこうかなと思ってるんです」
その日その日で変わっていく温泉の水質。体との相性もこれからたくさん調べたいとアキラは笑った。穏やかな優しい笑顔に速水は嬉しくなって大きく頷く。何か夢中になれるものをアキラは見つけることができた。アキラの努力の賜物だ。速水はそのことも嬉しかった。
「今日は長風呂に最適な日か。この温泉予報も人気なんだよな」
大浴場に入る前にほとんどの客が足を止めて掲示板を見つめる。ある人はほう!と頷き、またある人は部屋へと戻った後、お気に入りの本を持ってきて嬉々として大浴場に入っていく。客の笑顔が印象的だった。
「西森にも教えようかな。今日は長風呂も大丈夫だって。まあ、昨日も長風呂ではあったけど」
西森の照れたような優しい目が思い出されて速水は苦笑した。思い出す表情もとても美しくて柔らかい。自分が思っている以上に西森のことが好きらしい。まいったなと思いながらも心がぽかぽかと温かくなるのを感じた。西森が好きなポカリを持って歩みを早める。速水の視線の前に離れの部屋がゆっくりと見えてきた。
部屋に戻ると西森が布団の上でぼんやりと座っていた。手にはポカリがあって時々はっとしながら飲んでいる。何かあったのだろうか。少し元気がないようだ。
「西森?帰ったぞ。どうした?」
昨夜よりも小さく見える西森の背中に努めて明るい声を掛ける。肩が少し震えてゆっくりと振り返った。速水の姿を確認すると、ほっと一息吐いて柔らかく微笑む。どこか儚い。速水は急に心配になって、すばやく西森に寄り添う。頬を優しく撫でると西森はやっと安心したように大きく笑った。
「おかえりなさい。速水さん。朝のお散歩ですか?」
そんなもんだと呟いて、もう一度何かあったか聞いてみる。西森は言いにくそうに首を軽く左右に振って笑って見せる。速水は大袈裟にため息をついた後、西森の頬を優しくつまんだ。西森はバツが悪そうに視線を横に動かしている。そんな西森を速水が許すはずがない。つまんだ頬をむにむにとつまみながらじっと顔を覗き込んだ。
「西森。。不安になったらそう言えっていつも言ってるだろ?西森が考えていること、感じてること。俺は知りたいんだよ。どんな些細なことでも、お前が大したことないと思うことでも、何でもだ」
わからないならば、何度も言い聞かせよう。速水は買ってきたポカリをつまんでいる反対の頬にくっつけて軽く睨みを利かせた。ポカリの冷たさに体全体をびくつかせた後、西森も負けずに睨み返してくる。こんな所は遠慮しないのに。速水の小さな訴えは西森の心に伝わったらしい。いつの間にか照れたように笑っている。
「ごめんなさい。実は。。不安になっていました。速水さんに報告するの、癪ですけど」
最後の一言は余計だと呟いて速水はポカリを西森の頬から離す。つまんでいた手を離して西森の頭を優しく撫でた。西森はくすぐったそうに目を細めて速水を見上げる。その上目使いは卑怯だと速水は思ったが、自覚がない西森にはもちろん届かなかった。
「俺、この頃、すごく心が忙しい。。昨日のように速水とずっと一緒にいたいと思ったり、急に不安になったり。心の波が激しいんです。夏の事件が解決して、穏やかになると思ったのにな。。どうしよう」
ぽつりぽつりと噛み締めるように伝えてくる。飾らずそのままの気持ちを話す西森がとても愛しい。速水は隣に座って西森の肩をそっと自身に引き寄せた。西森はまだ何かを考えていたが、やがて静かに頭を速水の肩に乗せる。甘えるように身を委せてくる西森の心地よい重みと温もりが、速水の心を満たしていく。励ますように肩を撫でれば、西森はゆっくりと口を開いた。
「心の激しく乱れるなんて。。速水さんに片想いをしていた時とは違うんです。幸せなのに、すぐ不安になる。指輪を撫でてみても変わらなくて。。俺、前よりも弱くなった」
悲しそうに呟いた西森を速水がきょとんとした目で見つめる。ひどく落ち込んでいるようだが、それは違う。速水は西森の顔を見つめながら、のんびりとした口調で話し掛けた。
「西森、それって弱くなったっていうよりもお前の心のスペースが大きくなったんじゃないか?今が幸せだと認めた上での不安なんだろ?」
速水の言っていることがよくわからない。悩ましげな表情のまま顔を上げると楽しそうな視線とぶつかった。こんなに悩んでいるのに。明るい速水に八つ当たりしそうになる。渋い顔をした西森を速水は嬉しそうな顔で笑っている。
「前のお前だったら、俺や旅館の人達がいつかは消えてしまうんじゃないかって思ってたよな。消えるわけないのに。で、今の不安は、絶対にそばにいると認めた上での不安だ。わかるか?今の幸せをお前は受け入れることができてるんだよ」
速水の言葉に西森は、うんと一言だけ発して口をつぐむ。納得していないようだ。速水は楽しそうに笑って西森の頭を少し乱暴に撫でた。髪があっという間に乱れる。その手はひどく優しくて西森は困ってしまった。
「わからないなら、よく考えろよ。とにかく、お前は前より心が大きくなったんだよ。余裕が、出来たんだろうな。俺が帰ってくるまで、この事について、お前の答えを見つけておくように」
最後にポンと軽く頭を叩いて速水は声を立てて笑った。速水の幸せそうな朗らかな笑顔を見ていると、元気が溢れてくる。これから出掛けるのか聞いてみると、今まで見たこともないような屈託のない表情をして笑った。
「まあな。お前はここでのんびりと待ってるんだ。少し不機嫌な顔の方がいいかな。あ、いや、こっちの話だ。とにかく、よく考えるんだぞ」
部屋の入り口からコンコンと小さな音がした。ゆっくりと扉が開いて杉崎と雅也が遠慮しがちにこちらを見ている。何かを伺っているようなしんみりとした空気で、二人には似合わない。どうしたのだろう。不思議に思って西森は首を傾げた。何か様子が変だ。速水は込み上げてくる笑いを隠すように口元を抑えた。
「速水さ~ん!助けに。。いやいや!!誘いに来ました!!さあ、行きましょうか!!」
杉崎の怯えたような不自然に明るい声が響き渡る。西森の頭をもう一度優しく撫でて、速水は部屋を出ていってしまった。
お久しぶりです(*^^*)のんびりと書いておりました☆ふふふ♪楽しい宝探しが始まります。今日はのんびりまったりです。ではでは皆様これからも素敵な時間をお過ごしくださいね(*^^*)