雪次 -2-
「お久しぶりです、雪次さん」「ご無沙汰しております」
雪次が自分たちの席に近づいてくるのに気付き、福島と和田は立ち上がって頭を下げた。「いえいえこちらこそ、ご無沙汰してしまいまして…」
雪次も負けじと大仰に、二人に頭を下げる。挨拶が済むと、和田はそっと席を立ちカウンターへ向かう。雪次のコーヒーを注文しているのである。テーブル上のトレイには、雪次が来るまでに福島と和田が注文したチキンの残骸が居心地悪そうに転がっている。
「いや、ホントお久しぶりですね。春太さんがご入院されてた時以来だから、もう五年位になりますよね」
福島の言葉に、そうか、春太が障害を持ってからもう五年になるのか、と改めて思う。福島が言葉を続ける。
「春太さん、どうかされたんですか?」
福島からすれば当然の質問であった。春太がまだ障害を持つ前、社会人の一年生から勤めていた会社『コングレスマネジメントサービス(CMS)』で、福島と和田は春太の部下として働いており、その会社が半ば夜逃げのような形で廃業してからも、事ある度に三人で会ってはいた。しかし、春太の兄の雪次とは、春太の入院中に偶然病室で会い、何となく連絡先を交わしただけの関係であり、その雪次からわざわざ連絡があったという事は、春太に何かあったに違いない、と考えたのである。
「いや、実は何かあったのはこっちの方で…」
雪次はすらすらと話し始めた。……最近、母が亡くなったので、弟の春太と遺産の分配をしなければいけないのだが、その分配の比率について考えたい。遺言書は無かったから遺産は半分ずつ、という事になるのだが、多分春太も大変だろうから、なるべく大目に分けてあげたいと思い、しかしそうは言っても自分も歯牙ない飲食店の店長だから、全部やるという訳にも行かない……。そのような事情を話した。
「でも、俺が直接聞くと、多分春太は『良いよ良いよ半分で』みたいな事を言う気がして、だから…」雪次がそこまで言うと、いつの間にかコーヒーを取って戻って来ていた和田が、雪次の背後から、彼の言葉を引き取る形で言った。
「だから、僕たちから春太さんのご様子を聞きたい、って事ですね。春太さん、そういう遠慮する所ありますもんね」
コーヒーを雪次の前に置き、自分は席に腰を下ろしながら和田は言葉を続けた。
「でも僕らも、春太さんが結婚されてからはあんまり会ってなくて、つい最近一回あっただけですよ。一ヵ月くらい前ですかね、福島さん。ほら、渋谷で…」
「ああ、あの時ね。びっくりしたよな」福島は和田に相槌を返すと、雪次の方を向いて続けた。
「僕ら、待ち合わせに早く着きすぎたんで、ちょっと駅前の喫茶店でコーヒー飲んでます、って春太さんに連絡入れたんすよ。そうしてちょっとしたら、いきなり春太さんに後ろから声を掛けられて。階段しかない二階のその喫茶店ですよ。杖で上がって来られた、ってことなんですけどね。僕は春太さん今も車椅子で生活されてると思ってたから、変な声上げてびっくりしちゃって。」
「あの時、福島さんマジでびっくりしてましたよね。俺、あんなにびっくりしている福島さんの顔見たの久しぶりでした」
「うるせぇよ、お前だってびびって、ヤバい事言ったじゃねぇかよ」
うっ、と困った表情を見せた和田に、すかさず雪次が何を言ったのかを聞いた。
「魔女パワーやべぇっすね、って言っちゃって…。いや、小っちゃい声だったから春太さんには聞こえてないと思いますけど…」
「そうね、まぁ俺には聞こえてたけどね」と福島が返す。
魔女?と雪次が聞き返すと、バツが悪そうに和田が雪次に告げた。
「春太さんの奥さん、綺麗な方ですよね。けど、何考えてるかホント分かんない感じで…。たまに哲学だかなんだか分かんないですけど、訳分かんない事呟いてたりして。あの長い黒髪がそういうイメージになるのかも知れないんですけど、魔女っぽいよね、ってたまに福島さんと喋ってて…」
「そうなんですよね、正直僕もちょっとそう思ってるところはあって。結婚されてから何度か会った事あったんですけど、春太さんお身体不自由じゃないですか、だから奥さん同伴の形になることが多いのは仕方ないと思うんですけど、どうも…。だから、少し疎遠になっちゃってた所あって。で、最近珍しく春太さんの方から連絡があったんで、久しぶりに三人で会った、て感じなんですよ」福島が、和田をフォローする形で続けた。
その言葉を聞き、雪次は少し目を伏せ考え事をしているようだった。その沈黙を怒りの合図と取った和田が、済みません、ご気分害されましたよね、と告げると、雪次は我に返り、
「いや、俺も思ってたけど、あれは正直魔女だよ。初めて紹介された時、俺もびっくりしたもんね」と笑いながら言った。雪次は、和田を気遣ってこの発言をしたつもりであったが、余り弟の妻を快く思っていなかったのも事実であった。ともあれ、その言葉を聞くと、和田も福島も安堵の表情を浮かべ、笑い声を重ねた。
そうして、春太と一緒に仕事をしていた頃についての四方山の話をし、雪次の前に置かれたコーヒーがすっかり冷めた頃、店を出た。辺りはすっかり暗くなっていた。
「今日はありがとうございました。だいぶ春太の現在の状況が分かりました」
雪次はまず二人に謝意を示すと、こう続けた。
「他に、春太と特に仲良かった方って居ますか?」
少し考え始めた和田を尻目に、福島が答えた。
「CMS時代しか分かんないすけど、保志野さんは仲良かったんじゃないですかね」
その名前を聞いた雪次の顔が一瞬曇った事に気付かず、福島は続けた。
「春太さんとずっと一緒に仕事してて、上手く言えないんですけど、なんかこう、デキてんじゃないか?と思うような感じでしたね。既に夫婦みたいって言うか。保志野さん、滅茶苦茶可愛いって事で社内で人気あって、僕らもすごい春太さん羨ましいなって言ってたんですよ。まぁ、和田が会社に入ってくる前に辞めちゃってるんで、和田はあまり知らないだろうけど…。雪次さんも春太さんの病室で会った事ありましたよね、確か。ほら、長崎の」
「あぁ、今聞いてて思い出したよ。保志野さんね。ありがとう」